下女の仕事は大変です 1
夜の国と呼ばれる国がある。
世界の『半分』を支配する巨大な王国だ。
たくさんの貴族や王族を部下にするその国では、ただ一人、王から公爵位を叙された少女がいた。
常に仮面をかぶるその少女の素顔を見たものは誰もいない。
その名を知るものも誰もいない。
生まれも育ちも名前も知られぬその少女は、人々からただ『公爵』とよばれていた。
***
「あぁ……、だるい……」
わたしは山のように積みあがった洗濯物を前に、ひっそりとため息をついた。
下女の仕事は大変だ。
だだっぴろい城壁内の掃除、毎日でてくる洗濯物の洗濯、それからじゃがいもや野菜の皮むき、食器洗いまで、おもに水場の仕事を一手に引き受けるのが下女の仕事だ。
貴族のお世話や給仕など、王宮の表の仕事をやるのが侍女だとすれば、裏方として侍女ではできない雑用を請け負うのが下女の役目である。
力のいる仕事も多い。とにかくやることなら腐るほどある。
それなのにこの国、ランザニアでの下女の給料は安い…。
身元さえしっかりしていれば平民でもなれるせいで、とにかく王宮で働きたい、うまくすれば貴族の子息に見初められて玉の輿、なんて少女たちが大挙して応募してくるせいだ。
足もとみやがって……。
いくら私が比較的まじめな下女だとしても、そのモチベーションも地の底を這うというものだ。
「こら、リゼル!まじめにやりなさい!」
「すいません、下女頭」
わたしは一瞬、下女頭に叱られたのかと思って、振り向いてすぐ謝罪する。
上を見たらきりがない王宮社会。平身低頭無事平穏こそが私の座右の銘だ。
しかし、後ろをみたわたしの目に映ったのは、まだ若い年頃の女だった。
下女頭はもう中年を過ぎた女性だ。
つまり下女頭ではない。
「えっへっへー、騙されたー」
「しねばいいのに……」
「ごめんごめん。もうお昼でしょ。一緒に食べようと呼びにきたの」
睨みつけてもまったく動じず笑顔で話す図太い女。
だが、それがいいところでもある。
ラティーナは下女仲間に敬遠されている私の数少ない友人だった。というか、彼女一人かもしれない…。
「ちょっと待ってて準備するから」
「ほいほ~い!」
空を見上げると、気付けばもう太陽は中天を過ぎていた。
普通の人の昼時には少々遅いが、わたしたち下女にとっては普通の時間帯だ。
わたしは洗濯板を壁に立てかけると、手をそのまま水場で洗い、そこらへんに置いておいた手提げかばんを持つ。
待っていたラティーナと合流して、食堂へと歩き始めた。
食堂はお城の倉庫や物置がある区画にある。
裏庭ということもあって、日当たりはあまりよくないが、近くに騎士たちの訓練所があるせいか、騎士様と出会って見初められたいなんていう女の子たちには人気のスポットである。
お昼の時間はできるだけゆっくりしたい私にとっては、道を譲って挨拶せねばならず、無駄な時間の浪費となるので何のありがたみもないが。
元気な早口で何かを話すラティーナーーー容赦なく聞き流してるので何を話してるのかはわからないーーーとしばらく歩いて行くと、食堂が見えた。
食堂は王城の大きな倉庫のとなりに存在する、これまた大きな建物だ。
訓練中の兵士や、下働きの男たち、それから私たちみたいな下女がここで食事を取るのでかなりの広さがある。
中にはいるとたくさんの木造のテーブルと、それからこっちの壁から向こうの端まで延びるカウンターがある。
カウンターの向こうでは、食堂のおばちゃんたちが、せわしなく料理を作る姿がみえた。バイキング形式というわけではないが、ピーク時には大挙して人が押し寄せてくるので、注文する人間がお盆をもってカウンターに並び、おばちゃんたちがそれぞれ来た人へ給仕していくのだ。
味はそこそこ評判がいい。そして何より量が多くて安い。
騎士さまなんかも、貴族たちの食堂があるのにもかかわらず、たくさん食べられるからと、こっちのほうへ来たりするぐらいだ。
「じゃあ。わたしは注文してくるね」
ラティーナがそういって列に並んだので、私は席取りに向かう。
私はいつも弁当なので、彼女もわかってるのだろう。
「おお、リゼルちゃんじゃないか!一緒にランチしようぜ!」
埋まってるテーブルの横を通り過ぎようとしたとき、そんな声をかけられた。
まったく見知らぬ男性だ。なぜわたしの名前を知ってるのかもわからない。まあ、こういう人は、いろんな女の名前を片っ端からおぼえてるのだろうけど。
何にせよ、下女より身分が低い人間なんて、王宮には数えるほどしかいない(というか、数えられるほどいるのか?わたしは知らないぞ……)。
そんなわけで無視するわけにもいかないのだ。
テーブルを囲む筋骨隆々の男たちが、兵士だか騎士だかはわからないが、どちらにしろ私よりは偉い。
「すいません、先約があるので」
そんなわけでわたしは頭を下げてから、テーブルを通り過ぎた。
「ちぇー、相変わらずつれないなぁ」
「がっはっは、ふられちまったな」
断られても、彼らは楽しそうだ。きっと片っ端から声をかけてるから、わたしみたいなのが断っても気にしないのだろう。
「おーい、ラティーナ!一緒に飯くおうぜー!」
「あはは、ごめんねー!先約があるから!」
案の定ラティーナにも声をかけてる。そして断られている彼らだった。
***(ここまで改稿)
こちらまでやってきたラティーナと席につくと、彼女はテーブルに昼食ののったお盆をのせる。
私はもってきた手提げ袋から、包みをとりだす。
すると、彼女の顔が急ににやにやしだした。
「今日も愛妻弁当かぁ。うらやましい~」
「妻じゃないから」
私は冷たい目で彼女を見返す。
「じゃあ婿?」
「ただの同居人だって言ってるでしょ」
包みからでてきたのは、手作りの弁当。のりと佃煮をのせた御飯に、卵焼きと野菜炒め、それから簡単な煮物が彩りよく入っていた。御飯のうえののりも山みたいな模様をつくっていて意外と凝っている。
確かにこれは私が作った弁当ではないが、作った奴と私の間にはお熱い関係など微塵もない。
「いいなぁ、ナナパ君!料理もできるし、可愛いし!うちにも欲しい」
ラティーナが頬を染め身体をくねくねしながら、やたら高いテンションになって騒ぎ出した。
そういう趣味があったのかと、私はどん引きである。
「欲しいなら熨斗をつけて送ってやるわよ」
ナナパとは私の同居人の名前である。もちろん、同居してるだけで、恋人でもないし、男女の関係など意識したこともない。
ただとある理由で私の家に転がり込んできて、でていかないので仕方なく一緒に暮らしてるだけである。
「何言ってるのよ。そんな美味しそうな弁当まで作って貰っちゃって、そんなこと言ってたらばちがあたるわよ」
確かに弁当はおいしい…。
炒め物を口に運ぶと、適度な塩加減でほどよく焼いた肉の味が広がる。油も最小限にしかつかってないのか、しつこさがまるでなく、さっぱりとした飽きのこない味だ。
しかしだ…。
私は向こうのテーブルに座ってる兵士たちに目を向けた。正確には兵士たちががつがつと食べているものが乗っているお皿だ。
「私はあのステーキが食べたい…。毎日食べたい…」
兵士たちが食べてるのは、お皿目一杯のステーキだ。
食堂の名物メニューであると共に、一番たかいメニューで11シリンもする。この食堂はほとんどのメニューは5シリン以下で、ラティーナの食べているソースで味付けしたジャガイモの煮物とパンのセットは3シリンという安さだ。
なので値は張るのだが、それだけのボリュームはある。
決して高級な肉をつかっているわけではないが、油はしっかりとのっていてじゅーじゅーと美味しそうである。
兵士たちの主食は「猛獣かっ!」と突っ込みたくなるぐらい肉、肉、肉、なので兵士たちの食事場となるここでは、お肉が手厚く提供されているのだという。
「太るわよ。それに食費も馬鹿にならないでしょ」
「やめて、その言葉は聞きたくない」
私の耳に一時間近く聞かされた同居人の説教がよみがえり、私は耳を押さえた。
『食堂でたべるから弁当はいらないですって!?いくら安めの食堂だからって、積み重なれば馬鹿にならない食費になるんですよ!わかってますか!?ご主人様!しかも、ご主人様は油っこいものばっかりたべたがる。この前も僕が里帰りしたとき、顔にニキビを作ってたじゃないですか。どうせ野菜も食べずお肉ばっかり食べていたんでしょう。健康ってものを少しは考えないんですか!?お腹の調子が悪いって言ってたけど、自業自得ですよ。ご主人様はもう子供じゃないんでしょう。少しは僕がいなくても(以下省略)』
ごもっともすぎてその説教の間中、私の反論は許されなかった。
さらにはナナパはこの弁当を毎日1シリン以下の食費で作ってしまうのだから手におえない…。
頭をおさえうめき声をあげる私に、ラティーナが溜息をついて呟いた。
「なんか毎月お小遣いで悩む私のお父さんみたいになってきたわね。結婚って大変ね」
ちょっと自覚できる部分があるせいか、ラティーナの言葉が胸に刺さった。
「だから私は結婚してないって言ってるでしょ!でも確かに、たまに騎士相手にきゃぴきゃぴ言ってる若い子たちが羨ましくなる…。これが歳って奴なのか…」
「歳ってあんた、むしろ下女の中でも年少の方でしょ…。あんたがよく若い子って呼んでる人間、大抵あんたより年上だからね」
さっきから話にでてくるナナパは、そもそも狭義の意味での人間かと言うとちょっと違った。
大まかな範囲で言うと人に近いが、正確には獣人という種族だ。
道に倒れているところを発見し、しょうがなく介抱して助けてやったら、一族の掟とかで命の恩人に恩返しするとかいって私の家に棲み込んできやがったのだ。
それからは私の家に留まり、家の掃除から炊事、洗濯、料理までやっている。
家計に厳しく、私の給料まで何故かしっかりと管理され、一人暮らしのときの遣い方をチェックされ、浪費が多すぎると説教された。食堂の飯なんて、もはや月に一度すらご相伴に与れることはない。
ナナパが来てからというもの、うちでは今まで溜まることのなかった貯金がたまり、大家への家賃を落とすことがなくなり、洗濯ものや洗い物が次の日にたまることはなく、部屋の中はいつもきれいな状態である。
借りるときは一人暮らしを条件に契約したはずの大家が、ナナパの存在をにこにこ顔で歓迎している始末である。
それでも給料は私が稼いでるのだから自由にさせろと言いたいところだが、ナナパは家で内職をし手取りで私と同額を稼ぎ家計にいれてくるのである。
もはや逆らいようがない…。
行き倒れのあいつを助けてからと言うもの、すっかり私の首には手綱がかけられてしまった。
恩返しのはずだったのに、どうしてこうなった。
さらに問題なことに、ナナパの性別は一応男なので、たまに恋人同士と誤解する人間がいる。
男女が一緒に暮らせば、そんな噂がたつのも仕方ないかもしれないが、ナナパは私と同じくらいの身長で、おまけに童顔の女顔のかわいらしいとしか言いようがない容姿、しかも柔らかそうな獣耳までピコピコと生やしている。
私はそんなショタショタな子供に手を出すような趣味の人間ではない。
男の趣味はと聞かれると、特に具体的なことは思い浮かばないが、とにかく変態嗜好だけはノーサンキューである。
って、もしかして私はまわりからそんな趣味の人間だと思われているのか!?こいつとかに…!?
「もう本当に照れちゃって。お似合いなのにねぇ」
ぜんぜんまったくわかってなさそうな類の顔の友人を見て、私は思わず彼女の使ってないフォークを取った。
こういうときは、誠意をもって説得すれば誤解はとけるものだ。
「ん?フォーク使うの?どうみても箸で食べるお弁当みたいだけど」
スパンッ
私は彼女の目の前でフォークをテーブルに3cmほど突き刺し、彼女の目を見ながらラティーナに告げた。
「とにかく、ナナパとは、そういう関係じゃ、ないから」
完全に据わった目で一言一言区切って言う私に、どうやらこのちょっと人の話を聞かないことがある友人も納得してくれたらしい。
「わ、わかりました…」
急に枯れた声で頷いてくれた。じゃがいもの煮物の塩分のせいだろうか。
よかった。数少ない友を失わずにすんだようだ。
鈍感だから心配していたが、私の誠意は伝わったようである。
近くのテーブルの兵士たちが急に立ち上がって「な、なんかものすごい殺気を感じたぞ」と騒ぎ出したが、きっと訓練のしすぎで神経過敏症にでもなってたのではないかと思う。




