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短編集  作者: 赤羽怜
1/6

かくして、鴉は笑ふ

夜の帳が辺りを薄闇に包む。

竹と竹の間から沈みかけの夕陽が、そこを駆ける少年を朱に染める。

「だめだよ。逃げちゃいやだよ」

その少年を追いかけるように、一人の少女も走る。

二人とも、年の頃は十三、四ぐらいだろうか。

少年と違い少女は紅い着物に紅い鼻緒の下駄姿の出で立ちだ。

切りそろえられた、濡れたような黒髪を振り乱し、少女は追い掛ける。

「待ってよ。私を置いていかないで」

少年は振り返らない。

ただ前へと急ぐ。


少年はただ駆けながら、昨日の話を反芻する。


「隣町のちぃちゃん、亡くなったらしいわよ」

母が櫃を持ってきながら言った。

「ふぅん。俺と同い年だったっけ?」

「あんた、忘れたの?昔はよく遊んでたじゃない」

「そうだっけ」

興味はそれぐらいしかなかった。

母もそれ以上は何も言わなかった。

仮に覚えていたとしても、昔の事だ。

顔も忘れているに違いない。

現に、その「ちぃちゃん」とやらの存在自体、覚えていない。

結局はそれほどの重みもないものなのだ。

しかし、夕食時に人の生死の話をするのはよくない。

そのせいか、夕食がいつもよりも少し質素に感じたのは、きっと気のせいだろう。


「ちょっとおばちゃんの様子を見てきて」

「様子を見てきて」ということは、食事を持っていけ、ということなのだろう。

行きがけに土間に立ち寄ると、案の定食事が用意されていた。

「あんまり長居するんじゃないよ」

母に念を押され、勝手口から庭へ出た。

同じ敷地内の離れに、祖母は住んでいる。

正確には、そこで生きている。

生活らしい生活はしていない。

病気なのだ。

母は祖母を嫌い、祖母は母を嫌う。

その間を取り持つのが役目だ。

そこには何の感慨もない。

嫌いでもない代わりに、好きでもない。

母に対しても、祖母に対しても。

ただ単なる仕事としてでしか、捉えていない。


「入ります」

「いつも、ありがとうねぇ」

床に伏せっ切りの祖母の枕元に、食事を置く。

土気色をした顔に、枯れ木のような腕。

これが人としての最終形態かと思うと、空しく感じた。

「では、後で取りにきます」

離れを出ようとしたときだった。

「明日は外に出ない方がいい。悪いもんがつくよ」

祖母が呟いた。

母が、実の親の祖母を嫌う理由はここにある。

たまにおかしな発言をするのだ。

そしてたいていの場合は、当たる。

「そうですか。気をつけます」

しかし、気にはかけなかった。

祖母の発言が、この身に降りかかったことは一度もない。

自身を、祖母を軽んじていた。

そして、つけが今に回ってきた。


少年は追いかけてくる少女に微かな見覚えがあった。

記憶の奥底に閉じ込められていたような錯覚を催し、思い出す。

「ちぃちゃん」だ。

陶器のような白い肌。

闇夜のように黒い髪。

朱の刷けたような唇。

どれも、なぜ忘れていたのか不思議なほど、ありありと目に浮かぶ。

しかし、その「ちぃちゃん」は昨日死んだはずだ。

たまたま訪れた隣町で「ちぃちゃん」の葬儀があったのを、少年はたまたま目にしていた。

「ねぇ、どうして?私はここにいるよ?」

記憶の声が聞こえる。

これは幻覚だ、幻だ。

歯を食いしばり、正面を見据えた。

やった、間に合った。

目の前には、古びた朱の鳥居。

神社の境内に入りさえすれば。

辺りに若干の違和感を感じながらも、足を一歩踏み入れ、立ち止った。

膝に手をつき、息を整える。

後ろからの足音も聞こえない。

影が細長く伸びている。

すこし冷たい風が吹き抜ける。

そろそろ帰らないとまずいか。

少年は後ろを向いた。

「やっと、こっちをむいてくれたね」

境内の中に、少年の真後ろに、「ちぃちゃん」はいた。

「ど、どう・・・して・・・」

「こっちを向いてくれないのが、悪いんだからね」

「ちぃちゃん」の白い手を夕陽が、血が、紅く染め上げる。

その手が少年の頬に触れた。

「やっと会えたんだから、離さないよ」

少年は目の端に、しめ縄が張り巡らされていない鳥居を捉えた。


誰もいない境内に、一羽の鴉が一声、鳴いた。



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