第八話
あくる朝。
柚里はいつもの日常である、お仕事です。
ということは、アキくんが一人でお留守番になるということです。
けれども柚里はアキくんを一人で家に置いておくのがちょっとだけ不安でした。
この世界を何も知らないアキくんのことです。何をしでかすかわかったもんじゃありません。
それでも仕事に行かないといけませんでしたので朝早くから仕事用のお弁当とアキくん用にワンプレートに盛ったお昼ご飯を用意しました。
そしてアキくんに言いました。
「私は仕事に行かないといけないけれど、お留守番できるよね?」
「おるすばん?『おるすばん』ってなんや?」
意味がわからなかったようで、首をかしげています。
あらら。
いきなり失敗です。
そういえば、アキくんは王子様でした。
お留守番なんてしたことがないのでしょう。
ですから、お留守番という言葉も意味も知らないということだったようです。
そこで柚里は言いました。
「お留守番っていうのは、お出かけしない人が誰もいなくなる家を守ることをいうんだけど」
「でも、柚里の家を守るなんて必要ないと思うねんけど」
「どうして?」
「だって、盗られるもんないやろ?宝石とか剣とか、書物もないようやん?それに今まで柚里一人でここにおったのに、俺がおるから守らせるっておかしいやん」
ぷちん。
柚里のなにかが切れた音が、柚里の耳にこだましました。
アキくんは柚里のこめかみに急に浮かんだ青い筋をみて驚きました。
どうしてそこにそんなものができるのか、柚里の具合が悪くてそんなところに筋が立つのかと思いましたが、それでも口を閉じません。
「あれやったら、俺外におるさかい。それでええんとちゃうのん?」
その言葉が終わるか終らないか、柚里の手がアキくんに延びるか延びらないか。
気がついたら柚里はうさぎのアキくんの小さなほっぺたを両手でつまんでうりうりとしていました。
「この口かな?この口がそんな偉そうな言葉を吐くのかな?」
「ゆふり、いはいいはい。いはいって!!」
「ん~?聞こえないなあ」
にこやかにほほ笑みつつも、柚里は指をアキくんの頬から離すことはしません。
だって、アキくんはとーっても失礼なことを言ったからです。
どおりで『世間を見て来い』などと王様がいうわけです。納得です。
「あのね、アキくん。王子様の感覚じゃあうちの家は倹しい家かもですけれど、私にとってはここは大切な家なんですよ?そりゃあお城に住んでいる人にとっては拭けば飛ぶような家ですけどね。でも私にとってはここはお城と同じなんですよ?それを言うに事欠いて『守る必要がない』とか『盗られるもものがない』とか。挙句に『今まで私一人でいたから守る必要がない』ですって?」
「ゆふり!!いはいいはいっ!!」
「それに外にいくだぁ?この世界のことなーんにも知らないくせに。うさぎの姿で一人で外に行くなんて、のら猫に殺られるってことがどうしてわからないんでしょうかねえ??」
ぐりぐりぐり
ちょっと指に力が入ったようです。
アキくんはひーひーいいながら涙目になりました。
その様子に気がついて、ぱっと手を離した柚里ですが、アキくんのうらみがましい潤んだ目を見てちょっとだけ反省しました。
やりすぎたかな?
でもあんな風に言われて、かちんとこないほうがおかしいよ。
それに自分の今の姿がどんなに弱いのか、ぜんぜんわかっていない。
一人でなんて外にいけるわけないじゃない。
「柚里、なにすんねん!ほっぺた痛いがな。絶対腫れてるって」
前足で頬をさすりながら、アキくんは文句を言いました。
あいも変わらず涙目ですが。
「何?アキくん。私の話を聞いてなかった?」
「はあ?何ゆうてんねん。ほっぺた痛うてそれどころやないやん」
うう。
そう言えば確かにそうかも。
柚里は反省しました。
たしかにちゃーんと話を聞いてほしかったら、ほっぺたをつねるのは間違っていました。
「そうね。話をきちんとしてからその減らず口をつねればよかったってことよね?」
「ちゃうがなぁぁぁっ!!」
速攻で突っ込みが入りました。
アキくん。世間を知らない割には『ぼけつっこみ』は知っているようです。
あと足らないのはびしっと張り手をすることくらいです。
本当に不思議なうさぎさんですね。
「とりあえず、もう時間だから仕事に行くね。ちゃーんとこの家の中で私が帰ってくるのを待っててね。……わかった?」
「……わかりました。待ってます」
半眼にした迫力のある柚里の顔を間近までもって来られて、アキくんは引き気味に答えました。
「いってきます」といって玄関から出ていく柚里を見送ったアキくんは、外から鍵を締める音に驚いて、たたたっとリビングに逃げ込みました。
さっきまでは柚里と二人、この狭い部屋で楽しく過ごしていたはずなんです。
それなのに、鍵を閉めるがちゃんとなる音が狭い部屋に響いたと思ったら、部屋が急に大きく膨らんで、お城の大広間よりも大きな部屋になったようにアキくんは感じました。
あの音は、淋しい音やねんなぁ
嫌いな音や
アキくんは、まるでそれを見続けていれば今すぐドアが開いて柚里が帰ってくるかのように、玄関をただただ見続けていました。