第十七話
―――――アキくんは夢を見ました。
それは懐かしい故郷、フィーヨルの国でした。
どこまでも続くのどかな田園風景と、城を挟んで反対側は緩やかなカーブを描く水平線が見える海。
周辺の国々からみたら壮麗さがちょっと欠けているけれど、強固な守りの城。
どんなにアキくんがやんちゃをしても、いつも温かく見守ってくれている礼儀正しく優しい人たち。
ああ、なんて……なんて
夢の中でアキくんはうさぎの姿のまま野山を、そして海岸線をめいっぱい駆け回っていました。
そんなアキくんを人々は「おかえりなさい。アキエテラヴォリ王子さま!」といって声をかけてくれました。
まるでお城を壊したことなど、全くの嘘だったように。
かえりたい
アキくんは、うさぎになってから初めて、心の底から国に帰りたいと願ったのでした。
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そのフィーヨルの国の自分の部屋で、王子は目覚めました。
いつもなら目が覚めて一番に目に着くのは柚里のベッドの脚なのに、なぜかとっても見覚えのある天井が目に飛び込んできました。
不思議に思って身体を起こそうとしたとき、五本の長くて白い指が見えました。
―――――え?
思わずがばっと上半身を起こして、両手のひらをじーっと見つめました。
見つめても見つめても、爪が尖ったうさぎの前足ではなくて、ちゃんとした人間の手です。
そうして人間の手に慣れてくると、今度はその視線を他にもやれるようになりました。
長い脚にまとわりつくシーツ、筋肉が見えるお腹、自在に動く指先、そうして何より顔に毛が生えていません。
べたべたべたたっ
今度は両手を使ってあちこちを触り始めました。
うさぎの部分が一つでも残っているのをまるで恐れるように。
どのくらいそんなことをしていたのでしょう。
王子はやっと手を下ろして、自分が人間に戻ったことを確信しました。
俺、もどってるっ?!
もしかして、俺、人間に戻ってる?
そんでもって国に帰ってきてるやん!!!
辺りを見回しても、城にある見慣れた自分の部屋です。
石の壁にかかったタペストリーも、彫りが見事な椅子も、薄い幕がかかっている四点支柱のベッドもすべてなじみのあるものばかりです。
ゆっくりと、ことさらゆっくりと王子は立ち上がりました。
そしてその両足で地面を踏みしめたとたん
涙が一つ、落ちました。
どれだけ人間に戻りたかったのでしょう。
いやそれよりも、あの城を壊してしまった時よりも前に、戻れるものなら戻りたかったのです。
それが今、叶ったのです。
あ、柚里
柚里がおらへん
いつもなら柚里が眠るベットの下で眠っている王子でした。
そしてお弁当を作る早起きな柚里よりももっともっと早く起きる王子でした。
ですから柚里の寝顔をこっそりと椅子の上から見ることもありました。
だけどもこの部屋に、柚里はどこにもいません。
辺りを見回してみても、もちろん誰もいるわけもありません。
そしてそれはこの部屋どころか、この世界全てに人がいないような、そんな寒々とした雰囲気が漂っていました。
王子は窓辺に走り寄りました。
窓の下にはいつも衛兵が見張っていたからです。
けれどもやはりそこには誰もいませんでした。
王子は森のほうを見ました。
そこにはいつも鳥たちが飛びまわっているからです。
けれどもやはりそこには鳥はいませんでした。
王子は部屋の扉を大きく開けました。
廊下にはいつも王子の安全を守ってくれる近衛が立っているからです。
けれどもやはりそこには誰もいませんでした。
なんやこれ?!
なんで誰もおらへんねん!!!
柚里を探そうとしたはずが、誰も、何もいない世界にいるようで、誰かを探したい衝動に王子はかられました。
城の扉という扉を開け放ちました。
庭園を駆け巡りました。
塔のてっぺんまで昇って、国中を見渡しました。
けれど、誰一人見つけることができませんでした。
この美しいフィーヨルの国に、今はただ一人、王子だけが存在しました。
王子は、両手を地面につけてがっくりと項垂れました。
そして、静かに、静かに涙を流し始めたのです。
誰もいない国。
どうしてそうなったのでしょう。
なぜか考えたときに、王子のいきついた答えは。