第十五話
街並みを駆けるようにびゅんびゅんと、柚里は自転車を漕ぎました。
するとどうでしょう。
せせこましい街並みを抜けていきなり目の前に現れたのは、広い広い川でした。
「うわぁ!」
その風景を見たときのアキくんの嬉しそうな声ったら!
歓声を上げるアキくんに、満足に頷く柚里でした。
「ほら。ここならおもいっきり楽しめるでしょう?」
広い川の土手にはちょっとした場所があって、野球場やテニス場、ゴルフ場もありましたし、スケートボードやサイクリングを楽しむ人、ジョギングをしている人たちがいました。
そこに自転車を止めてアキくんをキャリーバックから出して抱き上げると、アキくんはいてもたってもいられず後ろ足をばたばたとばたつかせました。
「なあなあ。このあたりやったらどこまで遊びにいっていいん?」
とても魅力的な場所にやってきたのです。どこまでもどもまでも飛び跳ねていけそうな気がしました。
けれど柚里はきっとアキくんの足にはついてこれません。
ですので柚里がどこまでだったら来れるのか、先に確認をしておこうとアキくんは考えたのです。
「ここに自転車を止めておくから、自転車が見えなくなるようなところまではいかないでね」
そうして自転車の近くにシートを引いて、辺りからとってきた石をシートの四方に置いて風に持って行かれないようにしました。今日のお部屋の完成です。
「私はここにいるから、ゆっくり遊んできたら?」
柚里の保護者目線の言葉が痛いアキくんでしたが、川辺のしっとりと水分の含んだ空気と緑に萌える匂いが故郷のフィーヨル国を思い出させ、力がなんだか漲ってくるように思いました。
「うんっ!ちょっと一回このあたりを見てくるわ!」
柚里の手を離れてぴょんぴょんと駆け回るアキくんでしたが、途中何度か柚里がちゃんとあの場所にいるか確認をしては安心をしてまたぴょんぴょんと駆け回りました。
草の匂いが、とても好き
風の匂いも、とても好き
川の匂いは、もっと好き
川の匂いにつられ、泳ぎたい衝動に駆られたアキくんでしたが、自分の今の姿を見てそれは無理だとあきらめました。
こんなに広い川やのに、泳がれへんっていややなあ
川岸に佇んでしばらくじっと水面を見ていたアキくんでしたが、急に首筋にぞわぞわとした感覚が襲いました。
わんっわんっ
犬の鳴き声が後ろ辺りから聞こえました。
けれどもフィーヨルの国の犬はみんなと言っていいほどほとんどの犬種が小型犬で、うさぎのアキくんとほとんど同じくらいの大きさなので、アキくんは油断してしまいました。
がさがさがさっ
草をかき分けて現れた犬は、アキくんよりも何倍も何倍も大きな大型犬だったのです。
「うわぁぁぁっ!!!」
アキくんは大声をあげて逃げまどいました。
だって、自分よりも何倍も大きな犬ですよ?怖くないほうがおかしいでしょ?
ぴょんぴょんと跳ねまわり逃げるアキくんをおもしろそうにその犬は追いかけました。
ちなみに犬の代弁をするならば、このときこの犬はべつにアキくんを取って食おうなどどおもっているわけでもなんでもなかったのです。だいたい飼われている犬は十分すぎる餌を与えられているのが常なのですから。
それなのに、犬を見かけたとたん叫びまわられて、犬はちょっとショックでした。
ですのでちょっとだけ面白おかしく追いかけまわしてやろうという出来心だったんです。
「柚里っ、柚里っ、ゆーりーっ!!」
がさがさと草むらを逃げまどうアキくん。
柚里に言われていた目印の自転車を見失ってしまいました。
必死で草むらから出ようとしても、大きな怪物のような犬が後ろから襲いかかります。
たすけて……っ!
久しぶりの全力疾走は、運動不足の身体にはきついものがありました。
そうこうしている間に、他の犬も騒ぎを聞きつけてやってきたのです。
挟まれるように吠えたてられて、アキくんは身動きが取れなくなってしまいました。
こわいっ!
アキくんはこの時ほど身体の小ささと脆さを思い知らされたことはありませんでした。
本当の姿なら、犬なんて簡単に蹴散らすことができました。
それなのにうさぎのこの姿では逃げまどうことしかできません。
柚里の家で安全に暮らしていたときに、ガラス越しに見た猫を思い出しました。
あれだけでも怖かったのに、間近で自分よりも何回りも大きな犬二匹に挟まれているのです。恐ろしくて竦んでも仕方がないのです。
けれどもアキくんはそんな弱虫な自分がとてつもなく嫌でした。
嫌で嫌で仕方がなかったのですが、どうしても動くことができません。
「お前たち!何に吠えてるんだ?」
その声に反応して、吠えていた犬たちがぴたりとなきやみました。
そして声の主に媚を売るようにきゅーんと啼いているのです。
「どうした……?なんだ、うさぎじゃないか。どおりで吠えるはずだなあ」
そう言って固まっているアキくんをそっと抱きかかえました。
ごつくて大きな手がアキくんを包み込みます。そして優しく撫でてくれましたが、アキくんは何とも言えない屈辱感でいっぱいでした。
俺……、情けない
ギュッと目をつぶって泣きそうになるのを必死でこらえていました。
そんなことを柚里以外の人の前でするのは嫌だったからです。
「あー。お前、飼い主がいるんだな。綺麗な赤いエナメルの首輪、してるもんな」
その人は首輪に付いたタグをみて、にっこりとほほ笑んでアキくんをみました。
そしてポケットからなにやら棒のようなものを取り出して指で棒を圧しています。そしてその棒を耳にあてていきなり話し始めました。
「もしもし?うさぎのアキくんの飼い主さんですか?」
アキくんは驚きました。
その人の話を聞いていると、どうやら柚里と話しているみたいなんですが、柚里はどこにもいないのです。
「……はい。ああ、堤防の下の?赤い自転車?了解。じゃあそこまで行きますので」
棒をポケットに入れ直して、アキくんを抱きかかえたまま「ほら行くぞ」と犬たちに言いました。
けれど思いなおしたように犬たちの首輪に紐を結えて、その紐を手に握りながら歩き始めました。
「すまんなあ。いつもならリードをつけているんだが、今日は誰もいないと思ってリードを外したんだよ。怖い思いさせたな」
言葉なんてわかるはずもないうさぎに、その人は優しく話しかけてくれました。
アキくんはそんな優しさがとても辛くて痛くて情けなくて、自分が本当に嫌になりました。
文中に、リードをつけずに犬の散歩をさせているシーンがありますが、これはこのお話が架空のものであるためにできることで、現実はしてはいけないことです。
まぎらわしい書き方をしてご迷惑をおかけいたしますが、ご了承くださいますようお願いいたします。