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モブ令嬢ですが、婚約破棄を回避しようと恋敵を煽ったら人生が変わりました

作者: キモウサ
掲載日:2026/04/09

「はぁー……今日も来ませんねぇ。またすっぽかされましたか」


私は王立学園の中にある喫茶室でひとり、ぽつんと待ちぼうけを食らわされていた。婚約者のエドガーが、週に一度の定例のお茶会に来なかったのだ。


私の婚約者エドガーは、ハルトマン子爵家の嫡男で、王立学園を卒業後は子爵家を継ぐことが決まっている。三歳離れた弟が補佐役となる予定だ。


私、セレフィナはラフィーネ伯爵家の長女。伯爵家はお兄様が継ぐことになっている。


卒業後は、子爵家を継いだエドガーのもとへ嫁ぐ予定だ――今のところは。そんな婚約者のエドガーが私とのお茶会に来ないのは、今日だけの話じゃない。


ここしばらく、エドガーは連絡もよこさず、お茶会をすっぽかしている。

理由は分かっている。


最近、王立学園に入ってきた男爵令嬢、リリアン・フロレットのせいだ。


少し前まで平民だったリリアンは、フロレット男爵家の後妻に入った女性の連れ子。

はっきり言って、とびきり可愛い。


ピンク色のふわふわの髪に、涙がこぼれそうなうるうるした目。

つい守ってあげたくなる容姿に、夢中になる令息も多い。


リリアンと同じクラスになったエドガーもその一人で、席が近いことを理由にあれこれと世話を焼き、今では噂になるほど仲が良い。


私とのお茶会に来ないのも、リリアンと一緒にいるからなのだ。


「でも、そうなると不味いんですよねぇ。前世で見た乙女ゲー『トゥルーラブは永遠に!』の筋書き通りになると、私もエドガーもバッドエンドしかありません……」


実は、私は異世界転生者なのだ。


幼い頃、庭の池に落ち、その後高熱で一週間寝込んだあと、前世の記憶を思い出した。


そして、この世界が――かつて遊んだ乙女ゲー『トゥルーラブは永遠に!』とよく似ていることに気づいたのだ。


『トゥルーラブは永遠に!』の主人公の名前は、リリアン・フロレット男爵令嬢。


リリアンが攻略対象と恋に落ち、障害を乗り越えて結ばれる物語――なのだが、割とモブに厳しいゲームなのだ。


例えば、リリアンにまとわりついていたモブのエドガー。

つまり私の婚約者エドガーは、リリアンとの浮気を理由に私と婚約破棄をしたあと、廃嫡されて追放される。


しかもその後、あっさりリリアンに捨てられるのだ。


で、私はというと――ゲームの中では名前すら出てこないモブ令嬢だ。

ただ一行、「エドガーの婚約者だった伯爵令嬢は、婚約破棄の影響で精神を病み、修道院へ送られた」と表示されるだけ。


エドガーは廃嫡されて追放。

私は精神を病んで修道院送り。

どちらにとっても、ろくでもない結末だ。


でも私は、エドガーに酷い人生を送ってほしいとは思っていない。

なんといっても、エドガーは命の恩人だ。


転生したことを思い出すきっかけとなった、あの日のことを私は忘れていない。

足を滑らせて庭の池に落ちた私を助けてくれたのは、エドガーだった。


まだ幼い彼は、大声を上げて周囲の注意を引きつけると、そのまま池に飛び込んだ。

自分も溺れそうになりながら、それでも私を離さなかった。


結局、私を引き上げてくれたのは駆けつけた侍女と庭師だったけれど、それでも、二人が来るまでの間、ずっと私を支えてくれていたのはエドガーだ。


あとで医師も言っていた。もう少し水の中にいたら、命が危なかったと。


「本人はもう忘れているみたいですけれど……それでも、エドガーは私の命の恩人なんですよねぇ」


だから、破滅させたくはない。


「かといって、結婚したいわけでもないのですけれど」


だいたい、相性がよくないのだ。

私は部屋でゆっくりと本を読むのが好きだが、エドガーは本を読むのが嫌いで、外へ出かけるのが好きだ。


子どもの頃には気づかなかったお互いの違いが、成長した今でははっきりと目につくようになった。

だから、今のエドガーと結婚するのは考えられない。


「なんとかリリアンと別れさせてから、円満な理由で婚約を解消するのが一番なんですけれど……」


そうは言っても、問題がある。


「浮気をやめろと言っても、なおさら燃え上がるだけですよねぇ……」


自邸の庭を歩きながら考えていると、侍女たちの話し声が耳に入った。

どうやら掃き掃除をしながら世間話をしているらしい。私の存在には気づいていない。


「ねえ、聞いた?アンナったら、また友達から男を奪い取ったらしいわよ?」


「うわー、またやったの?金持ちとか地位が高い男を見ると、すぐ狙いにいくよね」


その会話を聞いた瞬間、ひらめいた。


「――そうですわ!リリアンの目が、他の令息に向けばいいんです!」


「セ、セレフィナお嬢様?」


驚く侍女たちに軽く礼を言い、私はそのまま自室へ戻った。


頭の中で、手順を組み立てていく。

少しばかり演技力が必要になりそうだが――問題ない。


「……とりあえず、やってみましょうか」



+++



翌日。

私は王立学園の東屋へ向かった。


そこには、恋人のように寄り添うエドガーとリリアンの姿。

突然現れた私に、二人とも固まっている。


「エドガー様、ごきげんよう。リリアンさん、はじめまして」


驚いて返事もできない二人に、昨夜考え抜いた言葉を、そのままぶつける。


「ねえ、リリアンさん。あなた、こんな爵位も低い、成績もそこそこ、顔もそこそこな男の、どこがいいのかしら?」


「えっ……それは……」


「セレフィナ、酷いじゃないか……」


いきなり、罵倒に近い言葉を浴びせられ、エドガーは顔をしかめる。

けれど、セレフィナは構わず続けた。


「いえね。私は幼い頃に親が決めた婚約者ですから、仕方なくお付き合いしているだけですけれど――」


わざとらしく首を横に振りながら話を続ける。


「こんな可愛らしいリリアンさんが、この程度の男で満足しているなんて、意外だなと思いまして」


肩をすくめて、小馬鹿にしたポーズをとって、さらに煽ってみる。


「あら、それとも……この程度の令息しか、手に入れられませんでした?」

「おい!セレフィナ!」


エドガーが声を荒げる。


「僕を侮辱するのか!それに僕たちは真実の愛で結ばれた仲だ!」


顔を真っ赤にして怒鳴るエドガー。

その隣で、リリアンは悔しそうにこちらを睨みつけている。


――あら。思ったより、刺さっているみたい。

どうやらリリアンは、上位貴族の令息たちに手が届いていないらしい。



+++



さんざんリリアンを煽り倒したあと、セレフィナは学園内のテラスでお茶を楽しんでいた。


「ふふ……リリアンさんの顔ときたら」


思い出して、思わず口元が緩む。


「でも、これだけでは弱いですわね。もう一歩、踏み込む必要がありそうです」


次の一手を考えていると、近くのテラス席から令嬢たちの声が聞こえてきた。


「最新話、読まれました?」


「読みましたわよ!最高でしたわ!騎士団長の手を取るのか、それとも王太子様なのか――もう、続きが待ちきれませんわ!」


キャッキャと盛り上がる令嬢たちの話を聞いているうちに、ひとつの案が浮かんだ。

「私が高位貴族の令息たちと仲良くしていれば、リリアンさんのライバル心が沸き起こるのでは?」


よし、方針は決まった。あとは実行するだけ――そう思って、放課後の校内を歩き回る。

高位貴族の令息を探して。


……いない。

どこにも、いない。

どうやらほとんどが、すでに帰宅してしまったらしい。


「……それに私、位の高い方々と、なにを話せばいいのか分かりませんし……」


そもそも、社交が得意なほうではない。

部屋で本を読んでいる時間が、一番落ち着くタイプだ。

仮に令息を見つけて話しかけられたとしても、会話が続く気がしなかった。


「うーん……難しいですねぇ」


うまくいきそうに思えた計画が、自分の社交下手であっさり頓挫する。

その事実に、じわじわと気持ちが沈んでいった。



+++



そのまま帰る気にもなれず、図書館へ向かう。

少し本を読んで、気分を整えてから帰ろう――そう思ったのだ。


「あれ、セレフィナ。どうしたの?困った顔してる」


読書仲間の同級生――アレクだった。


図書館で知り合い、本の話をするうちに自然と仲良くなった相手だ。

好みがよく似ていて、一緒にいると気が楽で、話していて面白い。

いい奴だと思う。


性別は違うけれど、親友のように色々と話している。

……とはいえ、実のところ、アレクのことはあまり知らない。


貴族には、相手の事情を詮索しないという暗黙のマナーがある。

相手が自分から話すまでは、踏み込まない。

だから、聞かないし、向こうも話さない。


私が知っているのは、本が好きで、よく笑うことくらい。


分厚い眼鏡のせいで顔はよく見えないけれど、金髪はやけに華やかで、背も高く、すらりとしている。


仕草もどこか優雅で、少なくともそれなりの家の出なのだろう、とは思う。


……けれど、そんなことはどうでもいい。

アレクは、なんでも話せる貴重な友人なのだ。そんな友人が、小首をかしげて私を心配気に見るものだから、ついつい甘えてしまった。


「アレク!もう聞いてください。婚約者の件なんですけど……」


気づけば、いつもの調子で全部話してしまった。


高位貴族の令息を探して、放課後に校内を彷徨い歩いた話まで。


「ククッ……ああ、ダメだ。笑いすぎてお腹痛い」


アレクが肩を震わせる。


「身分の高いヤツ探して校内を彷徨ったって……それは面白すぎる」


「アレク、笑いすぎです!」


「ごめんごめん」


まだ笑いをこらえながら、軽く手を振る。


「お詫びに、微力ながら僕も応援させてもらうよ。明日のランチ、一緒にどう?」


「え?ランチ?」


急な誘いに、少し驚いた。

アレクからこうして誘われるのは初めてだ。それに、なぜ今?


「ま、まあ……いいですけれど?」


「じゃあ、明日、教室まで迎えに行くから!」


そう言い残して、アレクはさっさと帰っていった。


アレクのことは、なんでも話せる友達だと思ってけれど、こうして改めて誘われると、少しだけ意識してしまう。


「高位貴族の令息を捕まえようと思っていたら、アレクにランチに誘われてしまいました……」


小さく首をかしげる。


「……どういうことです?」



+++



次の日の昼休み。

教室でアレクを待っていると、廊下がやけに騒がしい。

黄色い悲鳴が、あちこちで飛び交っている。


「……なんなのかしら?」


そう思っていると、教室の扉が開いた。


「おまたせ!」


手を振りながら、元気よく入ってきたアレク。けれど、教室にいた令嬢たちの視線は、その後ろに集中した。


三人の、やけに目立つ令息たちが、アレクの後ろに付き従っていた。

見るからに、キラキラしている。高位貴族特有の、あの空気。


「……え、なんです、これ?」


驚きのあまり、声が少し裏返る。


「まあまあ、話は後で」


アレクに軽く促され、そのままカフェテラスへと連れ出された。


+++



ここに来るまで、本当に大変だった。

令嬢たちの黄色い悲鳴が飛び交い、身動きも取れない。


どこからともなく現れた騎士風の一団が彼女たちを引き剥がしてくれて、ようやく静けさが戻った。


「ねえ、アレク。これってどういうこと?」


同じ席に着いたキラキラした令息たちをちらちらと見ながら尋ねると、アレクはあっけらかんと答えた。


「君がさ、高位貴族の令息が必要だって言うから、連れてきたんだけど?」


分厚い眼鏡を指先でくい、と持ち上げる。どこか得意げだ。


「まず、紹介しよう!」


アレクが一人ずつ令息の肩を叩いていく。


「こいつはゼファー。父親は騎士団長で、グロリア侯爵家の嫡男。こっちはロジャー。魔術師団長の息子で、ブリタニア侯爵家の次男坊。右端がエイドアで、宰相の息子。ジェイソン公爵家の嫡男だ」


あまりにも高位な名前がずらりと並び、頭がくらくらしてくる。

アレクは三人の肩に手を回し、軽い調子で言った。


「でさ。みんな、僕の幼馴染!」


「……へ?」


間の抜けた声が漏れる。

その瞬間、幼馴染一同がにこやかに挨拶してきた。


「ちぇーっす!」

「はじめまして」

「お初にお目にかかります」


三人とも笑顔が眩しい。それぞれに個性的でかっこいい。けれど、家名が重すぎる。


こんな高位な令息たちが幼馴染ってアレクは、一体、何者?

セレフィナは思わず、楽しげに話しているアレクの袖を引いた。


「ねえ……こんなキラキラした令息たちが幼馴染って。いったい、あなたは何者なんです?」


「えーっと」


アレクは、少し困ったように笑った。


「今まで全然気づいてもらえなくて、ちょっと傷ついてたんだけどなぁ」


そう言って立ち上がると、その場で優雅に一礼する。


「アレクシス・ルヴァンシュタイン。このルヴァンシュタイン王国の第三王子です。改めて、よろしく」


「……アレクが、第三王子……?」


頭が追いつかない。

ついさっきまで、ただの読書仲間だと思っていた相手が――王子?

呆然としている私をよそに、アレクは手早く動き出した。


「さあ、君はもう少し奥に座って」


「は?」


「ほら。この位置からなら、あそこがよく見えるだろ?」


アレクに促されるまま視線を向ける。

カフェテラスから見下ろせる芝生広場。いくつか並ぶベンチ。

そして、そのひとつに――エドガーとリリアンが並んで座っていた。


カフェテラスでこれだけ騒いでいるのだ。すぐ下の芝生広場にいるリリアンたちが気づかないはずがない。


案の定、リリアンの視線は私の方を向いていた。

ぎり、と音がしそうなほどの強い眼差しが、まっすぐに、こちらを睨みつけている。


「セレフィナ、もっと楽しそうに僕たちと話さないと、あのご令嬢に見せつけたことにならないよ。ほら、乾杯しよ」


アレクがグラスを掲げると、幼馴染の令息たちも続く。


「乾杯!」


単なるランチのはずなのに、空気はすっかりパーティーだ。

リリアンがこちらを見ているが、明らかに面白くなさそうな顔をしている。


はしゃぐのは、あまり私らしくない。でも、これはエドガーと自分自身を、不幸な未来から救うために必要なことだ。


「うふふ。乾杯!あら、このワイン、美味しいですね」


わざとらしいくらいに楽しげに笑って、リリアンへにっこりと笑いかけてみた。

リリアンの顔が歪んで、どす黒いなにかを撒き散らしている。


令息たちと騒ぐのも、注目を浴びるのも、リリアンを煽るのも、苦手だと思っていたのに、実際にやってみると思った以上に楽しい。


私には、悪女の素質があるのかもしれない。



+++



それからというもの、セレフィナはアレクとその幼馴染――キラキラした令息たちと行動を共にするようになった。

パーティ、お茶会、買い物、観劇。時には屋敷に集まって、学生らしく勉強会もする。


派手に動く私たちの噂は、あっという間に広まった。


「最近、セレフィナ様って、上位貴族の皆様を連れ歩いているらしいですわ」

「ずいぶん派手に遊んでいるって聞いたぞ」

「地味で大人しい令嬢だと思っていたのに……どこであんな人脈を?」


そんな声が、あちこちで囁かれ始める。

みんな、噂が好きなのだ。


そんな噂が広まる中、リリアンの機嫌は目に見えて悪くなっていった。

当然だろう。

リリアンとエドガーの行く先々で、私がアレクとそのキラキラした幼馴染の皆様と、楽しそうに過ごしているのだから。


なぜそんなことができるのか、ネタばらしをすると、王家の情報網を使って、アレクが二人の行き先を突き止めてくれたのだ。


そんなこんなで、連日出かけてはリリアンに見せつけていると、ある日を境にリリアンが消えた。

エドガーの隣から、姿を消したのだ。


「これってさ、セレフィナの作戦が上手くいったってことじゃない?」


アレクが楽しそうに言う。分厚い眼鏡がきらりと光り、やけにご機嫌だ。


「……そうですね」


私としては、リリアンがエドガーから離れてくれれば、それで十分だった。ひとまず、目標は達成したと言っていい。


けれど――リリアンの動きが、どうにも不自然だった。

そもそも、子爵家の嫡男であるエドガーに執着している時点で、違和感がある。


乙女ゲー『トゥルーラブは永遠に!』のリリアンなら、エドガー程度は通過点に過ぎない。とっくに高位貴族の令息たちの心を掴んでいるはずなのだ。


それなのに、この世界のリリアンは動きが鈍い。

もしかして……リリアンも転生者、なのかもしれない。

それが、リリアンがゲーム通りに動けていない理由かもしれない。


しばらくして、エドガーのもとから姿を消したリリアンの行方が知れた。

なんと、片っ端から高位貴族の令息に接触していたのだ。


どうやら、私の楽しげな日々を目の当たりにして、我慢できなくなったらしい。

王立学園の生徒だけでなく、成人した貴族にまで声をかけているという。


けれど、うまくいってはいなかった。


高位貴族の令息たちに警戒され、距離を置かれているにもかかわらず、しつこく接触しては騎士団に通報される。


それが何度か続いた末――リリアンは、王立学園を退学となった。



+++



王立学園の卒業を控えた、ある日。

エドガーは、セレフィナに会いにラフィーネ伯爵家を訪れた。


久しぶりの訪問だ。執事に取り次いでもらえないかもしれないと思っていたが、その日、ちょうどセレフィナは玄関先に立っていた。


「……セレフィナ?君は変わったな」


久しぶりに会ったセレフィナは、どこか別人のようだった。


髪型や服装が垢抜けていて、まとっている雰囲気も違う。

どこか余裕があり、幸せそうで、見ていると眩しく感じた。


思わず見とれていたエドガーは、はっと我に返る。ここに来た理由を思い出したのだ。

セラフィナに足早に近づき、その場で片膝をつき、頭を垂れた。


「セレフィナ、すまなかった。僕が馬鹿だった!僕のことを本当に愛してくれていたのは、君なんだ!」


勢いよく顔を上げ、必死に訴えかける。その姿を見てセレフィナは、にっこりと微笑んだ。


「あら、ハルトマン子爵令息様。お久しぶりですね」


エドガーの頬が、わずかに赤くなる。

やはり、セレフィナは自分のことを想ってくれている――そう思ったのだ。


ハルトマン子爵令息と堅苦しく呼ばれるのが不思議だが、久しぶりで会った照れ隠しだろう。


そう考え、エドガーは勢いよく立ち上がり、セレフィナの手を取ろうとした。


「分かってるよ、君の気持ちは。僕のことは前のようにエドガーと呼んでおくれ」


「私の手に触らないで!」


セレフィナはそう言って、さっと手を引いて拒む。

その反応に、エドガーは目を見開いた。


「なぜだ?僕は君の婚約者だよ?」


セレフィナは、あきれたような顔をした。


「私たちの婚約は、すでに白紙になっておりますよ」

「……え?」


エドガーは、ぽかんと動きを止めた。


セレフィナの説明によれば、二週間ほど前にラフィーネ伯爵家とハルトマン子爵家の間で話し合いが終わり、婚約は正式に解消されたという。


エドガーにも、王立学園の寄宿舎宛てに手紙で知らせたらしい。

だが、リリアンに捨てられ落ち込んでいた彼は、その手紙に目を通していなかったのだ。


「だいたい、婚約を白紙だなんて……君はこれからどうするつもりなんだ!?」


その言葉の裏にある意図は、分かりやすい。お前は、僕なしでやっていけるのか、だ。

セレフィナは、軽く咳払いしてから、少し自慢げに答える。


「コホン。私、実は留学が決まっておりまして。三年ほど国を離れる予定なんです」


「留学……?」


「ええ。ハルトマン子爵令息様を三年もお待たせするのは、申し訳ありませんので」


そういいながら軽く微笑む。


「婚約は、なかったことにさせていただきました」


エドガーの顔が、みるみる青ざめていく。

リリアンにあっさり捨てられ、深く落ち込んだ。

それでも、自分にはまだセレフィナがいると思い直し、ようやく立ち直りかけたばかりだったのに。


「待ってくれ!君は僕のことを――愛していたんじゃないのか?」


セレフィナは、わずかに首を傾げる。


「え?愛しては……いませんわ」


「嘘だ……嘘だよな?僕のことを愛してるよな?」


「幼い頃、池に落ちたときに助けていただいたので、感謝はしてますが……愛してはおりません。ごめんなさいね」


「そんなぁ……」


崩れ落ちるエドガーの耳に、軽やかな馬車の音が届いた。

伯爵邸のアプローチに、豪奢な馬車が滑りこんできた。降りてきたのは、金髪に眼鏡をきらめかせた令息だった。


「フィ、迎えに来たよ。今日もきれいだ」


「アレク、お迎えありがとう」


「アレク……?まさか……アレクシス第三王子!?それにフィって」


エドガーが目を見開く。

なぜ王子がここに?しかも、セレフィナのことをフィと親しげに呼んでいる。


「偶然なのだけれど、アレクも同じ国へ留学することになったの」


隣に立つアレクが、にんまりと笑う。その表情を見て、エドガーは悟った。


――これは、偶然ではない。


「留学先に知り合いがいると、安心よね?」


そう言って微笑むセレフィナに、アレクは手を差し出した。


「さあ、行こうか。伯爵家の皆さんは、もう港に着かれている頃だろう。お待たせしちゃいけない」


「そうね。お見送りに来てくださるのに、待たせてはいけませんね」


楽しげに話しながら二人は馬車に乗り、窓からエドガーに手を振った。


そして、走り出す直前、セレフィナはふと思い出したようにエドガーに伝えてきた。


「あなたのお友達のリリアンさん、私の侍女になりましたよ。では、ごきげんよう」


「……え?リリアンが侍女……」


呆然と立ち尽くしていたエドガーだが、やがて力が抜けたように、その場に座り込んだ。


「もう、駄目だ。誰も僕のことなんか、救っちゃくれない……」


――彼は知らない。

自分の人生が、すでに救われていることを。



+++



港へ向かう馬車の中。


「アレク、あなた、いつまでその眼鏡をかけているつもりなの?なくても見えるのでしょう?」


「そうなんだけどさ。外すと令嬢たちがうるさいから」


「へえ?自分はイケメンだって言いたいのね?」


「見てみる?」


アレクが軽く眼鏡をずらす。


「……あー、やっぱりかけていたほうがいいわね」


「でしょ?でも、留学が終わったら外すよ。結婚式とか」


「ん?今、なにか言った?」


「なんでもありませーん」



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― 新着の感想 ―
婚約者どころかヒロインまで救ってて優しすぎ
難しい課題のシナリオが上手くまとめられていて面白かった。 高貴な令息ばかりと行動するセラフィナが苛めに会わないか心配してしまった。
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