◇ 指令
「日本へ行って」
朝一番に、MI6 の諜報員ライオットは長官室に呼び出された。
そして、長官の椅子に座る小柄な女性ヘレンに、いきなりそういわれた。
アジアに派遣されるなら、以前からいろいろな国とゴタゴタしている中国か、あるいはフィリピンだと思っていた。中東は仲間が多く出向いているので、今回はそっちへ行くことはないと予想はしていた。
しかし
──まさか日本とは
まったく予期せぬヘレンの言葉に、ライオットは仕事のできないサラリーマンのように、棒立ちになる。一八七センチの、でくのぼうだ。
グレーのスーツがよく似合い、ブロンドの髪にしっかり櫛を入れて整えた髪型は、どこから見てもサラリーマンだ。
「日本……ですか?」
「そうよ」
ライオットは、眉をひそめる。
わが国イギリスが絡んでくるような国際的に平和を脅かす問題が、世界でも治安の良い日本に起こるとは、ちょっと考えられない。
その日本は、五月のゴールデンウィークにさしかかるところだ。
ライオットがヘレンに理由をきこうとすると、彼女の方が先に口をひらいた。
「日本で受け取ってほしいものがあるの」
見当がつかない。
「なんですか、それは?」
「巻物よ」
ヘレンは、にっこりと微笑んだ。
ライオットは、巻物というものを見たことがない。ヘレンは、その巻物になにが書かれてあるかまでは、話す気はないらしい。
仕事柄、あまり知りすぎても困る場合があるのだ。敵に捕まったときなど拷問に耐えられず、あるいは自白剤により情報を漏らしてしまう恐れがある。
しかし、最初から情報の詳細を知らなければ、どんな拷問を受け、また薬を使ったところで、話しようがない。
ヘレンはすでに五十歳を過ぎているが、笑顔がとてもチャーミングだ。
その顔に、三十歳を迎えるライオットは思う。
──長官が、あと二十五歳ぐらい若かったらなあ
若いころは、男たちにかなりモテたにちがいない。いまではブロンドの髪も白髪がまじってきているが、それでも彼女は女としての可愛いらしさを感じさせる。
ヘレンは、デスクの上に様々なものをならべる。
「まずパスポートね、飛行機のチケット、それから」
彼女はメガネケースを右手にもって、顔をひきしめてライオットにいった。
「空港のロビーで、テリーから新聞を受け取ってちょうだい。新聞は、このケースに入っているメガネをかけて読んでね。わかった?」
それがなにを意味するかを理解したライオットは「はい」と答えた。くわしい指示は、空港で渡される新聞に記してあるのだ。
ただし、特別仕様のメガネでなければ、その文字は見ることができない。
ライオットは、ヘレンに尋ねる。
「自分の他にも、日本に仲間がいるのですか?」
「あなたより先にジムを送っているわ」
もう一人いる。
「あと、日本にはロッドマンがいるから、なにかあったらそっちへ連絡して」
ジムとは面識がある。遊ぶことが大好きな、中年太りの人懐っこい顔をした男だ。
だが、ロッドマンという同僚は知らない。
ヘレンは、ライオットにロッドマンの連絡先を渡した。
ライオットは思う。
──どんなヤツなんだろう?
彼は、とりあえずデスクにある品々をスーツのポケットに突っ込んだ。
ヘレンが、ライオットを見上げて笑みを浮かべる。
「それじゃあ、飛行機に間に合うように、遅れないでね」
「了解しました」
ライオットは長官の部屋を出ると、歩きながら思った。
──あの笑顔で、やる気を出させるんだよなあ……恐い武器だ
ライオットから見れば、ヘレン長官の笑顔は無敵である。




