モードの過ち やり過ぎの断罪
侯爵が不憫すぎるので、その後を書きました。モード目線です。
性犯罪の被害者のトラウマとアダルトチルドレンを描いた箇所があります。苦手な方は、申し訳ありませんが、ページを閉じてください。(15R)
結局、私たちは六日でアパートを出た。
問題は、三人とも料理ができなかったのだ。
それなのに、母と結婚したばかりの家令は、外で出来合いのものを調達するのをひどく嫌がった。
家令が伯爵家から持ち帰ってくれたが、これは横領に当たるのではないか? と早々に自立を諦めた。
なんとも情けない話である。
初日の夜と翌朝は、伯爵家のシェフがお餞別にくれた料理があった。手づかみでも食べられる料理を用意してくれたのだ。
卒業式の興奮と、家令の突然のプロポーズ、新居で迎える初めての夜と初めてのベッド・・・そして何より―――「侯爵閣下は私を妾にする気はなかった!」という衝撃。
なかなか寝つけず、切れ切れに短い眠りを繰り返して迎えた朝。
朝食の席で「先ほど、教会で結婚してきました」と家令が告げた。
・・・そんな朝早くから、教会の門って開いているのか。知らなかった。
昨日シェフが持たせてくれた食事の残りを食べながら、この後の食事はどうするかを話しあった。現実的かつ切実な問題だ。
母が「そうだ、パン屋に行こう!」と言った瞬間、家令が泣き出した。
「どうして・・・どうして、あなたはそうなんですか」
嗚咽混じりに訴える家令を、母がそっとなでる。
すると、彼は「号泣」に移行した。
「初めて・・・あなたから、触れられた」と言って。
・・・なにが起きているの? パンを買って食べようと言うだけで、なんで泣くの?
とりあえず、イチャつく二人にとって、私は邪魔者ではないだろうか。
ひとしきり泣いた後、家令は何食わぬ顔を作り、お屋敷へ出勤していった。
・・・で、私たちの昼ご飯はどうすればいいの?
その後、私たちは様子を見に来てくれた大家さんに林檎をもらい、飢えを凌いだ。
アパートを出て何か買ってきたことがバレたら、家令がうるさそうだし。
持ってきた法令集を開いたが、頭に入ってこない。
寝不足だったので、長い昼寝をすることにした。
夜になると浮かれた家令が帰ってきた。伯爵家の晩餐のお裾分けを持って。
母と私は前日と同じようにベッドで寝て、その夜から家令は食堂のテーブルの脇に布団を敷いて寝る。
母の布団に包まり、とても幸せそうに・・・。
時々、昔のことを夢に見る。
母は、立ったまま動かなくなったり、突然自分を抱きしめるようにして蹲ってしまったりすることがあった。
そんな時は手を握ったり、母の肩に手を置いて、元に戻るまで待つことしかできない。
ニヤニヤと嫌な笑い方の男の人が「旦那様とヨロシクやっているんだろう。俺ともしようぜ」と言って、人影のないところに母を引っ張り込むことがあった。
そういう時も母は硬直するか震えているかなので、私は物陰に隠れて、男の人が自分のズボンを下ろそうとする瞬間を待つ。
その時が来たら、均の一族にもらった薬を背中からかけるのだ。
まだ子どもで、腕力では敵わなかったから。
男の人が振り返った瞬間に、第二陣を目を狙ってかける。呻いている間に口に布を突っ込んで、忍び足で家令を呼びに行く。
走ったらいけない。でも、急がないと。いつも意地悪を言うメイドに見つかったら大変。
心臓がバクバクして、頭がガンガンと割れそうだ。息が上がって苦しいけれど、足を動かさなければ。泣いたって誰も助けてくれない。
家令を見つけてホッとしても、まだ泣くわけにいかない。状況を説明しなければ。
夢は途中までは同じだが、結果が違う。家令に無事に助けてもらえることもあれば、いくら走っても家令が見つからない夢もあった。
・・・そして、現実で、もっと恐かったのは、母が翌日に何も覚えていないことだった。
祖父になる人に対して、卒業式で「エロじじいめ、妾になんかなるもんか」という趣旨のことを言ってしまった。
それは全くの誤解で、卒業式の後に子爵家に案内してくれる予定だったという。
そんなの、聞いてないよ!
あの日、私は言い逃げするつもりで、式が終わると同時に走ってアパートに向かった。
淑女は走らない!なんて、言われても知るもんかと思ったし。
プロポーズが成功した後に説明されても、遅いっつーの。
どうすんのよ、もう。
よりによって、「冤罪」をかけちゃったじゃん。
あの、憎むべき「言いがかり」を!
・・・その祖父とのご対面である。
平謝りするしかないでしょう。
「いやいや、モードちゃんのせいじゃない。
説明していなかった、こやつが悪い」
家令の後頭部をペシリと叩いた。
謝罪の代わりに、社交界デビューのエスコートをさせてほしいと侯爵に言われる。
五月の、社交シーズン最後の王宮の舞踏会だ。
普通は社交シーズンの最初にデビューするが、最後にする人もいる。
「いきなり、そんな大舞台は・・・」と尻込みした。
名前だけの伯爵令嬢から、子爵令嬢になったばかりだ。
ドレスも持っていないし、二ヶ月後に社交界なんて無理じゃない?
「父上。母上も数十年ぶりに社交界に復帰するのですから、そちらを優先されるべきでは?」
家令がとげとげしく言う。
家令の母、セレスタさんは元貴族令嬢だが実家が没落し、侯爵の妾になってから社交界から遠ざかっていたという。
「それもそうか」と満面の笑みを浮かべる。
「だいたい、父上がモードをエスコートしたら、卒業したての女の子を妾にしようとした疑惑が払拭できないでしょう!」
私は青ざめ、侯爵はしょぼんとする。
「・・・そうじゃった」
「そもそも、お前がもっと早く子爵になっていれば、セレスタとも何度も踊れていたはずだ」
侯爵はからかうように、家令に文句を言う。
「まあまあ。何事にもタイミングというものは、あるものですよ」
とセレスタさんが、侯爵の腕に手をかけ、おっとりと笑みを浮かべた。
ちなみに、正妻の方は、すでに社交シーズン初めの舞踏会に出席しているため、最後の舞踏会は妾に譲ってもいいそうだ。
それどころか、正妻は隣国の出身で、「結婚してから初めて母国の建国祭に参加できる」と喜んで、旅支度を始めているらしい。
「侯爵閣下」と呼びかけたところ、「おじいちゃまと呼んでくれたら、今回のことは水に流そう」と鼻息荒く言われた。
―――それならば、以後は「おじい様」と呼ぶことにしよう。
冤罪事件、これにて一件落着! ・・・で、いいよね?
ちなみに、セレスタさんは「『おばあ様』というのは、バランス的に・・・正妻様がお許しになったら、お呼びして差し上げてね」と、あくまで妾という立場を超えないよう、慎みを忘れなかった。
きっと、こういう方だから侯爵も大切になさっているのだろう。
そして、舞踏会のエスコートの問題は何も解決していない。
家令が母と私の両方をエスコートできるはずもなく、結局、私の方は従兄弟に頼むことになった。
先日、できたばかりの「従兄弟」に。
後で、彼の婚約者に謝ったら「色々と大変だったわね」とやさしく労ってくれた。
その代わりに・・・と彼女は言った。
「よかったら我が家のお茶会に出席してくれないかしら? 話題の人を呼べるって、けっこうなステータスなのよ」
・・・ついに「話題の人」になってしまったらしい。
けれど、婚約者にエスコートしてもらえなかった場合に、どんな陰口を叩かれるかを考えたら、お茶会くらい出席いたしましょう。
こうして、私のお茶会デビューも決まってしまったのでした。
時系列を整理すると、卒業から初出勤までは、ちょうど十日間の余裕があった。
そのうち六日目に、私たちはアパートを引き払い、子爵邸へと引っ越した。
(前払いの家賃をどうするかは、大家さんと家令が何やら話し合っていた)
残る四日間は、セレスタさんに家のことを教わりながら、ゆったりと穏やかな時間を過すことができた。
母は「貴族のことを一から学ばなければ」と緊張していた。
だが、セレスタさんが「勉強はモードが働き始めてからスタートしましょう」と優しく言ってくれたおかげで、私たちはまず「貴族の生活に慣れる」ことに集中できたのだった。
さて、早々に何か手柄を立てて、母校に監査に入ることを提案できるようになりたいと意気込んで働き始めたのだが・・・
悔しいことに、職場に出勤して三日で休職することになった。
ヘムリーズ伯爵が窓口で騒いだから。
「離婚したから、ミレイユと結婚する!」って、教育庁の窓口で言うことか?
家令に向かって「ミレイユと離婚しろ」と迫るのと同義だと理解しています? 言い終わる前にやられると思いますけど。
警備兵が取り押さえてくれたが、農政長官の伯父が駆けつけたので、なにやら大事になった。
ろくに働いていないのに休職なんて無責任なことはできないと言うと、伯父に「まだ重要な仕事を任されていない現状では『迷惑をかけない』という形で責任を取りなさい」と、納得させられた。
伯爵が窓口で暴れた日は、伯父が一緒に帰宅してくれることになった。
夕食の前に、卒業式の答辞のなにがいけなかったかを指摘される。
まず、卒業後の進路を口にしたこと。だから伯爵が教育庁の窓口に行けばなんとかなると、来てしまった。
次に、家令と庭師が協力してくれたと話してしまったこと。たまたま伯爵家から出る予定だったから良かったものの、彼らが職を失って路頭に迷ったときに責任が取れないだろう。
三つ目に、「侯爵」とヘルズビー家を敵に回しても大丈夫だと確信できないのに、ケンカを売ったこと。仕返しされたときに返り討ちにできないなら、別の策を講じなさい。
実際、ヘルズビー家の動きが不穏なので、しばらくは必ず護衛と行動するように。
「ふわぁ、ちゃんとした大人だ!」と心の中で感動した。
叱られているのに、嬉しくて胸がほかほかする。・・・変なの。
子爵邸、つまり別邸でセレスタさんと親子三人(?)で夕食を取った後に、伯父から本邸に呼び出された。
家令と私が揃って顔を出すと、サロンに通される。
先ほどの、夕食前の伯父の説教は、他の人にも飛び火する模様。
モードの教育は、これからは私が手配する。
お前には任せられない。変人家庭教師に二年も任せるとはどういう了見だ。
父上も、当主らしく振る舞ってくださいと、あれほど申し上げてきたのに。
ヘラヘラニヤニヤしているからモードに誤解されたんですよ。自業自得でしょう。
侯爵が「はうっ」と呻いて、心臓の辺りを押さえた。
モード、何かあったら私に相談するように。
ここで、家令が反論する。
「それは、父親である私の役目です!」
「まずは自分の欲を押さえられるようになってから言え!!」
窓ガラスがビリビリと音を立てた。
私は本邸の夕食で出たというお菓子をもらって、先に別邸に戻った。
残った大人たちで、ヘムリーズ伯爵をどうするか相談するらしい。
あの男がどうなろうと、もう関係ない。
それよりもお茶会のマナーの復習とダンスのレッスンの方が重要だ。
別邸で心配そうな顔をしていたセレスタさんと母に出迎えられ、「太っちゃう」と、はしゃぎながらお菓子を堪能したのだった。
ダンスのレッスンは私と母だけでなく、セレスタさんも一緒に習う。
昔とは細かいステップが変わっているから、覚え直すのだそうだ。
お貴族様も大変だ。
ドレスの採寸をしに来てもらい、宝飾店を呼び寄せる。
本来は子爵くらいだとお店に行くのだが、今は注目を浴びているので、侯爵の計らいで来てもらったそうだ。
「こんな高価なもの・・・」
母と二人して怯えていたら、セレスタさんにきっぱりと言われた。
「これは貴族としての『仕事』です」
セレスタさんの声は穏やかだったが、譲らない強さがうかがえた。
「ダンスの腕は、どのレベルの教師を雇い、どれだけ練習の時間を取れたかの証。
ドレスや宝飾品は、その家の財政状況を示す『報告書』のようなもの」
私たちがぽかんとしていると、彼女は更に続けた。
「もちろん、お金がないのに見栄を張るのは愚かなことです。
ですが、あるのに装わないのは―――粉飾決算のようなもの。モードは『決算』も勉強しましたね? 多すぎても少なすぎても、よろしくありません。
舞踏会とは、適切に『決算状況』を開示し合う場なのです」
・・・え、それ本当?
とりあえず、「適正」と思われる品々を購入していくのだった。
つまりは、家令の懐具合ってことよね・・・?
・・・なんとも、えげつない品評会ではないか。
そんな日々を送っていたある日、家令が、庭師から手紙を預かってきたと言う。
私宛なのに、渡してくれない。
一緒に来たおじい様と伯父様の視線が私に突き刺さる。
「これは碧語で書いてある。モードは碧語が読めるのか?」と家令。
母も驚いた顔で、そうなの?と訊いてくる。
ほら、やっぱり。
この人たちは口では「愛してる」と簡単に言うくせに、少し考えたら分かることさえ気付かない。
私になんか興味がないのだ。
「6歳でランドリーメイドの見習いを始めるまで、昼間は温室で面倒を見てもらっていました。この国の言葉はそれ以降に読み書きを習ったので、先に書けるようになったのは碧語の方です」
それがなにか?というように、睨みつけてやる。
その手紙、長老の孫からだ。
絶対に、奪わせない!
「他の人はバングルかブレスレットを付けていないと温室に入れませんが、私はフリーパスです。私を取り上げてくれたのは均の長老ですから、私は一族扱いなんです!」
大人たちが全員、黙り込んだ。
「文字を習う代わりに、こちらの国の言葉を教えてあげました。
彼らだって、温室を出て生きていけます!」
痛いくらいの静寂の中、母だけがこてんと首をかしげる。
伯父が「・・・秘密にしたことが裏目に出たか」と呻いた。
そして、家令に厳しい目を向ける。
「ダリオ、お前は一人で動き、秘密を守ろうとしてきたが、何事にも『完璧』はない。
今回のミレイユとのすれ違いも、そうだ。
秘すべき情報と共有すべき情報、相談すべき相手、関係者の能力を読み間違えたゆえ、想定外が発生した」
長いため息を吐いて、続ける。
「これからは家族がいて、お前が責任を持つべき子爵家の使用人がいる。
いち貴族家に仕える家令ではなく、国に仕える貴族の一員だ。
自分一人で動くな。一人で悩むな。
今の、この衝撃を、胸に刻め!
・・・もちろん、私も同罪だ」
いつの間にか現れた庭師が、へらりと口を挟む。
「もう、均の一族の半分以上がこの国の生まれですよ。
伯爵家では隠して守ることで精一杯でしたが、侯爵家ならもっと強力に守ることができる。
人道的立場で匿っていたと言って、普通に使える薬を売り出したらいいんじゃないっすか?
碧国から民を帰せと言われたら、碧国民だった連中は既に鬼籍に入ったと回答してやればいい」
「ああ、そうか。そうだな」と侯爵が力なく、つぶやいた。
もう、重荷を背負う必要はないのかもしれんな、と。
すぐにでも、国王、宰相、外務長官と会合できるよう手配してくれと伯父に頼む。
庭師が「俺、同行しますぅ?」と軽い調子で訊いていた。
仮にも侯爵にその口調でいいの?
・・・私以外の誰も気にしていないようだ。
伯父が家令に向かい、にこりと笑顔のようなものを向ける。
「ここがお前の正念場だ。
ただ指示を守るだけの『管理人』になるのか、国を動かすピースのひとつになるのか、自分で考えて選べ」
そう言って、家令の手からするりと手紙を抜き取ると、私に手渡してくれた。
ありがとう! 伯父様、大好き!
―――と思う瞬間でさえ、私の表情筋は動かないのだった。
モードは物心ついたときからバイリンガルです。