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第八話:BMI25

掃除は好きだが、ゴミがテリトリーの中にあるのが嫌いだった。どうせやるなら全てをキレイにしたい。チリ一つ。埃一つ残さないようにと。

彼女、熊谷切子は鼻歌混じりに清掃に務める。

高い天井を支える柱には複雑な装飾が施されている。これらも主である久慈家の人間ならばわかるだろうが、芸術に関心のない切子にとってただの模様に過ぎない。

それでもキレイな場を作るという仕事だけは必死に行う。彼女はスツールを使って柱を拭きながら時折「ふぅ」と息を吐き出し、額の汗を手の甲でぬぐった。

自分の仕事に手を抜くつもりはないが今日は特別な日。

「ふっふふーん♪」

掃除は常にやっているが先週からは見えない箇所も徹底的に拭き掃除を行う。

繰り返すが今日は特別な日なのだ。

熊谷切子にとって主である久慈光一が、久慈家の一員になる日だ。

掃除を終えるとコーヒーを淹れる。

光一が本家の人間になるかの面談相手。

カーデザイナーから自動運転を手掛けた久慈家御曹司の成功者。

序列第二位、久慈画廊。

部屋に入る前に、もう一度身だしなみを確認する。

「失礼します」

会釈をして入室すると、決まって画廊は足組んで壁に飾られた絵を眺めていた。

メイドなんて視線も合わせない。

その絵がなんなのか。自身で描いたものか、有名な画家の作品かはわからない。

「コーヒーをお持ちしました」

社交辞令用の笑みを見せるが視線を向ける事すら拒絶される。

久慈画廊。その名の通り16畳はある広い部屋に飾られる絵画はまさに画廊だ。

「兄貴がヴィンセントならば、差し詰め弟の俺はテオか」

「……」

切子は画廊が苦手だった。

寡黙な雰囲気はキライではない。ただ、時折こうやって人を試すような発言の後、その反応を探る事が多い。

『馬鹿は考えず従え。思考を捨てろ』

ストイックというより冷たいというか、効率を求めての事の思考らしい。

事実彼を嫌う人間は多いが、意外にも同業者や地位の高い方からは好かれる傾向がある。それも人によって態度を変えるわけではなく、このように冷徹なのにだ。

もしかして上流階級は皆こうなのだろうか?

「兄貴に最近変化はあるか?」

「知る限りございません。通常通りアトリエに籠もっております」

自分の質問の回答をもう聞いていない。

出されたコーヒーに口を付けると、再び自室に飾られた絵を眺めていた。

「……」

パワハラとも違う……いや、パワハラかもしれないが、この手持ち無沙汰の感じがどうにも慣れない。

「俺に挨拶がないぞ」

「あ、も、申し訳ございません! お帰りなさいませ――」

「黙れ」

はあ、と相手をバカにする意図を持つ大きな溜息で拒絶する。

「誰がお前の挨拶などいるか……はあ。まあわからんか」

この相手を常に下に見る無礼な態度。

太陽の様に輝かしい光一の兄となっているが、画廊は所詮分家の人間。光一様のような本家の人間ではないのだ。

「色助はどうした?」

「色助様は――」

言ってから気付いた。

(……知らない?)

勘当された事を。

画廊は序列二位とは言え長老様を除けば事実上この人がトップ。

そんな画廊様が勘当された事を知らない……?

「なんだ?」

「いえ、私も最近お姿を拝見しておりませんので……」

「チッ。あの穀潰し、まだニートしてるのか」

――この家の人間は「実業家枠」「芸術家枠」に分けられる。

言ってしまえば実業家になれなかった無能を芸術家枠と言っているだけだと思っていたが、筆丸様はきちんと出展した絵でコンクールを取っているらしい。

とは言え、審査員枠は久慈家の息のかかった人間だ。どこまで正しい判断か怪しい。

どちらにせよこの重い空気が苦手ではあるが、切子としては光一との面談のために少しでも機嫌を良くしようと頑張りたいところだったが、

「お。次男坊パイセンじゃーん。おっかえりー!」

はあ、と連続で溜息。正直こっちに関しては画廊の肩を持ちたくなる相手でもある。

「おいメイド。お前まだこいつのクビ切ってねえのか」

「申し訳ございません! いかんせん労働組合を作られまして……早期退職を促していますが、未だ交渉は難航中です」

「ちがうちがうメイド長。次男坊パイセンはただのツンデレだよツンデレ。なー。オレが居て嬉しいんだもんなー」

「本当に無能だなお前らは。だから採用する場合民間の転職エージェントを活用しろと……」

「ん……おいおいおい、お前太ったか」

「――殺すぞ」

そうやって凄む蓮乃来舞夜だが、手に持っているせんべいのせいで彼らの主張の正当性を与えてしまうようにも見える。

「てかレディーにデブと太ったかとか肉団子とかとかとか、神経ねーのかよ?」

「言ってない事を言った事にして話しを進める。これをストローマン論法と言いディベートができない未熟なデブが使う用途だ」

「どうだ? 俺の説明は勉強になったか肉団子?」

「カッチーン。てかさてかさ。次男坊パイセンってこう、ズバズバ言っちゃうオレかっけー的なヤツ? もう良い歳なんだから治した方がいいって」

「あ、無理か? ボンボンの坊っちゃんにはむずかしいでしゅかぁ~~~? パイセンみたいな社会性の無いボンボンには無理っすよねー」

「フッ。阿呆。その程度の社交辞令などできるに決まっているだろう」

ジッと舞夜を眺める。

「身長160cm。体重62....63kgか。BMIは25だな」

「ガリガリだなメイド」

「殺す――!」

「舞夜。アナタこそ非常識です。雇用主になんですかその態度」

「どけよメイド長――オレは今、イライラしてんだ――」

「舞夜。アナタその腹で人前に出ては失礼です」

「ルッキズム! 見た目至上主義の差別主義者のルッキズムですよメイド長!」

「それにオレだってダイエット頑張ってるのになんだよその言い方。かー。やる気なくなりますわー。かー。ダイエット頑張ってたのに、かー」

「お土産に神戸牛を用意したが……なるほど。ダイエットか」

「冗談だよ次男坊パイセン! 一緒に食べようぜ! オレが焼いてやるからな」

「おいメイド。これを冷やして来い。後はコーヒーを入れ直せ。濃目だ」

「はい。それでは舞夜、アナタは……」

「黙れ。お前が動け。この俺にクソデブが作ったコーヒーを飲ませる気か?」

「デブは残れ。これより早期退職の面談を始める」

「申し訳ございません。それではデブをよろしくお願いします」

蓮乃木さん。退職時は制服の返却をお願いしますねと一言付け足し切子はその場を去った。

「てめえらこれ録音して労基に持ってくからな? SNSとYOUTUBEにアップするからな? 百条委員会開くからな?」

ドアが閉まる。

画廊は変わらず絵を眺めていた。

切子が部屋から出ると舞夜は指を折って5秒数えた。

ドアを一度開けると人払いが出来ているか一度確認し画廊の正面に座った。

喜怒哀楽が激しい蓮乃気舞夜から表情が消える。

「報告が2つある」

画廊は応えない。視線の先はいつだって絵画。第四作品『彩色架け橋第三世界』に向けられる。

「シエル・リュミエールから坊っちゃんを欲しいと指名があった」

ここで初めて画廊は首を傾げた。

画廊はシエル・リュミエールはもちろん知っている。世界最上位であるプライム・アーティストの一人であり、現代のクロード・モネと呼ばれる天才画家だ。

舞夜が坊っちゃん、と言うのは色助だろう。

では何故シエルが色助を欲しがるのかと?

「久慈色助は作品未提出の規定違反により勘当された」

ガク、と頭を垂れるとそのままはぁ~~~~~と長い長い溜息をつく。

「本日代理選出として久慈光一との面談が行われると」

この家は無能しかいないのかと誰に向けるでもなく、苛立ちを超えた諦めの表情を浮かべていた。

画廊は答えず、手の甲をはらうように下げろとジェスチャーする。

知らねえよ俺に言うなと返すが、画廊は溜息を重ねるばかりだ。

「もういい。視界から消えろ。油臭い」

「……」

と、ここで初めて舞夜が言葉を詰まらせた。

いつもなら「てめえマジで法廷で覚えてろよ」など軽口を交わすが、視線が右に左に宙を彷徨い言葉を探した。

どういう表現でどう伝えるか。散々迷った結果、真っ直ぐ行く事に決めた。

「オレがいいって言うまで坊っちゃんには会うな」

「……」

ピクリと、画廊は表情を見せた。

怒りだ。それと、戸惑い。

「この俺に指図とはどういう――」

「第六作を描いている」

「……ッ!」

その言葉に目が見開く。画廊の視線が初めて相手を捉えた。

「制作途中だ。オレが指示出すまで絶対余計な事すんなよ」

「……ッ」

右を見て、左を見て、それでいて笑みが溢れて落ち着かない画廊はゆっくり呼吸を吐いて平静を取り戻す。

トントン、とテーブルを人差し指叩く姿は高揚が抑えられない童。

「試し書きじゃなくて第六作と言い切れる理由を述べろ」

「オレが見てきた傾向と当てはまる」

続けろとアゴで相手を指す。意図を汲み取り舞夜は続ける。

「同じ絵を100枚以上描いている。視野狭窄になっている。視線が常に何かを探すように周囲を彷徨っている」

「……!」

高揚が伝わる。

無口で無愛想で冷徹で、表情を出すのが少ない画廊だがこれでもかとわかりやすく期待に満ちているのが伝わる。

「そうか」

そうか、そうか、そうか――と、何度も何度も今起こっている事実に頷く。

「坊っちゃんの警戒心は高い」

興奮する画廊とは逆に舞夜は冷たく言い放つ。

「疑問に思うとか論外で、違和感を覚えたらそれでもう終わりだ。もしかしたら――それが頭を過ったら、肉親構わず敵と判断する」

「買収か奪還か、どちらにせよ完成してからだ。とにかく完成してからだ」

「今、坊っちゃんに関してあらゆる干渉を禁ずる」

「いいか、完成まで絶対に刺激するな――!」

徹底的に釘を指す。

本来、主であり、それも序列第二位の画廊にこんな口を聞けばどうなるのかは言うまでもない。

ところが冷徹な画廊はもういない。うんうんと先ほどとは別人のように相槌を打つ。

知的な若き成功者久慈画廊ではなく、ここに座るのは早くクッキーが焼けるのを愉しみに待つ幼児だ。

「出来上がった絵を贈る先は?」

「だから逸るな。今調査を入れてる」

「色助の居場所は?」

「橋の下だ。坊っちゃんのホームレス生活も板についてきた」

「他の場所に神隠れしたらどうする?」

「発振器のライターを置いていった。気付かれる可能性も考慮してリュックの中にも縫い混んである。後日尾行して靴を脱いだ時に靴の中にも入れる」

うんうん、と先ほどの無愛想はどこに行ったのか愛想よく言葉に頷く。

「なるほど」

壁に掛かっている絵画のタイトル。

第四作『彩色架け橋第三世界』

作品の右下にはサインが乗っている。

トントン。

テーブルをトントンと画廊が叩く。思考をする時の彼の癖だ。

トントン、トントン。

自分が今、何をすべきか。自分が今、何を行えば目的を果たせるのか。

「次男坊パイセンに関与するなって言ってんじゃねーの」

わかるよな? と聞くまでもなくわかっていると微笑む。

「シエル・リュミエールはどれぐらい時間稼ぎすればいい?」

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