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第二十四話:雅号

この日色助は近くの楽器屋に足を運んだ。

八幡楽器店と名乗るその内容は多くのギターが壁中に掛けられている。むしろギター専門店でおまけとしてフルートやラッパが置いてあるという印象だ。

「これは手にとっていいのかな?」

「ショーケースの中のモノであれば、声をかけてください。それ以外はご自由に試し弾きしていいですよ」

なるほど。値段が安価な物は比較的緩いのか。

それではと手元にあったザ・ギターとでも言うべき木で出来たクラシックギターを引き寄せる。

椅子に座って構える。プラスチックの弦を試しにポヨポヨと弾いてみる。

(ふむ。なるほどなるほど)

これがギターかと頷く。長い木のつるに等間隔で引かれた線をフラットと呼ぶのだろう。

恐らくここを抑えると違う音が出るはずだ。

ボイーン。

「む?」

音が響かず、なにやら調子が悪そうな感じである。

「お客さん、左利きですか?」

「右利きだね」

「じゃあ反対だね」

右太ももに乗せて右手で弦を操作していた。しみんで見たゆかりさんと同じポーズのはずだ。となれば、彼女は左利きという事になる。

ところがコレが反対という事で、ギターの弦操作を左手でやるという事。

例外こそあるもののギターは弦を六本用いる。太さの順番に六弦、五弦と身体に近い方から数字が続く。左利きの場合はこれが逆に貼られるらしいしそもそもギターそのものが左利き用に置き換わるらしい。

「ふむ……コレ、利き手の反対で弦を抑えるんですか?」

「はい。利き手で弦を鳴らします。左手でコードを抑えます」

なるほど。ギターが難しいわけだ。

操作性の乏しい反対の手で複雑なコードを押さえる。それだけで難易度が伝わった。

「ピックはあるかな? じゃかじゃかするヤツ」

「クラシックギターはそのまま利き手の指で弾いて演奏します。ピックを使うのでしたらエレキギターかアコースティックギターですね」

試しに五本の指を使って弦を触ってみる。

なるほど、出来ない気はしないではないが、ジャカジャカの方が操作性は簡単そうに思った。

しかしそうなると左右十本の指を余すことなく操作する難易度はギターの挫折率の高さが伺える代物だ。

それではとエレキギターを取ってもらう。

「おお」

重い。

重量が倍か、三倍ぐらい違うんじゃないかと。

太ももの上に乗せる分には困らないが、片手でひょいと持ち上げるには男性でも少し気をつける重さだった。

弦に触れる時、その鋭利さを感じた。

クラシックギターがプラスチックの太い糸だとするなら、エレキギターは鉄の線だ。

少し指で触れるとそれが良くないもの。皮膚を傷つけるものだと理解した。

(なるほど。ゆかりさんが付けていた右手の絆創膏はそういうカラクリだったのか)

特に冬場であれば乾燥して肌が切れやすい。そんな条件下で鉄の線を触り続ければそれは道理だろう。

(……ん?)

一緒に魚を摘んだ時、彼女は箸を右手で持っていた。

なるほどなるほど。左利きのギターはきっとカッコいいという事か。

また一つ彼女を知ったと頷いた。

「ここのフラットじゃなくて、少し上を抑えます……そうそう、そんな感じで、あ、もっと強く」

店内は人がいないためか、話し相手になってくれる気さくな店長。後でお捻りをあげようと色助は心に誓った。

ジャーン。

「……ッ」

音は出た。

しかし、痛い。

痛い――。

「あははは、まあ慣れってヤツですよ」

そう言って店主は自分の左手を見せつけた。「ここ」という場所を触ってみると、確かに弦が触れる箇所がしっかりと硬くなっている。

「これ硬いのは下手くそなんだよ。僕みたいなね」

笑いを誘うと、演奏をしてくれた。

(ふーむ、素晴らしい)

最近釣りをサボっているので資金が枯渇している。これ以上となると食事を削る必要があるがまあ仕方あるまい。

色助は三千円をポケットから取り出すと、これを店長に渡した。

「何も買う事ができないが、このお金の分だけ広く浅くギターの事を教えてくれないかな。ギターに触れ合いたい」

予想外の要求にどうリアクションしたものかと考えたが、店主は了承してくれた。

「じゃあ……調弦からしてみるか」

知識は何よりも重要だが、それでいて脆い。

本物に触れ合う時間は楽しかった。

しばらくギターと触れ合った後、お土産に好きな物を持っていけと言われたのはピック。

エレキギターとアコースティックギターを弾く用途で使われるものだ。

色々なデザインがあるのだとわかった一方、厚みが異なるのも特徴だ。0.5mm、0.6mm、0.75mmと用途もストロークとコードで適した物が変わるんだとか。


帰りに雑貨屋に寄った後にキリリンビールを買うと、河原に帰った。

「お疲れ様です!」

ふむ。と返事をするとそこにはピクニックシートの上に水色のランドセルが置かれていた。

「身体に穴を開けるのは怖いのでイヤリングをしてみた。どうかな?」

左の耳に三つほど挟まれたファッション。違和感が拭えないが聞いてみた。

「すごくイケメンです!」

そうなのか、と上の空になるとそのリアクションを見た望愛は慌てて訂正する。

「すっごいブサイク!」

「なんなんだキミは」

望愛は水色のランドセルを開けるとブルーチーズを取り出した。

「師匠! 今日は質問があります!」

アゴでくいっと、言ってみろと促す。

「この前、色即是空、空即是色。私がスマホで検索しようとしたらストップしました。何故でしょう」

ふむ。と頷く。

何故か。なるほど。面白い。

逆に何故この子はスマホで答えを得るのが正解だと思うのだろうか。

「ふふっ」

思わず笑みが溢れた。

何故スマホはダメか。なるほど――なるほど。

考えたわけでもなければ信念があったわけでもない。なんとなく。無意識だ。

では何故ボクはその無意識を選んだのか――なるほど。答えに辿り着いた。

まあいい。

「望愛君。3×5はなにかな?」

「15です」

「お見事。それではこれは難しいよ。7×7はどうだろう?」

「49です。師匠。望愛は春から六年生です」

おお、それは彼女に対して一番驚いた事実かもしれない。140cmあるのかな。かなり小柄な子だ。

「そう。3×5は15。答えがある問いには答えを提示する方が早い」

とりあえず、ここまでは理解できたので望愛はうん、と小さく頷いた。

次の問題だ。と切り出す。

「望愛君。良い絵とはなにかな?」

「……」

答えられない。

答えられないが、望愛は色助の言わんとすることを理解した。

「うん」

もういいだろうと促すと、ランドセルの中からキリリンビールを一本補充する。

今更ながら小学生はビールを購入する事ができない。となると、これはきっと先日後ろに居た望愛の父親からの贈り物だろう。

じーーーっと望愛は師である色助を眺める。

ぐびぐびと飲んでいく。大人になったら望愛もビールを飲もうと決めている。

「――あ」

(そうか、これって初めて会った時に師匠が言っていた――)

『法則の詰め合わせ。言ってみれば知識の数で決まるんだ』

『一流まではね』

「……ッ!」

ちゃんとノートに書いておいたのにと無駄にキリリンビールを消費してしまったと望愛は後悔した。

「ボクはしばらく描かないし、得る事もないだろう。今日はもう帰りなさい」

「今日は月謝があります!」

「少し座学をしようか」

ピクニックシートの上に座ると、望愛は慌てて靴を脱いで正座した。

「ふむ」

(しかし本当に座学をしていいのだろうか?)

望愛はピンと背筋を伸ばし次の言葉を待っている。

「……」

ふーむ。

色助はやはり、気が乗らなくなってきた。

どうして未熟な自分が、人様に向かって偉そうに高説垂れる事ができるのだろうか?

未だに決して到達せず、あれがないかこれがないかと答えを求め彷徨い続けるただの亡霊が、教鞭に立つと言うのはあまりにも烏滸がましい。

「やっぱり辞め――」

「月謝すごくいっぱいあります! 望愛は師匠の話が聞きたいです!」

「……」

(この子もボクの事をわかってきたなあ……)

復習にしようか。

「野良犬に価値はない。ペットの犬は大切な家族。その決定的な違いは何だったかな」

「名前です!」

正解と伝えると両手でグッとガッツポーズを見せる。

「では名前は?」

「タイトルは恥ずかしい私です!」

「キミの名前は?」

「雫石望愛です!」

ふむ。

まだ客観視できる年齢ではないか。

「キミはボクの名前。久慈色助を否定した」

「燦歌彩月と」

「あ――」

「うん」

つまりそういう事だ。

雅号がごう

漫画や小説家で言うペンネーム。それの絵描きバージョンを雅号と呼ぶ。

「望愛君。キミは作品を完成させるに至った立派な画家だ。雅号を名乗るといい」

唇を少し尖らせながら、むぅ……と考える。

「ところで師匠。弟子の名を師匠が決めるのはありですか?」

ちなみに可愛い名前が良いですと満面の笑顔を向ける。

「無しだね。自分で決めるといい」

満面の笑顔で拒絶する。

「……」

「……」

そのまま笑顔同士で固まる光景は端から見れば不気味だった。

「ところで師匠が一番かっこいいと思う雅号はなんですか?」

画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)

「……」

(ふーむ、女の子にはわからないか)

世の男の子は皆この名前を聞けばかっこいいと飛びつく絶妙な厨二心だと言うのに。

「代表作は冨嶽三十六景神奈川沖浪裏(ふがくさんじゅうろっけい かながわおきなみうら)葛飾北斎だよ」

冨嶽三十六景神奈川沖浪裏となれば長い名前に聞き馴染みがないかもしれないが、日本人なら誰もが目にした事がある。

温泉や時代劇でよく見る浮世絵。力強い波の絵。その細部の鮮やかさと波の細かさを見抜いた圧倒する作品だ。

あの絵を一度見ればわかる。葛飾北斎が、どれほど永い時間波を見続け、考え、向き合ってきたのかを。

「……ん?」

今の説明は正しいのだろうか?

冨嶽三十六景神奈川沖浪裏を描きあげた時のペンネームは葛飾北斎であり、画狂老人卍ではない。間違いと言い切れないのは同一人物ではある。その場合ってどうなるんだろう。

ちなみに注意点として、葛飾北斎のペンネームが画狂老人卍と言えばテストで言う30点ぐらいになる。

葛飾北斎すら本名ではなく雅号の一つであり、もっと言えば彼は画風に則り多くの雅号を持ち合わせている。

勝川春朗(20~35

菱川宗理(36~39

時太郎可候(41~45

葛飾北斎(46~59

三浦家八右衛門(75~76

画狂老人卍75~90(がきょうろうじんまんじ)

そう。こうなると本名が勝川春朗と思いきや、中島時太郎である。

でもってややこしいのが、その本名も養子先の関係で葛飾家に入ったりと、まあ一応本名は中島時太郎であるとされている。

(あれ、正しく説明出来ているのかな、自信がなくなってきた……)

「葛飾北斎はボクも尊敬する画家の一人だ。気になったのであれば色々調べてみるといい」

「はい!」

(よしよし、誤魔化せた)

葛飾北斎。本名は中島時太郎。

男の子だから、時太郎。では女の子ならば時子になるのだろう。

そういえば最近時子を見た。

『赤いリンゴ』――古江時子。

なるほど。思い返せば、その名は芸術に精通している家柄の名である可能性が高いか。

「師匠はなんで燦歌彩月なんですか?」

「答えが欲しいなら算数をやるといい」

「はい! 二度と聞きません!」

よしよし。

(――ん?)

色助は、自分の思想に気付く。

(なんでボクは、答えに対して頑なに嫌悪しているだろう?)

「……」

「師匠?」

心配する望愛を少し待ってくれと手で静止する。

なるほど、なるほど――これは面白い。

未熟だ。未熟だからこそ、こうやって人と話して初めて向き合える本心も見えるのか。

アウトプットと言うならば最近こそ常に描いている。それで十分かと思ったが、いやはや未熟だ。

燦歌彩月は、答えを嫌悪している。

「望愛君。お捻りをあげよう」

「え?」

望愛からすれば指導して頂いた側なのに褒められるという予想外の出来事だったが、

「何がいいかな」

「じゃあ師匠が今後破る絵を全て欲しいです!」

「うん。それはできない」

「ですよね!」

拒絶されても笑顔いっぱい答えるほどの信頼値は築いたようだ。

「では今日は絵の指導をお願いしたいです!」

「それもできない」

「はい!」

毎週火曜日・金曜日・日曜日に投稿します。

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