27話:点火
「恐怖、ねえ……」
大きく出たものだとミーハは感心していた。
ゴソゴソと砂から抜け出し、起き上がった彼女はオグテデフの大言壮語に喜びすら覚えていた。
恐怖。
それは原初の感情であり、生き物にとって最も付き合いの長い感情の1つだ。そして、容易く操れない不自由なものでもある。
例えば焦燥。例えば驚愕。それから苛立ちや嫌悪感などの恐怖に紐付いた感情たちは、ある程度簡単に引き出すことが出来る。タイムリミットを設けたり、ジャンプスケアを置いたり手法は様々だ。そうやって、相手の心を動かすことは決して難しいことではない。
しかし恐怖は別だ。
恐怖とは大きく重い。
ホラー映画が下地を丁寧に整えるように、突発的な事象でそれを動かすのはとても大変で、骨が折れる。
考えてもみて欲しい。『今からお前を怖がらせる』と言われて、すぐさま怖がることが出来るのかを。
銃を突きつけられれば恐ろしい?
突然、変装マスクを脱ぎ捨てて別人が出てくれば恐ろしい?
確かにそうかもしれない。
だが、命の危機も理解不能な何かも、それを演出するための裏側があるのだと思えば簡単な話でないことは想像できるだろう。
恐怖させることは難しいのだ。
そうしたことを思えば、オグテデフのそれはただのフレーバーテキストかもしれない。あるいは、似た感情の言い換えか。
(まあ、なんでも良いよ)
そう、ミーハにしてみれば何であっても構わない。何であろうと、奴の言い分は変わらないからだ。
オグテデフはつまり、こう言っているのだ。
これからが本番だ、と。
起き上がったミーハはさっと自身のコンディションを把握する。
砂を踏む四脚に異常はなく、また腕もしっかりと動いた。あれだけ勢いよく吹っ飛ばされた割には損傷が少ない。
パワーだけならザルボバータにも近いものを感じたと言うのに。
ただ、全くの無事というわけではない。
背中から腰に跨がる違和感に、ミーハは顔をしかめた。受け身がまずかったのか。上半身と下半身とがうまく繋がっていないように感じられるのだ。
(あんまり盾で受けるのは出来なさそうね)
軸がずれてしまったかのような接続不良に加えて、ミーハの身体にはもう1つ問題が起きていた。
こちらの方が大きな問題か。
コアへのダメージだ。
心臓部に格納されたジェネレータまで衝撃が伝わり、損傷を引き起こしていた。
立ち上がった時に視界にノイズが走ったことで出力が低下していると気が付いたミーハは、自身はサポートに徹するべきとの判断を下す。舌打ち1つ、荒々しく不満を叩き出し勝利への執念に統合する。
攻防に不足を抱える現状、出来るのは肉壁になることくらいしかない。
であれば、メインアタッカーはセリに委ねる他にない。つい数分前までの自信なさげな彼女ならばそれは無理だっただろう。だが今の、瞳に火を点した彼女であれば心配することなどありはしない。
ミーハが引き付けてセリが撃つ。
スタイルとしては何も変わってはいないが、ミーハの表情は明るかった。
(重苦しい雰囲気が和らいでいる!)
ゲームは楽しんでこそ。
そう思って気を揉んだりもした。余計な気遣いかと心配しながらアドバイスもどきを送ったりもした。
それらが実を結んだのかどうか。……なんてことはどうだっていい。
ただただ、喜ばしかった。
ほんの一瞬あれば人は変われる。
それを目の当たりに出来たことがミーハは嬉しくて堪らない。
(なら……、無様は晒せないなあ!!!)
ミーハはにいっと口角を吊り上げた。牙のように尖った歯がギラリと光った。
噴き出る油がわずかに残っていた泉を汚染していく。混じり合うことなく飲み込み蹂躙するそれはまるで人の悪意のようだ。一体、どこにこれだけのものを隠していたのか。
溢れ出す汚液はとどまるところを知らず、あっという間にオグテデフの足元に油だまりを作り出した。
そして、空気すらも染め始める。ポコポコと生じる気泡が弾ける度に、赤黒い粒子が撒き散らされていく。
『──"WARNING"! 高濃度の◼️◼️◼️◼️粒子による周囲の汚染を確認。活動限界まであと3分』
警告音が鳴り響く。
隔離された空間が侵食され、蝕まれて腐り落ちる。
明らかな異常に、ミーハが、それ以上にセリが動揺を露にした。
『──"DANGER"! 基軸空間への侵攻を確認』
『基軸空間への到達が達成された時点で、咎に塗れし"オグテデフ"は周遊ボスへと変化します。フィールドを移動して、討伐されるまでイグナイターを襲い続けます。ここで撃破して阻止しましょう』
畳み掛けるようなアナウンスに2人は戸惑う。
聞き覚えのない単語が出てきたこともそれに拍車をかける。
基軸空間。ワンダリングボス。しかし、それらについて考えるだけの時間はない。
それまで仁王立ちだったオグテデフがついに動き出した。
油だまりを拡大させながら、ゆっくりと歩き出す。その向かう先にはセリがいる。
彼女は下がっていた銃口を突きつけ直し、そのまま流れるように発砲した。
乾いた音ともに放たれた銃弾は瞬時に間合いを食い潰してオグテデフに迫る。
そして、ぢゅいんと油に弾かれて明後日の方向へと飛び去った。
「え?」
驚きのあまり暴れる銃身を押さえ、セリは手早く次弾の装填を行う。困惑にあってもその動きに淀みはない。
そこへゆっくりと近づくオグテデフ。滑るような歩みだ。両の腕をだらりと垂らし、操り人形のようにするすると進む。それはまるで幽霊のようにも見えた。
と、オグテデフの後ろからミーハが飛びかかった。大楯で押し潰さんと勢いよく叩きつける。
凄まじい音がするというセリの予感は裏切られた。
オグテデフは殴られるがままだ。抵抗も防御もない。勢いを利用して地面を滑り、その場を離脱した。
手応えのなさよりも、不気味さが勝る。
それまでの動的な印象から一転、静的な落ち着きを得たオグテデフは、何をしてくるか分からない強敵へとランクアップを遂げた。
警戒心がミーハの足を止め、カウントダウンを進めさせる。
セリの銃撃も効果が薄い。2発目の弾丸も油に逸らされ、有効打とはなり得ない。
「ゼロ距離なら!」
セリが叫んだ。
それが提案であることを瞬時に読み取ったミーハは、オグテデフの動きを止めるべく前へと出る。
油が染み込んだ地面はもう砂地ではない。泥沼のようになっている。それでも四脚はしっかりと地面を捉えて、彼女の身体を加速させた。
一気に踏み込み、右手に持つバスタードソードを突き込む。一度ならず二度三度と繰り返し、さらに止まらず四度五度と。
しかし表面を滑る剣先は深くまで刺さらない。芯を捉えられていないのだ。微妙に軸をずらされて、刃先が払い除けられてしまう。
堪らず、ミーハは盾で殴り付けるがこれもまたうまくいかない。
滑らされる上に、受ける姿勢まで作られてしまう。ただ、ワンテンポ遅れているために反撃までは来ない。
その手応えに彼女は内心で首を傾げた。
(妙な反応ね。どうして遅れてる?)
1つ違和感に気が付いたら、あとは芋づる式だ。あれもこれもと、似たような手応えがどんどん見つかる。
オグテデフはうまく逸らしているようで、実際のところ受けきれてはいないのだ。
その証拠に、ミーハの剣は深く刺さっていないものの、表面に傷を付けている。
(油の効果は遠距離攻撃無効とか?)
近距離で戦うミーハの剣は無力化出来ないために傷が付くのだとしたら。
無くは無い推論だろう。だが、直感は違うと告げていた。
そんなファンタジックな物質があるのだろうか。いや、あってもおかしくはない。おかしくはないが、しかしミーハの直感は油が主ではないと叫んでいる。
『──活動限界まで残り2分』
無情な警告が飛ぶ。
突きを主体にしているのは腰への負担軽減を狙ってのことです。捻る動作をなるべく減らそうと努力しているわけですね。




