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26話:新生


 "敗北"の二字がセリの脳裡に浮かんだ。


 劣勢をひっくり返し得る火力を彼女は有しているが、戦況を支えるだけの継戦能力はその手にないからだ。

 単発大火力。砲台としての弱みが出た。


(どうしたら……っ!)


 わずかな逡巡。


 焦りと動悸が銃口を揺らす。

 狙いが定まらず、引き金にかけた指が震えた。


(どうすれば……)


 弱気が顔を出し、セリの身体から自由を奪う。

 何をすべきか、頭では理解しているのだ。

 生存を優先してミーハの復帰を待つ。ミーハの離脱は一時的なもので、彼女が起き上がり戦線に復帰すれば立て直しは十分に出来る。

 それを理解は出来ているのだ。だが、セリの心が、それを実現するためのプランを組み上げられない。




 身体と心は密接に結び付いている。

 例えば、寒さに震えて身体が縮こまれば心はそれに引きずられて沈み込んでしまう。筋肉が固まることで精神が高揚しづらくなるからだ。


 心は操れなくとも、身体の反応は操れる。


 ゲームとして五感に働きかける完全没入型VRは、身体の反応をそれこそ自在と言って良いほどに操作できた。寒さ暑さから痺れ、浮遊感、甘さ辛さ苦味まで。全身のあらゆる感覚を誤認させられる。

 もちろん、製品としてのロックはかけられている。危険のないよう安全マージンをとった上で、五感への働きかけは制限されていた。だが、それは働きかけが出来ないということではない。弱いだけなのだ。




 今、セリの身体には微弱な寒気と落下する感覚、それから視野狭窄が襲っている。それは全て『Mechanical Microcosm』側によって引き起こされたものだ。しかし、セリの脳はそれが自身の反応によるものと誤認し、身体反応を精神へとフィードバックしてしまう。

 それによって混乱が引き起こされていた。


 真っ白になってしまった頭で、セリは必死に考える。思考の空転に、彼女はまだ折れていない。



 ミーハを突き飛ばしたセィシゴが、オグテデフがゆっくりとセリの方へと向く。


 荒い呼吸の中で、気持ちが悪いほどに時間が遅く流れていくのをセリは感じていた。

 粘度を増した時の流れに、彼女の空回りした思考がこれ幸いにと過去の上映会を始めてしまう。

 そんなものよりも打開策を。そう叫びたくなっても、セリの記憶の蓋は制御が効かなくなっていた。








 ──セリこと、稲葉なずなは流されて生きてきた。


 そもそもこの『Mechanical Microcosm』を始めたのだって、柚柚華に流されてのことである。

 これに限らず、サークルに入ったのも、バイト先を決めたのも、最近買ったワンピースだって、全部全部他人に勧められた結果だ。

 両親、妹、友人、教師。言われるがままに、セリは生きてきた。

 1つ、恵まれていたことがあるとすれば。彼女に悪意をぶつけてくる者がいなかったことである。お陰で至極平穏に、だからこそ途切れることなく、セリは誰かに従う生活を続けてきた。


 それが悪いことだとは思っていない。

 何故ならそうして生きることが、セリにとっては正しいことであったからだ。そうやって生きる道以外を知らない彼女にとって、それ以外の道こそが悪であり恐れるべきことであった。


 そう、セリは恐れていた。誰かが敷いてくれたレールから外れてしまうことを。自分の意思というもので、一歩を踏み出すことこそを。


(どうしたら!)


 すべきことは分かっている。

 戦うのだ。

 手にしている武器で。この両手で。熱い魂で。

 戦うのだ。


(どうしたら!!)


 すべきことは分かっている。

 だがどうしたら良いのかが分からない。

 セリは混乱していた。それはゲーム的なものではなく、セリ自身に由来するものである。


(どうしたら!!!)


 すべきことは、分かっていた。

 セリに足りていないのは覚悟だけ。

 ゲームの中でさえ失望されることを恐れる彼女には、あと一歩が踏み出せない。

 必要なのは覚悟だけ。



 突っ込んでこようとしているオグテデフに対して、戸惑い震えてそれを見ているだけのセリ。

 バチり、と目が合った。砂に埋もれたミーハだ。オグテデフの向こうに倒れる彼女と、ほんの一瞬セリは視線を交わした。


 それだけで十分だった。


 冷たかった右手に温度が戻る。銃を握る感触が帰ってきた。

 目を見開き、セリは声を漏らした。

 安堵の声だ。

 ミーハの瞳には温かさがあった。落ち着ける色で、優しく励ますようだった。それはまるで春の日の太陽を思わせる。

 失敗しても失望されることはないと、不思議なことに信じることがセリには出来た。



 思えばミーハは、セリにとって少し特別な立ち位置にいた。

 なんとなく着いていくのではなく着いていきたいと願ったことも、相手の振る舞いに拗ねてみせたことも、謝りに行って関係を繋ぎ止めようとしたことも、どれもセリには初めてのことだ。

 新鮮で心踊ったことを彼女はよく覚えている。


 セリの容姿は整っている。それは稲葉なずな(現実)も同様で、彼女の主体性の薄い性格は容姿も相まって取り巻きに選ばれがちだった。恐らく、何かボタンがかけ違えばいじめられていたことだろう。しかし運の良いことに、セリは常に引っ張ってくれる相手とセットになった。

 そうしてなんとなく友だち付き合いをし、何かのタイミングで縁が切れる日常を繰り返し送ってきたのだ。


(私は……!)


 糸の切れた凧。愛想の良い猫。

 セリと長い付き合いのある知り合いは、彼女をそのように評する。

 失望を恐れ、人間関係を浅く留めていたセリはここでそれを自覚した。

 そして、踏み越える。



 ──1秒にも満たない刹那の中で、思考をかき乱されながら、セリは1つの答えを出す。



 流れるような手付きでセリが銃を構える。

 それまでの動揺が嘘のような滑らかな保持だ。いっそ機械的なまでに美しい射撃姿勢がとられた。スコープを頼ることなく、スタンディングで照準が定められる。

 それらは、まばたきよりも早く整えられた。

 すぅ、とセリの動悸が治まり手先の震えは雪解けのように消え失せた。

 ブレが消えて銃身が安定し、あとは引き金を引くだけだ。


(私はこんなだけど! ……こんな私だけど、色んな人が見てくれる。ミーハさんだけじゃない。きっとお父さんもお母さんもききょうだって、あんな風に見てくれていたんだ!)


 オグテデフがスタートを切る。

 時間の粘度は薄れつつあった。

 徐々に速度を増していく世界の中で、セリは息を止めて引き金を引いた。



 バキン、と何かの弾ける音がした。

 それはセリの放った弾丸であり、オグテデフの装甲であった。

 金属が真っ向からぶつかり合い、その威力に耐えきれず互いに砕け散ったのだ。

 胸部が破砕したオグテデフはもんどりうって転がった。


「やった……?」


 倒したのか、否か。

 オグテデフは起き上がらず、漏電しているのかバチバチと音を立てている。


 手応えのなさ。呆気なさ。

 必死に乗り越えた問題が思った以上に陳腐に感じられて、セリは苛立ちを覚えた。

 彼女にとっては大きな問題であり、今もまだ消えたわけではないと言うのに矮小化されてしまったように思えたからだ。頑張ったのに。セリはそう小さく呟いた。誰にも聞かれないように、しかし誰かに聞いて欲しいと願って。


「セリ!」


 だからミーハに名を呼ばれた時、セリはとても明るい顔をしていた。

 願いが届いたのか。そう思ったからだ。


「まだ終わってない!!!」


 そうミーハが叫んだのを聞き、はっとしたセリがオグテデフを見ると、動かなくなった機体から油のようなものが滲み出していた。

 ぬるぬる、てらてら。

 玉虫色に光を反射して、赤黒い液体が染み出てくる。




 『咎に塗れし"オグテデフ"』。

 セリは表示されていた名前を思い出す。

 まさかそれは、比喩でないのか。

 液状の実体ある咎を纏い、オグテデフがゆっくりと立ち上がる。


 ──貴様らに恐怖の名を教えてやろう。






⚫『咎に塗れし"オグテデフ"』

→胸部を破壊されることで第二段階へと移行する。惜しい、そこは弱点じゃない。

撃破条件は変わらずコアの破壊。探せばちゃんとあるフェアな勝負、いやオグテデフが不利な勝負だ。逃げずに立ち向かってくれることを願う。




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