11話:1日の終わり
美原よしかはごくごく普通の女性である。
普通に働き、普通に生活して、普通に疲れてしまった、そんなどこにでもいる教員が彼女だ。
始業より早くから働き始め、名目上昼休憩は存在せず、常に気を配り続け、終業と同時に書類整理に移り、追いたてられるように家に帰る日々。
何かが間違っていることを薄々感じ取りながら、しかし彼女は具体的にどこがおかしいのかを指摘出来ない。
生活の流れにすっかり適応してしまい、歪みを歪みとして認知できなくなっていた。
そんなよしかを支えるのが、残された唯一と言って良い趣味であるゲームだ。
もうお洒落をしようという気力はわずかにしかなく、美味しいものを食べようとする元気もない。遠出をするだけの体力も時間も持たない彼女は、辛うじて電脳世界に娯楽を見出だしていた。
ゲームからログアウトをしたよしかは、ヘッドマウントディスプレイを外してベッド脇のサイドテーブルに置くと身体を起こした。
時刻は午後の11時。
明日は朝から父兄の参加するごみ拾いがある。
それを思うと、よしかは陰鬱な心持ちとなった。まだ若い彼女は、早くに出て道具を用意するように指示されている。
あまり長く遊んでいる余裕はなく、そろそろ寝る必要があった。
ふらりとキッチンに向かい、ホットミルクの用意を始めた彼女の頭の中にあったのは、まだゲームのことだった。
『Mechanical Microcosm』。
外宇宙からの侵略者を撃退するこのゲームを、よしかはミーハというキャラクターネームでプレイしていた。
ロボットの体を改造していくことで戦力を増すシステムは、よしかにとって初めて触れるものである。これまでにプレイしたゲームでは、レベルやらランクやらが存在していた。これは、それらに代わってプレイヤーを強化するためのものだろう。彼女はそう理解した。
「四脚、かあ……」
よしかが操るミーハは、1日目にして既に改造が施され、脚が4本になっていた。
アラクネのようなシルエットになった彼女は、移動やら戦闘やらで優れたこれを気に入っていたが、1つだけ悩むところがあった。
現状、お洒落が出来ないのだ。
現実ではいささか疲れてしまい着飾ることへの欲求が薄れているよしかだが、ゲームならば手間が少ない分頑張れる。
彼女だって、別に好き好んでジャージばかり5着も6着も持っているわけではない。全て環境の問題だ。華美であることが許されない職場に合わせている内に、そうしたものに手を伸ばす意欲を失ってしまったのである。
だが、ゲームなら話は変わる。
タトゥーを入れようとピアスを開けようと保護者から苦言を呈されることはなく、ドレスが汚れる心配もいらない。
男装しようと鎧を着ようと、電脳世界ではそういうものとして処理される。
よしかはその気楽さを気に入っていた。
話は戻るが、『Mechanical Microcosm』だ。
そこでよしかは四脚となった。
当然、体構造の違いからズボンは履けない。現に、初期装備は解除されてインベントリに仕舞われていた。
(何かしら適した服装が用意されている可能性はあるけれど……)
四脚がゲーム内でありふれた形状であるとすれば、それに合わせた装備や装飾が存在することは十分に考えられる。
しかし、今はまだ見つかっていない。
あるかもしれないそれらは、現時点ではまだないものだ。
お洒落はしたい。現実では出来ないような格好を楽しみたい。
ただゲーマーらしく、人とは異なるスタイルを確立したいという気持ちもある。
幸いなことに、よしかは四脚に適性があった。
そしてそれが彼女を迷わせる。
出来上がったホットミルクを片手に、よしかは少しばかりネットを漁る。
調べるのはもちろん、『Mechanical Microcosm』についてだ。
評判であったり、彼女の知らないところでの進行具合だったりを検索していく。
評判は上々のようだ。
既に2万本を売り上げ、今も徐々に増え続けていると言う。
VRゲーム全盛のご時世で競合が多い中頑張っているとよしかは感じた。
ネット上でも褒める言葉を散見する。……まあ、コメント自体がそれほど多いわけでもないが。
ミッションについては、天文台奪還作戦が確認されてからは進みがないようだった。
サブクエストのようなものが降星城で発注出来るようなので、それは後で受けようとよしかは決める。弾薬の補充で結構なクレジットを消費してしまうことが分かったために、稼ぎを得ることに積極的なのだ。
天文台奪還作戦については、周辺の偵察こそ始まったものの本格的な進展は数日先になるだろう見通しが立てられている。
(ちょっと、平日は勘弁してよ……)
夏休みが終わった今、彼女の職場は平常運転に向けた建て直しの真っ最中である。加えて学期末に向けて書類仕事も増え、必然残業も増えていた。
秋ならではの大きなイベントもいくつか控えており、ゲームに集中しようと思えばそれは休日を待つ他ない。
思わず端末を睨むよしかであったが、こればかりは彼女の都合とはいかないものだ。
やがて諦めがついた彼女は、パーツについての攻略を見始める。
サービス開始すぐであり、情報が出揃ったわけではないために漏れは当然ながらあるだろう。
それでも既にいくつかの検証が始められている様は、よしかに感心をさせた。
例えば、関節可動域の検証。
個人差が可動域の差に繋がるのかを検証するため、複数人で同じポーズをした。右腕が上で左腕を下から背中の後ろで合流するかを試したのだ。
結果は、可動域自体は同じだが動かし方のクセによって実際に動く範囲に変化が出る、というものだった。現実で手が届かないプレイヤーは、ほとんどが届かないままであったのだ。
それから、弾丸の解体検証というものもある。
弾の一発までに作り込みがされているなら中身もだろうと考えたプレイヤーが始めたもので、拳銃から散弾銃、ロケット砲まで分解された。
弾頭と薬莢に分離出来たものの、雷管や発射薬に類するものは存在していないことが分かった。
例外になるのは大型のロケット弾で、炸薬もきちんと確認されたそうだ。
ただ、どの弾丸であっても暴発の危険性があるらしく、不用意な手法をとった場合すぐさま起爆したと書かれている。
他にも、金属の性質まとめやティエラジェネレータの出力表のような真面目なものから、NPCのスタック狙いやクレジット処理のバグ探しのようなものまで様々な記録が見られた。
よしかはそれらを興味深げに眺めていく。
早く寝るという思考は彼女からすっかり消え去ってしまい、冷め始めたミルクを啜りながら端末をスクロールする手が止まらない。
結局、1時間くらいだろうか。
寝ようと思いながらもだらだらとネットサーフィンを続けてしまったことを、よしかはうっすら後悔しつつミルクのカップを洗った。
四脚はどうやらまだミーハしか入手していないようであった。確実なことではないものの、それはよしかにかすかな優越感と満足感をもたらす。
そうして日付が変わって少しした頃、よしかは眠りに就いたのだった。
⚫彼女の職場がある地域は2学期制です




