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瀬下宗一郎

 世界の第一線で活躍するピアニスト、という見出しなんですか。それで、わたしに聞きたいのは、丸尾花さんの高校時代の話ですよね。


 丸尾さんはダイアモンドの原石でしたね。


 実に得難い才能でした。

 初めて明峰に来たのは三年生の夏休みのことです。学校見学会がありまして。丸尾さんは、お母さんと一緒に来ていました。


 事務課が当たり障りのない説明をして、普通科と特進科と音楽科に分かれていきました。音楽科の方には数人が来て、その中のひとりでした。

 普通科との違いなんかを説明して、入学後の希望も聞きます。管楽器を極めたいとかなら少し方向性が合わないので伝えます。こういうのを見過ごすと、お互いにとって良くないですからね。明峰(うち)はピアノ教育に非常に力を入れています。音大を目指すなら、ピアノは絶対に弾けないといけませんから。

 

 丸尾さんの第一印象ですか?

 二面性のある子、でしょうか。

 話を聞いている時は、にこやかで真剣で、校舎を巡っている時は一転愉しげに目を輝かせて。天真爛漫という四字熟語を思い起こしましたよ。

 それなのにピアノの前に座って「何か一曲弾いてごらん」というと、どこかおどおどしていましたね。周りに親や他の中学生がいたからかもしれません。辿々しい動きでエステンの一節を引きましたが、かろうじてという風でいまにも力尽きて倒れてしまわないかと思いましたね。

 順番があったので、その子だけにかまけている訳にはいきません。他の子にもピアノを触らせて、明峰の設備を感じ取ってもらわないといけませんでしたから。


 その時点で才能が分かったのか、ですか。


 いや、実はそうじゃないんです。

 素晴らしい才能が眠っていると気付いたのは、その日の見学会終了後のことでした。

 どうやら、たまたま丸尾さんの知り合いの生徒がうちの学生で、話し込んでいたようなんですね。わたしもわたしで、丸尾さんのお母さんに捕まって色々と話していましたから、気付くのが遅くなって。


 彼女、音楽室に忍び込んでピアノを弾いていたようなんです。ひとりを観客にして。前を通りかかって覗き込んで、わたしは目を見開きました。忘れもしません。リムスキー=コルサコフの『熊蜂の飛行』。ラフマニノフ編曲のものです。

 昼間の姿とはまるで別人でした。

 隣に丸尾さんのお母さんもいらしたので「普段はこんな感じなんですか」と尋ねました。お母さんはたじろいで「家で練習する時も、発表会のときも、あんなに生き生きと弾いてませんよ」と言いましたから、ますます不思議でした。


 そういえば、その頃から丸尾さんのお母さんには違和感がありましたね。

 目鼻立ちのはっきりとした、派手めな顔立ちの女性です。スラリとしていて、いかにもキャリアウーマン然としている。子どものことにも熱心そうで、一見するとよくできた母親だと関心してしまいます。

 含みのある言い方をしましたね。ええ、それには理由があります。

 きっかけからお話ししましょうか。


 彼女の実力は確かに本物だ。

 そう確信しましたが、それで推薦を出して特待生とするには情報が少なかった。他の先生方を説得する必要がありましたからね。

 ゴリ押しして、その夏の終わり頃、最後の二週間だけですがうちの留学プログラムに連れて行きました。本当は夏休みいっぱいあるものなんですが。


 二週間だけとはいえ、友達も誰もいない場所に、たったひとりで行くものですから、不安がるのももっともなことです。事実、丸尾さんのところでもお母さんがとても不安がっていました。親の目が届かない場所にいるのが不安で仕方ないと連呼してらっしゃった。当の本人はケロリとしていましたけどね。彼女はピアノの前に座るまで、本当に怖いもの知らずの子どものようだった。


 失礼。話を戻しましょう。

 言葉の壁もあったのに、丸尾さんは全く苦にしていなかったようです。寄宿舎の他の生徒たちともすぐ打ち解けた。

 そして、彼女はそこで才能を開きました。


 まるで海外に来て籠から放たれたように、どれほど観客がいようと、どれだけ難しい譜面が与えられようと、縮こまることなく指を動かし、情感たっぷりの演奏をしてくれました。技術が優れていたのはもちろん、曲想への理解というか、アプローチの多様さが筆舌に尽くし難い。曲を降ろしているのでしょうね、そう思わざるを得ませんでした。

 思い返してみれば、彼女の場合、典型的なあがり症が技術を未熟に見せていただけで、表現力や構想力といった天賦のものは最初から備わっていました。


「素晴らしい才能だ」


 提携する学校で、いまをときめくピアニストのひとりが手を叩きました。


「この学校でずっと学ばないか?」

「嬉しいです」


 辞書を引いて目で覚えたようなカタカナ発音で、彼女は破顔しました。


「でも、お母さんにも聞かないと」


 すぼむような声に、もしかしたら、と一抹の予感がしました。


 帰国して弾かせてみて、その予感が的中していたことが分かりました。

 彼女のあがり症は、母親を意識した時にだけ発動していたんです。

 これはもう、音楽どうこうの話ではありません。メンタルの問題なのですから。


 親からの過度な期待。

 答えなくてはという強迫観念(プレッシャー)が心と身体を萎縮させていたんです。


 それで、環境の変化を試してみることにしました。

 明峰に入学してから彼女に特別教えたことはありません。他の生徒とそう変わらなかったと思います。

 教えたのではなく、メンタルケアを最優先にしました。

 親元から離れさせること。深層心理に植った「お母さんの期待に答えなきゃ」という意識。それを解きほぐすことを考えました。明峰の学生寮を斡旋して住まわせ、保険医にも心療内科にも診せました。


 ケアを始めて驚いたのですが、丸尾さん本人は自分の緊張が母親に由来するものと気付いていなかったんです。なんだかうまく弾ける時がある、というくらいの認識だったそうです。

 お母さんがいる時といない時の演奏を録って比べさせて、自分の母親が演奏に悪い影響を及ぼしていることに気付かせました。

 はじめはショックを受けている様子でしたが、次第に受け入れることができた様子でした。

 医者に聞くところによると、こういうのを共依存というそうですね。

 丸尾さんはやがて精神的に自立してくれました。高校三年生の卒業コンサートでは、母親が目の前で見ているにも関わらず、それはそれは見事な演奏をしてくれました。


 



 そういえば、あの日、学校見学者の中に『熊蜂の飛行』を弾いていた子がいましたね。男子でした。名前は……ちょっと待ってくださいね。有働治くん? ああ、そうだ。有働治という名前が当時の名簿リストにあります。印象はあまり。うまいことにはうまいのですが、丸尾さんの演奏を聞いた後だと見劣りする。そんな感じです。結局うちには来なかったんじゃないかな。











瀬下宗一郎/明峰学園音楽科

続きます。


お読みいただきありがとうございました。

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