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広田奈都子

 花ちゃんと治くんはふたりともうちの生徒でした。

 ふたりともまだ小学校に上がる前から通ってくれていましたよ。

 上達はとても早かったですね。


 花ちゃんのおうちはすごく教育熱心で、ピアノと言わず英会話やら体操教室やら、英才教育に力を入れていました。叶うなら、そういった幼稚園にも通わせたかったそうですが、ご家庭の事情でそれはできなかったそうですね。

 ピアノに才能があると分かってからは、それ一本に専念して、他のは辞めたそうです。


 治くんのおうちは花ちゃんのところと比べると普通というか、それほど教育熱心という風ではありませんでしたね。お兄さんとお姉さんがいた影響でしょうか。ピアノに興味を持ったようだから、とおかあさんと一緒に来てくれたのが最初だったと思います。


 同時期にすごい才能が入ってきたなと思いましたよ。

 ふたりとも異様なくらい耳が良かった。音感があるっていうのはこのことなんだと思いました。特に花ちゃんはその方面に突き抜けていました。

 手の大きさやらの関係で、大人が弾くような楽譜では子どもには合わないものも結構あります。無理に弾かせると先々身体に悪い影響があるかもしれない。治くんはそういったのも弾きたがりましたが……。とにかく、そういったのを避けて弾かせると、水を得た魚のように滑らかに指が動くんです。情感も実に豊かに。


 ふたりは違う曜日に通ってましたから、会ったことはなかったはずです。小学校も別でしたし。

 でもふたりとも互いを意識していたことは間違いありませんね。お互いにいま自分が練習している曲を知りたがり、練習のレパートリーに取り入れていました。時には、花ちゃんの方から「治くんはこういったのが好きだろう」と楽譜を持ってきてサラッと弾いていたこともありました。花ちゃん自身は特にどういった曲想を好むというのはありませんでしたが、対照的に治くんは指遣いの速い曲を好んでいました。やりとりがなくても、断片的な情報や発表会の様子で分かるものなんですかね。天才は違うなと思いました。


 天才。


 そうですね。町の一教室なんかに収まる器じゃないはずなんです。


 中学生になった頃からふたりにはもっとより良い環境があるはずなんだ、そう思うようになりました。

 明峰への進学を勧めたのは私です。あそこには音楽科があります。音楽科の教師の評判はかなり良いので。

 ふたりともかなり興味を持ってくれていました。


「もっと上手になれるかな」


 治くんは変声期の掠れた声を弾ませて期待を膨らませました。


「兄貴は帝大に受かったし、姉貴はインターハイで全国に行くんだ」

「へえ、すごいね」

「うん。俺もすごくならないと」


 視線を落とした治くんの血の気のない横顔は、まるで何かを背負い込んでいるようでした。

 何かあったのか。尋ねる声が喉元まで出かかりました。結局聞けませんでしたね。聞いたところで、寡黙で決して素直ではない治くんが、何かを言うとは思えませんけど。あ、素直じゃないってのは、悪い意味じゃありませんよ。むしろすごく真面目なんです。ただちょっと弱みをあまり見せない子なんですよ。念のため。

 内向的で口数も少ないのに、本人は技術を全面に押し出したような曲を好んで演奏していましたから、不思議なものですよね。

 ご家族との関係ですか? さて、よく分からないですね。円満だったと思いますけど。

 その歳になると、親が教室についてくることもありません。お月謝は親から預かって本人が持ってきていました。だから親御さんとの間で何かあったとしても、わたしの耳には入らなかったと思います。


 花ちゃんのところはというと、花ちゃん本人より花ちゃんのお母さんがよっぽど喜んでいましたね。

 ええ。実は花ちゃんの練習には殆ど必ずお母さんが送迎していたんです。「帰りに何かあって、この子が怪我をしてはいけないから」とお母さんは花ちゃんを守るように背中を抱いて言っていました。


「推薦入試で合格できれば、特待生にもなれるそうです」

「特待生ですか」

「ええ。学費が免除になったり、ウィーンに留学したりできるようになりますね」

「あら、そう」


 特待生という響きだけで満たされたのか、或いは花ちゃんの音楽教育のためになると思ったのか、澄ました表情を作っていましたが、興味を引かれているのは明白でした。

 花ちゃん本人は、あまりピンときていない感じでした。中学生になっても純粋無垢で、どこか幼さを保っていましたから、自分の進路なのに当事者感が湧かなかったのかもしれませんね。


 ふたりには学校を通して志願票を提出するように勧めました。ふたりが中学二年生の頃です。

 後で知ったのですが、進路希望調査票っていうのがあるんですね。それが三年生にならないと貰えないとかで、まだ進路の話をするには尚早だったのかも、と。


 花ちゃんはそのまま志願票を出して、中学の卒業を以てこの教室からも卒業していきました。最後は明峰の先生も尋ねてくれて……。ええ、将来が楽しみです。

 治くんは結局、受験シーズンが始まる前に教室を辞めていきました。「他に関心のあることができたから」と言っていましたね。結局、明峰を受験したのかは知りません。


 先程も言った通り、ふたりは中学生になっても教室に通ってくれていました。思春期の真っ盛りで、きっと他にやりたいこともあったのでしょうが、それでもピアノに打ち込んでいました。ピアノが好きで居続けてくれたのは救いですよね。嫌いなものを()いて強いて強い続けるのは良くありませんから。

 その頃のふたりはなるべく指を痛めないように気を遣っていました。花ちゃんのところなんて、「突き指すると取り返しがつかない」とお母さんに言われてレクリエーションのドッジボールすら不参加だったそうです。治くんも似たようなもので体育の授業ではあまり中心に立たなかったようです。花ちゃんのところと違って、治くんの場合は自主的なものと聞いていましたが。

 あ、そういえば治くんが最後に教室に顔を見せた時、指に包帯を巻いていましたね。「水泳の授業中にやったんだ」と言っていた気がします。いま思えば少し不思議ですね。あれほど治くんは怪我を気にしていたのに。











広田奈都子/ピアノ教師

続きます。


お読みいただきありがとうございました。

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