ジョンの寿命を三年に設定しました
昨今のペットブーム。誰しもが癒やしを求め犬や猫を飼おうとするも、一人暮らしの高齢者には『自分よりも長生きされては困る』と、手が出せない問題が生じていた。
それを解決すべく、ペットロボの開発に力を入れた企業が、寿命を設定できるペットロボを売り始めた。
「……ええっと、なになに……んん、文字が小さくて見えんぞ。眼鏡はどこやったっけか……」
老眼鏡を身に付け、二つ折りにされたA5サイズの説明書を目を細め読み始めたのは、夫に先立たれて一人暮らしとなったウメ子(87)だ。孫に貰ったペットロボは最新式で、寿命を細かく設定でき、メモ機能や薬の飲み忘れ防止、ゴミ捨て曜日の設定など、日常生活を補助する機能が満載だった。
「絶縁シート……? ん? んん? どこだ?」
首の下にあった白い絶縁シートを引き抜くと、ピーッと音が鳴った。正常に起動した証である。
「んあ? 壊れたのか? おーい」
シャカシャカと両手サイズのペットロボを耳元で揺さぶるウメ子。よく分からぬまま、次の項目を読み始めたのは、丁度よく始まった朝の時代劇を見終えた後だった。
「時計の設定とな……」
テレビの左上に表示されている時刻を頼りに時計を合わせるウメ子。ボタンを押しすぎて時計が進みすぎたので、二回ほどやり直しもした。
──名前を呼んであげてください。
音声を認識する最新式。呼ぶだけで駆けつける機能や、他のペットロボと混在しててもどれが自分の物かをすぐに確認できる優れ物だ。
「……ジョンでええか」
それはかつて夫と二人で飼っていた愛犬の名前だった。夫はジョンを追うように死んだが、自分がジョンよりも愛されていたかどうかは今となっては分からない。ウメ子は夫が戻ってきたかのような不思議な気持ちを覚えた。
──寿命を設定して下さい。
音声案内に従い、ウメ子は自らの余命と相談。あと三年は生きたいと、寿命を三年に設定した。
──ジョンの寿命を三年に設定しました。
西暦2022年、八月二日。ジョンは三年後に死ぬこととなった。
「あ、竹田さんペットロボですか? いいですなぁ」
「孫が送ってよこしたんですわ」
顔馴染みが集うゲートボール場で、早速ウメ子は連れてきたジョンについて興味を示された。
「ウメ子はん、サイバーワクチン打ちなされよ? 摂取済みステッカーがかわええんじゃ」
「サイバーワクチン?」
ペットロボを連れてくるメンバーは他にも居たため、ウメ子はすぐにペットロボについての情報を得ることが出来た。
広告の裏にビッシリとメモをしたウメ子は、その一つ一つを確実にこなしていった。
普段から餌をやっても懐かなかった生きた犬と違い、ジョンはすぐにウメ子に懐いた。呼べば来る、言えばこなす。そして臭くない。ウメ子は理想のペットを手に入れたと、嬉しくて仕方がなかった。
「ジョン、どないした?」
ある日、ジョンがサイバーフードを受け付けなくなった。実際に食べるワケではないが、空の皿に向かって箱を振るだけで食べるフリをする様が実に愛くるしく、ウメ子は必ずと決まって朝の六時と夕方の六時にサイバーフードを与えていた。
「斉藤さん斉藤さん、ジョンが飯を食わのうなってしもた。どうしたらええか?」
隣に住むペットロボ仲間に電話ですぐに聞いた。
「熱はないか?」
「……温かいのう」
「ほな熱やで」
「機械が風邪ひくんけ?」
「ウチのはならんが最新式のはなるんと違うか?」
「そんなもんかいな」
ウメ子は老眼鏡を引き出しから取り出し、説明書を開いた。確かにそこには風邪を引いた時の対処法が書かれていた。
「機械のくせに律儀な奴やなぁ」
ウメ子はジョンを充電用のマットの上に横たわらせ、静かにそっと眠りにつかせた。翌日には良くなっていたのでいつも通り六時にサイバーフードを与えた。
ジョンの散歩はとても便利で、生きた犬みたいに飼い主を引っ張る事もなく、ウメ子の歩調に合わせ、歩数まで計り、消費カロリーも教えてくれた。
「ジョン危ないで、端に寄りや!」
トラックがやってくると、小さなジョンが目に付かないのか、ウメ子を前を歩くジョンが危うく轢かれそうになった。ウメ子は痛む腰を無理に動かし、ジョンを助けようと手を伸ばした。
「大丈夫だったかジョン!?」
ジョンに何事も無く、ウメ子は安堵のため息を漏らす。それからウメ子は、散歩の時にはジョンを自分より歩道側に歩かせることにした。
冬、築四十年を超え隙間風が荒むあばら屋も、ジョンの温もりでウメ子は難なく過ごしていた。
「ジョン、もうすぐ年越しじゃあ」
蕎麦をすすりながら、ウメ子は次の年もジョンと一緒にと願った。
「あけましておめでとうございます」
「あけますて、おめでとない」
ジョンを抱え雪道を進むウメ子は、満ち足りた気分で新年を迎えた。
「ウメ子さん最近元気ね」
「ジョンのおかげだべ」
ジョンとの生活は、ぽっかりと空いたウメ子の心の隙間を見事に埋めてくれていた。
「お婆ちゃん、九十歳の誕生日おめでとう!」
孫達が誕生会を開いてくれた。
皆で撮った集合写真。ウメ子の膝の上にはジョンがしっかりと座っていた。
──ある日、ジョンが寝床から起きなくなった。
「ジョン? ジョン?」
揺さぶるも反応は鈍い。
サイバーフードを受け付けず、熱はないがどうにもぐったりとしていた。
「ウメ子さん、ジョンの寿命いつにした?」
「……あ!?」
お隣の斉藤さんも去年に亡くなり、二丁目の吉田さんに相談すると、意外な答えが返ってきた。
ジョンの起動時に設定した寿命の事など、すっかりと忘れてしまってしたのだった。
「そんな……! ジョンは助からんのけ!?」
「死んでメーカーに送れば新しいのが来ますよ」
「ジョンはジョンしかおらん!! アホぬかせ!!」
ウメ子は柄にもなく大きな声を出してしまい、慌てて「すまなんだ」と頭を下げた。
ジョンに設定した寿命をパネルで見るウメ子の目は、実に寂しそうで、申し訳ない気持ちで溢れていた。
西暦2025年八月二日、ジョンは最後ウメ子の膝にすりより、一度だけ小さく鳴いて、そして二度と起きなかった。沈黙したモニターにはカスタマーセンターへ繋がるQRコードだけが映し出されている。
ウメ子はジョンの亡骸をメーカーへと送り、次のペットロボを希望した。もうジョンは居ないが、ジョン無しの生活は考えられなかった。
「ジョンが来たべ……!」
かかりつけの病院から戻ると、ウメ子は届いていた段ボールを開け始めた。中には見慣れた機体が入っており、ウメ子は素早く絶縁シートを外した。
「ジョン……! ジョン……!」
急いで時計をセットするも、やはりボタンを押しすぎて一度だけやり直した。
──名前を呼んであげてください。
「ジョン! わたすだ! わがるか!?」
──寿命を設定して下さい。
「もう二度と離さねぇ。ワシより先に死ぬなんてご免ぞない」
──ジョンの寿命を十年に設定しました。
それからウメ子は輝きを取り戻したかのように、ジョンと寄り添い続けた。
「あら、ウメ子さん新しいのにしたの?」
「やっぱりオラ、ジョンがいないとだめだっぺした」
ウメ子は以前よりも遅い足取りで、秋口の実り豊かな農道を歩き始めた。
──ウメ子の姿がしばらく見えないと警察に通報が入ったのは、それから三年後の夏だった。
息子夫婦の立ち会いの下、警察がウメ子の家を訪れると、布団に眠ったまま動かないウメ子の姿があった。死後しばらく経っており、部屋には異臭が漂っていた。
「お袋……」
そばにはジョンが寄り添うように、ウメ子にぴったりとしがみついていた。ジョンもサイバーフードを与えてくれる人が居なくなり、やがて餓死していた。
モニターにはカスタマーセンターへ繋がるQRコードだけが映し出されていた。