図書委員さんの読書観察録
(失敗したなぁ)
本気で遠い目をしてしまう。高校デビュー3ヶ月目の感想である。原因は分かっている。全ては私に図書委員の仕事を押し付けたクラスメイトのせいだ。もっと言うならこの高校の図書室のせいである。
蔵書の冊数は数知れず、隣に立っている本体であるはずの校舎よりふた周りは大きい外観に本の状態維持に特化した機能。本校の教室にはいまだにクーラーなど夢のまた夢、むしろ数が足らないと一週間に一回教室から扇風機がいなくなるというのに、冷暖房完備で個室までついている図書室(図書館ではないらしい)にはため息しかもれない。しかもこの図書室、本気で色々なジャンルの本が集まっている。ラノベ、漫画、雑誌類はもちろん十年前の問題集や各種工学系の専門書、歴史的価値のある古書までそろっている。
素晴らしい。図書室としては完璧ではないだろうか。利用する側からすれば、であるが。
この図書室、利用者のことしか考えてないのだ。運営する側からすればたまったものではない。本というものは本棚に置いておくだけだとボロボロになるのだ、端から毎日読みもしないのにパラパラとめくって埃を落とし、風通しのいい日に短時間の虫干しをする。一気にやることなどできない。それぐらいに所狭しと並んでいる本の数は多すぎる。
本は好きだ。だから最初は図書委員になっても困ったなと少し顔を歪めるだけだった。だがこれはない。もうやだ。忙しすぎて逆に本が読めない。発狂しそう。
そんなわけで私はこの委員会が大変に不服なわけだが、一つだけ好きな仕事がある。
二週間に一回の金曜日の放課後にある本の貸し出し仕事だ。
この時だけはゆっくりと本を読める時間であるからして気に入るのは当然であるのだが、その他にもう一点、気にいっていることがある。毎週金曜日に本を借りに来る男のことだ。
他人の目鼻の位置がどうとかに興味はない。よってこの男が俳優のだれそれに似ているからといって興味は微塵も出てこない。面白いのはこの男の読む本の傾向である。追いかけて読むととても楽しい。
さて、よって私は今日も二週間に一回の(本との)逢瀬を楽しむつもりだ。先々週にあの男が借りていった本を用意し、貸し出しのための椅子に座った。
『釣りの楽しみ』
『釣っただけが終わりじゃない』
この前は『キメラなクリーチャーを作る為の生き物全録プラスアルファ』などという本を読んでいた。大幅に読む傾向が変わったということは、あの男は気分を入れ替えるつもりなのかもしれない。
『釣りの楽しみ』
釣りの初心者への基本的なハウツー本のようだ。乱読派な私はこのような本も結構読むが、なかなかに釣りというものの楽しさを如実に伝えてくる。くそう、図書委員でさえなければ明日行けたのになあ。
『釣っただけが終わりじゃない』
順番的に後に読むだろうと思って後回しにしたが、これはその、非道いな。パラパラとめくって様子だけ見ると堅実な魚の捌き方と少しの心得を書いてあるように思えるが、熟読すると無責任にも食べきれないほど魚を釣った者達への魚からの恨みつらみや釣ってしまった魚に対しての感謝の念を脅迫観念のように抱かせる文体に震えさせられる。釣りに行きたくも無くなるし当然魚も食べたくない。今日の夕飯はなんだったか。うええアジフライだと!?母よチェンジで。え、無理? そこをなんとかー。
そうやって本を読むという至福に浸っていると、あの男がやって来たようだ。本のご返却ですかー承りますー。貸し出しは隣のカウンターをご利用くださいー。隣に役割を押し付ける。借りていった本は後で調べられるため、返された本を確認する。はてさてどんな本だろうか。えげつない物の次は大概面白くなるのだ。わくわく。
『釣りの始まり。皇帝より前から存在した釣りの概念』
『釣りは楽しいもの。それだけは忘れないで』
混乱が伝わってくる。
やはり魚の恨みにクリティカルヒットを出されたらしい。大ダメージだ。ページをめくる前からもう面白い。
『釣りの始まり。皇帝より前から存在した釣りの概念』
これは釣りというものに焦点を当てた歴史書の模様。なんだか釣りというものの普及率を年代ごとに図で示したり、大きな転換期に名前を付けたりしている。歴史の教科書宜しく当たり前のように出来事の名前が説明されているのがカオスを誘っている気がしてならない。たとえば、1582年に明智の信長への叛逆を本能寺の変という、と同じように紀元前なんちゃらかんちゃら、なんとか人が骨によって釣り針を作ったことを針の一新という。なんて出てくる。テストでも作れそうな本である。皇帝? 最初にちょろっとでた。題名回収が最初の1ページで終わるのはどうかと思う。期待を返せ。
『釣りは楽しいもの。それだけは忘れないで』
釣り好きな者達を鮮やかに描いた物語だった。作者の小説を書くことにかけての技能の高さを感じさせる一品であるのだが、友情のシーンについても恋愛のシーンについても釣りへの愛がこれでもかと紛れ込んでいて読者を現実に後ずさりさせてくれる。この作者からの釣りへの執着はとことん伝わってくるのだが、この作者は小説に釣り要素を少しも入れてはいけないと思う。内容が読者の頭から吹っ飛ぶのだ。ラストは釣り仲間が一人残して全員死に絶え、恋人の最期の言葉により高笑いしながら号泣して釣りをする狂人が出来上がった。作者の技能ゆえ感動はするのだかそれ以上に脱力を誘われる。あー、この作者の釣り関係ない本売ってないだろうか。ふむ、生条御崎先生ねえ。覚えておこう。
さて、混乱にカオスと混沌を混ぜたような今回のチョイスだったが、次は何を借りたのかが気になる。いつもであれば男が借りていった本は見ない。読めもしないのに好奇心が刺激されてしまう。が、今回はもう気になって仕方ないのだから今更である。
『釣った魚の蘇生は可能!?責任なんてとりたくない!!』
『怪奇!!海岸、川辺で泣き、笑い、呻き、踊る男たち!』
…………うん。
混乱は、恐怖と好奇心を伴って極まったようだ。
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