忌醜狐様
ここはとある山間部にある、小さな村。今は誰も住んでおらず、廃村となった場所。しかし実は、十数年前まで人が住んでおり、ちゃんと村として機能をしていた。だが、この村のある県が、ここで起きた事を隠したのだ。
いったい、何があったというのか。
◇◆◇◆
その村は数十人程の人が住む、限界集落だった。
村の人達は皆家族。だからこそ、そこに住む人達はお互いがお互いの事を良く知っており、殆ど全ての事を把握しているほどだった。
そして、よそ者には警戒心を示す。外から移り住んだ人達には、かなり厳しい目を向ける程だ。ここで長く生活するには、余程村の人達に気に入られる以外、住む事は出来ないだろう。
その村の外れにある、小高い丘みたいな山に、ヒッソリと佇む社があった。
長く狭い階段の先に、荒れてボロボロになった鳥居が1つ。その先に例の社もポツンとあった。
手入れはあまりされていないようだが、それでも野ざらしにする訳にはいかないようで、修繕の跡等はある。
ただし、村の人達は誰一人として近付かない。
この社に入るのは、村から数キロ離れた小さな町にある、この社を昔から管理している神主のみだった。
要するに、そこは禁足地だった。
だから子供達も、皆親から口煩く言われている。そのはずなのだが、そこに1人の少年が現れた。
これが、後の悲劇の始まりであり、誰もが予想しなかった事になる。
「こ、ここが……禁足地。なぁんだ、普通の小さな神社みたい。寂れてるし、怖くもないや」
その場所には、鉄の柵が立てられていて、大人では登るのが難しいものになっている。
しかし、子供は身軽であり、頑張ったら割りと何とかなってしまうもの。少しの足場さえあれば、難なく乗り越えられる。少年は、その足場を家から持ってきていた。ビールを運搬する時のケースである。
ただ、これまで誰もそうしなかったのは、両親からも村の人達からも、口煩く言われていたのと、皆が忘れる程の昔に、今の少年と同じ事をした子が、重い罰を与えられた上に、家族諸とも村から追い出されたと、口伝で言われていたからだ。それが真実かどうかは定かではない。しかし、この話はセットで良くされていた。
それでも少年がこんな事をしたのには、ちゃんと理由があった。
「……何だか、変な感じ。まだ寒いはずなのに、何だか暖かいような感じもする。もう帰ろ。あいつらに言われた通りにしたんだ。証拠も撮れた。ビビりとか、古臭い家だとか、そんなの言いやがって」
どうやら、学校で何か言われたようで、度胸試しでこの禁足地に入ったようだ。そして、えもいわれぬ感覚を覚えた少年は、早々にそこから立ち去ろうとした。
そんな時、その声は聞こえてきた。
「なんや、こんな所に子供が1人。まぁええわ、ちょうどええ。そこの坊、ちょっとこっち来いや」
「ひっ……?!」
どこかの中から聞こえる、ちょっと聞き取りづらいけれど、それでも自分に話しかけてきているのがハッキリと分かる程の女性の声。
「なんでここに来たんや? あぁ、ええよええよ。分かるさかい。ふんふん、なるほどなぁ。度胸試しかいな」
少年の足はガタガタと震え、尿意まで一気にくる程の恐怖を感じていた。だってここにはーー
「だ、誰もいないはず」
「嫌やわぁ。ちゃんとおるえ。ほら、坊の後ろ。社の中や」
「な、なんでーー」
そんな所に。と声が出る前に、向こうが返してきた。
「ちょ~と神様同士のいざこざに巻き込まれてなぁ。閉じ込められてもうてん。ウチはか弱い守護者やのに……うぅ、もうほんま堪忍やぁ」
その後に、しくしくと泣いているような音も聞こえてきた。本当に、ただ手違いで閉じ込められているのか? と、少年にはそう感じとれた。
「悪いものじゃ、ないの? オバケとか、バケモノとか……」
「そんなやないえ。ウチはただの守護者、神様の守護者や。それやのに、こんな仕打ちは酷いわぁ。寂しいわぁ。せやから、坊。頼みがあるねん。この社の戸、開けてくれへんか?」
ゆっくりとだが、少年の恐怖は消えていっていた。むしろ、凄い者を復活させたとして、自分が誉められるかもしれない。とさえ、考え始めていた。
「わ、分かった。でも、開くのかな?」
恐る恐る近付きながら、その社の状態を見ると、かなりボロボロなのに、その戸だけはしっかりとした作りになっている。重そうな扉に錠前。更には札まで何枚か貼られている。こんなの、普通では開かないのでは? と思ってしまう。
「せやねぇ。札さえ剥がしてくれたら、こっちで何とかなるかも知れへん。ただその札、ある家系の者にしか剥がせへんねん。坊がその家系の血筋やったら、或いは……」
「やってみる!」
そう言うと、少年は社の目の前まで来て、その札に手をかけ、そしてーー
「あ、剥がせた」
一枚目をいとも簡単に剥がせてしまった。その勢いで、他の札も次々と剥がしていく。
その後、社の扉は錠前ごと吹き飛ばされ、中に封じられていたそれが、埃の舞う中煙のようにして出現した。
「あぁ、おおきにおおきに。坊は、あの家系の血筋やったんやねぇ。ウチを封じた奴の、その血筋なんやねぇ。偶然もあるもんやなぁ」
煙はもくもくと立ち上ぼり、ある獣の形になっていく。
それは、狐。ツリ目の狐だった。
「あ、あぁ……あ」
これはもしかしたら、良くないものだったのかも知れない。そう少年が思うが、既に遅かった。だが、その狐は少年の姿を見ると、慌てて姿を変えてきた。
「これは堪忍え。怖がらせてもうた。いや、久しぶりの外やさかいに、はしゃいでもうたわ。ちょっと待っときや。坊、思った以上に若かったなぁ。歳的に、十もいかないか?」
そして次の瞬間には、少年と同じ年頃の少女の姿があった。ただし、狐の耳と尻尾がある。
「うん。こないな感じでええかな? どうや、坊。これなら怖ないか?」
艶があり、腰あたりまである長い黒髪を靡かせ、綺麗に切り揃えられた前髪の下からは、狐みたいなツリ目が少年を見ていた……が、その目には殺意も何も無く、綺麗な瞳で少年を見ていた。
「…………」
それを見た少年は、ただ呆然とその少女を見ていた。少し、頬を赤らめながら。
「ふふ。かまへんみたいやな。助かったわ、坊。せやけど、この事は親には秘密やで」
「え?」
「驚かせたいんやろ? それなら、坊がもうちょい成長してからやな。親を見返すためにも、坊の言葉を親が聞いてくれるようになってからや。今はまだ子供やさかい、言ったところで聞かんと思うで?」
「……うっ。そ、そうだね。分かった! 秘密にしとく! その代わり、あの……」
「ん? あぁ、いつでも遊んだるし、坊の頼み事も、聞ける範囲でなら聞いたるで」
その狐の言葉に、少年は目を輝かせながら近付いた。
「それなら、お母さんみたいに、あの……甘え、させてくれたら……」
「ん? あぁ、ほうかほうか。坊の母親は、もうとっくに」
「うん。あのクソ野郎のせいで」
「そら辛いわなぁ。ほな、もうちょい大人の方がええか?」
そんな狐の言葉に、少年は黙ってうなずいた。すると狐は、またその姿を変え、今度はもっと大人の姿になった。
胸は大きめで、腰もしっかりとくびれていて、お尻も大きめ。女性が羨む理想のスタイルに近い。
顔も大人びていて、髪型は変わっていなくても、全く違う印象になってくる。
そんな狐の変化に少年は戸惑いながらも、頬を赤らめながらゆっくりと近付いた。
「ふふ。坊は命の恩人やさかいにな。何でもしたるで」
そうしてこの日を境に、少年は人目を盗んでこの狐に会いに行くようになった。
◇◆◇◆
それからどれだけの年月が流れたか、少年も成長し、次の春から中学に上がるという話が出てきた。
しかし、それはこの村には無い、遠方の方になってしまう。こうして、狐に会う時間も減っていくだろうし、通うのも困難になるだろう。
「なんで学校に行かないといけないんだろう」
思わずポツリと粒いた少年に、隣に座る彼女が目を丸くした。
「なんや、変な事を呟くんやね。勉学に励まんと、ええ暮らしが出来ひんのやろ? 人間は不便やと思うけど、その勤勉さが文化の発展に繋がっとんねん。必要な事やけど……あぁ、そうか。坊は、ウチに会える時間が減るのが嫌なんか?」
「なっ……! いや、そうじゃーー」
照れ隠ししながら言う少年に、彼女もニコリと微笑み返した。
「ウチも寂しいえ」
「……そ、そっか」
ソッと少年に寄り添うそれは、母のものなのか、それとも女としてのものなのか。色気のあるその瞳と言葉に、少年の心臓も高鳴っていく。
初恋。なのだろうか、と少年はこの時思っていた。
◇◆◇◆
その後、家に帰った少年に、父親がきつめの口調で切り込んで来た。
「お前、最近どこ行ってんだ?」
「え? いや、友達と遊びにだよ」
「どんな奴だよ。お前、分からないと思ってんのか? 最近、お前が学校終わりに何処かに行ってるのを、数人が見てるんだ」
これだから田舎は。と少年はゲンナリした。
こういう閉鎖的な田舎ほど、噂話が早い。女性と密かに会瀬等、あっという間にバレてしまうレベルなくらい、ここの村人達は深く親密な関係を築いていた。
「…………」
「その友達とやら、連れて来い。本当に居るならな」
その後、父親は数枚の札にサラサラと筆で何かを書き、ただ少年を一瞥した。
「中学出たら、こんな所出ていってやる!」
少年はささやかな抵抗を示すが、父親の表情は変わらなかった。
翌日。少年は出来るだけ周りを気にしながら、狐の女性の所にやって来た。
「どうしたんや? 坊。顔色悪いで」
いつもの様子で、彼女は少年に近付き、様子を伺ってくる。そんな彼女に向かって少年は、ポツリと呟いた。
「……しばらく、会えない」
「あら、そう。なんでや? って、聞くのも無粋やわな。あの村、そういう村やしなぁ。ほうか、感づかれたか」
「……だから、だから俺は嫌なんだ。こんな村なんか! 俺は中学卒業したら出て行く! その時、あんたも一緒にーー」
だが、少年がそう言い切る前に、彼と狐の女性の前に札が投げ込まれた。
「あら? きゃんっ!!」
その札から、稲妻のような光が発すると、まるで見えない壁で押したようにして、彼女を後方へ吹き飛ばした。
「……嫌な予感はしていんだ。お前、なんちゅうもんを起こした!!」
「え? え?」
社の入り口、階段の所に少年の父親が立っていて、険しい顔つきで狐の女性を睨み付け、そして同時に少年に怒号を飛ばせてくる。
「人を連れて来て正解だったが。果たして、また封じられるかどうか……もうだいぶ力が復活してるな。なんちゅう事してくれたんだ。お前、あぁ!!??」
「な、え……? 彼女は、守護者で、神様のーー」
「そう言いくるめらへたんか、素直な奴や。俺の言葉にも、そう素直に聞いてくれたら良かったのにな」
そう言うと、父親の後ろからゾロゾロと、神主の服を来た人達が現れた。どうやら、この村から離れた所にある、この社を管理している神社から、数人の助っ人を呼んだ様だ。
「さて、お前は大人しくしていろ。あいつはな、忌醜狐様や。人に災いと呪いをもたらす、悪鬼のごとき妖狐だ!!」
「……え? そ、そんな訳ーー」
そんな事あるはずがない。本人がそう言っているんだから、父親の言っている事は間違っている。
少年はそう思い、すがる思いで狐の女性を見た、するとーー
「あ~あ~時間切れやなぁ。ま、しゃ~ないわ。こない閉鎖的な村やと、せいぜい数年やろ。その間に、何とか運気を集め、ある程度の力を取り戻させてもろたわ。ギリギリやったわぁ」
ニンマリと口角を上げ、今までと比べ物にならない、どす黒い気を放つ妖狐の姿があった。尻尾の先は血のように赤く、目も赤く妖しく光る。
「あ、ひっ……うわぁぁああ!!!!」
今までの自分の行いに後悔するもりも何よりも、その妖狐が放つ異様な空気に、少年は一気に恐怖し、その場にへたりこんで後ずさった。
「くっ……今一度封じさせて貰う! バカ息子の行った事だ、俺が何とかーー」
そう少年の父親が言うも、忌醜狐様は全く怯むことなく、短い言葉を放った。
「ここの村人全部、腐って干からびとるなぁ。そこの坊以外は」
それを聞いた少年の父親と、後ろの神主数名が真っ青になり、慌てて札で結界の様なものを貼った。
「呪言術?! しかも、村全体にだと!!」
「全員で防げ!!」
そう叫ぶも、目の前の忌醜狐様は、全く無駄な事だと言わんばかりに笑っていた。
「ケケケケ。無理やでぇ。ウチのは特別やさかいに、そんなちんけな札では防げへんで」
「なっ?!」
「あっ!?」
「ひぃっ!!!!」
その瞬間、神主達も含め、少年の父親の身体も水分を失っていき、まるでミイラのように干からびていく。
更には、目や耳、鼻までもズルリと腐り落ち、身体も立っている事が出来ず、その場に崩れ落ちていく。
ただ一人、少年の父親だけはそんな状態でも仁王立ちし、忌醜狐様を睨み付け、何かの札を前に掲げていた。
「あらあら。頑張らはるなぁ。その札も、無意味やのに」
「……せめて、息子だけは……貴様の毒牙には……」
「あぁ、その札。坊にか。ええで、坊には恩があるさかいに、今回は見逃したる。その後も、ウチに関わらんかったら、何もせぇへんわ」
そう聞いた後、それでも少年の父親は口惜しそうな様子で、前のめりに倒れる直前、少年に話しかけた。
「すまんな……子への接し方は、分からへんかった。遠ざけてしまった……その、せいで……」
恐怖でひきつった顔をしていた少年は、それを見た後に目に涙を浮かべ始める。
父親が倒れ、ピクリとも動かなくなったのを見て、ようやく自分のやってしまった事を理解し、罪悪感と自らの嫌悪感で吐き気をもよおしていた。
「あ、ぁぁぁぁ……うげっ、うぅ。うわぁぁああんん!!!!」
そして、少年はその場で泣き出した。喉が潰れても構わない程に、それだけの強い悲しみと怒りが沸いてきていた。
「ふふ。ええで、坊。その絶望、運気を失った表情。好きやわぁ。ケケケケ。あぁ、村人も全員その状態で絶命してるさかいに。せいぜい、自分のやった事に後悔しながら、惨めに生きなされ」
「ああぁぁ!! ぁぁああああ!!!!」
「ほなな。もう二度と会うことはないやろうし、元気でなぁ~」
泣き叫ぶ少年に、忌醜狐様はそう言ってフワリと宙に浮き、そのまま空高く上っていくと、何処かへ飛んで行ってしまった。
空に響くのは、その妖狐の愉快でしょうがないとい
った笑い声と、少年の泣き叫ぶ声が交互に聞こえてくる。
村は忌醜狐様の言ったように、村人全員がミイラのようになり、顔のパーツは腐り落ちて絶命していた。
その異様な光景に、警察も県知事も、国民への詳細な発表を伏せ、ただ残忍な方法で村人全員が殺されていたとだけ報道した。犯人もその場で自殺したと誤魔化し、国民への恐怖を与えないようにした。
1人生き残った少年は、この事で心が壊れてしまい、保護しに来た警察に対して、言葉を発しなかったという。その為、児童福祉施設へと送られていた。
ただ、少年の目には復讐の炎が燻り出していた。いつか必ず、忌醜狐様を葬る。それが、自分の償いだと、そうハッキリと感じていた。
これが少年の、後に祓い屋として忌醜狐様の前に立った男性の、誰も知らない昔話。
◇◆◇◆
「あぁ、そうかそうか。ウチの復讐心だけで、心を保ってたんやな。折角、あんたの父親が生かそうとしていたのに。ふふ。まぁ、今更やな」
夕暮れ時、血の様に紅い鳥居の先にある境内の社前で、烏の身体に人間の頭をした異様な生き物を前にして、忌醜狐様はそう笑う。
その異様な生き物の顔は、あの時の祓い屋のものだ。烏の身体は、何処かで調達したのだろう。殺したのか、死んでいるのを回収したかは分からないが、その頭と体のアンバランスさで、バランスが取り辛そうにフラフラヨタヨタと歩いている。
「ウチはもっともっと、運気が欲しいんや。待ってるだけやと、なかなか難しいさかいに、そろそろえいぎょう? せんでんやったかいな? そういうのをしてくれる者が欲しかってん。せいぜい、たんまり働いとくれやす」
そう言い放つと、その人面烏はバッと羽根を広げて何処かに飛び立っていく。
「ほな、あとは待つだけやな。たんまり来てくれると嬉しいさかいに、あんじょう宜しくな。ケケ」
薄ら寒い笑みを浮かべ、夕暮れ時の薄暗い中に、彼女はすうっと消えていった。