祓い屋
暖かな日差しが続く中、つば付きの帽子を目深に被り、パーカーフードも被って、少し暑そうではないかと思う格好をした男性が、街中を何かを探しながら歩いていた。
先日から、この街で怪奇な事件が起き、人が死んでいた。それは他人からしたら、何て事はない普通の不幸という感じだが、どうやらこの男性だけは違うようだ。
「……やっぱ、動いてるな。忌醜狐様」
そう呟いた男性の言葉は、あの妖狐に対して何かを知っているようだった。
「あのラーメン屋も燃え、店主が死んでる。忠告したってのに……ったく。誰も信じねぇ。忌醜狐様は危険だ。このまま放っておくと、この国自体がおかしくなる。いや、もうなってるのか……」
帽子の奥から覗く瞳は、その妖狐に対する強い憤りと、哀しみと、何としても倒さないといけないという、決意の目だった。
「神社だ……どこかに発生している、見覚えのない神社。それを探さないとだが、恨みを持ってないと現れねぇんだよな。くそ……」
その恨みも、ちょっとやそっとのものではなく、とても強い、殺意の籠った恨みじゃないと無理だった。
男性も、その妖狐に強い恨みはあるようだが、あの妖狐自身が恨みの対象では、神社は現れないようだ。
だがしかし、その妖狐と何らかの関係性を持っていれば、その神社は現れるのかも知れない。
何週間も探し回った男性は数日後、その神社の前に立っていた。
「……は、はは。嘘だろう。何の条件で……いや、良い。このとてつもない威圧感、神社の形、何もかも当時のままだ。見つけたぞ……必ず俺が、祓ってやる」
意を決した男性は、その神社の階段を上がる。一歩一歩と。
しかし、足が重い。
このあまりにも強力な威圧感と、凝り固まった負のエネルギーの強さ、大量にひしめく怨念達の恨み。
男性はそれを過去に感じたのだろうが、その時以上のものに、流石に恐怖心が沸いていた。
自分はこれで、死ぬかも知れない。戦いを挑んではいけない相手なのかも知れない。
それでも、ケジメは付けないといけない。そんな感じの面持ちで、男性は階段を上がる。
そして、その先の鳥居を潜り、本殿へと向かっていく……と。
「ようこそ、お参り下さいました」
後ろから、女性の声が聞こえてきた。その瞬間、男性は目を見開き、その後にゆっくりと両目を閉じた。
「あぁ、その声だ……間違いない。探したぞ、忌醜狐様」
「はて? なんや、恨みを持った人とちゃうんか? いや、恨みはあるなぁ。私に……か? あんたはん、何者や?」
そう言われ、男性はゆっくりと振り向いた。つば付きの帽子を取り、パーカーのフードも取って。
「忘れたか? まぁ忘れるだろうな。佐々村のーー」
「あ~! あの時の坊か? いやぁ、大きくなってからに~」
男性が喋り終える前に、その彼の容姿を見た妖狐が、思い出したかのようにして、笑顔を向けながら言った。
「それで、何の用や? まさか、親父さんの意思を継いで、私を祓いに来たんか?」
だが、その後に一転、殺意の籠った表情に変わり、気持ち悪い程の怨念のオーラを彼に飛ばした。
それに一瞬怯んだ彼だが、この妖狐の恐ろしさは、幼い頃に身をもって体験していた。自分の住んでいた集落が一夜にして崩壊し、人々が恨みを叫びながら殺しあう風景を目の前にし、空に浮かび、眼下のその光景を恍惚な表情で眺め、笑っていたその妖狐を。
「……これは、けじめなんだ。考えなしだったガキの頃、俺の犯した罪を償いための……けじめなんだよ」
「ウフフフフ。坊があの時、私に一目惚れして、色々と助けてくれたさかいなぁ。おおきにやでぇ。せやけど、もう要らんねん」
「くっ……そうやって、俺を弄びやがって!」
ケラケラと笑う妖狐を前に、その男性は恐怖よりも、怒りの方が勝って来ていた。こいつを放っておいてはいけない。ここで自分がなんとかしなければ。という強い思いを胸に抱き、男性はズボンのポケットに手を入れた。
「あの時、お前の言葉を聞かなければ。お前に会っていなければ……!! 俺は……!!」
「私の封印を解いてしまったこと、そないに気にしてはるん? もう忘れたらええのに。私は、恨み持つ者の前にしか、姿を現さへんで」
「それがどれだけ危険なのか、分かってんだよ。この国は――」
「せやねぇ。恨みで塗れとる。それこそ、この国を取り仕切ってる、先生言われて鼻高々になっている方達も、恨み塗れやしなぁ」
それだけでも、自分はずっとこの国で美味しい思いが出来る。妖狐はそれを考えるだけで、気がどうにかなってしまいそうな程、優越で、悦楽で、たまらなくなってしまう。妖狐の顔がにやけて崩れていく。
「あはぁ……せやから、私は私でいられるんや。そこはほんま、感謝しとるでぇ、坊。こないにええ世界で封を解いてくれて」
「だけど、それも今日までだ!! お前を祓う! もしくは、また封じさせてもらうぞ!」
男性はそう叫ぶと、ポケットから数枚の札を取り出し、妖狐に差し向けた。そこには草書体で文字が書かれており、このような化け物や怨霊等を封じ込める事が出来るものだった。
それがしっかりと、妖狐に向けられていたら……だったが。
「おや? どうしたんえ? 手が腐り落ちとりま。大丈夫かえ?」
「え? あ……あぁ? あぁぁぁ!?」
この妖狐に、こんな能力はなかったはず。
男性はそんな表情をしながら、差し向けた右手が腐ってただれているのを見た。見た瞬間に激痛等も脳を走り、同時に男性に苦痛の叫び声を上げさせた。
「はぁ、はぁ……幻覚? あぁ、そうだ。幻覚の類か……くそ!」
それだけの力を、この妖狐は身に着けていた。
他社の幸を吸い上げ、それを己の糧にする。今まで吸い上げた分から、ある程度強力になっていると考えていたのだろうが、ここまでの事は男性にとって想定外の事だったようだ。
「あらら。あきまへんえ、早う逃げな。あぁ、そんなボロボロの足では、よう逃げられんわなぁ」
「は? え? うわぁぁぁぁ!?」
今度は足。それも、交通事故にでもあったかのような程に、骨が突き出て剝き出しになり、一部は皮も肉も削げて骨が見えていた。もちろん、変な方向に折れ曲がっており、今までに経験したことのない激痛が走る。
「あぁっ……あぁぁ……ちくしょ、こんな幻覚ごとき……臨・兵――」
激痛で倒れこんだ男性は、とにかく落ち着くためにと、精神を落ち着かせる言葉を唱えようとするが……妖狐はそれを見て、またにんまりと笑みを浮かべる。
「あぁ、それは意味あらへんで。これは幻覚とちゃうさかい」
「はっ? あ?」
その妖狐の言葉に、男性は困惑の表情を向ける。幻覚ではないとすると、これは全て現実。自分の身体に起きている事も、この痛みも、すべて現実。
その途端、男性の頭に死の恐怖が襲って来る。自分なんかでは太刀打ち出来ない、強力な呪術だと悟ったのだ。
「言霊に……神霊を宿して、呪詛に……」
「正解やでぇ、坊。本来なら、ちゃんとした儀式がいるんやけれど、言霊に宿せば、簡単に済ませられるんやでぇ。私のは、言った事がそのまま呪う相手に反映するタイプや。その分、ちょっとばかし力をよおけ使うさかいに、日に何回も出来んけど……せっかく来てくれたんやさかい、出血大サービスっちゅーわけや」
「ひっ……うぅ」
その声を、その言葉を聞いただけで、あっさりと呪われてやられてしまう。つまり、対峙した瞬間に決まっていたのだ。自分が死ぬことは。
だけど、せめてもの抵抗で、男性は耳を塞いだ。要は、その声と言葉を聞かなければいいのだ。だが、耳を塞いだはずの男性の耳には、妖狐の声が響いてくる。
「そんなことしても無駄やで。呪いやさかい、骨から伝わり脳髄に染み、耳の奥から響き渡るんやでぇ。おぉ、怖い怖い。そんな睨まれても、首落ちとるで」
もう男性には、それくらいしか抵抗のしようがなかった。キッと睨みつけるも、男性のその表情は、そのままストンと下に落ちた。
「クスクス。言うたやろ? もう坊は要らんねん。邪魔するなら駆除するだけやで。あぁ、でもそやなぁ。貴重な人材や、このまま使わせてもらおか。丁度、動ける人手が欲しかってん」
地面にゴロリと落ちた男性の頭部を拾うと、妖狐は思案しながら言った。
そして、男性の首を持ったまま妖艶な笑みを浮かべると、チラリと後ろに視線を向ける。この状況を眺めていた、この私達に向けるように。
「そろそろお暇した方がええんとちゃうか? 今の所危害は与えれんけど、こうやって幸を集めていけば、あんたはんらにも届く程の呪いを、お見舞いできるかもしれへんでぇ。それでも見たいというなら、どうぞお好きにしなはれ。フフ、ウフフフフ」
男性の頭部だけを持ちながら、妖狐はケタケタと笑い、社の中へと消えていく。