インターネットの闇 下
繁華街で、感染症の拡大と戦いながら、一生懸命商いをする一軒のラーメン屋には、今日も沢山の常連客が訪れていた。
「ごちそうさん! ここは潰れんといてな!」
「ありがとうございます! あ、らっしゃいませ~」
「テイクアウトお願いします~」
「はい、かしこまりました。メニューをどうぞ」
テイクアウトも始め、出前をする業者に登録し、アプリにて出前を取って貰う。やれることは全てやった。
ここの店主は、周りの飲食店が潰れていくのを見て、自分はそうはならないようにと、必死になっていた。それでも、客足は遠退いている。
まだ小さな子供が居る。妻も居る。自分が頑張って養わないと、この2人は……そんな思いを抱いていた。
アルバイトだって雇っている。人件費も、家賃もある。何としても稼がねば。市からの要請で、夜は営業が出来ない時もあった。それで支援金があっても、微々たるもの。中には、1日の売り上げがそれ以下で、支援金で懐を肥やしているものもいる。
不平等さに歯軋りをしながらも、それでも彼は常に最高のラーメンを作り続けた。
「ごちそうさん。あっ、そうだ。あんた」
その時、カウンター席の男性がそう言い、厨房に居た店長へと声をかけてきた。
「はい?」
「あんた、呪われてるぞ。早く何とかしないと、近々大変な事になる。俺が知り合いの神主を紹介してやっても良い。あとでここに電話してくれ」
その男性は、つば付きの帽子を被り、サングラスをしていた。マスクもしているため、どんな男性かは分からない。だが、初対面でいきなりそんな事を言うのだから、怪しいのには違いなかった。
「はぁ……」
突拍子もないことに、店長の男性は返事が出来ず、そう声を漏らすしかない。
そして、その男性もその反応をして当然と思っていたのか、そのまま席を立ち、電話番号の書かれたメモを机に置いた。
「まぁ、最初は信じられないだろう。だから、おかしな事が起こり始めたら、直ぐに連絡してくれ。放っておいたら、大変な事になりそうだ」
そう言って男性は店を後にした。
「店長、さっきの人……」
「あぁ、あんな人は沢山居るからな。そのメモ、捨てといて」
「は~い」
店長はアルバイトの女性にそう言うと、再び業務へと戻った。
◇◆◇◆
その日も、売り上げの計算を追え、店長の男性は車を運転し、帰路へと着く。
やはり、売り上げの低下は日に日に増えている。このままでは、いつかは店を閉めなくてはならない。
「くそっ!」
有名店にバイトで入り、そこの店で修行をし、5年かけて自分の店を出した。口コミの評判からテレビで紹介され、一時期の売り上げは月何十万といくほどだった。
それが今や、月何万か程度にまで落ち込んでいる。このままでは、せっかく建てた家のローンも払えそうにない。破産する。
ただ、家族の前では、暗くなってはいけない。
男性はそう決めており、家に着く頃にはにこやかな表情を作り、車をガレージに止めて玄関を開けた。
「おかえり~! パパ~!」
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
出迎えてくれたのは、今は一番の宝物となっている、5歳になったばかりの娘。そして、いつまでも綺麗なままの妻だ。
「パパ~ミキちゃんのドラマ始まっちゃうよ~ギリギリ~」
「ごめんごめん、お店の片付けをしていたら――」
「いっつもそれ~はい、こっち~パパごあんない~」
「おっとっと」
「はいはい。あなた、ご飯は?」
「何かあれば食べるよ。なければ自分で――」
「あるわよ。あなた、ラーメンばかりになっちゃうから、ちゃんと私が作ります」
「悪い……」
健康面を心配してくる妻。確かにここ最近、お腹が出てきてしまっている。ラーメン屋をやる宿命なのだろう。そう諦めているが、妻は諦めていない。
「ほら、ミキちゃん出るよ~!」
そして、娘はリビングのソファへと座り、テレビを点ける。そこには丁度、ドラマのオープニングが流れ始めていた。
映っているのは主演の女優、川岸美紀。奈津柰と友人関係にあり、共演もしていた女優である。素朴ながらも、どこか親近感の沸く彼女も、有名な女優となっていたのである。
「本当に、美紀が好きなんだな」
「うん、だいすき! パパもでしょう?」
「というか、あなたの影響でしょうね」
「はは、参ったな~」
家族の和気あいあいとした雰囲気の中、男性は苦笑いしながら頭を掻いた。
そう。男性の方が、この女優の熱心なファンである。ファンだからこそ、ここ最近の色々な出来事に、あまり心が穏やかではない。店の売り上げも然ることながら、この女優と仲の良かった、奈津柰という女優の自殺。そこから起こるスキャンダル。ネットでの誹謗中傷が原因とされ、テレビで日々取り上げられていた。
そこには、美紀が自分のファンを煽ったのではないかという、陰謀説まで出ていた。
もちろん彼女は否定しており、事務所も擁護に走る。そんな事が、ここ数日繰り広げられていては、あまり穏やかではない。
「ミキちゃん大丈夫かな~?」
娘は純粋に、彼女を心配していた。
「大丈夫……大丈夫だ」
「あなた?」
「……何でもない。ちょっと部屋で、限定ラーメンの案を考えるよ」
「また? こんをつめないでね」
「ありがとう」
男性が何やら呟くと、それに気付いた妻に声をかけられ、いつものように会話をして自分の部屋に向かった。
暗い部屋に明かりを点け、パソコンの前に座ると、それを起動させ、自分のSNSと掲示板を探る。
「大丈夫……大丈夫だ。いや、というか……俺のはもうずいぶん前だ。関係ない、俺のは関係ないさ。というか、あれくらいで自殺するなんて、心が弱い証拠だ。そんな奴を応援していた奴等も、どうかしている。あんな、したたかな女なんかな……」
そう言うと、男性はキーボードを打ち、今も炎上を続ける女優美紀のSNSを見て、彼女を応援するコメントを書き込んだ。
「大丈夫……そう、俺はただ、君が頑張っていてくれたらそれで良いんだ。俺が悩んでいた時、君の笑顔に、演技に救われた。店を続けられた。君は女神なんだ。愛とかそんなんじゃない、女神だ……だから、そんな女神を叩き落とした奈津柰は、裁かれて当然だ。そう、天罰だ」
どうやら、この男性も奈津柰の誹謗中傷に加担していたらしい。というよりーー
「最初はそこまでじゃなかったが、あの件をきっかけに一気に燃えたな。良いね……俺がやらなくても、結局こうなってたよ。許されなかったんだよ。お前はな、奈津柰」
この男性が、誹謗中傷の第一声を上げたようだ。
最初はそれ程でもなかったが、例のドラマの交代の件から、彼の放った火種にガソリンが放り込まれたのだ。
「ふふ、くく……わざわざ顔まで出して、一生懸命に誹謗中傷する奴も居る。本当、おかしな奴等だ。そのおかけで追い込めたがな。芸能界から追い出そうと思ったが、これでも問題ないな」
一通り確認した後、男性は満足し、今度はグルメサイトの方の確認を始めた。
今やネットでの口コミサイトこそが、生き残る唯一の術だ。その為、そういうサイトも毎日のように確認している。
そして彼の店は、だいたいレビューの評価も良く、平均で星4つが付いていた。
ただその中に、事実無縁の言いがかりをしてくる者もいる。
「あ~また星1を。暇だな、こいつら」
その下には、辛辣なコメントが並んでいた。
「無視無視。ったく」
そうして男性はパソコンを閉じ、再び家族の待つリビングへと向かった。
◇◆◇◆
それから一週間後、男性は自宅のパソコンの前にかじりついていた。
原因は、自分のラーメン店に対しての、いわれのない誹謗中傷が大量に始まったからだ。
それこそ、逆恨みに近いようなものもあり『この店の味は○○店のパクリだ!』『スープに虫を煮出したものを使ってるぞ!』等々。最初は放っていたが、次第にエスカレートしていき、面白半分にこれを広げるものまで出始め、収拾が付かなくなっていたのだ。
「ふざけるな、ガキ共。その○○店は、俺が弟子入りして、暖簾分けを許された店だぞ。味が似かよるのは当然だろうが」
そういう事実を送信しても、何故かそれを上回る量の、新たな誹謗中傷が書き込まれてしまい、流されてしまっていた。
「くそくそ……! 証拠もないのに、人を陥れて何がたのーー」
必死にキーボードを打ちながら悪態をつく男性だが、ふと脳裏に過ったのは、自分も同じことをしていたということ。
これは……罰なのか? 男性がそう思うも、事態はもう自分の手では収められそうも無く、ネットに投下された火は、消えること無く燃え続けていた。
そして数日後、極めつけの動画が投稿される。
それは、男性の別店舗のラーメン店での映像で、そこには鼻をほじりながらラーメンを作っている、アルバイト店員の姿が映っていた。
「ふ……ざけんな!!」
当然、翌日には直ぐ解雇にしたが、それでもそのような店員を雇っていたとして、男性のラーメン店への誹謗中傷は収まるどころか、ガソリンを放り込んだかのごとく、激しく燃え広がった。
◇◆◇◆
更に数ヶ月後。
男性は、幟を下ろしたラーメン店の中で、椅子に座り呆然としていた。
ただ誹謗中傷されただけで、ここまでの事になるのか? 何かがおかしい。そう思っていても、もう男性には何をする事も出来なかった。
1ヶ月程で書き込みは収まったが、去った客を引き戻す事は叶わなかった。
「……なんで、なんでこんな……ひ、はは……はははは。はははははは!!!!」
男性のラーメン店には客が来なくなり、売り上げが無くなった。
妻は子供を連れ、実家に帰り、しばらくは応援してくれていたが、つい先日、離婚届が届いた。妻の手紙も一緒に。
『このまま、あなたと一緒に破滅する訳にはいかないです。ごめんなさい、あなたの情熱が好きでしたが、今のあなたは、燃えカスのようになってしまい、ただお酒を浴びるように飲むようになりました。暴力を振るわれる前に、私は去ります。さようなら』
「くっそ!!!!」
お酒の缶を放り投げ、手紙をぐしゃぐしゃにすると、男性はもう一個お酒を取り出し、それを飲み始めた。
全ての店を閉店し、家族も失い、男性は何もかもを失った。しかもそれは、奇しくも自分が行った行為そのもので。
「なんで……だよ。俺が何か悪いことをしたのかよ……」
暗い店内で、男性はポソリと呟くと、それに反応するかのようにして、女性の声が脳に響く。
『奈津柰!! 奈津柰ぁあ!! 何でよ、誰よ! 奈津柰をここまで追い詰めた奴は、誰よぉぉお!!』
「…………」
それは白昼夢なのか何なのか、男性の目の前に、その時の光景がありありと浮かんでくる。
「そうか……自分は、そこまでの事をしたのか……」
ただ、それに後悔したとしても、もう遅かった。誹謗中傷等、誰の得にもならないことを、男性は改めて知った。
知った上で、男性はタバコを床に落とした。
ガソリンの臭いが漂う、店内の床に。
「こんなので、罪滅ぼしにはならねぇわな……あぁ、でも。俺も、もう……疲れちまったよ」
暗い店内に真っ赤な明かりが灯る。くたびれた男性の顔を照らし、復讐の炎は男性の身を包んでいった。
◇◆◇◆
「さてさて、あの女性には伝わったかの? ふふ」
消防車が燃える店に集まっているのを、上空から眺めながら、黒い巫女服に身を包んだ妖狐が嗤う。
「あぁ、せやけど。その女性も、たった今命を絶ったようやな。自分の恨みが成就しても、その後の未来を生きる気は、端から無かったようやな~構へんけどな。今回は、他の方から運気を取らせてもろたさかいに」
そう続ける妖狐は、スッと手のひらを上にし、そこに手鏡のような、とても古そうな鏡を取り出した。
「あんたはんらは、見たいんやろ? この者達がどうなったか」
こちらに背を向けながら、妖狐は続ける。
そこに映っていたのは、遊び半分で、奈津柰の誹謗中傷に加担した者の、その哀れな最後の映像だった。
1人は、詐欺まがいの事に加担し逮捕。
1人は、無謀な運転をした友達と共に、交通事故で他界。
1人は、余命宣告を受ける程の、進行した癌が発見された。
1人は、味をしめて、誹謗中傷を繰り返し、それがバレて相手側から多額の慰謝料を請求され、路頭に迷う程になった。
1人は、医者だったが、些細な事で医療ミスを起こし、隠蔽をしたが、明るみに出てしまい、そのまま遺族に訴えられた。
1人はーー
と、次々と不幸な目に合う人々が、入れ替わりで映し出される。
「言葉と言うんは、呪いのようなものでっせ。どんな言葉でも、気持ち次第で如何様にも変容する。厄介な呪術のようなもんや。それを、うさを晴らすだけで使うような人達は、人間とちゃうんやで。人間とちゃうなら、ちゃぁ~んとぶた箱に入らんとなぁ。しかも最近は、いんたーねっとなんか出回っとるが、余計に言葉が型になってしまい、如何様にも変容しやすくなっとる。要は、受け止める側によっては、ただの単語が呪いに変わるんやでぇ」
そう言うと妖狐は、鏡を片付けようとするーーが。
「あぁ、そやそや。それで言うと、一番人間や無いんは、あの子やったなぁ」
そう言って、妖狐は次の人物を鏡に映し出した。そこに映っていたのはーー
「はぁ~今日も疲れた~あ、皆からコメント来てる。ありがとう~って、家でも純朴なふりしてどうするのよ。これ疲れるのよね~でも、こっちの方が売れるのよ。ウフフ」
したたかな笑みを浮かべる、川岸美紀の姿だった。
「ん~? また私の批判~? ウッザイなぁ、○ね。送信~あはははは~これ別垢だし、お姉ちゃんにも協力して貰ってるし、私だって事はまずバレない~! あ~憂さ晴らしには持ってこいね!」
テレビで見せるような、純朴な女優の姿等、そこには微塵もなかった。髪をふりほどき、服を乱雑に脱ぎ捨て、パソコンの前で悪態をつくその姿は、正に悪魔そのものだった。
「あの女も死んだことだし、清々するわ~あんな、ルックスだけの不細工女、横に居るだけでもウザかったのよ。友達のふりしているのも疲れていたのよ~」
よほどストレスが溜まっているのか、誰もいない部屋で、1人そうやって呟いている。
「だ・か・ら。誹謗中傷が起きた時は、ラッキーって思ったわよ。ウフフ、手伝って上げたわよ。あなたが、地獄行きの列車に乗るのをね~あは、あははははは! あ~だからさぁ! あのマネージャーもそうしてやる! いちいちグチグチグチグチと、ウザいウザいウザい! あ~ウザい! どっかに殺し屋さんは居ないかしら~? な~んて! あはは!!」
その映像が映った後、妖狐は鏡を片付けた。
「これは、その者の深層にある姿をも映し出すんやで。今、あの子はただパソコンの前に座って、無言で画面を見ていたんやけれど、心の中ではこう思っとるちゅ~わけや」
そう言うと妖狐は、フワリと空へと上がっていき、夜闇の中に消えていく。
「今回は、本当に完璧に隠していたさかいに、恨みの対象としてなかなか見つからんかったけれど……はぁ、臭いなぁ。私は、そんな臭い人が好きやわぁ。ウチの神社に来てくれんかしら? そうしたら、タップリと運気を吸ってやりまっさかいに。ウフ、ウフフフ」
大きなしこりが残ったまま、妖狐は消えて行った。
ただ、この女優も長くはないだろう。
彼女の家の近くで張っている、マスコミ関係者の貪欲な程の、スクープへの熱情があれば、彼女は叩かれ、業界から干され、みすぼらしい姿で年老いて、誰にも知られずに孤独死をする未来が、見えなくもなかった。
それは、あの妖狐が置いていった、最後の置き土産なのかもしれない。