インターネットの闇 上
その日も、例の神社の妖狐は、鼻歌交じりに境内の掃除をしている。
「まだまだ落ち葉の季節じゃないんやけど、こうも落ち葉が多いと、焚き火でもしたくなりますな~まだ緑やさかい、煙ばっかり出るやろうけど」
こんもりと小さく纏めた落ち葉を見て、秋の枯れ葉を集めた焚き火が思い出される。しかし、それはまだ数ヶ月先の話である。
その時期を待ち遠しく思いながら、妖狐は境内を綺麗にしていく。しかしここは、恨みを晴らす神社。今はどこにあるかも分からない……が、また街中の住宅街に出現しているようだ。
「ふふふふ……まだ見てはるの? もういい加減止めなはれ。ええことなんて、1つもあらへんで」
そしてチラリと上を見上げ、この物語を見ている者達へと語りかけた。
だが、見た以上は最後まで見届けなれば、逆にこちらが恨まれる可能性がある。だから――
「そんな事はあらへんで。そちらとこちらとでは、世界線が違いますさかい。呪術は届きまへんで。よっぽど強い恨みやないと……な」
最後に余計な一言を付け加え、ケラケラと笑いだす妖狐を見て、うすら寒いものを感じる。
しかしその後、その境内に人が入ってきた事で、妖狐はその表情を変え、柔和な顔つきになった。
また、恨みを持つ者がここにやって来たようだ。
「ようこそ、お参り下さいました」
その人物に、妖狐は声をかける。当然、尻尾と狐の耳はない。
「……あ、すいません。ここは……?」
その人物は中年の女性。40代も半ばくらいに見え、目には酷い隈を携え、髪の毛もボサボサである。
目付きはもう、この世の終わりのような感じで、その瞳に色はなく、濁っていた。
「ここは、はらい主のおわす神社や。あんたはんの恨みを、払ってあげるで」
「そんな神社……こんな所にあったかしら……いえ、良いわ。恨みを晴らしてくれるなら、どんな場所でも……」
「なんや、のっぴきならない事情でもありそうやな」
恨みを晴らす場所と聞いた瞬間、その女性の目付きは代わり、とても強い殺意と憎しみの籠った目になった。
よほど強い恨みを持っている。それだけで、妖狐はむしゃぶりつきたくなるような衝動に駆られている。それを何とか押さえつけているが、今にもニタリと笑いだしそうである。
「どうすれば良いのですか?」
「……おっと。簡単や。お賽銭の額でかまへんし、それを納めてこの絵馬に書くんや。憎い相手をな」
「はい」
「おおきに」
なんの迷いも無く、その女性は財布から五円を出し、目の前の巫女に渡す。そして受け取った赤い絵馬に、スラスラと名前を書き出した。
「これで良いかしら?」
「どれどれ……ん? これは――」
受け取った絵馬を見て、妖狐は言葉を失っている。いったいどんな人物の名が――と思ったら、その絵馬に人物の名前は書かれていなかった。代わりに――
【奈津柰を誹謗中傷し、自殺に追いやった者達】
――と書かれていた。
「……これ、相手が誰か分かってへんちゅ~わけやな」
「えぇ……そうなの」
「そうでっか。何があったんか、良ければ聞かせてくれへんか? そうすれば、この見えない相手にきっちり恨みが届くかも知れん」
巫女の言葉に、その女性はうつ向きながら淡々と話し出した。
そうすることで、少しでも相手に恨みが……また、自分が多少でも楽になれればと、そう思いながら。
「奈津柰は小さい頃から、女優になることが夢でした」
◇◆◇◆
中学の頃、自殺した女性はクラスの中心的な存在だった。
皆を盛り上げる事、クラスで出し物をやる時も、率先して皆を纏める役をやり、演劇などではどんな役でも良いと、主役以外もやっていた。しかも、その頃から演技力は抜群だった。
小学校の頃、学芸会でヒロインをやってから、自分は演劇をするのが好きなのだと気付き、その時から夢は女優になっていた。
高校に上がった頃、劇団に入るため、その練習を自宅で沢山やった。母であった女性は、娘の夢を応援し、そのバックアップをして上げていた。
ただ、父だけはあまり乗り気ではなく、芸能界の厳しさ、また悪口や言われのない中傷の危険性から、娘に女優をやらせるのには、少し反対な部分もあった。しかし、娘の熱意に押され、それ以上は特に何も言わなかった。
「お母さん! 私、劇団のオーディションに受かったよ!」
「本当に?! おめでとう、奈津柰! 夢に一歩前進ね」
「うん! ふふ。劇団でずっと演技してても良いけど、やっぱりテレビに出て演技したいな~全国の人に見せるのって、スッゴく楽しそう~」
彼女は、ドラマ等は常にチェックし、演技が上手いと思った女優の事はずっと見ていた。ドラマの中身ではなく、演技をする女優をつぶさに見るのは、決して多くはないだろうが、その熱意は確かに本物で、その分の演技の勉強も練習も、普段の学業の合間にやる程、夢に向かってがむしゃらだった。
そんな彼女が劇団のオーディションに受かったのは、当然の事であった。
それでも父からは、売れるかどうかは博打だと言われ、大学には通うように言われた。彼女もそれは受け入れ、受験勉強にも手は抜かなかった。
大学に受かり、劇団にも入れ、忙しい日々を過ごす中、彼女にドラマ出演のオファーが入る。
実は彼女の美貌も、高校でも指折りの美少女であり、告白されることは日常茶飯事。もちろん、劇団に入ることに全力だったので、全て断っていた。
そんな彼女の美貌に、芸能事務所が目を付け、ドラマに出ないかとオファーを出した。
「お母さん、やった……やったよ! 私、ドラマに出られる! ふふふふ。やっと、夢の1つが叶った!」
「おめでとう奈津柰。いっぱい頑張ったものね。今日はお祝いよ!」
その日は、おそらくこの家族にとって、人生で1番の幸せな時だった。
そして、ドラマの端役でも、彼女は全力で取り組んだ。
そんな彼女の姿勢に、他の監督は大層感銘を受け、少しずつだが、彼女は重要な役柄をやらせて貰えるようになっていった。
大学を卒業する頃には、大河ドラマのヒロイン役に大抜擢される程に、彼女の女優としての輝かしい未来は、一気に幕を開けた――かに見えた。
女優として、バラエティー番組に出るようになった頃から、チラホラと彼女への批判等が出始める。
それは本当に他愛ないもの。
愛想を振り撒く彼女を見て、作り物の笑顔だと、彼女を気に入らない何者かの、ネット掲示板への書き込みが始まる。
しかし当初は、彼女の抜群の演技力等から、大半の人達は相手にしていなかった。
だが、彼女を大々的に売り出したい芸能事務所は、彼女の主演ドラマが決定した時に、彼女に主題歌を歌わせようという話になった。
女優になるため、ありとあらゆる可能性から、歌のレッスンもやっていた彼女は、その仕事を受け、しっかりと歌の方も綺麗な歌声を疲労した……が。何故かここで、彼女の批判的なコメントが爆発的に増えていったのだ。
先にその批判的な言葉を見つけたのは、他でもない、父だった。
彼女の父は、こういう事があるかもしれないと思い、もし問題になっ時の証拠として、そのサイトのアドレス、書き込みの中身等を、しっかりと保存していたのだ。ただ、2人にはそれを見せずにいた。余計な不安は良くないのと、こういうのは無視するのに限るのは知っていた。
だが、決定打となる出来事が発生した。
彼女は、別の事務所の同い年の女優とも仲良くなっていたのだが、そちらの方が今一つ売れていなくて、相手の事務所的には抱き合わせて売れるようにならないかと、奈津柰の事務所に色々と言われていたの――だが、それを週刊誌がキャッチ。
そこまでは良くある事で、週刊誌的には微妙だが、売れないその女優の方が、次の朝ドラのヒロインに抜擢された時、何故かしばらくしてから、そのヒロインを奈津柰の方に変更する事件が発生。
週刊誌はここぞとばかりに盛り上げた。
『女優の奈津柰。友好関係にあった女優○○に、朝ドラヒロインを取られ報復!!』
そして大炎上。
ネットは日夜、奈津柰とその女優との話題でひっちゃかめっちゃかになっていた。
これの真相は何て事はない些細なことで、朝ドラのヒロインが決定した後、この女優は昼ドラの別のヒロインの方が、役柄的には適していると判断され、監督の方からの変更があったからなのだ。そんな事は本当に稀なのだが、最終決定前に、メディアに漏れてしまった事が問題だった。
事務所側の問題。にも関わらず、事務所がそれを説明する前に、週刊誌の方が取り上げてしまったのだ。
「なんなんだこれは!!!!」
「酷い……誰がこんな。事務所は対応をしてくれているけれど……全く消えないじゃない……」
当然、奈津柰の家族もそれは目に入る。奈津柰の母の目にもそれは入った。
挙げ句、彼女のSNSには、毎日のように誹謗中傷が入っていた。父は、奈津柰にアカウントに鍵をかけるように良い、SNSを見ないように伝えた。
だが、それでも炎は収まらない。
それだけ奈津柰は売れた。それだけ奈津柰はドラマの顔になった。それだけ女優として成功した。
それが、裏目に出た。
「奈津柰。大丈夫? 最近疲れてない? 何なら、少し休みを貰って――」
「お母さん、大丈夫。私は大丈夫。人気者って、陰口を叩かれるからさ。学校でもそうだった。慣れてるよ、こんなものは」
彼女の母は、毎日奈津柰を気にかけていた。心のケアとフォローをしていた。だから、まだ頑張れた。
しかし遂に、動画サイトでこんな動画まで出始める。
『奈津柰は○んでどうぞ』
『クソ女優奈津柰の最低な言動とその証拠』
『奈津柰を芸能界から追い出そう』
それは一部で広がりを見せ、父が見つけ、母の目にも入る。
「訴えるわよ、あなた! これはいくらなんでも酷すぎる! 番組で言った言葉を繋ぎ合わせて、捏造したのまであるじゃない!」
「分かっている。警察が動くか分からんが、被害届けだ。それと、お前は奈津柰のフォローだ。心のケアをしろ。最悪、芸能界からも――」
「分かっているけれど、あの子の夢を……もう1つの夢を、叶える為の――」
「ハリウッド女優。大きく出たが、もう無理だ! これ以上はあの子の心が壊れる! そうまでして居たいのか、芸能界に!」
薄暗いリビングでは、奈津柰が仕事中に、こういう言い合いが飛び交っていた。それでも母、最後まで奈津柰の夢を叶えさせて上げようとした。
「そうまでして芸能界に居させたい理由が分からん! 金か? あいつの稼ぎは相当になっている。それでか!?」
「違うわよ! なんでいつもいつも、あなたはお金お金って。あの子の夢の為って言ったでしょう!」
「その為に、あの子の心が壊れてもいいっていうのか!」
「そうじゃないわよ! 被害届けを出して訴えれば、その内こういうのも――」
「いたちごっこなんだよ!! 動画は削除されても、あいつらは別のアカウントを取って、また沸く! 楽しんでるんだ、人の不幸をな!」
「そんな奴らに負けろっていうの!!」
「勝ち負けじゃないんだ!! 最悪な事になる前に、あの子を芸能界から――」
両親の仲は、日に日に悪くなっていた。
それも決定打だったのだろう。
彼女が、両親のギスギスした空気を感じ取らない訳が無い。
両親が何か言い合いしているのを、一回だけ聞いてしまった事もあった。
そしてある日の朝、なかなか起きてこない彼女を心配し、部屋に向かった母が目にしたのは――
「奈津柰、早く起きないと遅刻――奈津柰? 奈津柰ぁぁあ!?」
首を吊って、冷たくなっていた彼女の変わり果てた姿だった。
それをひたすらメディアは報道し、動画の方は――
『朗報! 女優奈津柰○去。ざまぁぁあ!!』
『こんな女優はこうなって当たり前! 皆、祝福して上げよう!』
『おめでとう! 女優奈津柰は消えた!』
自分の顔を晒しながら、嬉々として彼女の誹謗中傷を続ける動画がアップされていた。
「あいつら……あいつら……奈津柰を……私の奈津柰を奪っておきながら……何よこいつらぁ!!!!」
暗闇の中、パソコンの動画サイトで見つけた動画を見ながら、鬼のような形相で叫ぶ母親を見て、憔悴した父は出て行った。
【お前は変わってしまった。芸能界にこだわる必要はなかった。あの子の為? そう言ってがんじがらめにしていたのはお前だ。そいつらが奈津柰を殺したんじゃない。お前が、奈津柰を殺したんだ。彼女の遺書を見ろ。それも見ずに、恨みだけを吐くお前は、もうダメだ。つきあってられない】
そう一筆残していたが、母はそれどころではなかった。
事務所は、誹謗中傷の酷さを全面的に出したが、彼等は反省をせず、次のターゲットを探し始めていた。
◇◆◇◆
「それで、買い物帰りにここを見つけたの。お願い、あいつらにどんなものでも良い、私の恨みを……自分が酷い事をしていたのだと、思い知らせて苦しめて!!」
話し終えたその女性は、子を奪われた憎しみから、鬼と化していた。
「ふ~ん、そら厄介や。せやけど、そいつらは何をしたって悔い改めんやろうなぁ」
「それでも――」
その巫女の言葉に、女性が食ってかかろうとする前に、巫女は崩れた笑顔を彼女に向け、ズイッと顔を近付けた。
「それならいっそ、あんたはんの恨みを強い呪いに変え、その大多数の者達を呪えば宜しおすなぁ」
「呪……い。そんな事……」
「出来ますえ。私が、やってあげますえ」
その言葉に、女性は生唾を飲むが、二つ返事でコクりと頷いた。
「ふふ、ほな。せめてその呪い、成就した時には夢に見させて上げますさかい、ここでの事は忘れても、恨み忘れんときや」
妖しく笑う巫女の姿を見た瞬間、彼女の意識は遠退き、その場に倒れこんだ。
「さてさて、こら大仕事や。せやかて、この方の運気はもう殆どあらへんし。かなりぎょおさんおるからな~そいつらからも、運気もろたろか。そうすれば、盛大な呪いになりそうやの~ケケケケ」
巫女の妖狐は笑う。
今回は、大量の運気が手に入りそうな事を。
巫女の妖狐は嗤う。
こんなにも愚かな者が沢山居ることを。