毒親 上
ここは、どこかの街にある神社。
そこでは今日も、巫女服姿の女性が、落ち葉などを払い、人が来るのを待っている。狐の耳を持ち、狐の尻尾を楽しそうに靡かせる。
人の運気を吸い、恨みを晴らすこの妖狐は、こうやって恨みを持つ人間を待っているのだ。
「あら、誰か見ていると思ぉたら、あんた達か。私を見たところで、何にも得られへんでぇ。人の負の感情、闇の部分や。誰も救われへん、誰も幸せにはならへん。恨み恨んだ底無し沼を、あんたらは見たいんか?」
上を見上げながら、妖狐は呟く。
私達の存在に気付き、それでもなお、妖しくケタケタと笑い、こちらを挑発してくる。
この先を見るか見ないかは、こちらの自由。見ないのも自由だ……が、こちらはあくまで、この妖狐の周りに起こることをただ伝えるだけ。何があろうと、そのスタンスは変わらずにやる。
「ほぉ、そうか。そらご苦労さんや。大変やなぁ、物書きさんは。でもそれなら、絶対に見放したらあかんえ。私、何するか分からんさかいに。ケケケケ」
その乾いた笑いは、妖狐独特だ。ニンマリと口の端を伸ばして笑うのも、目を細めて笑うのも、悪い妖狐そのものだ。その顔はもう、狐そのものである。
「あらあら、堪忍や~私はただ、人の恨みを晴らしてやっているだけや。悪い妖狐やあらへんで。まぁええわ、皆そこで見ていなはれ。また、恨み持つ者が来たさかいに」
こちらに向かってなのか、妖狐はそう言うと、嬉しそうにしながら神社の入り口を見る。
そこには、瞳の色を失った少女が立っていた。
「……こんな所に、神社?」
服は薄着で、まだ少し肌寒いのに素足だ。
髪の毛もあまり手入れをしていないのか、伸びっぱなしで、腰の辺りまで来ていた。背丈からして、高校生くらいだろうが、幸薄そうな雰囲気である。
その少女に、妖狐は近づいて行く。
「ようこそ、お参り下さいました」
「きゃっ……えっ、あ、どうも……」
突然の巫女の登場に、少女は驚き後ずさるが、人だと分かると直ぐに表情を戻した。
今例の妖狐は、人の姿になっている。狐の耳も尻尾も見当たらない。
「ごめんなさい。ちょっと寄り道しただけですので、直ぐに帰ります」
「あら、そうなん? でも、あんたはんはここに惹かれてやって来たんや。ここは『はらい主』のおわす神社や。あんたの恨み、晴らして上げるえ」
「……え?」
その巫女の言葉に、少女は一瞬目を見開き、その言葉に希望を抱くような顔をした。が、直ぐに元に戻っている。流石にそう簡単には信じていないようだ。
「恨みを……ですか。晴らせるものなら、晴らして欲しいですね」
「あかんあかん。そんな気分やと、更に不幸を招くえ。ここは神社や。参拝するのと同じ感覚で、あんたはんの恨みを置いていけばええ」
しかし、少女は顔色も口調も変えず、淡々と話してくる。その様子に、のっぴきならない程の事情があるようにも見えてくる。
いや、実際にあるのだろう。少女の顔は、徐々に険しくなっていく。
「置いていく? 置いていければね……でも無理。私なんて、穢れて汚されて……何もかも壊された。恨みなんて、腐る程ある。あいつが、あの父親さえ居なければ……私もママも、もっと……」
そう言うと、その場に少女はくずおれた。もう何もかも限界で、この世界には誰の救いも無く、希望もないんだと思い知った顔になっていた。
「あらあら。そら不味いな~ほなら、こうしよか。あんたはんが居なくなって欲しい人物、この私が呪い殺して差し上げましょ」
「殺――」
流石にその単語が出てきた瞬間は、少女の顔が青ざめた。
この巫女にこんな事を話すべきではなかったか。ただ話を聞いて、助けてくれたら……と思っていたが、全く違う反応をしてきたのだ。
「大丈夫や。あんたはんの事がバレる事はない。むしろ、殺されたとも思われんはずや。どうや?」
「あ……う……」
巫女の女性は彼女に近づく、妖しい笑みを浮かべながら。そして、少女の耳元に口を持っていくと、ボソリと呟いた。
「誰も彼もが、恨みを持っとる。しかしその強い恨みは、あんたはんの身を滅ぼす。そこから抜け出せるチャンスやで」
「でも……その、お金……」
「大丈夫や。二束三文でやったるさかい。あぁ、お賽銭に入れる額でええねん」
そう巫女が詰め寄ると、少女は恐る恐るだが、ゆっくりと言葉を出した。
「本当に……お父さんを、殺してくれますか?」
すると、巫女は優しく微笑みながら、血のように赤い絵馬を出した。しかし、優しく微笑みながらも、その微笑みは作られたような感じであり、どこか冷たさも感じる。
「ほなら、ここにその名前を書きなはれ。お賽銭の額で構わんし、あんたはんの恨み、晴らしたる」
少女はゆっくりと、ポケットから10円玉を取り出し、それを巫女に手渡し、絵馬を受け取った。
ただ、しばらく少女は悩んだ。本当に書くべきなのかどうかを……。
「なんや、どうしたんや? 今さら怖なったんか? 大丈夫や、バレへんて。それに、あんたはんがその人にされた事、思い出しなはれ」
巫女はそんな少女の悩みを読んだのか、また耳元でそう囁いた。
ポタリと一筋の涙が少女の頬を伝うと、そのまま絵馬にその父親の名を書き、巫女に渡した。
「はいな。それじゃあ、あんたはんの恨み、これで晴らしたるえ」
少女から絵馬を受け取った巫女は、また優しく微笑んだ。
その瞬間、少女は虚ろな目になり、何も言わずにフラフラとその神社を後にした。
「ふふ……あんな幼気な少女に、ここまでの恨みを与えるなんてな。どんな奴やろうとお天道さんが許そうと、私はこの恨みを晴らしたるだけや」
少女が去った後、巫女はクルリとその場で反転し、狐の尻尾を嬉しそうに靡かせた。