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九十二話 開戦

兄貴……なのか?

俺達の前に突如として現れた人物。

仮面の奥に見えたその人物の顔は紛れもなく兄貴だった。

見間違う筈もない。約四年近く経って兄貴の顔を見ることとなったが、俺は決してその顔を忘れはしない。何せ兄貴の顔、いや身体はあの日から時間が止まったかのように変わっていない。

しかし、俺は疑心暗鬼になった。

目の前に現れた兄貴は俺の知らない雰囲気を纏っていたから。

姿や顔は変わらずとも、俺の知る兄貴ではない。

魔王やセルフィが告げた言葉の意味を身を以て体験した。


「……覚えがない」


俺の問いに兄貴は冷酷な眼差しを向け、そう告げた。人とは思えぬ魔晄の瞳がしっかりと捉えるも、その中に映る人物は少し霞んで見える。

兄貴の中での時間は俺よりも遥か先に進んでいる。その中でも俺と過ごした記憶なぞ、人生のほんの一部で序盤の思い出。それを覚えている方がおかしい。

だが、納得がいかなかった。


「何で仮面を外した?」

「分からん。お前を見た途端、そうしていた」


ははっ、笑わせてくれる。

表には出さずとも、心の中で軽く笑って悲壮感を一蹴すると下を向いて口元を緩めた。

微かな希望とでも言うべきか。

そう取れるかは曖昧だが、俺は兄貴の見せた行為を希望とした。


「悠馬様……」

「話はあとだ。ユリナは街の皆を避難させてくれ」


椅子から立ち上がり、兄貴に目を釘付けにしたままそう頼む。


「いいえ、その問題は既に解決済みです」


昂った気持ちを落ち着かせ、周囲の状況に目を向けると先程まで近くにいた人々の気配がない。

それは俺達の周辺ではなく、街全体が俺達以外を残して一人残らず消えていた。

この山岳地帯に響いていた和楽器の演奏を止み、閑散とした街の風景のみが広がっている。


「予め、民衆を避難させるのは最優先事項としていました」


隣に立ったユリナはこの事態を説明する。


「悪魔が襲ってくるという事実を知り、いつ襲来するのかも分からない恐怖に陥った状況では円滑に避難を進めるのは難しい。逆に利用されかねないと感じました」


淡々と告げるユリナの思惑に俺は「なるほど」と浅い理解を示す。


「ですので、敢えて私達がその隙を作り、誘い出す作戦に急遽変更しました。それがこのお祭りです」

「祭り?」

「はい。街の灯りを照らす提灯には全て魔石が搭載されています。そこに街全体を結界で覆う魔法陣を敷いた紙を忍ばせ、提灯を街全体に配列することで一つの陣を構築しました」


魔石とは文字通り、魔力を含んだ石の事を指す。その魔石に魔法を上書きすることで、使用者の魔力ではなく魔石自体が持つ魔力で魔法を行使することも可能。

例えば、王都に設置された街灯も魔石を等間隔に配置し、術者が魔力を流すことで波の如く波紋して魔法が起動していく原理がある。

ユリナはその理論を応用し、自身の魔法を代替的に発動することでこの結界を構築した。


「じゃあここはユリナが作り出した空間なのか?」


その返答に首を横に振った。


「ここは現実世界です。私が構築した疑似空間に人々を避難させました」


普通逆ではと思うかもしれない。


「疑似空間はあくまでも構築した模倣世界です。その中で暴れたら流石に結界を保つのは不可能なので、私はこの街を捨てる覚悟に出ました」


彼女の覚悟は的確で、筋が通っている。

人民の命を最優先。なるべく事態を民衆には知らせないで済ます。

その問題を一度に解決する方法がこの結界であればそれは最善であると評価出来る。

街を捨てる。それは決して容易いことではない。

この戦いが終わり、結界から解放された民衆は現実へと帰す。夢の世界から戻った彼らの街は風貌を変え、無惨な姿を目の当たりにするかもしれない。そうなれば、街全体が混乱に陥るのは容易に予想出来る。多く人々の反感を買い、勝っても負けても完全な勝利にはならない。その全責任にユリナ一人が担う覚悟を一人で背負わせてしまうのは酷な話である。

しかし、そうまでしなくてはならないという明確な意志を俺は改めて受け取った。


「不要な覚悟だ。お前達はこの街諸共消える」

「私達は負けません。あなたの思惑通りにはさせません」

「いくらでも言うがいい。しかし、お前も分かっているだろう。今の自分にそれが成し得ないことを」

「…………」


兄貴の言う通りかもしれない。

今の弱ったユリナではせいぜい結界を張り、維持することに務めるのが関の山。

それを指摘された彼女は返す言葉もないと見詰める。

しかし、それはあくまでも自分一人ならの話。


「私は……いえ、私達は負けません。あなた方、魔の者達には!」

「それがどうかな……」


片手を挙げ、誰かに向けて合図を送る。

すると背後の影から現れた謎の人物がユリナに襲いかかる。

黒いマントから伸びた手に鋭いナイフを握った刺客が首を辺りを狙う。


「おいおい、忠告した筈だぜ。手を引けと……」


木の柵の上に立ったふんどし姿で半裸のジグルドが手首を掴み、暗殺を阻止する。

マントの奥でジグルドの顔を見た人物は舌打ちを放つ。

一見、シュールな光景とも取れるが暗殺を防いでくれた事には感謝しかない。


「助かった」

「いや、お安い御用だ。そのついでに、こいつの相手は俺がしても構わないか?」

「頼んだ」


了承を受けたジグルドはマントを身に付けた小柄の人物を肩に担いで向こう岸の方へと飛んでいく。

驚異の身体能力を垣間見たが、別段驚かない。あれくらい当然にやってのけてもおかしくない程のごつい身体をしている。


「さて、もう一人出て来いよ」


昨日とは違い完全に殺気もなく気配を消しているつもりだが、この状況では返ってそれは仇となる。

いないことがおかしいと睨んだ俺は兄貴の後ろにある虚空に向けて放つ。

すると、カメレオン如く陰に擬態していた白鬼が姿を出す。


「あれは俺がもらう」

「駄目だ。お前はあっちをやれ」


俺達から片時も目を離していなかった兄貴が後ろを振り返り、新たにもう一人、この場に現れた人物を抑えろと命令する。


「その顔、変わりはないみたいだな」

「魔王か……」

「今はお前が魔王だ。その名はくれてやる」


お店の屋根に敷かれた瓦の上に座って久しぶりの再会を果たす光景を眺めていた魔王がそう宣言するも、興味ないと一蹴した。

魔王は覚えていて、肉親である弟を覚えていないことに凄く腹立てるも、俺は今のうちにユリナから戦線を離れるよう促す。


「……ご武運を」


何か言いたげな顔をしていたが、自信の信頼を託す言葉を告げたユリナは安全地帯へと転移した。

この戦い。ユリナを死なせてしまったら即ゲームオーバーである。

無論、俺が死んでも同じ状況には他ならないが、俺とユリナでは抱えるものが違う。

たった一人の命と王女と何百人と超える大勢の命。

数の差では秤に掛けるまでもないが、質は正直に言えば俺に傾くだろう。

しかし、俺には負けないという保障も微かにはある。

それも機能すればの話ではあるが、どの道ここでは負けられない。

それが例え、自分の兄貴が相手であろうが関係ない。

俺はようやく確かな決心が着いた。

この世界にいる兄貴の声を聞き、顔を見て……。

俺は一歩、また一歩足を前に出す。

魔剣は抜かないが強く拳を握り締めると兄貴の顔を目掛けて本気で振り抜く。


「ふんっ!」


無防備なまでに後ろ姿を晒した悪魔に渾身の一撃を見舞う。

頬から脳天にかけて放たれた強力な打撃に後から身体がついて、勢いよく後方の店の中へと飛んでいく。店の戸を突き破り、何の受け身を取らずにぶっ飛んでいくと大きな物音を立て、入り口が跡形もなく破壊された。

その光景を黙って見ていた白鬼と魔王も、俺の行動を機に互いに動いて消える。

さぁ、始めよう。


「初めての大喧嘩といこうか、馬鹿兄貴」


拳ではなく、魔剣を構える。

未だ嘗て繰り広げたことのない兄弟喧嘩が弟の一撃で火蓋を切られた。


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