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八十七話 災禍の転覆

セルディンダ辺境伯消失事件。

その事件の真相は未だ解明ならず。王国の人間でもほんのごく一部しか知らされていない。

そもそもの話、あの事件で生き残った人々は私を含めてごく少数。

辛うじて生き延びた人もあの日の災厄に我を失い、記憶の奥底に封じ込めたい一心で触れないよう塞ぎ込む者もいるほど凄惨な出来事だった。


「私の今の名前。悠馬君は知らないよね」

「はい」


そう言えば、まだ名乗っていなかった。

過去の自分を明かしても、今のこの姿の私を知らないと意味はない。

何せ過去の私はもう何十年も前にその生を全うしているのだから。


「私の今の名前はミレーユ・セルディンダっていうの」

「セルディンダ……ってことは……」

「うん。もう分かっていると思うけど、私はあの領の数少ない生き残りの一人。今は前の名前を使って鯛焼き屋の店主をやってるんだけどね」

「意外です」

「同感。逃げたのはいいものの、何処にも行く当てのない私をジグさんが拾ってくれなきゃ今頃は……」

「それで、美麗さんはあの事件で兄貴と会ったんですか?」


やはり悠馬君もこの事件に関して知っていたようだった。

そして、この事件の首謀者が雄二であることも。


「ほんの少しだけね。でも、あれは本当に雄二なのかなって疑わしく思っているよ」

「疑わしいですか?」

「見るからに私の知らない雰囲気だったし、何よりも雄二があんな顔で人殺しをするような人じゃない」



あれは半年前前……

新しい生を受けた私はミレーユ・セルディンダという名前と身体を与えられて十九年という間、優しく堅実な父と母のもとで穏やかな生活を送っていた。初めの頃は元の世界の記憶を保持していたこともあってか慣れない生活と知らない言語が飛び交うあまり、精神的にも体調面でも大きな負担を掛けていたせいか病弱な子供として見られることもあった。次第にこの生活にも慣れていくにつれ、私はこの世界での父と母の優しさも受け入れるようになった。

そして半年前、突如この慣れた生活に終止符が訪れた。

夜半、領内における脅威を知らせる警鐘が激しく鳴らされた事に気付いた私はベッドから起き上がった。寝間着のまま扉を開けると廊下をドタバタと多くの兵士が走り、血相を変えた彼らの動きをみて只事ではないのは分かった。


『ミレーユ』


この世界における私の名を呼んだ父が武器を手に話掛ける。


『お父さん、これって……』

『お前は先に逃げるんだ。いいか、屋敷から遠くに行きなさい』

『お母さんは?』


ただ目を背けるだけで何も言わなかった。

しかし、父の顔や服に付く赤い鮮血で私は察した。

明らかに父の血ではなく、誰かの返り血を浴びたという表現が相応しい。

その誰かについては名言せずとも理解出来た。


『お館様!屋敷内に敵が……』

『分かっている。お前はミレーユを連れて領地を出ろ』

『お父さん!』

『急げ!でなければ、奴に……』

『誰かぁ!た、助けてぇ……』


廊下の端の方からか、兵の一人の悲鳴があがる。

這いつくばって必死に助けを請うも次の瞬間、真っ黒の焔に包まれ声にならない断末魔をあげ死ぬ。

その場にいた数名の兵士が応戦するも次々と同じ様な末路を辿る。

初めてだった。自分の目の前で他人が殴殺される光景を黙って見ているのは。同時に恐怖が身体を支配するという経験も。


『貴様、何者だ!』

『……』


徐々に近づいてくる足音に、闇に光る魔晄の瞳。

その正体を悟った父が擦れた声で叫ぶ。


『悪魔だと……それもその瞳、上位種か』


足音が更に近付き、月明かりの照らす窓辺で姿を晒す。

全身真っ黒な装いに黒い髪色。人ならざる気配を醸し出す人の形をしたこの世界の害敵。

その悪魔なる存在を初めて見た途端、私は数秒間時が止まったかの様な感覚に襲われた。

月明かりに照らされて映った悪魔の顔を私は知っていた。いや、思い出したと言っていい。

忘れかけていた前世の記憶がはっきりと呼び起こされる。


『ゆう…じ?』


ふと声に出して名前を呼ぶと薄く反応を示した。

不意に目を合わせてしまった私に殺気の如く深い圧を掛け怯ませる。

彼は私の事を分かっていなかった。しかし、それも当然と言えば当然。

今の私は雄二の知る私ではない。いくら中身が同じであろうとも容姿や声は別人。

だけど、私は分かっていた。

彼の顔を見た瞬間、私は気付いてしまった。

忘れもしないあの顔に。


『何をしている!早く行くんだ』

『違う待って、あれは……』

『あれは正真正銘の悪魔だ。奴らに交渉の余地はない!』


兵の一人に無理矢理連れていくように命じられ、無理矢理腕を引っ張られ二人から遠ざけられる。


『放して!あれは違うの、あの人は私の知り合いで……』

『なりませぬお嬢様!お館様と母君の覚悟と命を無駄にしては……』


必死に残ろうと抵抗を図るも魔法を行使して抑えられてしまい、何も出来ないまま屋敷の外にある馬舎に連れてかれ私は馬の上に乗せられる。


『私はここに残り、時間を稼ぎます。ミレーユ様はどうかお逃げ下さい』


そう一方的に伝えられると馬に乗った私は途轍もない速さに降りられないまま、必死にしがみついて屋敷から遠ざかっていった。


『雄二……あれは雄二だよね……』


しっかりと顔を拝見した訳ではないから断言出来ない。雰囲気や性格はまるで別人みたく変わっていたが、あの顔は紛れもなく本人だった。

乗馬は経験があまりないものの、次第に慣れていった私は暫くして領地から離れた丘へと辿り着いた。ここは以前、父に連れられて来た場所で、ここからだと領内の全てが見渡せる。

しかし、その光景は以前みたあの美しい光景ではなく、文字通りの地獄であった。

領内のあちらこちらから火の手があがり、数分間黙々と見ているだけで領内は火の海へと化していた。


『うそ……』


前世であっても見たことのない大きな火事。

知っている町の風景が跡形もなく燃やし尽くされる様子に酷く震えた。

火の海に生存者はいない。灼熱の業火を前に人間が生きられるはずもない。

屋敷も同じ様に燃やされ、父や母は既にこの世を去っている。

その絶望的な事実に私は酷く涙を流す。


『なに……あれ……』


自分と同じくらいの高さに何か黒い円球の物体を見つける。

この世界には前世とは違い万物を超越した魔法なる能力が備わる。そして、私自身にも特別な魔法を使う素質があった。それ故か、私はあの球体が見た瞬間に魔法であると分かった。

でも私はあの魔法を知らない。

禍々しく嫌なオーラ。

それが真下に向け放たれる直前、慌てて馬から地面に飛び降りてそのまま転がりながら芝生へと伏せた。同時に全身全霊の魔力障壁を展開し、顔をあげ雫の如く注がれた黒炎球が地面に触れる瞬間を見詰める。

次の瞬間、私は言葉にし難い光景を目の当たりにした。

圧縮された魔法が解放され、私の目に映るあらゆる光景を真っ黒に塗りつぶす。

父や母、領地、領民諸々全て、大きく膨らんだ黒炎球に吞み込まれる。

魔法の影響で周囲の大地は激しく震撼し、立つことすらままならない。

吹き荒れる旋風に木々が根からなぎ倒され、折れた枝が鋭い刃の如く襲いかかる。


『やばい……』


飛ばされる。

気を緩めた瞬間、私の身体は天空の彼方まで吹き飛ばされるだろう。

徐々にジワリジワリと傷つけられる障壁を継続して重ね掛けをしてひたすらに耐え続ける。

そんな地獄の一時は続くこと約三分。

次第に揺れは収まり、風も緩やかになった後、土煙が晴れたタイミングで魔法を解き、全身の力を抜き地べたにへたり込む。


『ハァ……ハァハァ……』


呼吸を整えながら、足に力を入れようとするも全身が恐怖で震え、私は両肩を腕で強く抑える。

現実に返り、ゆっくりと真っ直ぐ前を見据える。

その光景を見た途端、更なる恐怖が私の心を完全に支配した。

ほんの数分前までに見ていた景色は文字通りあたかもなく消失し、大地を抉り取ったかの様な大きな穴がそこに空いていた。被害はそれだけではない、私を取り巻く周囲の環境も見る影もなく破壊され、あちらこちらに木々の破片が飛び散っていた。

天変地異。私はこの言葉の意味をこの世界にて理解した。

何一つとして残らない光景に無力感を抱いた私は気付いていたら泣いていた。

あまりの状況と展開に心が後から追い付いてきたのか、今になってなくなったものに対する悲しみを感じた。

そして、思い出した。

この光景を生み出したのが雄二に似た悪魔なる存在。

あるいは本人かもしれない。という疑念がこの時から私の中で拭い切れない問題となった。

しかし、それも今になってようやく解決された。

雄二の弟である悠馬君の存在によって。


「悠馬君はもう雄二に会ったの?」


その返答に彼は首を横に振った。


「俺もまだ会っていません。この世界における兄貴の知り合いと実際に兄貴の顔を見たという人から話を聞いただけで……」

「そっか……」

「でも、それももうすぐで解決します」

「解決?」


その先にある言葉。

それがどういった内容であるか、私は今朝ジグさんから聞かされた昨晩の出来事と絡める。


「兄貴は今、俺達の近くにいます」

「昨晩に襲って来た悪魔っていうのは……」

「兄貴です。実際にユリナが戦って一時を凌いだ程度ですが」


その言葉を聞いた私は複雑な心境でいた。

雄二が自分と同じ世界にいるという確信が持てたことで嬉しい反面、今の彼は私の知り得るあの時の優しい人間ではなく、悪魔としてこの世界を脅かす敵。

そして、それを止める役目にあるのが弟である悠馬君。


「ねぇ、悠馬君はどうするつもりなの?」


雄二を殺すの?とは聞かなかった。

言葉を配慮したというのもあるが、一番な理由はそこじゃない。

私も含め、悠馬君の中にある選択肢は一つ。


「止めます。俺は兄貴をぶん殴ってでも……」


見ない間に逞しくなった。

私と雄二の後を泣きながら付いてくる可愛いかった悠馬君が随分見ない間に強くなった。

それもその筈、彼は数多の死線をかいくぐり、世界を平和へと導く存在なのだから。


「私も戦う」


自分には悠馬君程の力はない。

けれど、黙って見ているだけの戦えない女ではない。

私は戦う。

もう一度、会って伝えるんだ。

前世では言いそびれた言葉を。


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