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八十三話

身体が重い。

全身の筋肉が悲鳴をあげているかのように酷く痛む。

いつもであればスッキリ起きれる朝が今は誰かが自分の上にのしかかっているかの様に重い。

いや、現に腹部の辺りに物量的な何かが重くのしかかっている。


「ん……」


妙な感触に瞼を開くと顔の辺りを照らす一筋の光が真っ直ぐ目に入る。

そのまま視線をやや下に向けて自分の上に乗って大きな鼾を掻いて眠りこける不届き者を見る。

寝間着用の浴衣を羽織っているものの帯の締めが緩かったせいか、大きく胸元がはだけてしまっている。昨晩食べたスイーツをもう一度夢の中で体験しているかの様な寝言をむにゃむにゃと頬に涎を垂らしながら眠る少女を起こさないようゆっくりと布団に置く。

立ち上がって周りの状況を確認すると自分の寝ていたベッドの反対に誰かが寝ていたあとを確認する。

シーツの乱れ具合や布団がこちらに向かって崩れ落ちていることから自分の隣で眠っていたのは青海の如く透き通った水色の髪をした少女だと分かる。

視線を前に戻し、近くに置かれた緑色の長いソファから二本の足がだらしなく飛び出ているのに気が付くと彼の側方に回って寝そべる顔を見て微笑む。

薄れる意識の中、動けない自分を誰かに抱えられた所までは覚えている。

自身の死を回避した緊迫の心を落ち着かせ、深い安心感に身を委ねながら私は眠った。

眠れる彼の顔を至近距離で眺めていると途轍もなく愛おしく思えてしまう。

無防備な彼に対して、淫らな行為をしようという気にはならない。

けれど、唇を重ねるぐらいなら……

変な雰囲気に流されて、自身の欲求を通そうと顔を近づけているとふと誰かに見られている気になる。

目の前でぐっすり眠っている彼ではなく、ベッドの上で胡坐を搔きながらニマニマと興味深い顔でこちらを眺める少女。


「……」

「あぁ、気にしないで。続きをどうぞ」


さぁさぁと手振りで促されるも、その気が失せてしまった私は少しばかり残念な気持ちになる。

キスはまたの機会に、そう心の中で決めると改めて少女と向き直る。


「おはようございます。聖剣さん……いえ、精霊王リスフェルト様」

「君とは初対面の筈だけど……」

「先生が精霊殿を管理していますから。精霊王についてはあそこの精霊さんに聞きました」

「彼ら、とてもお喋りな性格だから聞けば分かるか」


自身に対する守秘義務を課した記憶はない。

長年に渡って生き続ける彼らにとって膨大な知識は武器であり、叡智とも言える。

誰にも伝えることなく持て余す知識を、知りたい人間が現れれば教えてしまうのは一種の性。

だからと言って、自分らが崇拝する精霊王をベラベラと喋るかね?

いや、今の精霊王は私ではなく、彼だ。私がとやかく言う権利ははない。


「ま、いいや。それでキスしないの?」

「見たいのですか?」

「そりゃね。私は人間同士のラブロマンスを愛してると言っても過言ではないよ。特に君と主様(マスター)の関係値は以前と比べれば飛躍的に向上しているのは事実でしょ?」


事実でしょ、と確認を問われずとも悠馬の身体を通じて全てを見ていたのもまた事実。


「それにキスするの初めてじゃないよね」


その指摘を受けた私は思い当たる記憶の節を蘇らせ、思わず顔を赤く染めてしまう。


「あれは……」

「あの時も君からだったような……」

「何がだ?」

「何がって私が悠馬様にキスを……」


下から聞こえた違う声に気付くと視線を下に向ける。

二人の声が五月蠅かったのか、大きな欠伸を搔きながら目を覚ます。


「いつから……」

「ん?ちょうど今起きたんだよ」

「そ、そうでしたか」

「あ~、ごめん噓。やっぱり気付いてました」


そっと胸に手を撫で下ろした途端、直ぐに噓を告白した。


「いやぁ~、妙な気配して目が覚めたらユリナの顔が目の前に迫っていたから……つい、身構えてしまいました!」


悠馬の言葉にベッドで一連の流れを黙って見聞きしていた少女は呆れた表情で静観していた。

少女も悠馬が起きていたのは気付いていた。恐らく、同じタイミングで目が覚め、同じタイミングで迫っていた事に気付き、一人は寝たふりをもう一方は事の顚末を黙ってじっくりと観察していた。

ユリナが寝ている彼にキスを迫るのは勿論のこと、起きている彼が如何にして寝顔キスを受け入れるのかという状況を楽しんでいた。

結果は周知のこと、ユリナが感づいてしまい未遂に終わる。

しかし、問題はそのあとだった。

あのまま黙って寝たふりを続けていればいいものの、彼は目を覚ましてしまった。挙句の果てには、噓を噓であると告白し、自ら地雷へと踏み込んでいくのには流石に呆れるを通り越して阿保であるとさえ思った。


「悠馬様……」

「いや、俺も迷ったんだ。気が付いてない振りをしても絶対に見抜かれているんじゃないかって」

「忘れて下さい」

「え……どういう……」

「忘れて下さい」

「忘れるも何も別に……」

「記憶、消しますよ」

「はい!忘れます!」


不思議と逆らえない圧に迫られると記憶の中にあった色んな意味で新鮮な記憶を消すことを誓わせる。その証拠として、悠馬は何度も首を縦に振る。

そうして、再び立ち上がった私は自身の格好が少しばかり汚れている事に気付く。

力尽きたまま寝てしまったせいか、気づけば昨日の格好のまま朝を迎えていた。王族たるもの、身嗜みには厳しくある。婚約者の彼にこんなみっともない格好で迫っていたことに自身でも、深い反省を覚えると未だしっかりとしない足取りで外の露天風呂へと足を運ぶ。


「んっ……」


まだ完全に身体や魔力が回復し切っていないせいか、少しばかり視界が歪む。


「大丈夫か?」


私のおぼつかない足取りに不安を抱いた彼が寄り添って肩を貸してくれる。


「すいません。お風呂場まで連れていってもらえますか?」

「いいよ。と、言いたい所だが俺じゃあ……」

「見たら記憶を消します」

「……ということなので、聖剣さんお願いします!」


白羽の矢が立つのを回避するべく、自身の気配を完全に消し去った状態で少女はいつの間にか部屋から出て行ってしまったらしい。悠馬の前に一枚の紙切れがひらりとひらりと舞い落ちる。

そこには『朝食を取りに行ってくるね。よろしく』とだけ書かれていた。


「うん、そりゃ魔王が手を焼くわけだ」

「あの……別に身体を洗って欲しいとか訳ではないので、連れて行ってもらえれば……」

「それは分かってるよ。けど、そんな状態でまともに……」

「大丈夫です。いざとなったら手を貸して頂くくらいであれば」


普段と比べて息遣いも荒く、明らかに体調が優れていない事にはもう気づかれている。

しかし、私の身体を隈なく洗ってもらう訳にもいかない。いくら婚約者と言えども、流石にそれは抵抗を覚える。


「まぁ、それくらいなら」


肩を貸してもらって風呂場と部屋を繋ぐ扉の前に着くとゆったりとした動きで衣服を脱ぐ。

大きな裂傷はないものの、包帯で巻かれた小さな傷を改めて自分の目で確認する。

両腕に三箇所、右足に一箇所と見ているうち、右太股の上辺りの内側に黒い痣みたいな模様を見つけた。

指で擦っても痛みは無い。しかし、触れた途端に指の先から魔力を奪われる感覚を覚える。


「私の身体を蝕む要因はこれですか」


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