八十二話
大森林に響く轟音に多少振り返りながら走るも、上手く白鬼を振り切れたようだった。
馬鹿な悪魔に通用する魔法。一か八か、大森林の特性を利用した最大の逃げの一手。
予想を軽々と超えた効果に大きな勝利を得たと言っていい。
「着いた……」
暗黒の森を抜け、温泉街と大森林を繋ぐ山道の入り口に立つ。
ゴツゴツとした崖岩が地面に崩れ、行きで来た以上に道が狭く感じられる。
「近いな」
ユリナと思しき魔力を感じ取ると大跳躍で次々と大岩を越していく。
数百メートル進んだ地点で崖の側面と地面に黒く焼け焦げた跡。
妙な魔力残滓がこの一帯を何処か異様な空気に包む。
その中央、一箇所だけ焦げてない円があることに気付く。その中に一人、力なく倒れ伏している人物を目の当たりにした俺は目を大きく見開いて叫ぶ。
「ユリナ!」
返事のない彼女のもとに急いで駆け付ける。
目立った外傷はないものの、身に纏う魔法礼装の一部は焼けている。ユリナの纏う礼装は俺がかつて使っていたものと同等で、魔法を半減する効果が含まれる生地で編まれている。
そもそもの防御力が高いこともある彼女がここまで、疲弊した姿を見ると相当な激闘だったのが容易に思い浮かぶ。
「悠馬……様?」
触れた温もりに気付いたのか、ゆっくりと瞳を開いた彼女の目と交錯した。
「ユリナ、無事か?」
「はい。久しぶりに全力を出し切ったので暫しこのままで……」
「あぁ、お疲れ様。それで……」
「一応、退いたみたいなのでご安心を。すいませんが……」
「無理に喋らなくていい。このまま連れて帰るからゆっくり腕の中で休んでくれ」
再び瞳を閉じて深い眠りにつくユリナを両腕で抱き上げる。疲弊し切って半ば苦しそうに息をするも、落ち着いて眠りにつく彼女の表情にチラチラと目がいってしまう。
「流石、プリンセスだな。怨恨の炎の魔の手から生き延びるとはな」
「見た感じ、空間魔法で魔法が及ぶ効果範囲ごと別空間に飛ばしたって感じかな」
「ヤバいな」
「ヤバいよね」
後から到着した魔王と聖剣が事態を把握した表情で告げた。
「急いで来たものの、つくづくお前は再開の縁がないな。勇者」
「余計なお世話だ。それより、ユリナの前でそのことを口にするなよ」
「了解した」
「それでお前達はどうする気だ?俺はユリナを連れて旅館に戻るけど」
「セリンの事もあるから付いていく。当然、お前もな」
「勿論行きますとも。せっかく人里に下りたし、たまには美味しい食べ物を口にしたいよね」
「好きにしろ」
というわけで新たに二人の同行者が加わって俺達は温泉街へと帰路についた。
△
ラフォルト王国の領土に面した大森林の入り口から数百キロメートル離れた北側に位置する地点。
そこに大きな空間の歪みが生じると黒い焔に包まれた漆黒の悪魔が現れる。地面に降り立つと焔が地面に生える草や木々へと移り、周囲の生命力を奪うかの如く業火が大森林を襲う。
その中心に降りた悪魔は天を仰ぎ、火の粉が散る視界の中で自分が飛ばされた位置を把握する。
「止めた方がいいよ」
森の奥から聞き覚えのある声が響く。
大森林が持つ特殊な再生能力と生命維持を前に食っていたはずの焔が、いつの間にか抑えられていた事実に気付くと弱々しい炎の中から黒いドレスを纏った純白の肌をした少女が告げる。
「彼にも伝えたけど今晩は退くべきだよ」
「命令をするな」
「これは提案だよ。残りの魔力で君は彼女とその仲間達を相手に勝ち目があるとでも?」
「ある」
「いや、絶対にないでしょ。平然と強がれるその性格は流石に引くよ」
「……」
仮面の奥でどういった表情をしているのかは分からない。
自身の考えを真っ向から否定され、図星を突かれたことに怒りを覚えているのか、あるいは事実を受けて新たな作戦を考えているのか。
自身の正体を隠す目的で付けている仮面も、その意味はもう発揮しない。
彼が誰で、どういった人物であるか私や兄上はよく知っている。いや、よく知っていたの方が正しいかな。
今の彼は人間であった頃の記憶は微塵も残っていない筈。彼の残忍な振る舞いや言動は私達の知る彼に当てはまらない。
だが、少し引っ掛かる箇所もいくつかある。
「白鬼はどうした?」
「彼は真面目な性格だからね。邪魔が向かわないように先で勇者を待ち構えていたみたいだけど……どうやら魔王様にしてやられたみたい」
私の忠告を無視して、勇者を先回りして待っていたものの勇者の咄嗟の機転と魔王様の実力を前に完膚なきまでにやられたようだ。消息は不明だが、彼もまた復讐の機会を狙う鬼。まだ、この森の何処かで潜伏しているに違いない。
「魔王……やはりこの森にいたのか」
「精霊王リスフェルトもね。どうやら、魔王様は戒言を渡す気はないみたいだよ」
「無論、奪うのみだ」
奪うか……。
ここ数百年の間、戒言を取り込んだ元人種はこれまでにも何人かは存在した。
反転しない人間が取り込めば、戒言の持つ固有の悪感情に理性を崩壊され、まともな自我が保てない例が全てだった。しかし、それは悪魔であっても同じと言える。
堕ちていようが、善でいようが……
狂っていようが、正常でいようが……
戒言の持つ魔力に込められた因子を抑えられる者は存在しない。
それが魔王と謳われた最凶で最古の悪魔であろうとも。
現在、彼が有する戒言は二つ。【憤怒】と【暴食】。
暴食に関しての適正は彼の持つあの魔法、憤怒は彼が反転した原因が当てはまる。二つの戒言を制御しているとは決して言い難いが、今までの人間の中ではマシと断言する。
興味深い被検体を眺める顔で彼の纏う独特な魔力に惹かれていると、彼の横で付き従うもう一人がいない事に気付く。
「彼女はどうしたんだい」
「準備をしている」
「準備?」
「あぁ、今度こそあの女を殺すためのな」
何を考えているのかはさっぱりだが、発した声は紛れもなく本気であった。
「二日後、あの街諸々この世界における希望を消し去る」
新たな魔王としての覚悟なのか。
はたまた、まだ彼に残る人間らしさを消すための儀礼であるのか。
兎にも角にも、彼の告げた意志に私は心の底から賛同し、二日後を待ちわびた。




