八十話
煮え切らない想いが悠馬様と離れてから尾を引くようにずっと私の中に付き纏う。
理由は分かっているし、どう対処すれば納得いくのかも分かっている。けど、それは悠馬様が我儘を押し通したのと同じで私の我儘を押し通す必要がある。
それに優しい彼は付き合ってくれるのもよく理解している。
甘え……なのかもしれない。
初めは全くと言っていいくらい置いてなかった信頼を今じゃ、この世界にいる誰よりも厚い信頼を置いてしまっている。
そのせいか余計に考えてしまう。
心の距離が僅かにも遠ざかることの恐怖を……。
「なぁ、嬢ちゃんは戻らなくてもいいのか?」
未だユリナの正体を知らないジグルドは不躾な態度で気軽に話しかける。
「大丈夫です。私がいなくとも悠馬様は無事ですよ」
「その割には何度も振り返って気にしているじゃないか」
自分でも意図しない指摘を受け、ようやく自分が心配していたことに気付く。言葉では否定していても、心では不安がっている。
「心配症だな」
「悠馬様の隣に居るのはあの魔王です。つい数か月程前、お互いに死闘を繰り広げた私達人類の……いえ、この世界そのもの天敵。そんな存在と肩を並べて共闘なんて常軌を逸してます」
「パパは悪者なの?」
セリンの問いを聞いたユリナは自分のしてしまった感情的な発言に対して失言だった気付く。
彼女の前では絶対に口が裂けても言えない台詞。
それを理解していながらも、感情に流されて私は口走ってしまった。
「ごめんなさい……今のはお姉ちゃんの噓で……」
「私ね。知ってるよ」
「……」
「パパが昔、とてもとても悪い人だったって」
知っている。
子供の知っているはあくまでも他人から聞いた話の内容を悪いか、良いかの抽象的で且つ具体性のないイメージで構成される。仮に魔王が悪いことをしていたと分かっていても、どれ程の悪逆で非道な振る舞いだったかなんて知る由もない。
「お姉ちゃんはパパが嫌い?」
好きか嫌いか、そう言われれば迷わず後者を選ぶに違いない。
セリンだって事実を知れば魔王を嫌悪するかもしれない。けど、知らない方がいいに決まっている。
たった一人の寄るべき相手を幼い彼女に失わせるのは個人として避けたい。
新しい時代で彼女みたいな子供に知ってほしいのは争いで勝ち取る平和な世界ではなくて、争いのない平和な世界。
平和に至る過程を幼き彼女が本当の意味で知る必要なんてない。
そう考えを改めたユリナはセリンの前で膝をついて小さな手を取る。
「私の願いはセリンみたな子供達が優しく生きられる世界になって欲しいの。だから、未来に進むためなら私は魔王……あなたのお父さんがしたことも受け入れる」
私は噓つきだ。
自分の心より、彼女の内情を優先して平気で嘯く。
しかし、時には必要な噓だってある。
歴史の大半が綺麗事で構成に語り継がれているのと同じで、未来に進むためには同じ手段を用いることを自ずと求められる。特に私や勇者様みたいに未来の転換と世界の救済という役割を運命によって縛られた者達は意図せずとも歴史を刻むこととなる。
そこに一人の私怨を後世に残す訳にはいかない。先生もかつてそうしていたのと同じく。
「それとこれとは別な話だろ?」
「別と言いますと?」
「悠馬の件だ。心配なら今すぐに引き返でばいい。魔王云々の御託抜きでな」
「心配ですが、信頼はしています。ただ、私が見張っておかないと何をしでかすか分からないから心配なだけなんです」
「悠馬も尻に敷かれてんなぁ」
鼻で笑って頭に腕を組んだジグルドはくるりと顔の向きを変えた、次の瞬間……
彼の背後から現れた謎の二人組が私達の前で立っていた事に気付く。
いや、私は二人を知っている。
顔の半分をフードで覆い隠したローブの少女に、漆黒の黒い仮面を身につけた邪悪な魔力を宿した悪魔。つい最近、王都付近の郊外で死闘を繰り広げた新たな魔王候補。
まさか、こんなにも早いタイミングで顔を合わせるとは思いもしませんでした。
「なんだ、あんたたち……」
不用心に近づこうとするジグルドに自身の影から実態化した鋭く尖った棘が身体を貫かんとするが、間に展開された魔法陣によって止められる。
「下がってください。彼らは私達の敵です!」
遅れながらもその事に気付いたジグルドは警戒しながら数歩下る。
突如現れた二人とユリナの荒げた声で何となく事態を察したセリンは腰の裏に隠れる形で身を潜める。
「怖い……」
小刻みに震え、涙目を浮かべたセリンは必死にユリナから離れないようにしがみつく。
「狙いは私……ですか?」
「そうだ。こんな遠方にいたのは予想外だったが……タイミングがいい」
途轍もなく濃密な黒い瘴気が三人を覆う。
大森林へと続く山道は瘴気によって埋め尽くされ、脇にひっそりと生えていた植物の生命を食らい尽くして絶命させる。
あらゆる生命に対する毒の魔力をユリナは円球障壁で防ぐ。
「嬢ちゃん、奴は一体……」
「話はあとです。セリンを連れて今すぐに街へと戻って下さい」
「嬢ちゃんは?」
「私はここで食い止めます。着き次第、領主のカタギリさんと連携して避難を開始を……私、ユリナ・L・ラフォルトの名を使って構いませんので」
「……分かった。無事でな」
そう言って私と手を繋ぐセリンを引き離し、片手で彼女を抱える。
直上を見上げる彼の行動に私は妙な予感を覚える。
この障壁の外は瘴気の魔力で覆われているも、辛うじて直上の部分にはまだ触れていない。
それまでに上に跳ぶ気なのだと表情から察する。
「え…無茶です!この崖を跳び超える気ですか?」
「あぁ…って、それなら私が魔法でお二人を……」
「いや、無理だ。説明は後にするがこうした方がいい」
この山道の量側面にそびえる高さ十五メートル程ある崖の斜面を登ろうとしている。
身体強化を施しても一回の跳躍では不可能に近い。
それを分かっていて彼は二つ返事で平然と答える。
この無鉄砲さに誰かと似たような想いを抱くも、今はそんな余裕はない。
直上を覆われる前に脱出させなければ意味はない。
「分かりました。じゃあ、三つ数えたら魔法を解きますので……」
「むんっ!」
スリーカウントに入る前、両脚を大きく開き、大地の反発を思い切り利用した彼は直上に向かって勢いよく跳んでいった。障壁をぶち破り、一瞬でかなりの高度まで達していくと崖の裏へと消えた。
「……」
魔法も使わずに身体能力だけであの高さまで達するその異常さと常識破りの光景に久々に頭を痛める。
おまけに障壁を破壊されたため、瘴気の魔力が徐々に浸食する。
一人になって肩の荷が軽くなった私は抑えている魔力を全開にして解き放つ。
辺りを闇で覆う瘴気の魔力を光の輝きをもって一辺に浄化させる。
「単純な魔力の押し合いでは私に勝てませんよ」
長い桃色髪を靡かせ、闇夜を背景に神々しい輝き纏って現れる。
「だろうな、分厚い魔力の壁にぶつかった気分だ。だが………」
黒い瘴気の魔力が揺ら揺らと燃え上がる炎みたくその形を変え始める。
「黒い炎……?」
宙を舞っているからか黒く揺らめく焔の熱気はあまり感じない。触れなければ対した脅威ではない。
けれど、この黒炎からは別の何かを感じる。
妄執に似た憎しみの悪感情。
「これは……怨恨炎!」
「この魔法を知っているか」
「あなたは一体……」
「それを知る必要はない」
以前に増した濃密な殺気がユリナの頬をビリビリと刺激する。
あの時は偶然にもユリナと出くわし、力量を測るため適当に戦っていた。
しかし、今回は違う。
明確な殺意を持って自身が認めた最大の脅威を排除しに来た。
「自分の爪の甘さを後悔して死ね」




