七十六話 災厄の記憶②
あれは約二百年も前だったか。
当時の勇者、瀬戸雄二によって戒言の核を破壊された俺は今と同じく【怠惰】を有して、大森林にて隠居生活を送っていた。慣れない工具を持って木製のログハウスを完成させるのに五年を有し、衣食住を確立した俺は毎日を自堕落に過ごす日々が続いていた。
この場所に訪れる者は誰一人としておらず、大森林に生息する魔獣も戒言の瘴気に恐れ慄き、近づく事がないため寝て、起きてのみを繰り返していた。
【怠惰】がそうさせているのか、自然と無駄に時間を過ごしている事に何とも思わなかった。
しかし、そんなある日。
大森林を流れる豊富な魔力を含んだ泉の中から上半身だけ陸に打ち上げられた形で倒れていた。
「死体か?」
まだ、温もりが残っている。
体温が酷く低下し、呼吸の回数も少ない。加えて、魔獣に襲われたのか肩から腹部にかけて刻まれた深い傷を負っていた。
「人間か。不運にも魔獣に襲われたか」
ボロボロの衣服に瘦せ細くなった継ぎ接ぎが残る傷だらけの身体。
何年も手入れしていない長い黒髪。
「魔獣だけではないな。人に迫害でもされた……」
長い髪で隠れた顔を手で払うと見覚えのある男だった事に俺は驚く。
三度。俺はたった三回しか顔を合わせた事がないが、その度にかつてない程の死闘を繰り広げた。そして、五年前。この男が持っていた聖剣により俺は魔王という役目から解放された。
「これも運命か?リスフェルト、お前は俺にこの男を預けるつもりか?」
「……リス」
小さく口を開け、ポツリと呟く。
それを見た俺はこの男、瀬戸雄二の身体をゆっくりと持ち上げるとログハウスへと運ぶ。
古代魔法の一つ、修復魔法で瀬戸雄二の身体を腹の傷と流した血を元に戻す。これで命の危機は脱したものの、受けた心の傷と消費した体力が直ぐに癒える事は無い。それが瀬戸雄二にとって深い傷と化しているのか、深い眠りから覚めるのに二日程かかった。
「ん、目が覚めたようだな」
ギィというドアの開く音に首を向ける。
助けられた相手が自身の敵だと気付いたらどんな反応するだろうか、その期待を微かに抱いていたがそれはあくまでも予想外の反応だ。予想通りであれば、驚きもせずただこちらに視線を向けるだけ。
「絶望……しているか」
虚ろな目。
瀬戸雄二という人間の心が宿っていない空っぽの心。
小さく口を開けると久しぶりに言葉を交わす。
「魔王……」
「ほう、俺だと分かるってことは精神崩壊を起こしている訳ではないようだな」
「助けてくれたのか」
「たまたまだ」
ぼさぼさに伸びた長い髪で顔が隠れ、表情がしっかりと見えない。
髪の間から見える黒い片目の瞳のみが俺を捉える。
「人間に裏切られたか?」
「そうだ」
「愛する人を殺されたか?」
その言葉に反応した瀬戸雄二から憎悪が混じった負の感情が魔力に合わさって感じられる。
「反転したか」
魔力の波に髪が扇がれ、もう片方の瞳が現れる。
赤く染まった魔の因子を深く宿した魔晄の瞳。
自分でも制御出来ない程の深い憎悪と執念という棘が絡み付いた復讐者。
世界を救った英雄がたった五年でここまで墜ちるとは、運命とは余程この男に試練を与えたいらしい。
「俺はどうすればいい」
「どうするか、ときたか。答えなら自分の中にある筈だ」
「それを選んでしまえば、俺は俺じゃなくなる」
「だろうな。だが、そうしたいのだろう?理性の鎖を引きちぎり、欲望の獣と化せば楽になる」
悪魔の囁きに奴は反応した。
既に自分で分かっている。
どうすれば自分が救われるのか。
どうすればこの苦しみから解放されるのか。
「帰って来ない者を待つより、全てを破壊する方が返って楽になる。違うか?」
「そう……だな」
「悪いがお前の復讐に加担するつもりはない」
自分自身で焚き付けておいてあれだが。
「構わない。ただ、教えてくれ。どうすれば人をやめられる?」
予想通りの言葉に何故か俺は笑ってしまった。
笑う。という表現は適切ではないか、しかし妙な感情が湧いた。
これは喜びなのか。
魔王として、悪魔の中の王に君臨した俺の欲望なのだろうか。
「いいだろう。お前の復讐。この俺が見届けてやる」
▲
「敵襲!敵襲だぁ!」
「敵の数は?」
「分かりません。ですが、門の下をたった一人の魔法士に突破されました」
「一人だと?駐屯兵全員で直ぐに取り押さえろ」
「はっ……え?」
「ん?」
足元から激しい熱気に当てられ、視線を下に向けると足元から炎の柱が一直線に高く伸びる。炎に呑まれた二人の衛兵が一瞬にして灰と化す。城壁を突き破った炎は空中で膨れ上がるように丸みを帯びていく。
「炎円環」
風船の如く膨れ上がった炎の球体が圧縮される。
パリパリと音を立てて皮が剝がれると赤から青色と変わる。
「発射」
史実においてラフォント王国の内乱は西部区域にある魔法実験施設で開発されていた大魔法の意図的な暴走により西部にある魔法施設の破壊、及び城下町の半分を焦土に化した人理の枠を超える未曾有の大災害が始まりだったとされている。しかし、実際は単身で乗り込んだ瀬戸雄二による魔法であり、その事実を知ったラフォルト家が隠蔽する為の噓であった。
王都の半分を一瞬で火の海へと変えた瀬戸雄二は地獄の業火を歩くも苦とせず、王宮へとゆっくりと向かう。火を得意とする魔法士でなければ、動いて逃げる愚か息をする事もままならない。息をすれば喉は焼け、動いて空に逃げなければ復讐の業火に焼かれ苦しみながら死を迎えるのみ。
「城下全体が火の海に染まるのも時間の内か」
俺は奴の復讐に手は出さないが、それを成す為の力は与えるという条件で、ただひたすら上空で静観
していた。
この光景は本来であれば瀬戸雄二ではなく、魔王たる俺が作り出すべきものだった。
何度か試みたが現時点で成し得ている瀬戸雄二がこの俺の思い描いた惨劇を体現していた。
「皮肉な光景だ。自分が守ったものを自分で破壊するとは……」
つくづく可哀想な男だ。
訳も分からずこの世界に呼ばれ、世界を救う為に自身の命や身体を張ってまで戦い、得た絆や愛を壊され、挙句の果てには邪魔だと言って排除される。
世界を破壊する俺でさえ、そこまでの所業を受けた事は無い。現時点における魔王の役割は俺ではなく、瀬戸雄二に相応しいとさえ強く思える。
仮にも奴が俺の意志を継ぐ気があるのだとすれば、全ての戒言を集め奴は魔王がこの世界に齎す運命の 悲願を完遂してくれるだろう。
まぁ、それもこの復讐が終わり、奴が完全に反転すればの話だ。
「凍れ」
火中の渦に立った男が一言、そう呟くと火の海は凍てつく冷気により消し止められる。
「オイオイ、いくら何でもやり過ぎだろ……」
軍の制服に葵色のスカーフを巻いた金髪の青年は涼しげな顔で業火を凍土に変えた。
「自己紹介をしておこうかな。僕はラフォント王国の近衛魔法騎士部隊のエース、『絶対零度』の異名を持つルーファス・トレイラ。君は何者だい?」
「……」
「無視は良くない。しかし、先程の大爆発……もしや君が起こしたのだとしたら僕に次ぐくらいの魔法士とお見受けした」
黒いマントを深く被り、顔を露わにしない男に舌打ちをする。
「何でこの僕がこんな得体の知れない侵入者を相手しないといけないんだよ。折角、あの子で遊んでいたとこだったのに……」
「あの子……」
「なになに、やっと反応したかと思ったらそういうのは反応するんだ。どうせ君は直ぐに殺されるんだし、教えてあげるよ」
地上に降り、俺は少し離れた位置にて視覚、聴覚を強化して瀬戸雄二の行動を追っていた。
この魔法を行使した人物と何やら会話をしていたのを遠くで盗み聞きする。
「知っているかい?つい、一週間くらい前に勇者がこの研究跡から脱走したのを」
金髪の青年、ルーファスが発した言葉に勇者が何故、ボロボロで大森林にいたのかを察した。
「アリス姫を殺害し、海に落ちて逃亡を図ったものの漁船の連中に売り渡されてこの研究所で五年も魔術実験の実験動物として扱われた哀れな男。けどね、つい一週間前かなんかに国外逃亡していたアリス姫の元側近である侍女のテリアちゃんがノコノコと王国に戻って勇者を逃がしちゃったんだよ」
俺の知らない五年間。
瀬戸雄二の継ぎ接ぎだらけの傷、強引に植え付けられた魔術因子の痕。
あれを見る限り、壮絶な時間を送っていたのが目に浮かぶ。
「まぁ、僕が対処に当たってテリアちゃんは捕まえたんだけど、勇者は転移の魔石で追跡不能になってさぁ。あれって、移動地点を予め入力して発動する魔法なんだけど、僕って天才だから発動前に違う場所に変えちゃったよ。ねぇ、何処だか分かる?」
ルーファス、奴がベラベラと話お陰で一連の流れが全て掴めた。
「………あぁ、もういいよ。この話やーめた」
一人でテンション高く話を進めていたルーファスは興が覚めた顔でフードの男を睨む。
「何処の誰だか……なんて野暮な事は聞かないよ。実験動物君♪」
正体を暴かれた瀬戸雄二は片手でマントを外し、己の顔と身体を見せつける。
長く伸びた髪は短く切られ、片目だけ赤く染まった魔晄の瞳が真っ直ぐに対象を捉える。
「お早いご帰還だね。そんなに虐められたいの?それとも……テリアちゃんでも助けに来た?」
「復讐」
「あーそっちね。無理無理、だって君は僕に殺されるのだから」
指を鳴らす。
その行為一つで凍てつく吹雪を起こす。
「君の炎は僕には効かない。大人しくここで凍え死ぬことを推奨するよ」
「王子は何処だ?」
「……君、僕の話を聞いてた?そんな無駄な事は聞かないでよ。さっきまでテリアちゃんを虐めて遊んでいたとこだったのに……まぁいっか、君の死を聞けば彼女はどんな絶望をするのか楽しみだ」
「王子は何処だ?」
「しつこいなぁ。僕に勝てたら教えて……」
ジュウ。何かが燃える様な音に耳で感じ、右腕の異様な感触に目を向ける。
たった一瞬。少しの間、目を閉じただけでルーファスの右腕は灰と化して消えた。
「ぼ、ぼぼぼぼくのうでがあぁぁぁぁぁぁぁっ!何で、何で何で!僕の絶対零度の領域で火系統の魔法がまともに行使出来るはずがない!」
「もう一度、聞く。王子は何処だ?」
「ふぇあぁぁ、黙れぇぇぇぇぇぇ!」
腕を凍らせて応急処置を取るも痛みと動揺で気が狂い散っている。
「実験動物風情が!毎日毎日、散々僕に痛めつけられていた犬がぁ!」
「好きに言えばいい。どの道、俺はお前を殺す」
「喋るな!姫を殺した罪人がぁ!」
「殺した?アリスを殺したのはどこのどいつだ?」
殺気。
蛇に睨まれた蛙の如く、じわじわと牙を突き立ててくる恐怖に駆られルーファスは後ずさる。
僕が恐怖しているだと……聖剣が無ければ何も出来ないこんな異世界人に?
有り得ない。あってはならないことだ。
僕のプライドが絶対に許さない。
生憎とこちらの魔法は既に機能している。あとはこの男よりも早く魔法を打てば……
「怨恨の炎」
瀬戸雄二の足元から魔力の波が一斉に広がると再び地獄の業火が一帯を呑みこむ。
展開中の魔法領域を上書きされ、熱された鉄板の上にいる感覚に陥る。
「あぁっ、あちゅい!」
足元に魔法を集中させ、焼かれまいと必死に抵抗を試みるも瀬戸雄二の内面を反映するかの様な怨讐の炎の勢いにより著しく魔力を消費させられる。
「た、助けて!しにゅうぅっ…死んじゃうよ!」
「なら、答えろ」
「王宮だ!王子は王宮の自室にいる!」
「………噓だな。先程、テラスからこちらを観ていた」
そう言われ、振り向く先に王宮のテラスに影がひっそりと映る。口を開いて何かを呟き残すとフッと笑いながら姿を消す。
「くそ、あの利己主義王子があぁぁ」
「用は済んだ」
「なら……」
「言った筈だ。これは復讐だと」
「へ……」
「お前にはアリスを殺した復讐を果たす」
「お願いします。やめ……」
胸に手を当て、内側に向けて一気に炎を込めると簡単に焼死した。
血も涙もない。
情に訴えられようが何も感じない。ただ己の欲望に従い、復讐を果たす。
これが瀬戸雄二の終わりであり、始まりになる。
世界を救った勇者は死に絶え、世界を破壊する新たな魔王の誕生。
奴のその背は何処か見覚えのある面影を映していた。




