七十四話 災厄との再会
「茶だ。毒は入っていないから安心しろ」
「信用出来るかよ。お前が魔王である以上、こんなもの飲めるか」
「ぷはぁ〜、生き返るぅぅ!親父さんもう一杯」
「……」
俺と魔王とのやり取りを全く耳にしないで渇いた喉にお茶を勢いよく通したジグルドに俺は「こいつ、世間知らず」ではなく、「ただの馬鹿」ではないかという印象に切り替えた。
コップを取った魔王は机の上に置いた麦茶を注ぐ。
「ほれ」
「ども」
そう言って再び、豪快に飲み干す。
世間知らずって怖い。そう思いながらも、俺は渋々茶に口をつけた。
「すまんな。簡単なおもてなししか出来ん」
「求めてないから、安心しろ」
「そうか」
特にこれといった会話は弾まなかった。
正直に言って、目の前にいるこの巻き角が生えたオッサンは俺が殺した魔王張本人である。その筈なのだが、俺が知っている魔王とは程遠く、悪魔を従えて世界を滅ぼさんとしていた面影は塵一つ残っていない。
「まさか、勇者。お前がここにやってくるとはな」
「偶然だ。俺から言わせれば、まさかこんな所で隠居しているとは思わなかった」
「理由があっての事だ」
「理由?こんな場所に身を潜めて子育てなんて笑えないぞ」
その解答に魔王とジグルドは如何にもと言った顔で返す。
何故だろう、俺が間違っている気がしてならない。
「それでお前は本当に魔王なのか?」
「そうだと言っている。【怠惰】の戒言を有する効果で俺に世界を破滅に導く気は一切ない。それともなんだ。俺にもう一度、世界を破壊する悪役になれと?」
「思ってもない事を口にするな。言われるだけで俺はもう一度、お前を殺しかねない」
「そうしたいならそうしろ。俺はお前達に裁かれるべきだからな」
「………」
分かってはいる。
今更、この魔王を殺した所で世界は何も変わらない。
ユリナや国王、女王が掲げる魔王復活の阻止を成すのであれば、ここで殺しておいて損はない。むしろ、そうしておくべきなのかもしれない。
しかし、俺はそうしようと思っていない。
ここに来る途中で俺は魔王から色々と説明を受けた。
まず、魔王が生きている理由。これは至って単純な仕組みだった。俺が心臓を刺し貫き、奴は死んだとばかり思っていたが、実際に俺が刺し貫いたのは心臓部に刻印されていた七つの戒言の塊。
それを聖剣で分離、浄化を俺の意思ではなく、聖剣が己の意思で行い。魔王を密かに生かしていたということらしい。そして、もう二度と暴走させない為に【怠惰】の因子のみを残して、大陸の外れで拾った人族の娘を育てながら、人と関わらない選択肢を選んだという。
一見すれば、良いハッピーエンドみたいではある。実際に、もう二度と魔王と成り得ないのであればこの暮らしに否定する事はないし、目を瞑るのもやぶさかではない。
だが、やはり心の何処かで受け入れられない自分がいる。
例えば、見方を変えるとこうも捉えられる。
本当は世界を壊したくはないし、争いもしたくはなかった。しかし、自分の中で自分を支配していた戒言により、俺は暴走してしまった。その悲劇を二度起こさない為に、敢えてこういった生活を送っている。
多少の脚色はあるものの、俺は心の何処かでそう言う風に捉えて聞いてしまった。
あたかも、自身が被害者であると主張するかの様に。
「俺はこの世界を破滅に導く魔王であった事に変わりはない。自分の意思で決め、確かに実行しようとした」
「今更そう言って何になる?」
「いや、何か思い違いをしていそうだったからな。その歪んだ思考を正したまでだ」
その物言いにカチンときた俺は拳を振り上げて殴りかかろうと睨むも、直ぐに察知したジグルドの手によって阻まれる。
「落ち着け。ここで手を出せば相手の思うツボだ」
「分かっている。だが、こいつは殴らないと気が済まない」
「殴って気が済むのなら、俺は止めはしない。だが、暴力で気持ちを解決するするなら俺はお前を心底見損なう。元の世界で習っただろう、暴力では何も解決しないと」
「こいつらは悪魔だ。対話で解決するならとっくに……」
「話して気が付かないのか、今お前の目の前にいる相手と対話していた事に」
「………」
「気付いたのなら、その矛を納めて言葉で解決しろ」
「……ごめん。熱くなり過ぎた」
思った以上の正論に頭を冷やした俺は腕を引いて、もう一度座り直す。
脳筋でただの馬鹿だと思っていたが予想以上に理性的で感情に訴える人間性だった事に少し驚く。
「まぁ、俺も親父さんが魔王だったのには内心滅茶苦茶驚いている」
うん。こいつやっぱ馬鹿だ。
「それでお前は今後、どうするつもりなんだ?」
「このままここに居続ける。そうしたいのだが、外は荒れているのだろう?」
「新たな魔王の出現と魔晄四獣の生き残りに手を焼かされている」
「生きているのはザビーダとザラか?」
その問いに俺は曖昧に頷く。
「ザビーダは戦ったが、ザラって悪魔は分からない」
「ザビーダは勇者であるお前が殺したのだろう。奴がまだこの世界にいるという事はザラも一緒に居る可能性は高い。あの兄妹は古くから知っているしな」
「お前が言うのならそうなんだろうな」
「新たな魔王についてはどうだ?」
「………」
俺はその回答に少しばかり迷う。
ユリナは今、外で気を紛らわせていないから聞かれる心配はないだろうが、兄貴の存在を元敵であった魔王に打ち明けるにはまだ信用に足りない。だが、何か知っているのなら教えてもらえるチャンスではある。
さて、どうすべきか……。
「その様子だと、まだ把握出来ていないようだな」
「え……あぁ」
「いずれ分かる。仮にも奴らが俺の有する戒言を奪いに来るなら近日中にもな」
明らかに妙な言い回しをしたな。
「敵がここに来るのか?」
「既に侵入されている。この場所に辿り着くのも時間の内だ」
「まさか、合流するつもりか?」
「その気はない。あちらの目的は戒言であって、俺ではない。むしろ、器である俺を殺しに来ているに違いない」
「その割には落ち着いているな」
「まぁな。お前とプリンセスがここに来てからは焦る必要がなくなったしな」
「まさか、俺達に戦えと?」
「提案するなら、あくまでも共闘だ。一方は俺が受け持ち、もう一方はお前らに任せる」
上から目線な提案に俺は再びイラつきそうになるも自制される。
『主もう遅いよ。君たちがここに来た時点で奴の思うツボさ』
デュランの指摘通り。魔王は俺達が奴と出会う以前に自分へと放たれた刺客の存在に気付いていた。その対処を偶然にも奴にとっては最高なタイミングで現れた俺達に手伝わせてようとしている。一見、俺達に何のメリットもない様に見えるが、一応メリットはある。
戒言を奴らに奪わさせないという点。単純に見えるが、それは最も重要な点であるため、無視は出来ない。これ以上、兄貴達の元に戒言を集めさせる訳にはいかないから。
「分かった。受けてやる、ただしこっちも条件を出させてもらう」
「聖剣の所在についてか?」
「何でもお見通しって訳か」
「勇者がここに来た目的はそれしかないだろう。その点なら、直ぐに教えてやる」
魔王の視線はリビングの奥にある部屋へと向けられる。
リビングと寝室を隔てるガラス窓からリスフェルトは薄っすらと顔を覗かせて、腕を交差させ合図を送ってくるも魔王は鼻で笑って無視し続ける。それに気付いた俺はふと背後に振り返るも、何も映っていなかった。
「親父さんよ。敵の襲撃に際してあの子はどうするつもりだ?」
「お前に預ける」
「よかろう」
五秒で会話が終わったんだが。
もっとこう他にも聞くこととかあるだろう。
一先ず、話を終えた俺は外に出る。ここが大森林のどの辺りかは不明だ。しかし、大森林の中で唯一光が差す場所、空から飛んで眺めれば一目で分かるに違いない。
女神が降臨する光のベールの中にあるエメラルドの泉。その近くに設けられた丸木椅子の上にユリナと小さな子供が仲良さげに話している。
その傍に歩み寄ると先にユリナが気付く。
「お話は終わりましたか?」
元気がない。魔王と再会してからユリナは何処か上の空な顔をしていた。
それも無理もない。俺はともかく、彼女にとって一体何人の者が魔王の手によって殺されたことか。
加えて、生まれた時から世界の脅威として恐れられていた魔王と顔を合わせて話すこと自体、非常識で異常。そんなユリナにしか分からない、感情が複雑となって珍しく困惑しているのだろう。
「一応は。……それでなんだが……」
「共闘ですか……」
「聞いていたのか?」
「いえ、何となくです。現在、こちらに魔晄四獣クラスの敵が高速で近づいています」
「成り行きではあるが、俺はそいつらの対処に当たるよ……魔王と一時的に組んで」
魔王と…その言葉に反応したユリナは案の定苦い表情でこちらを見詰める。
「私は反対です」
「……」
「魔王は私達の敵です。憎むべき災厄の他ありません」
それは同意見だ。
だが、今の俺に憎しみの感情は理解出来ない。
クロードを殺したのはザビーダであって、魔王は直接的に手を下していない。
そもそも俺はこの世界における大切な人を魔王に殺された事はない。大切な人が少ないという点ではユリナには劣るし、魔王そのものに対する憎しみもユリナ程ではない。けど、ユリナがこのことで凄く苦しんでいるという事は婚約紋章を通して伝わってくる。
「ごめん。今回は俺の我儘に付き合ってもらう。もう決めたことだし」
「付き合ってもらう。ではなく、我儘を通す、でしょう」
「だから、今回は俺と魔王の二人で戦う。ユリナはその子を連れて、ジグルドと共に街に戻ってくれ」
「………」
いやです。その期待通りの返事を予想していたのだが、ユリナは少し下を俯く。
「分かりました。そうさせてもらいます」
妙に煮え切らない返事ではあるが、一先ず許可は得れた。
これで気兼ねなく戦えるぞ。という風には一切ならなかった。むしろ、心の距離が空いてしまったかの様に感じた。
予想通りの返事が来なかったせいか、あるいは自分が思う通りに進んでいるせいかは分からない。
だがこれだけは言える。正直、ユリナがここに残るという言葉を心の底では期待していたんだと思う。しかし、俺は彼女の意思も尊重したい。
魔王との共闘なんて、彼女にとっては人生最大の汚点であり、自己の矛盾に繋がり兼ねない。
そのプライドを俺の我儘で汚させる訳にはいかない。
「じゃあ、ジグルドと共に街を頼むよ」
「………」
返事はない。
これ以上、ここに居ても話す内容が思い浮かばなかった俺はユリナの影でこちらを伺っていた少女に『ごめん』と口の動きだけで伝えると小屋へと戻る。
「お姉ちゃん……」
「ごめんなさい。ちょっと落ち込んでいて……ううん。何でもない」
弱音を溢し掛けたユリナは直ぐに笑顔を見せると立ち上がって少女の腕を取る。しゃがんで少女の目線に合わせると優しい声色で話す。
「これから、お姉さん達と一緒に街に向かうからお父さんの所に行って準備して来て」
「お父さんは一緒じゃないの?」
「お父さんと悠馬様はここに残る役目があるの。セリンや私達がここに残っていたら邪魔になっちゃうからね?」
「うん」
「じゃあ、お姉さんここで待っているから、直ぐに荷物を持って来て」
「それなら、問題ない」
背後から声が聞こえると少女は自身の父親の元に駆ける。
大きな太股にしがみつくと「私もここに残る」と駄々をこねる。
「はっ……」
ユリナの瞳には一瞬、少女の首が刎ねられるかの様な錯覚に陥る。しかし、直ぐにそれが現実ではない事に気付く。
少女の父親としての顔を持つ魔王の表情は見たことがない程穏やかで、心の底から違和感を覚えざるにはいられなかった。
どうして……。
どうして魔王であるあなたが人間の少女を娘の様に慕う?
極悪非道、暴虐武人である世界の脅威がなんでそんな顔が出来る?
私には……分からない。
「プリンセス」
「………」
「勇者にも伝えたが、許せとは言わないし、殺したくば殺しても構わない」
「私に聞いても同じ答えが返ってくるだけですよ」
「さぁ、どうかな。勇者とプリンセスは違う」
「……あなたは覚えていますか。あの時、私に伝えたことを」
「覚えている」
「あれは今になっても変わりませんか?」
「あぁ。お前は何も変わっていない」
「……ッ!」
「これ以上は流石に地雷を踏みかねん。俺の最優先事項はセリンの安全保証だ」
「公私混同の区別は付いていますからご安心を」
「なら、任せる」
小さなバッグをセリンに手渡すと優しく頭を撫でる。
その姿に魔王の面影はまるでない。子供思いの無愛想な父親。
やめて。
そんな顔しないで。
どうして……。
答えの出ない自問自答がグルグルと頭の中を掻き回す。
ふと、足を掴まれる感覚に気が付くと小さな少女がこちらを覗き、笑っていた。
「いこ、お姉ちゃん。私は大丈夫だよ」
「うん。行こうか」
煮え切らない想いを抱えたまま、ユリナは少女の手を取る。
小さな手の温もりに触れ、心を落ち着かせようとするも魔王に言われた言葉が脳裏に過る。
私は変わらない。変わりたくない。
これ以上、私は自分の信念を曲げたくない。
でないと、私は戦えない。




