六十九話 休暇(旅行)④
風魔法を付与した高速で移動する馬車に乗って移動していたため、普通なら約三日かかる道程をたったの十時間半で到着したのには少々驚いた。その分、揺れが激しくなりユリナが完全に乗り物酔いしてしまったのは少し可哀想だった。
ユリナの酔いも落ち着き、歩けるようになると本日予約していた旅館に向かう。無事にチェックインを済ませ終わると俺達が泊まる一室へと案内される。
「和室か」
「悠馬様にはこちらの方がいいかと思い。和室をお願いしました」
「温泉街と言えば部屋も和室だよなぁ」
「それに露天風呂もまで付いていますし」
そう言われて、洗面所のある通路を抜けた先に出ると星々が煌めく満天夜空と源泉の川や温泉街を一望できる絶景の露天風呂があった。長旅の疲れを癒したく、今すぐに湯船に浸かりたい気分に駆られるも、背後から「御夕食の後です」と釘を刺され、楽しみを後に回した。
十畳間とかなり広く、大きな部屋に関心を払っているとある事に気づく。何となくだ。何となく分かっているが、俺はどうしてもこの言葉を発したくなった。
「いやぁ、一人でこんな良い部屋は贅沢だな」
「二人ですよ」
「……やっぱり」
「やっぱりってなんですか。そんな見え据えた言葉を……」
「間違いが起きたらどうするんだ?」
「間違いも何も……私達は婚約してますよね?」
「……」
「それに今に始まった事ではないでしょう」
「……ごもっともで」
今更ながら、俺は自分がまだ童貞で、キスくらいしか経験のないガキだった事に気づく。ユリナと二人きりで過ごす夜は今に始まった事ではなく、もう既に四度くらい一緒に何もなく寝ている。
屋敷で行為をしようものなら、以前はセルフィの覗きに合うリスクやアイラちゃんやフィオの悪影響を懸念して、俺は節度ある距離で健全に、且つ何の疚しさもなく寝た。
しかしだ、今回は違う。
俺とユリナの二人きりで誰にも邪魔されず、完全にプライベート空間を楽しむ事ができる。
今までに何度、夢を見てきたであろうあの光景が。
今晩、訪れるというのであれば、俺は……
「悠馬様、何か変な事をお考えではないですか?」
「いや……何も…」
「先程から、やけに身体を求められる感覚が伝わってくるのですが」
右手の甲に視線を落とすと桃色の紋章が薄く輝いているのが分かる。
左手で覆い隠すと俺は振り返ってはぐらかす。
「気のせいだろ……それより、夕食は普通に食べれるのか?」
「すみません。まだ、食欲は……」
「いいよ。無理して食べる必要はない。俺もさっきの宿場町で食べて腹は空いてないし」
会話の途中。ドアを叩く音が聞こえると俺は「どうぞ」と入る許可を促す。
「失礼いたします」
ドアを引いて入ってきたのは先程、旅館の入り口付近で立っていた四十代くらいの男性従業員かと思いきや、どうやらただの従業員ではないらしい。
先程の身なりや格好と違ってスーツ姿に似た正装を纏っている。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。私、当旅館のオーナーを努めます。カタギリ・サージャと申します」
「お久しぶりでございます。サージャ辺境伯」
「お目にかかれて光栄でございます。ユリナ姫様、そして瀬戸悠馬卿」
「ご要望聞きに入れて頂きありがとうございます」
「ご要望?」
「はい。この旅行は公務ではなく、私用で、一市民として扱って欲しいとお願いしたのです」
「姫様と英雄様がいらっしゃるとあれば我が温泉街総出で歓迎致しましたが、ユリナ様は望んでおられないようで」
「たまには、一目を気にせず過ごしたいのです」
「左様でございますか」
「それに関しては、俺もユリナに同意かな。折角の故郷の文化を堪能したいし」
「……お気付きでしたか」
「こんな一風変わった街並みを見れば思い出さるを得ませんよ。カタギリさん」
「隠しても仕方ありませんか」
「あなたは転生者なんですか?」
その問いにオーナーのカタギリさんは首を横に振る。
「私ではなく、父がですが」
「その方がこの温泉街の創始者であり、元々大森林の門番としてこの一帯を新たに開発し、今では王国の三大名所へと変えた偉大な方です」
「父は大の温泉好きでして、初めは何もないこの土地に源泉を引くのは苦労したと聞いております」
なるほどね。ゼロから始める異世界温泉生活とは難儀しそうなものだ。
しかし、結果はどうみても成功でしかない。その人の苦労がなければ、この温泉街はこれ程まで立派な場所とはならなかっただろう。
「その後はここを治めていた私の家名でもあるサージャ辺境伯の一人娘であった母と結婚し、この王家御用達の旅館の経営と本来の仕事をしているのです」
「カタギリっていうのは?」
「父の元々の名だったのでしょう」
「カタギリっていうのは明らかに苗字じゃ……」
伝わるか分からないが、聞いてみるとカタギリさんは困った顔を浮かべた。
「申し訳ございません。父も自身の事をカタギリという名前しか覚えていなかったのです。私自身も、父の晩年にこのカタギリの名を受け継いだので」
ケンイみたく前世の記憶に欠損がある、あるいは思い出し切れなかったパターンか。
これ以上の追求をしても仕方がない。一度、この話を終えるとカタギリさんはこの旅館の施設の説明を一通り行う。
朝昼夕と食事は二階のレストランにて豪華な料理を食べられるらしく、一階にはロビーと一般向けに解放された大浴場や購買部がある。
俺達が泊まるこの部屋は最上階の五階に位置し、他の部屋とは違いこの温泉街で最も高い位置にあるため本館から繋がる橋を渡って来たのは記憶に新しい。何でも岩場だったこの場所を半ば切り崩して建てた、特別な摩天楼の一室となっている。
「そんな場所に泊まったら、それこそ怪しまれるんじゃ」
「ユリナ様らの訪問は一部の従業員しか知り得ません。知っていても、その様なお姿ならバレますまい」
「そ、そうですね。これは変装みたいなものですから」
先程、温泉街のベンチの上で落ち着いて寝ている彼女を見ても誰も気付かなかった事を思い出すとカタギリさんの言葉に確かにと頷く。
「何か御用があれば、通信用の魔石を使ってお知らせくださいませ。私はこれにて失礼させていただきます」
と言い残すと一礼した後に部屋を出て行く。
♦
「はぁ~、最高だな」
カタギリさんが部屋を出た後、今晩の夕食を諦めた俺は先に露天風呂を満喫する事に決めた。
洗面所の所で服を脱ぐと白いタオルを持って外に出る。
標高も高いのもあってか、夜はかなり冷え込む。
山間を吹き抜ける風に晒されながらもシャワーを浴びて、小刻みに身体を震わせながら急いで洗う。
一通り洗い終わると石造りの温泉に身体を浸からせた俺は、端の方に行くと改めて景色を堪能する。
煌びやかな建物の光が温泉街の中心を通る源泉川の湯気で屈折され、何処か幻想的風景を作り出す。加えて、空を見上げれば満天の夜空に、いつになく輝く十五夜の満月。季節は最高の秋晴れと言える。
「まさか、この世界で俺の人生における最高の温泉景色に出会うとはなぁ」
日本に居た時も何度か、これと似た景色は見た事があった。特に一番記憶に残っているのは山梨にある『ほったらかし温泉』だったか。
小学生の頃、親に連れて来てもらい、そこで見た富士山と雲海の景色は忘れられないくらい目に焼き付いた。しかし、今目の前にあるこれはそれすら超える異世界ならではの景色だ。
「気に入って頂き何よりです」
「ホントに最高だよ……って、え?ええっ!?」
ふと聞こえた声とポチャという水の音に意識を介さずに返すも、冷静になった俺は振り返って驚く。
いつの間にか後から入浴をしようと入って来たユリナは堂々と一緒の湯船に浸かる。
「俺は悪くないぞ。先に入ってたし!」
「何を馬鹿な事を言っているのですか、私達は仮にも婚約者という関係ですよ」
「……そうだよな。夫婦ならセーフだよな。夫婦なら」
「誰も夫婦とは言ってません。それに……私の身体を見るのは一度や二度そこらではないでしょう……」
少し顔を赤くしたユリナは湯に半分顔を沈める。
「アレらは全部事故や巻き込まれて……」
「嘘はいけません。私は今でも、あの夜の遊びについては許していませんよ」
水面から放たれた殺気に、これ以上の言い訳はよそうと考えると同時になるべくユリナの方を見ないように意識する。
「それと悠馬様、何故目を露骨に逸らすのです?」
「何でって、そりゃ見られたら恥ずかしいだろ」
「お気遣いは無用です。私は別に悠馬様になら見られても構いません」
なるほど。
なら、存分に見させてもらおうじゃないか!
その言葉、然と素直に受け取らせて頂きます!
とまぁ、意気込んだものの。再度自分の甲斐性のなさと童貞さに気付かされると景色の方に目を移す。
その奥手にムッとしたユリナはクスリと笑みを浮かべ、俺の身体に柔らかい肌の感触を与える。
止めてくれ、これ以上は脳内の興奮が抑えられそう……いや、めっちゃ冷静になった。
『主も男だね』
今回ばかりは肯定せざるを得ない。
デュランの感情抑制により、俺はいつも通りの内面状態を保ったままこの最高と言えるシチュエーションを心置き無く且つ冷静で俺の俺も興奮すること無く楽しむ。暫く、沈黙が続き頭の中で何か話す内容をと考えていると先にユリナが言葉を発する。
「悠馬様は何人子供が欲しいですか?」
「………え?」
不意打ちにも程がある。
予想外の右ストレートに俺の思考は真っ白と化す筈なのだが、俺は冷静に答えた。
「二人かな」
何でだ。何でこのタイミングでそんな質問を俺に投げた?
一緒に入浴した事と言い、このタイミング。
つまり、誘っているのか?!
「またいやらしい事を考えていますね」
「……考えてない」
「でも、予想通り過ぎて面白くありません」
「なら聞かないでくれよ。それに子供が多いと面倒見るの大変だって」
「私達の子供なら問題ないですよ」
「そうかな?ユリナに似て頑固で意固地で、策略家な子で大変……やべ」
「私を……そんな風に思っていたんですね」
しまった、つい口を滑らせた。
ぷるぷると身体を震わせるとユリナに湯船の中で正座させられると今までに溜め込んでいたであろう俺に対する自身の不満と文句を嵐の如く浴びさせられ、解放されるのに三十分程かかった。




