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六十五話

「……海で泳ぎたい」


俺はこの執務室から一望できる青い水平線を眺めるとそう無意識に呟いていた。

俺のいない間に執務室のデスクに積み重ねられた大量の書類という現実に目を逸らして。


「私も賛成ですが……リヴァイアサンを見て以来少しばかり海が怖いです」


同じく書類整理を手伝ってくれているアイラちゃんはいつものスーツ姿で海から若干目を背ける。

その言葉に俺は遺跡の海域でリヴァイアサンに遭遇した事を思い返すとあの水平線から突然飛び出してくるのではないかという恐怖に駆られる。実際、相当トラウマを植え付けられたフィオは以来、砂浜には近づかず、最近ではフィオの寝室の窓辺から海が見える事があってか、真夜中に別室のケンイの部屋で一緒に寝ているという事も耳にした。


「それにしても、よくあのリヴァイアサンから逃げれたね」


アイラちゃんと同じくスーツ姿にメガネをしたインテリっぽく見えるアリーゼが机を挟んだ向かい側に座ってペン回しをしながら顔を上げる。


「そう言えば、リヴァイアサンを見た人間は必ず死ぬ、みたいな伝承があったよな」

「はい。リヴァイアサンという生態も死ぬ間際に残した人の伝記でしか記されていませんでしたから、こうして私達が生き延びているのは奇跡に等しいですよ。ですがリヴァイアサンにはもう一つ怖い話がありまして……」

「怖い話?」

「……あんまり口にしたくないです」

「じゃあ、私が話ね」


小さく頷くとそういう怖い話に抵抗がなさそうなアリーゼは少しニヤニヤした顔をする。

何か人の弱味を見つけた時の顔が母親とそっくりだ。


「リヴァイアサンを見た人間は必ず死ぬ。言い換えれば、リヴァイアサンを見た人間はリヴァイアサンに殺される、という話もあるの」

「聞きたくない話だな」


その事を知っているからアイラちゃんとフィオは露骨に海に目を向けたがらないのか。


「ある漁師がリヴァイアサンから命かながら逃げたにもかかわらず、その晩に追ってきたリヴァイアサンが漁師を食い殺した、という話」

「海辺に住む子供の間で流行る童話の一種です。早く寝ないとリヴァイアサンに食われる……みたいな」

「なるほど」

「そもそもの話。リヴァイアサンがここまで追って来るなんてあり得ません!」

「そんな事言ってぇ~、アイラだって毎晩不安がって窓の外を一回一回確認しているの知っているよ~」

「ち、違うの!不審な人物がいないか確認して……」

「正直に言いなよ。怖いって」

「む~、アリーゼの意地悪」


確かにそう言われれば、アイラちゃんとフィオが怖がるのにも頷ける。実際にその伝承を目の前にして、体験している以上毎晩その脅威に苛まれるのは可哀想としか言えない。恐らくケンイもその話は知っているだろうが気にも止めていないのは、一目瞭然だ。

帰って来て以来、セルフィの言付けを守ってしっかりと魔力制御の練習や新技の開発に取り組んでいる姿は今も見て取れる。新たな師と共に。


「いいぞ少年!もっと前に踏み込め、そうだ。もっと強く!」


砂上で激しい足技や拳を繰り出して二人は組手を行う。今日の気温は二十度近くとやや高めではあるが、いつもよりは快適な温度と言える。だが、日光で熱された砂上で声を出しながら鍛錬を行う二人の身体から大量の汗が流れているのが分かる。


「ここ最近、ずっと二人で戦っていますよね」

「ケンイ自身も強化の魔法を駆使した近接格闘には興味があったみたいだし。いい師に恵まれたかもな」

「……悠馬って、リュートさんの事を嫌っているんじゃないの?」

「私も思いました」

「別に嫌っている訳ではない。ただ、顔を合わせる度にあの馬鹿が突っかかる態度を取るのが問題なんだよ」

「言われてみれば……」

「何が原因でそうなったの?」


何が原因か。

恐らくはあの馬鹿と初めて出会った頃だったか。


「一目見て気に食わなかったのか、出会ったその日に決闘を申し込まれてボコボコにした以来、ずっとこんな感じなんだ」


その言葉を聞いて二人は何とも言えない顔で頷く。


「見るからにプライド高そうですから」

「うん、容易に想像出来るね」

「まぁ、聖剣を持っているからというだけで腕っ節に自信がある奴と何度も決闘したが、アイツだけは絶対に負けを認めない程のプライドの高さだからな。それに……」

「ヘボ勇者ぁ!聞こえてんぞ。ボコボコにしてやる、降りて来いや!」

「とまぁ、獣人な上に地獄耳な奴だからくそ面倒くさい」

「下手な発言は控えます」

「私も……」


窓の下を見ると指で下に降りるよう合図をしてくるも俺は窓の扉を閉めて声が聞こえないようにする。

ナルシャ達、獣人の一行は俺の領地でまだ開拓していない林付近を自由に使っていいという事から、ここ二、三日間は新たな住居を建てる為、ずっと土木工事に明け暮れている。が、あの馬鹿にはそれが務まる筈が無いため、ケンイの戦闘訓練に自ら率先して教えを受けさせているのには我ながら助かっている。

加えて、今は見えないがフィオも支援と回復魔法に長けたナルシャから様々な知識を教えてもらっているらしく。また新たな二人の成長が期待出来る状況になっている。


「さてと、こんな資料を相手にしている暇はないし。さっさと片付けて俺達も特訓をするか」

「はい」

「そうだね」


珍しくやる気を入れた俺は二人のサポートの元、今日中に終わらせる勢いで行った結果、最後の一枚に判子を押して署名した頃にはもうとっくに日が沈んでいた。

海を見渡しながら身体を伸ばして欠伸をしていると少し先の海面から何か黒い影が動いている気がした。

昼間に聞いたアリーゼの話が不意に脳裏を過ぎると嫌な予感に襲われる。


「気のせいだよな。疲れているだけだよな」


そう言い聞かせて直ぐに窓辺から離れると夕食の支度が出来ているであろう二階へと颯爽と降りて行った。


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