五十九話 兄貴
俺には三つ離れた兄がいる。名前を瀬戸雄二。
正確に言えば、いたという方が正しいかもしれない。
面倒見の良い兄貴で、賢く頼りがいがある反面、朝に弱く、自分の趣味に没頭する変わった人だった。 別段、仲は悪くないがなにせ三つも離れていたことがあってか、家で一緒に過ごす期間はお互い成長するにつれて少しずつ減っていった。兄が高校を卒業して、地方の大学に入学したのを機に兄は家を出ていった。そして、その一週間後だったか。当時、俺が高校の入学式を迎えた日の晩に兄の失踪が発覚した。
何の前触れもなく、行方不明となった兄を父さんと母さんは酷く心配して警察に捜索を依頼するも、手掛かりが見当たらないため、その足取りは一切掴めないでいた。部屋や窓は完全に締め切られ、強盗が入って荒らされた形跡もない。捜索打ち切りの決め手となったのは、一つしかない筈の部屋の鍵が居間の机に置かれていたことだ。
この不可思議な事件に母さんは酷く心を痛め、父さんは未だに兄の手掛かりを一人で探していた。
俺はというと、これと言った悲しみは湧かなかった。
死んではいない。
そんな安心感が心の拠り所となっていたお陰でポジティブに考えられた。
いつかまた会える。
その期待を胸に俺は高校生を送ろうとしていたが、まさか失踪した兄と同じ道を辿ろうとしていたという事に当時の俺は気付けただろうか、いや気付けまい。
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「まさか、俺と同じでこの世界にいたとはね」
兄の生存、そして今ではこの世界の害敵として存在している事に驚きを通り越して、啞然としていた。
実感が湧かない。その一点に尽きる。
「やはり、お主の知り合いじゃったか」
「あぁ、俺の兄だよ」
何でその事を今まで隠していたんだ。そう問い詰めたくなる自分も居るがそれ以上に俺は言葉を発せなかった。
「俺が殺すべき敵が実の兄って……どんな冗談だよ」
皮肉なことに運命とはあまりにも残酷だ。
言うべきではなかった。
聞くべきではなかった。
お互いに言って、聞いてしまった以上、頭から消し去る事は出来ない。
悲痛にも聞こえる俺の言葉が沈黙を招くと話を展開させる。
「セルフィはかつての勇者パーティの一員だったよな」
確か、二百年くらい前だったか。
エルフの総寿命は最大で何百年以上と曖昧に言われているが、今ここで幼女の姿で語られてもいまいち実感は湧かない。
「うむ、雄二とは私がまだ少女時代の頃からの付き合いじゃ」
「そっか。兄貴は二百年近くもこの世界で……」
会った所で俺の事を覚えているかと問うても、分からないと言われそうだ。
本当なら死んでいてもおかしくない年月を生きた人間に「弟だよ」と言った所で思い出す訳でもないだろう。今の兄貴にとって、俺と過ごした時間なんて長い人生における十分の一以下でしかない。
そんなのもう、赤の他人に等しい。
知ってしまった以上、俺はこれから戦う世界の敵を自分の兄貴であると認識せざるを得ない。
「何処で何をしていたのかと思えば……よりにもよって新たな魔王かよ」
しかし、何で今になってそんな事実を。
俺自身、今に至るまで兄貴が居るとは一言も……いや、聞かれた事はあったか。セルフィと初めて顔を合わせた時だった。その時は深く気にはしなかったが、今になって思えば何か気付いていた様に思える。
「もっと早く知らせて欲しかった」
「すまぬ、言おうか言うまいか迷っていた。あ奴は既に亡くなってこの世界にはいないものだと思い、黙っていた」
「そうじゃない!」
怒り。
いや、この気持ちは何だ。
デュランの感情抑制が中途半端に働くせいではっきりと煮え切らないモヤモヤした気持ち。
吐き出そうにも吐き出せないこの詰まった感情。途轍もなく邪魔だ。
兎に角、冷静になって順序良く伝えよう。
「俺が知りたい事は多々ある。色々と答えてもらっていいか?」
「構わぬ」
「じゃあ、早速。何で今なんだ?新たな魔王討伐に向けて取り掛かろうって時に一番戦意を喪失しそうな相手にぶっちゃけたんだ?」
「誠意じゃよ。私らとて、己の家族を殺す様に差し向ける程、残忍な性格ではない。それに始まろうとするこのタイミングでなければ、途中で知ったお主は悩むであろう」
「そりゃ……そうだな」
聞いていると筋は通っている気がしなくもない。
どの道こんな事実、いつ聞かされようとも知ってしまえば迷い続けるのは当然だ。
その点ではこれからという始まりの時期に聞いておくのは良かったかもしれない。
「それであのライウェルって悪魔と兄貴はどういう関係なんだ?」
その答えをセルフィではなく、ジュウドさんが説明する。
「ライウェル殿にとって雄二殿は離れがたい関係だと言える」
「……」
なんか、その言い方をされると男同士で何をやってんだと問いただしたくもなるが、ここは冷静な判断で俺とクロードみたく親友関係であったと置き換えよう。その方が都合が良い。
「我々も直接、雄二殿の顔を拝見したわけではないが、ライウェル殿が悪魔として生きていたという点から雄二殿もそうであるとしか断言は出来ん」
「その割には確証に近い言い方ですね」
「我々の場合、ライウェル殿の性格と忠義を知っている。あの方が雄二殿亡き世界で未だに生きている筈がない」
「つまり、裏を返せば兄貴が生きている事に繋がると?」
「そうなるな」
離れがたいってそういう事か。
兄貴も忠義心の厚い男に好かれたもんだ。
「その感じだと、兄貴は他人から好かれていたんだな」
「雄二はお主と同じで他人を引き寄せる変な魅力があった。勇者という立場ではなく、一個人として特殊な人間だった」
「当時の我々からしてみれば、異質でしたね」
「異質?」
「今では四種族協定なるものが結ばれ、人口と軍事力の強い種族間同士の争いもなく、中立的な立場を取っておるがつい百年前まではそうでなかったのは、知っておるじゃろう?」
「歴史の範疇なら」
「種族間戦争以前、我々は互いにいがみ合っていた。特に人間族は他種族の子を攫っては奴隷にして虐げて弄ぶ、その所業に私は一度、お主ら人間種を毛嫌いしていた。しかし、雄二と出会ってからというもの、多少なりとも変わる事は出来たのじゃ」
「多少なりとも……というより大きくですよね」
「黙っておれ」
「ですが、雄二殿の存在が大きく我々に影響を与えたのは事実です。あの方がいなければ、魔王討伐をも成し得なかった」
「うむ、それに雄二が生きていれば……種族間戦争は起きなかったじゃろうな」
不意に発した憶測に捉えられる一言に俺は安堵した自分がいた。
兄貴は見も知らぬ土地で上手くやっていたのだと。
俺の目の前にいる二人だけではなく、多くの人々に影響を与えて敬られる。
けど、それ故に思ってしまう。
「何で兄貴は……悪魔になったんだ?」
「……」
「心当たりがあるって顔だな」
「うむ」
「セルフィード様、ここは私が……」
「よい。雄二が生きているなら話おく方が良かろう。二百年前、雄二の身に何が起きたか」
何から話そうか。
そう暫く腕を組んで悩んだセルフィは最初に一言、結論を呟く。
「結論から申すと、二百年前。雄二は人間に裏切られた」




