三十八話 少年の休息 中編
ここはどこだ。
気が付くと辺り一面が海だった。
屋敷にいる時も近くの浜辺で同じ様な光景を何度も見て来たが、今回のは違う。
三百六十度、見渡しても海面しか映らない。
ごつごつした岩場に波が押し寄せると少量の海水が降りかかる。
「これって満潮ってやつだよな」
先程までこの岩場まで浜辺が広がっていた。
気の赴くままにここへ足を運び、遠い海の彼方を見つめて現実逃避していた。
だが、潮が満ちる程時間が経っていたのは想定外だった。近くにあった浜辺の位置が今ではもの凄く遠ざかっている。
孤立無援、というわけでもない。
その気になればつい最近習得した飛空魔法で浜辺まで飛ぶのは容易。
問題はこの後にどうするかだ。
屋敷から飛び出したい、もといあの陰湿なロリエルフの修行から逃げ出したいという一心でここまで来たせいか、何処に行こうかなど一切考えてなかった。
今現在の位置も把握せず、海岸線に沿って気ままにのんびり歩いていた結果がこれ。
「もうちょっと進んでみるか」
飛行魔法で水面から1メートルの高さで浮き、そのまま並行移動していると先の方から船着き場がある港らしきものが見えてくる。
何処の港なのか探っていると昨晩、悠馬さんから聞いた話を思い出し、頭の中の地図に当てはめる。
「確か、スタットフェルト領だっけ。オレンジジュースの所の……」
昨晩飲んだあのオレンジジュースの味を思い出すとどうしてもまた飲みたくなる。
幸いなことに現金も少量所持していた。
「暑いし、喉乾いたし……行ってみるか」
そのまま微速で前に進み、徐々に慣れていくと次第にスピードを速くし、高度も上げる。
よし、いいぞ。
魔法制御も安定している。
このままもう少しスピードを上げてみる。
すると不意に何かイメージが湧いてくる。
空を高速で移動する人のイメージ。
昔、何かで見た様な光景。
それが何かはさておき、完全にコツを掴むと周囲に飛ぶウミドリより速く進む。
「あれか」
数分後、港の先が視界に入ると何隻のものの船が停泊していた。
多くの船員らがお昼休憩を取りながら楽しく談話をしている。
その彼らの一人がこちらに気づくと目を丸くして、持っていたサンドイッチを落とす。
「ん、どうした?幽霊でもみたか?」
「いや、ガキが空に浮いてて……」
「ガキ?ガキの幽霊でも見たか……って、本当に浮いてる」
二人に船乗りが唖然とした様子でこちらを見詰める。
「お、おいあんた。なにもん何だ?」
「俺は瀬戸悠馬の従者のケンイだ」
この国における今の俺とフィオの身なりはこういう状態らしい。
自分が何者か尋ねられたらそう答える様に言われた。
「あの勇者様か?」
「あぁ最近、子爵の地位を得て、大賢者様と一緒に暮らしてるって噂の方だ」
「確かうちの領主様とも仲が良かったよな。つい先日もここいらに来てたって」
「あの……」
「ん、ああすまない。で、君はここに何の用かな?」
「特に用はないんだけど……強いて言えばオレンジジュースを飲みに来たかな」
「オレンジジュース?あれはこの港の入り口付近にある店に行けば沢山飲めるぞ」
「なるほど、参考になったよ」
「ちょい待ち、いくら勇者様の従者と言えどそう空を浮かれては騒ぎになる。ここからは歩いて頼む」
言われてみればそうかもしれない。
騒ぎになって捕まるよりはマシか。
「そうするよ」
降り立った俺は情報をくれた船乗りに礼を言って船着き場を駆ける。
♦️
屋敷から悠馬さんの手配してくれた馬車で海沿いの街道を走ること約三十分。
辿り着いたその港からは屋敷の砂浜とは違った潮の香りが鼻をつく。
「フィオ様、私はここで待機しておりますのでお帰りの際はこちらに」
「あ、はい。すみませんわざわざ」
「いえ、お二人は我が主人である悠馬様のお客人です。それにあなた方は戦地で亡くなった我が孫らに似てます故、少し情が乗ってしまうのですよ」
馬車の運転を担当した心の優しい翁であるバードックさんは温かい声音でゆったりとした気持ちにさせてくれるところが何処かお爺ちゃんに似ている。
「では、行ってらっしゃいませ」
「行ってきます」
丁重に送り出された私は先ず、お使いを頼まれたお店へと足を運んだ。
ケンイが何処に居るのかは分からない。
けれど、目的がオレンジジュースならそういうお店にいてもおかしくは無い。
その途中で見つけられれば一石二鳥。
そんな軽い気持ちでお店を回ること約一時間。
一向に目当てのものが見つからなければ、ケンイの姿も見当たらない。
オレンジジュースの置いてある店は確かにある。
しかし、100パーセントのオレンジジュースが置いてある店が中々見つからない。
どうしたら手に入るものか、そう悩んで貰った紙の欲しい物リストを眺めていると何かにぶつかる。
「いたっ」
「おっと、済まない。大丈夫かい?」
尻もちを着いた私はぶつかった人の手を取って、立ち上がる。
「すみません、私の方こそ余所見してて……」
「いや、いいんだ。それよりもこれは君の落し物かい?」
拾い上げた紙をぶつかった男の人は眺める。
そのリストを何故かマジマジと見詰めるとこちらを再度見る。
若々しい隻腕の青年。
身なりや格好からして貴族の方であると分かる。
「君はもしかして、悠馬の所の従者の子かな?」
予想外のその問いに私は少し間を置いて答える。
「そ、そうです」
「この字に、この内容。100パーセントのオレンジジュースに拘る奴なんて一人しかいないしな」
「えっと、あの〜」
「ん、済まない済まない。私はここの領主のカイル・スタットフェルトだ」
やっぱり領主様だったぁ。
私ってば領主様にぶつかっちゃうなんて……。
「君は一人かい?」
「あ、はい。悠馬さんにお使いを頼まれて」
「なるほど。なら、私に付いてきてくれ。君にいくつか渡してあげるから」
「あのお金は…………」
「要らないよ。元々、追加で送る予定の物があったからね。それを持って行ってくれると有難い」
「そ、そういう事なら」
「君も少し休んでいくといい。我が自慢の港町の観光でもしてね」
「はぁ」
とにかく私はこの悠馬さんの友人であるカイ・スタットフェルトさんの後を恐る恐る付いて行った。
♦️
「嘘だろ……飛んでる最中にお金落とすとか……」
港の近くに並んでいる出店の隣にある石造りの階段に俺は頭を抱えて腰をかけていた。
目的の店に着いたのいいものの、肝心なお金がポケットのどこにも無かった。
恐らく来る途中、飛ぶのが楽し過ぎるあまり上下左右と逆さまに急降下したりなどしてはしゃぎ過ぎた 際に落ちたのだと思う。
落ちたコインはもう海の底へと沈んでる。
ここまで来て、何も収穫を得ずに帰るのは釈然としない。それもまぁ、自業自得ではあるのだが。
「はぁ、今日はついてないな」
諦めムードを漂わせて、項垂れる。
すると、誰かのサンダルを履いた足が見える。
自分よりも一回り小さな足。
「あのぅ」
なんだろう。
凄い聞き馴染みの深い声だ。ふとそんな風に思いながら顔を上げるとそこには見知らぬ黒髪の少女がこちらの顔を覗き込んでいた。
不意に目が合うと少女の目は少し大きく見開かれると、クスリと笑みを浮かべて言う。
「こんにちは、こんな所で何してるの?」
「何って……ボッーとしてた、だけ」
「その割にはしょんぼりしてたけど?」
「煩いな。俺の勝手だろ」
少女は俺の事をマジマジと見詰めると何かを推察した顔で言う。
「君、この町の人じゃないよね?」
今の俺の格好はいつもの修練用の黒いシャツと紺のズボン。
この町の人間からすれば恐らく余所者に見えるのだろう。
「そういうあんたはこの町の人なのか?」
「違うよ。ここには買い出しに来てるだけかな」
「へー」
今度は俺がこの少女をマジマジと見詰める。
言われてみれば、先程見掛けたこの町の同い年の子供らはほとんどが露出の多い薄着や水着に似た何かの格好をしていたが、この少女は少し品のある黒いフリルの付いたワンピースを纏っていた。
「なに、ジロジロみちゃって〜。私に惚れたの?」
そう揶揄う様に言ってくるが、特に気分も乗らないので素っ気なく返す。
「はいはい、そうですね」
「むー、つまらないなぁ」
「つまらなくて結構だ。俺はあんたと話す気ないし」
「うわぁー酷いなぁ。少し付き合ってくれれば、お礼とかしてあげようと思ったのになぁ」
「お礼?」
「うん。見た所、君お金ないでしょ」
的確に図星を突かれる。
「………なんでそれを?」
「そんな顔してるもん」
「そうだよ。来る途中で落としたんだ」
「なんだ、やっぱりそうなんじゃん」
「うっせ」
「まぁまぁ、こんな所に居てもアレだしさ。余所者同士、少し仲良くしようよ!」
無理矢理手を引っ張られ、立ち上がって再び通りへと出る。
見知らぬ黒髪の少女の手を解こうとしても強く握られているせいか、どうしても離せない。
それよりも何処かこの光景に違和感さえ覚える。
前にも一度、誰かに手を引かれて無理矢理………。
「ねぇ、君の名前は何て言うの?」
変わらずも手を握ったまま、少女は横に来ると名前を尋ねる。
「ケンイ。家名はない」
「ケンイ?ふーん、そうなんだ」
「そういうあんたは?」
「私?私はサキって言うの。忘れないでね」
忘れないでね。と言われても、今後会うとは限らないだろ。
変な奴。
「それでケンイはこの町に何をしに来たの?」
早速呼び捨てか。
まぁ別にいいけど。
「この町の名産品を飲みに来た」
オレンジジュースとは言わない。
素直になれない意地の悪さが年相応に態度として現れる。
「へー、オレンジジュース好きなんだ。子供だね」
あっさりとばれた。
余所者とか言っときながらこの町には少し詳しいらしい。
「余計なお世話だ。俺の貴族の主だって、好きなんだから別にいいだろ」
「それって、勇者、瀬戸悠馬様だよね?」
突然、核心を突かれて驚く。
「なんで、分かった?」
「だって、ほらあそこ」
サキの指した方向にあるお店の看板。
そこには『勇者様も認めたこの町の特製オレンジジュースはいかが?』と大きく書かれていた。
悠馬さんがこの町に来て、昨日と今日というばかりの筈なのにもう情報が広まっていた。
「オレンジジュースが好きな勇者様、貴族ってワードで検索すれば私の頭には一人しか思い浮かばないかな」
「まぁそうだよな」
「君もあれ、飲みたいんでしょ。なら、行こうよ」
「いや、金ないし」
「私が奢ってあげるからさ」
「俺は何も……」
「いいから、つべこべ言わずに行こう!」
訳も分からず、俺はこの天真爛漫の少女の背中を何故か追う形で付いて行った。
そして、この行為に落ち着きを感じている自分が心の何処かに居るのが強く感じられた。




