十九話 襲来
遡ること三十分前。
広く澄み渡る青海な空の下に聳え立つ一本杉の影で、寝転がって休息をとる一人の少年は半ば機嫌を悪そうにしていた。
「あぁー、なんでこんなイライラしてんだ?俺」
あの勇者を前にすると何故か、傲慢的で、高圧的な態度に出たくなってしまう。
「はぁ。前はこんなんじゃなかったんだけどなぁ」
変わったのはあの日。
月下に突如として現れたそいつは俺の日常をあっという間に破壊した。
村を焼かれ、自分の義理の父母でもあったフィオの家族を目の前で殺され、彼女と二人で必死に逃げた忘れもしない惨劇の夜。
その日を境に俺はまるで俺ではなくなった。自分ではない、もう一つの自分が意識に混ざり込んだ。
いや、そもそも自分の一人称は俺ではなく僕だった気がする。
他人に対してこんなにも礼儀を重んじない態度を取っていたか……そう考えれば考える程、自分が自分の記憶を疑ってしまう。
鏡に写るもう一人の自分が分からなくなる。
「俺は……誰だ」
「ケンイでしょ。あんたは」
芝生を踏む音が聞こえ、目を向けるとそこには見知った少女が呆れ顔で立っていた。
「話は終わった?」
「うん。ユリナ様にあの日こと伝えた」
「……余計な事を」
「余計な事?」
フィオは近づくと隣に座って、寝ているケンイの耳を強く引っ張る。
「誰のせいで話したと思っているの。あんたがユリナ様の前で魔法なんて使うから!」
「いてぇぇぇぇって!」
毎度毎度、フィオは怒る度にケンイの耳を強く引っ張る。引きちぎらんとばかりに強く掴まれるせいか、痛みに慣れてきてはいるが……やはり痛いものは痛い。日に日に、抓り方が上手くなっている。
「ったく、それであんたはここでふて寝?」
「そうだ。邪魔すんなよ」
「はぁー、何でそんな子供地味た態度取るかなぁ、思春期?お姉ちゃん悲しいよ」
「うっせ。年同じなんだから、姉貴じゃねぇよ」
「あんたは私より十ヶ月も生まれるの遅いんだから。世間体には私が姉なの……例え、血は繋がっていなくても」
声のトーンが下がった事に自分の言葉を後悔した。
フィオとケンイは実の兄弟ではない。それはお互いに周知の上だが、これまで二人は実の姉弟の様に育って来た。
「それにあんた、前は私の事お姉ちゃんって呼んでたじゃない。それがいまじゃ……」
「煩い。フィオは姉って器じゃない」
「素直じゃないね、ホント」
「前は前。もっと今を見なよ」
「その言い方は少し腹立つ。でも、許してあげる。お姉ちゃんは寛容だから」
鬱陶しい。
表面上ではそういう風に態度を取ってはいるが内心、少し落ち着いている自分がいる。
フィオの言う思春期だと言うのも認めてはいるが、実際にはそうでは無いんだと思う。
そもそもの話。
僕は思春期を迎えても容易に対処出来る事を知っている。
もっとフィオに対して素直になろう、と思えばなれる。けれども、そう出来ないもう一人の自分が心の 奥底にいる。
まるで開けたくても開けられない箱の中に閉じ込められているかのように。
「ねぇ、ねぇってば?聞いているの?」
「ん、なに?」
「前を見て、前!」
ケンイは身体を起こして、フィオの指さす方角を見る。すると、村のある場所から火の手が黒い煙を空に立ち上せながら出ていた。
「火事?」
「ねぇ、あそこってお祖父ちゃんの病院…………」
丘の上からだと村は一望出来るが外周部にある大きな建物のせいで中は把握出来兼ねるが、自分の中の土地勘と照らし合わせるとおそらくフィオの指摘通り。
「火を止めないと」
「うん。直ぐに」
「ちょっとターンマ」
立ち上がって急いで向かおうとしたその矢先、木の上から知らない男が目の前に降り立つ。
「んー、この魔力。君が彼の言っていた候補者かな」
「誰だ」
「僕?僕はねぇ、君達の言う所の悪魔だよぉ」
ニマニマと不適な笑みを浮かべ、手を振る。
「しつこい連中だ」
右手に魔法を展開し、臨戦態勢に入る。しかし、目の前の奴よりもその背後で先程より酷く燃えている病院に気がいってしまう。
「ケン……」
フィオは背に身体潜め、震えながら強く服を掴む。
「おやおや、意外と冷静ですね。姿をみせれば直ぐに攻撃してくると思っていましたが………」
悪魔は背後に構えるフィオを一瞥し、口角を上げ、微笑む。
「これではそうさせるしかないかな」
直感。ケンイは反対的に展開していた魔法を繰り出し、悪魔を炎の柱へと閉じ込める。
「あつ!!」
興味本位でふれるも触れると指先が一瞬で黒焦げになる。
好機だと判断したケンイはフィオの手を取り、突き出す。
「逃げろ。あの悪魔は俺が倒す」
「一人じゃ危険よ。私も残るって言いたいけど………」
「邪魔だ」
余裕が一切ない顔にフィオは下に目線を一瞬下ろすも、力強い目を無理矢理顔に合わせて向ける。
「分かった。勇者様とユリナ様を急いで呼んでくるから」
そう言って丘を一人、駆け降りていこうとするも当然、身体全身が自分に意図を介さず止まる。
頭で理解していても身体は全く反応を示さない。むしろ、自分の身体の支配権を奪われたこのよう。
フィオの不思議な行動にケンイは疑念を抱くも、直ぐに目の前の敵が何かしたのだと悟る。
「フィオに何をした?」
「少しお身体の自由を奪っただけさ。こんな風に」
悪魔の中指が不自然に動く。
「避けて!」
急速に迫る声に慌てて振り返る。
腕を振り上げたフィオが目前まで戻っていたことに気付き、慌てて半歩下がって躱す。
「おや、惜しい。これなら?」
炎の中で楽しみながら見物すると、フィオの身体を無理矢理動かして人間離れした速度で回し蹴りを放つ。避け切れないケンイは腹部に食らうと非力な少女に蹴られたとは思えないくらいの飛距離を飛ぶ。
「ぐあああっっ!」
芝生に滑り落ちると腹部を抱え悶絶する。
「ケ、ケン!」
瞼の涙を浮かべ悲痛な声で叫ぶもケンイには届かない。
「あちゃ~、もう終わりかな」
右手で指先を鳴らすと炎の柱は霧散し、解放される。
「ん~、彼の言う通り魔力は高いけど実力は未熟かな。少し遊べると思って期待していたんだけどなぁ」
期待していたよりもつまらないおもちゃを見る様な目で残念がる。
「くっ………いてぇ」
半ば意識を失いかけていたが、目を覚ましてフラフラになりながらも立ち上がる。
「フィオを……解放しろ」
「いいけど……いいの?」
「何を言って………」
悪魔はすっと指先の力を抜くと魔力を解いてフィオを解放する。
力が抜け膝から崩れ落ちるととてつもない痛みが彼女の全身を隈無く襲う。
「あぁぁぁぁっっっっっ!」
激痛に耐えきれず、悲痛な叫びを漏らす。
「あぁ〜こうなるよねぇ。筋肉が張り裂ける感覚に襲われて、内部の筋繊維がズタズタにされる苦痛の顔、あはァァァ、堪んないわぁ」
痛みに顔を歪ませ苦し悶えるフィオを見て愉快に笑む。
それを傍から見させられるケンイにとっては耐え難く、怒りに身を食われそうな思いである。
「お前ぇぇぇっ!」
「あはぁ〜、仕上がってきましたねぇ」
自分の痛みを忘れ、逆上したケンイは己の魔力を全力で放出させる。
体外に漏れ出た膨大な量の魔力が周りの大気を振動させ、悪魔の肌をピリピリと感じさせる。
「素晴らしい……勇者と戦う前の前菜としては上出来だよ」
「殺す!」
両手を前に広げる。
緑の魔法陣が空中に浮かび上がると同時に圧縮された分厚い空気弾が地面を削りながら勢いよく放たれる。
直撃を受けた悪魔は後方に不格好ながらも、吹き飛ばされ地面に数回バウンドする。
「ホゲボゲホゲゲゲゲ」
口に大量の砂が入り、奇怪な声を出す。
「ヴェァァァ、ジャリジャリして最悪ですねぇ」
痛みを感じていないかのように起き上がると口の中の砂を吐き出す。
「クソっ!」
自分の攻撃が通用していない事に苛立つと、自身に風の付与を掛け、飛行して後を追う。
「意外とやるね。魔力量のせいで僕の魔法が効かないとお手上げ状態だよ」
ケンイは右手に炎を纏わせると大きく振りかぶる。
そのまま風の力に身を任せて悪魔へとぶつけにかかる。
「死ね!」
「嫌でーす」
悪魔は人差し指をくるりと上に指すと地面が盛り上がり、拳が届く僅か手前でケンイの腹部に重たい衝撃を更に与える。
「かハッ?!」
フィオに蹴られた箇所と同じ部位を再度攻撃され、血反吐を少量出す。
「あららぁ、痛そう」
足元に力無く倒れ伏したケンイを悪魔は愉快そうな笑みを浮かべ愉悦に浸る。
「くそがぁ」
「そう悔しがる事はないさ。潜在能力は一級品。ただ、君に力が無いだけ」
「だま……れ」
地を這いつくばり、悪魔を睨みつける。
ケンイにとって今この時点で目の前にいる悪魔は最悪な敵であると認識したと同時に悪魔にとってケンイは最高の玩具と認識に変わった。
「んー、やはり来てよかった。彼は君を反転させたいみたいだけど、僕は君の様な新たな逸材を敵に回させておく方がいいからなぁ……んー、迷うなぁ」
己の欲望と新たなリーダーの指示、どちらを優先させようか迷っていると痛みで気を失っているフィオを少し見詰める。
「取り敢えず、彼女を殺して反転させて仲間にしても、自我を保っていられるのなら良しとしよう」
「待て」
「待たないよーん」
足を掴み止めようとするも容易に振り払われ、そのままフィオの元へと歩む。
意識が朦朧とするも必死に歯を食いしばって、全身に力を込めて立ち上がる。
「んん?元気だねぇー」
振り返って確認するも、満身創痍のケンイを見て気にも止めない悪魔はルンルン気分でフィオの元に立つ。
「さぁーて、随分と苦しんだから、最後くらいは優しくスッパっと殺して…………」
自身の懐にある剣を抜くと首に目掛けて振り下ろそうとするも、突如地面から吹き出た炎の壁により阻まれる。
「おっと、危ないけど…………」
剣で炎を横に切り払い霧散させる。
「魔法の練度が足りない。これじゃあただの自然災害に等しいよ」
「黙れ、フィオに……手を出すな」
「アドバイスしているんだよ。そんな邪険にされるとさ……殺したくなるよね!」
標的をケンイに切り替えると剣を投擲する構えを取り、そのまま勢いよく腹部に目掛けて放つ。
目が半開きで少しの衝撃でも加われば倒れそうなケンイは朦朧とした意識の中で剣が自分に目掛けて飛んで来ているのが分かる。
そして、それに対処出来ない自分。
このまま剣に貫かれ、何も出来ずに死を受け入れる。
そう覚悟するも………
『傲慢だ』
ふと、その言葉を何処から耳にしたケンイは朧げな意識の最中、震える身体を意図せず動かすと弱々しくも右手を前に突き出す。身体から溢れ出る黒い炎が右手に集まると大きく手を振り払って剣を後方に吹き飛ばす。流れていった剣は剣先の先端を溶かしながらも、地面刺さる。
「……これは思わぬ収穫だ」
目の前で起きた出来事を目の当たりにした悪魔は口角を高く上げると大きく拍手する。
「君は選ばれていたのか魔王様の恩恵に」
「………」
「おや、もう呑まれてしまったかな?なら僕がここで覚醒を促すとしよう」
「黙れ」
虚ろな目をしながらも明確な殺意をもって魔法を行使するも右に大きく外れる。
「ンーまだ呑まれ具合が浅いなぁ。それにしてもこれは彼の計画の内なのかな?一先ず、彼を連れ帰って……」
悪い表情を浮かべた悪魔は何か閃いたのか、ポンと手を叩く。
「よし、やっぱり彼女を殺そう。完全に堕とした方が彼の喜ぶ顔が見れるかもしれないし」
「やめろ!」
魔力を込めた意志の波動を咆哮ハウルと化して草原を轟かせる。
吹き荒れる風の刃が悪魔の頬を切り裂く。
「アハァ、やっぱり君、面白いね!」
改めて敵意の矛先を変えると限界を迎え、崩れ落ちるケンイを狙う。
尖った指先が矛と化して差し迫る。
その直前、一人の影が消えゆくケンイの瞳に閃光が走る。
目の前に新たな人物が降り立つと、悪魔はかつてない程の笑みを浮かべ言い放つ。
「また会えて嬉しいよぉ、勇者」




