百九話
大木の中に築かれた木製の螺旋階段をゆっくりと登り、つい先程帰還したであろう主君の元へ向かう。
いつもの族長室ではなく、その更に上にある主君の部屋の前に立つとドアを二回軽く叩く。
……返事がない。
かなりの長距離飛行に加え、着いて早々に戦闘なったとも聞いた。向こうでもあまりゆっくりせずに帰ってきたこともあって疲労のあまり寝てしまったのかと思わせる。
あるいは……塞ぎ込んでいるか。
どちらにせよ、安否は確認出来た。
反応がない以上、無理矢理部屋に押し入って反感を買っては後々面倒な始末になる。
ここは一度、出直そう。
「入れ」
ドアノブに掛けた手を引こうとした間際、部屋の奥から返事が聞こえる。
「よろしいのですか?」
「部屋の前で立たれても困る」
ドアノブを右に回し、押すようにドアを開く。
中に白いワンピースを纏った寝間着姿の少女が眠たそうに欠伸を浮かべた。
「お疲れであれば後にしますが」
「よい。今、眠りにつけば暫くは目覚めん」
窓から部屋に入る風が美しい翡翠の髪を靡かせる。
ベッドから降り、近くの椅子に座り直すと窓の外を眺めた。
セルフィード様の住まう大樹からはエルフの里のみならず、大河を超えた王国の一部まで見渡すことが出来る。そんな広大な風景の中ででもとある泉とログハウスがある場所を見詰める。
「雄二殿に会ったのですね」
主君の思い詰めた顔で先の出来事をある程度把握した。
「最悪な再会じゃったがな」
「では、勇者も……」
「私が参った時にはもう二人は戦っておった。結果、聖剣を取り戻した悠馬の一撃であの夜は勝利を納めた」
「そうでしたか」
「じゃが、悪くも先に雄二が魔王として覚醒した」
「……勇者の覚醒もまたそれに呼応したものであると?」
「分からぬ。新たな魔王が正式に誕生したのは事実。それが世界を救ったかつての英雄で、我々エルフの救世主と呼べる男が……今度は世界の敵と見なさなければならんのは皮肉な話じゃ」
思い悩んでいるのはそれだけではない。
長く付き従ってきたが故、主の気持ちなぞ話を聞けば大抵理解できる。
「雄二殿は我々を……」
「覚えておった。その上で、明確な敵意を向けてきよった」
ライウェル殿も同じ反応だった。
かつて共に戦い、幾度の死線を乗り越え、信頼を高め合った事がまるでなかったと主張するが如く、あの方の目は冷めていた。ライウェル殿に限った話ではあるが、あの方はもとより他人との馴れ合いを好まない性格である。対立したのは今回が初めてという話ではないため、セルフィード様もそこまで気には止めていなかったが……雄二殿になれば別だ。
あの方が自分達を殺そうと敵意を向けること自体が考えられない。
例え、悪魔と化して理性を失おうとも本能は消えない。
善良で優しき心を持つ雄二殿であれば、我々を思い出し、拳をおさめるのではないかという淡い期待もさる事ながら、やはり心の何処かで雄二殿の受けた憎しみを甘く見ていた自分がいたのはセルフィード様も同じだったわけだ。
勇者に現実を見ろと、厳しく諭したにもかかわらず、自分の心の奥底では甘い理想を望んでいたのには否めない。
「やはり、戦うことでしか解決できないのでしょうか」
悪魔の脅威を払うには武力行使をもって根絶する他なし。
これはこの世界に生きる全ての人間が共通する通念。
古きに渡って、多くの悪魔を葬ってきたが、奴らは殺して殺してもいずれ何処からか湧く。
悪魔の生体に関する研究が行われてきてはいるが、それは未だ解明されていない。
ある一種の仮説において、悪魔を悪霊と呼ぶ学者がいた。
悪霊とは即ち、精霊とは対になる存在。
人々から発せられる悪感情を媒介とし、反転した魔力を基に受肉し、生まれ堕ちた生命体。
悪魔の構成要素である悪感情は『人から拒まれる』といった抽象的な意識が集中されると言う。故に彼らは人種と手を取ることを拒む。それが自らの本能であるから。
この一説は、自分の中でも悪魔とは何かという概念を決定付ける面白い内容であるとかなり以前から記憶している。
「悪魔となった相手に対して意思を介す解決が如何に愚行であるか、私らは改めて認識せねばならんな」
「では、戦うと?」
「悠馬の同じ様な判断を下した。精霊王リスフェルトの提言により、雄二を元に戻すための有効的な手段を取るつもりだろうがな」
「そのような方法があるのですか?」
セルフィード様は「ある」とは口にしなかった。
再び窓の外へ視線を移すと何処か遠い所に目を向ける。
そして、セルフィード様はその提言を全て、自分に話した。
御身の心情すら明して。
「私には決め兼ねる……が、他に方法がないのであれば受け入れるしかあるまい」
「ですが……」
「言うでない」
「……っ!」
「もう終わった恋じゃ。それに雄二の苦しみを解き放つことが最優先であろう。そうするにあたって、これ以上の選択肢がないのはお主も分かっている」
かの精霊王リスフェルトの提案を聞き、自分でもその方法が妥当であるとは納得した。それと同時に、最適解が他に浮かばなかった。
雄二殿の記憶を消した所で、彼の中にある悪感情を根底から払う事は不可能に近い。それこそ、死んでいった人を目の前で生き返らせるなどの奇跡でも起きなければ意味はない。
しかし、この世界に来た当初の記憶を上書きし、元の世界で亡くなった雄二殿の恋人とこの世界で奇跡の再会を果たし、新たな幸福を築けば深く根付いた悪感情も収まり、後に自然消滅していくであろうという考えにも深く賛同出来る。むしろ、選択の余地がないとさえ思わされる程、完璧なシナリオ。
「申し訳ございません。私はこの意見に異論はありません」
「構わぬ。割り切れてはいないが、一応賛同しておる」
言葉ではそう口に出しても、心は全くそうではない。
セルフィード様が塞ぎ込んでいた理由にも納得がいく。
「それと、私がいない間に何か変化はあったか?」
「特にはないですが、そろそろ獣王国側が動くでしょう」
「……分かった。暫く私は眠りにつく。その間の全権は一時、お主に預けるが良いか?」
「承知いたしました」
暫くそっとしておいて欲しい。そんな風に聞こえた主の言葉に頷き、速やかに退出した。
ドアを閉める直前、寂しさを帯びた表情が垣間見えた。




