百七話 二人の出会い①
これはもう二百年も前の話。
異世界から来た少年とまだ恋も知らないエルフの少女との出会い。
♢
紅葉に染まった森の中を一匹の獣が全速力で駆ける。全身橙色の毛並みを持ち、顔から鋭い牙を二本生やした獣が何かから逃げるかのように前後二本ずつの小さな手足を必死に動かす。
「待て!」
獣の背後から翡翠の髪を靡かせ、尖った耳を持つ少女が森の中の木々を飛び渡りながら、徐々に距離を近づけていく。
魔法の有効射程圏内に入り、右手に魔力を帯びさせると木の幹から勢いよく飛び上がる。
獣の死角である背の直上に回り、身体を空中で高速に旋回した。
「エアリアルブレード!」
刃の如く鋭さを帯びた風が獣の背を大きく切り裂く。
突然の激しい痛みに猛々しい悲痛な叫びをあげる。バランスを崩した獣が勢いよく近くの木々に頭の中からぶつかると自身の牙を深く木に突き刺さったまま沈黙した。
それを確認した少女はゆっくりと地面に着地し、自身に掛けた魔法を解く。
「これで今日の夕ご飯は確保ね」
額から流れる汗を拭い、気絶した獣に近寄ると今一度、意識がないことを確認する。
「セルフィード様、ご無事ですか!」
上空から遅れてやって来たエルフの少年が仕える主の名を叫ぶ。地面に降り立った彼は全身汗だくのまま息を切らして、地面にへたり込む。
そんな情けない姿とあまりの遅さに文句を言いたくもなったが、気絶した獣と少年に目を向けるとニヤリとした悪い笑みを浮かべる。
「ジュウド。あとは頼んだわ」
「え、後って……」
「この猪、ログハウスまで持ち帰っておいて」
手伝ってはくれないのですか?と声になら訴えが聞こえてはくるも、敢えて聞こえてないフリをした少女は手をひらひらさせて来た道を戻っていく。
これも修行の一つ。
自分に仕える情けない従者を鍛えるのも主としての務めである。
そう自分に言い聞かせ、猪の面倒くさい後処理云々を適当に任せたことに若干罪悪感を抱きつつも、汗で濡れた服と身体を洗いたい気持ちを優先させて早々に自分達の住むログハウスへと戻る。
紅葉に色付く木々を仰ぎながら歩く。
途中、木々に実る栗や銀杏を採取し、秋ならではの豊かさを感じ取る。
「到着っと」
生い茂った森の木々を抜けた先、ログハウスの奥にある泉へと直行した少女は足先を軽く水に浸からせ、ひんやりとした冷たい感触で温度を計る。
「冷たくて丁度いいわね」
着ている服を近くの岩場に脱ぎ捨て、周囲に誰もいない事を確認した少女は泉の中に綺麗な真っ白い肌をゆっくり浸け、沐浴をする。
「うぅ…少し寒いかも」
全身が一気に冷まされ、前にある滝から泉を突き抜ける風に身体を震えさせた。
秋頃から冬にかけて、森は次第に次の季節を迎える準備に入る。
今年最後の力を振り絞った木々は幹を残して枯れ、温かみを帯びた大地や川の水は徐々に冷気を帯びる。
この泉も冬になれば完全に凍らされ、分厚い氷層が出来る。
故にこうして沐浴が出来るのもあと少しだと、身に染みて感じる。
「さて、そろそろ……ん?」
魔力?
それもかなり大きい。
研ぎ澄まされた魔力感知が敏感に反応するとそれが発せられる方へと顔を向ける。
位置的には斜め上、前方。
つまり、空から。
「え?」
何か黒い物体が空から急降下するのが視界に映る。
その姿、形はどう見ても人であり、見慣れない黒い髪色を帯びていた。
人?何でここに?しかも、空から?
突然の大きな情報量を処理し切れず、固まって仰ぎ観ているも束の間、空から降ってきた人は何の受け身を取らずに泉の中に背中から入水した。その直後、前にある滝に劣らずの大きな水飛沫をあげ、穏やかな泉の水が津波の如く少女を襲う。
「ゲホッゲホッ……もう、一体何なの?」
大量の水にログハウスの前まで流され、岩場に放り出された少女は顔を挙げ、泉の方を見返すと上半身を打ち上げられた状態で黒髪の青年が力なく横たわっていた。
少女は恐る恐る近付きながら、その人物の顔が見れる位置まで動く。
「この人、人間?何で空からこんなところに……」
いや、待って。
そもそも、人間ってあの高さから落ちれば普通死ぬよね。
人間に限った話じゃなくて、エルフでもそうだけど。
それにこの顔、人間であることは間違いのだけど王国の人達との顔とは少し違う。
一体何者……
そう色々と憶測を立てているうちに意識を取り戻した黒髪の青年はゆっくりと目を見開き、ぼんやりとした視界に映る全身無垢な翡翠の髪を持つ妖精の如き美貌の少女を仰ぎ見る。
「……エルフの女の子?」
「あら、気が付いたの?てか、生きてるんだ」
「あの……」
「何かしら、質問なら先に私が……」
「服……来たら?」
「え……」
その指摘を受け、ゆっくりと自分の視線を下へと向けた少女は露わとなった身体を知らず知らずのうちに晒してしまった事に気付き、慌てて身を屈めると同時に……
「記憶をなくせぇ!」
涙交じりの怒りを叫び、目覚めて間もない青年の顔に思い切り蹴りを入れた。




