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百六話 激闘の翌日

 次の日……なのだろうか、長い間眠りに落ちていた気がする。身体の疲れが未だに抜け切っていないのか気怠さが目覚めて早々に再度眠りに誘おうとするも意識を強く保って身体を起こす。

 眩しい。

 窓ガラスから差し込む朝日が止まっていた体内時計を動かす。


「……腹減った」


 激しい空腹感に駆られ、ベッドから立ち上がるといつの間にか着させられていた寝間着姿のまま部屋を見渡す。


「なんもない……」


 そして、誰もいない。

 一人を残して閑散とした空間が広がるのみ。

 寝相の悪さが伺えるベッドの乱れ具合からユリナやリスフェルトはまだここに滞在しているのは分かる。


「食事か?」


 部屋にある時計を見ると時刻は午前九時。

 朝食としては少し遅いが、食いしん坊で食い意地の張ったリスフェルトと一緒ならまだ旅館のレストランに居てもおかしくはない。

 その予測をもとにベッドから立ち上がって床に足を付ける。すると足腰になかなか力が入りずらく、意識しないと今にも倒れてしまうかのような不安定な足取りで部屋を歩く。


「どんだけ寝ていたんだ…おれ」


 この耐え難い空腹のせいか段々と目が回るような感覚に陥る。


「やべっ……」


足腰に力が入らなくなり、顔から床にうつ伏せで倒れかける。


「悠馬様!」


 俺の身体は床に衝突する前で誰かに抱き留められる感覚に気付くとゆっくりと顔を挙げて名前を叫んだ人物へと顔を向ける。

 そこには心配な顔でこちらを見詰めるユリナがいた。


「……おは、よ。はら、へった……」


 挨拶と欲求の単語を覇気のない声で呟く。

 それを聞いたユリナはほっとした様子でクスリと笑う。


「おはようございます。お食事を持って来るように伝えていますから、少し待っていてください」


 そう言われてから約三分後、主にお粥の様な固形物ではない簡単な食事が部屋に運ばれた。

 この凄まじい空腹を満たすべく、俺は夢中になって胃の中に養分を取り入れる。


「俺、どれくらい寝ていた?」

「三日くらいはお休みでしたね」

「道理で腹が減るわけだ」


 持って来てくれた俺の為に作られた食事を直ぐに平らげるも、まだ物足りない。

 三日も飲まず食わずだったため、固形物は胃に悪いという配慮なのだろう。

 取り敢えず、ある程度体力を回復させた俺は近くのソファに座り直して大きな欠伸を掻く。

 やべ、食ったらまた眠くなってきた。

 身体も本調子ではないし、特にやることもないのでこのまま昼までもう一度……


「では、説明してもらいますよ」


 俺の隣に座り、圧のある笑みを浮かべて顔を近づけたユリナに冷汗を搔く。


「あの悪魔……いえ、新たな魔王は悠馬様の……」

「兄だよ。俺がこの世界に来る一年前に行方不明になってた」

「行方不明になった原因が、この世界の召喚だったと」


 必然的にそうなる。


「兄貴がこの世界にいるって知ったのは本当につい最近。精霊殿で兄貴のかつての仲間、ライウェルって悪魔の存在からセルフィが俺に教えてくれた」

「ここ数日間の隠し事はそういうことだったんですね。どうして話してくれなかったのですか!」


 その事をかなり根に持っているらしく食い気味で身体を近づけられると、ユリナの来ている浴衣の隙間から綺麗な真っ白な肌が見え、必然的に視線がやや下に向けられる。

 布と肌の隙間から見れる適度な膨らみに目が縫い付けられるも……


「聞いていますか!」

「はいっ!」

「では、話してくれますよね?」

「……分かった」


 ビックリして慌てて目線をユリナの顔に向けると正直に打ち明けた。


「これに関してはセルフィに口止めされてたんだ。セルフィはともかく、俺はこの世界に兄貴がいるなんてあの晩に再会するまで半信半疑だったし……」


 噓は言っていない。

 事実をありのまま述べたにもかかわらず、ユリナは疑いの眼差しを向けてくる。

 うーん、どうも最近ユリナの中で俺の信用度が落ちている気がしてならない。

 まぁ、今に始まったことではないのであまり気にはしていない。

 それにこの紋章(エンゲージリング)がある限り、噓は付けない。


「本当…みたいですね」

「そうなんだって」

「でも、どうして話してくれなかったのですか!仮にも私はあの方と二度戦っていますし、それにサレンお姉様には話していたみたいじゃないですか!」

「それは……」


 やばい。言い逃れが出来なくなってきた。

 どうやらユリナは俺が隠し事をしていたのが気に障ったらしく、その件について深く根に持っているみたいだった。

 いや、俺も正直に打ち明けようか迷ったよ。

 これ以上は不機嫌にしたくないし、何より下手に隠していると怖かったし。

 しかし、それ以上に話した後のユリナの行動が怖くなった。

 無茶をするのではないかという懸念がこれを貫き通した大きな理由ではあるが、そう言っても今のユリナじゃ納得しないだろうな……。

 そんな予感を覚えながら助け舟を求めているとタイミングを見計らったかの如く、部屋に現れたセルフィが俺の視界の隅からニヤニヤと悪そうな顔を浮かべていた。


「お主ら、朝から大胆な事をしておるのぉ」


 セルフィはあんな成りだが、三人の子供を持つ母だ。

 数百年と生きるエルフのロリババアで、そういった男女の性行為に関して既に経験済みという訳だ。

 年長者かあるいは人生の経験で上をいく者として、穢れなきユリナを揶揄う意味を込めて言葉を選ぶ。

 それを聞いたユリナは落ち着いて自分を俯瞰する。

 傍から見れば俺を押し倒しているようにも捉えられる状況に顔を赤く染め上げ、即座に離れる。


「もうじき二十歳になる娘が……初心(うぶ)な反応をみせるのぉ」

「……何ですか!私だってつい最近になって気付いたんですから仕方ないじゃないですか!」

「お主がそうなのも全て、お主の姉に原因があるとしか言えんな」


 それに関しては全くの同意。

 ユリナが性知識に関して疎かったのは第二王女であるサラさんによる厳格なまでの情報統制があったことが大きな原因であると判明している。

 サラさんの深き妹愛が無垢なユリナを形成するに至り、ここ数年になってようやくその籠から脱して現実的な男女交際及び、本当の子作りの知識を学んだのであった。

 初めの頃、子供は愛し合った者同士に贈られる天からの恩恵(ギフト)だと認識していた時は「うん、まぁ確かにそう言う解釈は間違っていないと思うだけど……」と苦言を呈したくらいだ。

 しかし、十五歳にもなり、この国の法律で定める成人になったこともあり、見兼ねた女王の教育により正しく理解するに至った

 まだ口頭でしか伝えられていないため実体験はまだ見たことも感じたこともないせいか、頭の中で 描いた内容でしか把握し切れていないらしい。

 その点については俺もまだ未体験である。


「それでどうして、私に教えてくれなかったのですか?」


 その問いの矛先はセルフィへと向けられる。


「先に悠馬が言った通りじゃ。雄二の件を知ってしまえば、お主が何かしら先走る可能性もあった。それを考慮したが故にこやつは頑なに口を閉ざした」

「……そうなのですか?」


 セルフィの言葉にしっかりと聞き入れ、確認を取ると俺は首を縦に振った。

 今更確認を取らずともさっきからそう言っているという余計な一言はしないようにしておこう。


「それに雄二の件は出来るだけ広めたくはなかったのでな。過去に世界を救った勇者が新たに世界を脅かす存在へと変わったという事実を隠しているのは雄二を救えなかった私なりのせめてもの償いじゃ」

「……」

「それで、悠馬よ。お主はその……」

「平気だよ。面と向かってもう殴り合って、斬り合ったから…色々と吹っ切れた」

「なら良い。それとお主が寝ている間にあの美麗とか言う娘からも話は聞いた」


 それなら話は早いな。


「俺と兄貴と美麗さんは同じ世界の出身で、兄貴と美麗さんは恋仲だったんだ」


 その点に関して美麗さんは自分の口から伝えなかったのがセルフィの反応を見て分かった。

 美麗さん自身も自分の口からそう告げる勇気はなかったに違いない。だから、代わりに伝えた。


「俺と美麗さんの関係についてはユリナは勿論のこと、セルフィも多分知っているだろうけど、俺にとっては優しいお姉さんで、大切な人の一人だった……」

「あの娘は転生者だったな。要は……」

「あぁ、美麗さんは一度死んでいる。それがきっかけで兄貴は変わった」


 変わってしまい、家から出て行った直ぐに兄貴はこの世界に召喚された。

 それ以降から昨晩に至るまでの出来事は聞いた話でしか知らない。

 

「私も一度、雄二の口から聞いたことがあった。自分には大切な人がいた、とな」

「そう。それがどういう因果かは分からないが、俺と兄貴と美麗さんは決して叶う筈のない再会を果たした。正直に言って、色々と驚き疲れた……」


 行方不明知らずの兄貴がこの世界にいて、死んだ筈の美麗さんがこの世界に転生していた。

 どうすればこんな偶然が重なり合うのか聞きたいくらいだ。

 むしろここまで舞台とキャストを整えられると誰かの陰謀に嵌まっているとさえ思える。

 誰かって言えばそりゃ……


「私がそうなるようにしたからね」


 いつの間にか部屋に戻っていたリスフェルトが机の上に置かれた皿に大量のパンケーキを積み重ね て、美味しそうに頬張っていた。

 それを見ていると俺も共鳴するかの如く腹が鳴る。

 

「食べる?」

「食べる」

「駄目です!今は胃に優しいものを食べてください」

「だって、これ見てたら腹が減ってくるんだろ!」

「今は我慢してください。後でいくらでも食べて構いませんから」

 

 そう諭された俺は手に持ったフォークをあっさり引っ込めながら蜂蜜がたっぷりかかった柔らかなパンケーキを眺めるだけにした。


「これがあの精霊王リスフェルトとは……未だに信じられん」

「私も同じです」


 隣でモグモグとパンケーキを頬張る少女が二人の思い描いていた精霊王とは違って落差を感じているのか、少し残念そうな顔でまじまじと見つめる。


「ところで悠馬よ、お主は雄二と相対してどう感じた?」

「どうって言われてもな……」


 パッと見た印象を思い出す。


「別人みたい……だったかな」


 顔や声、見た目は俺の知る兄貴そのものだった。

 だが、言葉を交わすと別人の様に感じたのも事実。

 俺の知る兄貴はあそこまで他人を拒絶しない。

 そもそも、好戦的な性格でもなかった。好戦的なのはどちらかと言うと俺の方だし。


「じゃろうな。私も多少言葉を交わしてそう思った。じゃが……」

「迷っている風にも捉えれた?」


 セルフィよりも先に俺は同じ考えであることを伝える。

 お互いに瀬戸雄二という人間性を理解しているからこその共通意見。

 

「戦いの最中、本気になれば俺を殺せるシーンはいくつかあった。なのに、兄貴はそこで攻勢には出ずにいた。むしろ、殺すことを躊躇っているようにも思えた」

反転(フォールアウト)し、悪魔になろうとも人間であった頃の記憶は残る。恐らく、お主との間にあった記憶が蘇ったことで多少なりとも理性が働いたのじゃろうな」


 その憶測は正しいと思う。

 昨晩、それを基に精神へと何度か問い掛け、反応を見せる素振りもあった。数少ない有効な弱点だと判断していたが今となってはもう効かないだろう。

 

「魔王と化して以降、兄貴の中から躊躇いが消えたのも事実。兄貴にとって今の俺は目に映る最大の強敵でしかない」

「対話でも解決は不可能……となると、悠馬様はどうするお考えですか?」


 どうする……か。今まで言葉が通じ合わない相手とは戦うことでしか解決してこなかった。

 どう対話を試みようが決して悪魔とは通じ合えない。

 そもそも彼らに共栄という概念はない。

 意志が通じ、言葉を交わしても彼らの本能は破壊を求めてしまう。

 言わば、言葉を喋る怪物(モンスター)

 分かり合えないなら、歩み寄れないなら排除するしかない。

 それが悪魔……そして魔王に対する認識。

 戦う以外に選択肢の余地はない。

 だが、それでは解決には達しない。俺が望む解決にはならない。


「難しい質問じゃ。私とて、簡単に意見を口には出せん」

「そう難しい話ではないよ。彼を人間に戻すのは割と簡単にも出来るし」

「へ?」

 

 いつの間にかパンケーキをぺろりと平らげたリスフェルトは軽い笑顔でそう告げた。


「具体的には?」

「記憶の消去……いや、忘却と言うべきかな。彼の記憶をこの世界に来た当初へと戻す」

「そんなことが可能なのか?」

「勿論。戒言を彼から取り除いた後に記憶も取り除く。その後は、白百合美麗がこの世界で生きていて、お互いに運命的な再会を果たし、新たな余生を二人で過ごす。これが私が見た最善の未来」

「そのために美麗さんをこの世界に呼んだのか」

「言い方は悪いけど、白百合美麗の死を利用し、彼だけではなく彼女にもまた幸せな未来を送る機会を設けた。と、私は思っているよ」


 今の言葉に偽りがないことは明白だ。

 リスフェルトは真剣にその未来を見据えている。それが兄貴にとって一番の救済であることだと。 

 同時に俺自身も、その未来が実現する事を強く支持するだろう。

 俺は兄貴がこの世界にどう暮らしていたかなんて具体的には知らない。

 知っているのは元の世界で美麗さんと楽しく笑い合う温かな光景。

 俺の知らない兄貴が笑い合う日常よりも、俺の好きだった二人が一緒にいるあの日常が戻ることに心の底から求めるし、その為の協力は惜しまない……とういうのも主観的な判断であればだ。

 この世界での記憶を消去するという点にはデメリットも当然含まれる。


「精霊王よ。それは本気で言っておるのか?」


 張り詰めた声が空気を一瞬凍らせた。


「本気だとも。だから敢えて君の前で口にさせてもらった」

「これに納得しろと?」

「上から目線で言うつもりはないよ。私は最善の策を提示しただけ。それにあなたであれば理解してくれると私は思っている」

「………」


 二人の少女が互いにバチバチと睨みを利かせ合っていると避難してきたユリナが小さく耳に語りかける。


「悠馬様はその意見に賛成なのですか?」

「そりゃ……まぁ、俺的には望ましい未来な訳だし。否定はしないけど、セルフィ達の気持ちも考慮したら……」

「私は賛成です。先生には悪いですが、そこに辿り着く未来が良いのであればそうするべきだと思います」


 確かにその通りだ。

 現状、リスフェルトの出した最善以外に良い案が思い浮かばない。

 むしろ、そうなる未来があるならそうするべきだと俺は思っている。

 

「私とて精霊王の提案を否定するつもりはないが……少し考えさせて欲しい」


 珍しく感情を深く露わにしたセルフィは立ち上がって、そう言い放つとこの部屋から出て行った。

 バタンと閉じたドアの音が響いた後、気まずい空気が部屋の中を覆った。

 

「どうして、このタイミングであんな提案を?」

「指針は分かりやすい方がいいでしょ?それにここから先、彼を救いたいのであれば昨晩の様な甘えは捨てるべきだ」

「……っ!」

「でなければ、(マスター)だけでなく、(マスター)の周りの人達も危険に晒される。特に彼女は危ない」

「セルフィが?」


 リスフェルトの言葉にユリナは一度目を下に向けてから窓の方を見た。

 

「彼女は瀬戸雄二に恋をしていた。何百年経とうとその気持ちに変わりはないみたいだし」


 リスフェルトがわざわざ口にするまでもなく、そうであるというのは知っていた。既に三人の子供を持つ三児の母ではあるが、今のセルフィは身体を二百年戻された幼い少女。魔法で保存した以前の記憶を現在の身体にコピーしてはいるものの、身体は清らかな穢れなき乙女である。いくら気丈に振る舞おうとも、本当の今の自分が鮮明に映し出される年頃。

 分かっていても、素直に受け止められないことに憂いていると今の彼女を見て感じた。


(マスター)だって分かっているはずだよ。その恋は致命的な迷いになるって」

「そう……かもな」

「なら一度、この話は終わりにしよう。お腹空いちゃったから鯛焼き食べてくるね~」


 手をパンと叩いたリスフェルトは収まる所を知らない腹の虫を豪快に鳴らしながら、颯爽と部屋を出ていった。

 そのあまりにも自由な振る舞いに二人で啞然としていると不意にユリナと目が合った。


「あの……」

「なぁ……」


 声が重なり合う。


「どうぞ」

「どうぞ」


 次は台詞も重なった。

 偶然の一致に思わず二人して噴き出して笑うと先に俺が発言する。


「これから外に出掛けないか?」

「私も同じ考えでした」

「だろうね」


 ここまで同じタイミングだと何となくそんな気がした。

 元々、この街には休暇で来ているつもりだったんだ。

 折角の休みを満喫するのも今回の目的の一つ。

 なのだが……


「そう言えば、街って……」


 昨晩、あれ程派手にぶっ壊したりした記憶が鮮明に蘇り、焦って窓の外を眺める。

 ジグルドの店があった辺りは灰燼に帰し、源泉が流れる川が激しく歪められて……いなかった。

 

「あれ?」


 街の風景は昨日と何ら大差ないどころか、何処も破壊されていなかった。


「今朝方に私が修復しました」

「修復って……魔法で?」

「はい。私が作った疑似空間と現実空間をそのまま入れ替えただけですが」


 原理に関しては詳しく理解できなかったが、取り敢えず納得した。


「そう言えば、あの痣は治ったのか?」

「……はい。一応」

 

 ん?何で少し顔が赤くなったんだ?てか、そもそもあの痣は一体……


「それはともかく、早く支度してください。滞在日数も今日までなのですから」

「って言われても、お腹空いて力が……」

「後でレストランにでも付き合いますから。ほら、早く」


 そう急かされながら、用意された服……ベッドの上に置かれた甚平に着換えながらユリナとのデートを楽しみにした。


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