九十八話
私を否定しないで……か。
この少女もまた過酷な運命を辿ってきた人物の一人なのであろう。
誰だ、異世界での暮らしはイージーでハッピーだと提唱した馬鹿は……。
そう苦言を呈したくなるも、今は抑えて現実に向き合う。
精神年齢が大人と言えど、今の発言は感情を抑えきれなくなった子供そのもの。
しかし、大人げないのかこちらとて同じ。
思ったことを口に出してしまう悪癖が彼女を怒らせた。
「悪い。お前自身を否定するつもりは全くなかった」
「今更……なにを」
「まぁ、ここまで言った以上、言葉を取り下げる気はないがな」
何なのコイツ。と言わんばかりの顔で少女は再度睨み付ける。
「あんた、口下手って言われるでしょ」
「全くもってその通りだ」
「……別にいいわ。分かった所で嫌いな事に変わりはないし。それに……」
ジグルドの影が虚像の如く蠢く。
それに気付き、目を向けた瞬間、視界が真っ暗闇に包まれる。
影に吞み込まれたかと錯覚するも、実際は筒状の影に覆われているだけ。足裏に直接魔法が触れないよう、精密な魔力制御あってこその技。
同じ魔法士である美麗も魔力の制御はかなり難しいと言っていた。
そのことからでもこの少女の実力は測れるが…が魔法での攻撃は俺に効かない。
こうして足止めにする分には多少有効だろうが、触れてしまえば意味は……
影に触れようとした瞬間、目の前から鋭利な刃物が突き出でる。
慌てて反応し、躱すと同時に影に触れて魔法を解く。
視界が晴れ、謎が一つ解決した少女は嬉しそうに呟く。
「物理攻撃は効くみたいね」
先程、ナイフの刃に掠めた付けられた辺りから皮膚が切れ、少量の血が流れる。
ばれたか。
そこから一歩も動かず、加護の分析を務めていた少女は冷静に見極める。
「俺の加護は魔法に対する効果のみ。それは先程も言ったな」
「それともう一つ気になった。あんた、魔法を使わないの?」
それにも気付いたか。
まぁいずれ闘っていれば分かるだろうな。
「魔法を使わないじゃなくて、使えないんだ。魔力がないからな」
「魔力がない?魔法を使用できる程の量をもっていないって意味?」
「いや、数字で言えばゼロだ」
……有り得ない。
そんな人間、いるはずがない。
少女の頭にある文献が思い浮かんだ。
屋敷の書庫にあった古い文献。
そこに書かれていた魔力ゼロの人間がいるという内容。
タイトルを見てもそこまで違和感を抱くことはなかった。
魔力を持たない人間がいてもおかしくない。そう頭の中で勝手に決めつけていたから。
しかし、それはこの世界では異常とされる。
豊潤な魔力に溢れたこの大陸において魔力を持たない生物は先ずいない。
草や木々を含めた植物、知恵のある人種や多種多様な動物でも魔力を有する。
そこには限りなくゼロに等しい生物も当てはまる。
故に完全に魔力を持たない生物はいないという説が通説であったが、その文献はその説を根本的に覆す人物をこう叙述していた。
曰く、それは精霊の加護を受けない異端な存在である。
曰く、その者はあらゆる魔法の作用を受けない。
曰く、常人より遥かに卓越した身体能力を保持する。
その三説はどれもこの男に該当する。
卓越した身体能力という点も昨晩してみせた、あの馬鹿げた大跳躍や至近距離で躱してみせた動きからも伺える。
「本当に厄介」
「まぁ、これはこれで苦労する。うっかり魔法に触れれば効果が消し飛ぶからな」
魔法が効かないだけではなく、身体能力も異常なまでに高い。
その二つの要素から成り立っているこの男はもはやゴリラなんてものじゃない。
正真正銘の化物。
この世界の通説に反した異端児。
それを相手にするのも馬鹿らしく思えてきた。
正面からの戦いで私に勝てる要素はない。
なら……
影の中から三体の分身を生み出す。それぞれに暗器のナイフを持たせ、命じる。
「いけ」
少女の意思に従って動いた三体の分身が軽量な身体を最大限活かした高速戦闘に発展させる。
三方向からの同時攻撃。
それに対処し切れないと判断したジグルドは上へと逃げる。
「アホね」
予想通り過ぎる誘いの乗ってくれたジグルドを軽く罵倒し、第二の策を発動させる。
ジグルドの直下から手の形を模した三本の影がナイフを手に襲いかかる。
「何本もってやがる」
一本目の腕を空中で躱すと払った手で魔法を打ち消す。
更にもう二本も同様に払い除ける。
「もらった」
数秒だけでいい。
分身から意識を削がれることを目的とした狙いに再びハマったジグルドの背に二体の分身を忍ばせ、もう一体を見える位置に置き、本命二体の攻撃を図る。
相手は滞空状態で姿勢も崩した、目の前に現れた分身を対処しようとも残りの二体までには手が回らない。その構図を頭の中で描いた通り、実践し状況を作った。
「いい狙いだが……」
片足を軸に空中で高速に一回転し、空蹴りで三体の分身を纏めて蹴散らす。
その予想外の結果に唇を嚙み締める。
仕留めきれないどころか、全て対処された。
影で触れられない以上、私の得意とする展開にはならない。
このままでは善戦して、隙をついて一撃を与えるくらいしかできない。
けれど、猛獣を鎮めるにはそれで充分。
そろそろ効いてきたかな。
腕を組み、両足で堂々と立ち振る舞うジグルドの足が突如震える。
意図しないその感覚に気付くと次第に身体から力が抜け落ちる。
「……っ、身体に力が入らん」
「どんな獣にも毒は効果あるみたいね」
「毒…だと?俺はいつ毒を……」
その記憶を遡ったジグルドは答えである頬に付いた傷に触れる。
「正解。どんな猛獣でも掠れば直ぐに寝てしまう麻痺毒が塗られたナイフ……なんだけど…」
自分で言っていて気付いたが、この男は本当に人間?
魔法ではなく、私が調合して作り出した毒だから効果を消されることはない。
それなのに未だ、意識を保てているのはおかしい。
「毒まで効かないとかやめてよ……」
見ていて不安になってくる。
毒が効いてきたのか、膝を着いて四つん這いになったまま未だ意識を保てているという事実に心底恐怖を抱く。
「……ん」
ん?
「ンんンんンんンんンんンんンんンん!」
口をつまんで発した奇怪な声を発する。
両手の指先が強く地面にねじ込む。
「うそでしょ…」
大地を掴んだかのように指先に力を込める。ジグルドを中心とした一帯が小刻みに揺れ動き、ジグザグの亀裂が地面に刻まれる。
振動に足を取られ、へたり込んだ少女は猛烈な恐怖に襲われる。
しかし、数秒経つと揺れも収まり、力なく地面から手を離したジグルドはそのまま横たわった。
「……寝たの?」
恐る恐る近づいて、近くに落ちていた枝を拾って二回叩くも、仰向けのまま倒れている。
反応がないことを確認し、肩の力を抜いて安堵する。
「はぁ~」
キモイを通り越して怖すぎる。
今のも麻痺毒に気合で立ち向かおうとしていた。
全身に麻痺毒が回る前に肉体の強度を高めるという野獣の如し発想。
異常なまでの力を有する珍獣ではあるが、流石に強力な毒の前には一撃で倒れるしかなかった。
一先ず、この男に関してはこのまま意識を失わせておけば問題はない。
「別に恨みあるわけじゃないけど……あの人の邪魔をするならあんたも私の敵」
そうこれでいい。
今の私はあの人の役に立てれば構わない。
今はまだ、これで……




