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九十六話 兄弟喧嘩③

『兄ちゃんのばぁか!アホ、ブス!』


小さな少年は泣きながら単語を並べて罵倒してくる。

それにイラッときた兄である自分は弟の身体に十字固めのプロレス技を掛け、更に大泣きさせる。


『いだぁい!はなせよ!』

『誰がアホで、ブスだって?』

『兄ちゃん』


一回締め付けを緩め、気も緩めさせた発言を促すと弟の発言を受け更に力を入れる。


『ごめんなさいだろ、悠馬?』

『やだぁ!兄ちゃんが悪いんだぁ!』


喧嘩の発端は何であったか、軽く思い出してみるとかなり些細な事だったと思う。

リビングで弟が見ていたアニメを勝手に変えて、自分が見たかったアニメを流したことだっただろうか。

自分が見ていたアニメを勝手に変えられれば怒るのは当然であろう。ちなみにこの喧嘩は今に限った話ではない。前にも何回か起き、その度に喧嘩へ発展したので母の規定によりお互いに時間制限を設けたのだった。

一話のアニメ視聴にかかる時間は約三十分も満たない。

故に、テレビは三十分毎に交代して見ること。それを二人で約束したのだが、悠馬は当然の如くそれを破って一時間以上見ていた。

それもそうだろう、二時間半かかるアニメ映画を見ていたのだから。

昨日録画したアニメを見たかった自分は痺れを切らして、リモコンを取ると無理矢理にでも変えさせた。振り返った悠馬が案の定、不平を言うも正当な理由で言い返す。

だが、幼い弟はあれやこれやと言い分を付けて文句を言い続けるので、決まって無視する。その態度が気に食わない悠馬はテレビのコンセントを抜き、対抗してくる。

その瞬間、部屋の中にある筈のないゴングが鳴り響く。

そして言い争いの喧嘩から小競り合いの喧嘩に発展すること数十分で弟を制圧した。


『ごべぇんなさい~』


酷い泣きっ面で床に鼻水を垂らしながら自身の非を認めた。

すると、リビングの近くの窓からコンコンと叩く音が聞こえる。

そこには手を振りながら、こちらに微笑む黒髪の少女が空いた隙間から窓を開けて部屋に入ってくる。


『また喧嘩したの~』

『美麗、見てたの?』

『窓空いてたから悠馬君の声が駄々洩れ。心配だから見に来たよ』


そう言って少女は床に顔を伏せて嗚咽を漏らす弟の背中を優しく擦る。

彼女の暖かさに触れ、気持ちを落ち着かせきたのかゆっくりと顔を上げて汚く糸を引いた鼻水の顔のまま自分を睨み付ける。

それを見兼ねた美麗はティッシュで弟の顔を拭いて宥める。


『落ち着いた、悠馬君?』

『うん……ありがとう美麗ちゃん』

『うんうん、良かった良かった』

『あんまり甘やかすなよ。今回は悠馬が悪いんだから』

『だからと言って弟にプロレス技をかけるのはどうかと思うよ……』


正論を突かれ、言葉が詰まった自分は少しばかりやり過ぎたと反省する。


『そうだそうだ!美麗ちゃんの言う通り!』


泣き止んで自分に味方が増えたことで調子付いた弟に再びイラッとする。


『はいはい怒んない。お兄ちゃんでしょ?』

『関係ない。これは俺達の問題だ』

『と言っても、近所に住む人からすれば迷惑だよ』


再び突かれた正論にもう返す言葉が浮かばない。

弟との喧嘩には勝っても美麗との口喧嘩では一切勝てないのは毎度のこと。

諦めた自分は『分かったよ』と拗ねるように両成敗だと認めた。

これはいつの記憶だろうか。

遥か昔に捨て去った記憶の欠片。

自分が反転(フォールアウト)し、墜ちるよるも前の話。

彼女がいなくなり、過去と向き合うことが悲しくなり、自分が卑屈になる事を怖れたが故に閉ざした思い出だった。

その中には彼女だけではなく、弟もいた。

どちらか片方でも想起すれば記憶の道に彼女の存在がチラつく。

それを避けた自分は弟も避けて、関わり断ったものの……何の因果か、俺は弟と再会を果たした。

だからだろうか、忘れ去っていた無駄と思える記憶まで蘇ってしまった。

焼け焦げた大地に立ち尽くし、戦いの最中にらしくもなく思い出へ浸っていた。

回想が終わるとタイミング良く、倒壊した家屋の木材から黒く燃え上がる炎の中を歩いて再び自身の邪魔をする弟が姿を現す。

その格好は先程までと違う。

全身を軽い鎧で覆うスカーレットを基調とした魔法礼装。

本気で俺を倒すという意志をあの瞳から感じる。


『相変わらず、諦めが悪い』


不意に過った言葉に俺は頬を少し緩ませていた。


戦場へと戻った俺は先程から一歩も動かずに立ち尽くしていた兄貴に目を向ける。

俺が数分気絶している間、かなりの余裕があった。その間に俺を確実に殺すことも出来れば、ユリナを追って殺す事も出来た。なのに、兄貴はそこに立って俺を待ち構えていた。

薄っすらと気色悪い笑みを浮かべて。


「……何かいい事でもあったか?」


その問いに兄貴は心の中で燻る妙な感情を一蹴したかのように冷酷な顔と化す。

元に戻ったか。


「その程度の強化で俺を殺す気か?」

「そうだ」

「無謀が過ぎる。また、力の差を教えなければ懲りないか?」


力の差。その指摘は正しい。

精霊融合(シンクロ)を果たした今の状態でも俺は兄貴に勝てる確率が上がった訳ではない。

足掻くことの美徳を披露する他ないのは変わらずだが、今の言葉に俺はもう一つ別の意味で捉えた。

「また」に含まれた言葉には先の一連だけではなく、もっと前の話も含まれていた。


「……へぇ、やっぱり覚えてるじゃん」

「……っ」


何をとは言わない。

俺だって兄貴が何を思い出したのかは分からないが、やはりこの揺さぶり方は効果があるとみた。

結果がどうなるかは分からない。予想もしない。

ただこの現状を乗り越えるにあたっての希望としか言えない。

その希望に何根拠もないが。


「やはり不愉快だ。この場でお前を殺す」


宣言と同時に再び腕を前に突き出す。

俺に向かって三度目の同じ魔法を繰り出す。


「見える」


精霊融合(シンクロ)を果たしたことで相手の魔力を実体化して捉えることが可能になり、伸びた魔力で形成された黒い腕が視界に映る。

蛇の如く柔軟な動きで俺の首に目掛けて放たれるも、身体を逸らして容易に躱す。


「ほう、これが見えるのか」

「どういう魔法かは分からないけど、それはもう通用しない」


その魔法の最大は相手にとって見えないことである。

魔力を感じるも、見えないことの恐怖から大きな動きを見せて回避を取れば相手の思う壺。それは先程の攻撃で深く学んだ。

だが、見えれば対処は容易だ。正確な位置とタイミングで最小の動作で避ければそれはもう完全に見切ったのと同義。

故に今の俺にはもう通用しない。


「ふん、ならこれならどうだ?」


兄貴の背後から数十を超える黒い魔の手が影から伸びる。

たった一本対処しただけで思い上がるな。

そんなメッセージが込められた気もするが、別段慌てる事はない。

その魔法はもう意味を成さないのだから。


「ん?」


突然、空中で動きを止めた手が苦しむように奇怪に蠢く。次々と魔の手が消滅し、数十本の手が塵と化して消える。


「何をした?」

「自壊。これは俺の魔剣……いや、精霊の力だ」


自壊。この能力は魔剣で斬った対象の魔力を継続的に奪い続けるものとはまた別。

受けた魔法の味を覚え、二度目以降の使用時に間接的に食らう機能を持つ。

無論、食べた魔力は精霊を通じて俺の体内に還元されるのだが……今はこの状態を維持するためにデュランの魔力を借りているため、お腹を空かせたデュラン君は一切還元してくれない。

だが、同じ魔法を二度は発動させないという点では中々の強み。

そして、今の時点で俺は二つの魔法を封じた。


「魔法が破壊される事に加え、魔力も奪われる力……その魔剣、デュランダルか」

「……知っているのか?」

「まぁな」


あっさりとネタがばれた。

だが、別に支障はない。

下手に魔法を使えないという事実に変わりはない。

切り札として怨恨の(スルト)を放っても、俺には不壊による無敵状態(魔法効果が切れ次第、本来受けたダメージが痛みとして返ってくる)で死を回避できる術がある。そうなれば自壊(ニーズヘッグ)の能力で俺の前では二度使えなくなるのはもう理解している筈。

まぁ撃たれら元も子もないんだが。

しかし、安心感は生まれる。

相手の持つ最大の武器を封じたという安心。

だからこそ、俺は全力を出し切るしかない。

やるか。

肺の中の酸素を一気に吐き出すと同時に全身の力を脱力する。

吐き出した空気を再び肺の中に取り込むと大地を力強く踏みしめる。

増幅された身体能力を発揮し、たった一歩で側面に回り込む。


この戦いを見えてる者の中で、肉眼のみで悠馬を捉えた者は一人もいなかった。

突然の位置変化に誰もが空間跳躍(ワープ)したと思うだろうが、実際は空間跳躍(ワープ)ではなく神速の移動。『自壊』で身体能力のリミッターを完全に解除するも、身体が崩壊しないよう制御する役割も担う『不壊』の力があってこその成し得た技。

人が身体能力の限界へと到達する上で、至高とも呼べる頂きへと一時的に悠馬は達した。


喧嘩でやられたらやり返す。それは瀬戸兄弟に限った話ではないが、昔から俺はその信念を強くもって兄貴に挑み続けた。

お返しだ。

狙うは胴体。

殺しても構わない。

それくらいの覚悟を持った一閃を放つ。

普通の悪魔であれば即座に身体を真っ二つにして終わりかもしれない。

だが、相手は何百年と生きた悪魔。もう一つ肩書きを付けるなら、二代目の勇者。

世界を救ったという名を冠する者として伊達ではない。

完全に対応に遅れながらも俺の一撃を予め用意していた防御魔法(シールド)で辛うじて防ぐ。

しかし、パリッンと気持ちの良い割れる音が二人の耳に届く。

本気の一撃の前では防御魔法(シールド)も容易く貫通され、躱す事を諦めて左腕を犠牲をする。


「ぐっ……」


そのまま、大きく飛んで後退するもその間、斬られた腕から血が空中に舞う。

斬られた痛みで苦悶する顔が目に入るも、俺は容赦せずニ撃目に移る。

態勢は完全に崩れた。

デュランの目を借りて見える視界には何も魔法が展開されていない。

先程、防御魔法(シールド)を備えているのは分かっていた。故に今の一撃の狙いはそれを破壊することにあったが結果は予想を上回った。


「やらせん」


片腕で周囲の炎を俺を中心に搔き集めるように収束させる。

しかし、その程度で俺は止まらない。

業火から跳んだ俺は空へ飛ぶ。頭上を取ると勢いをつけて踵落としを決めるも、それに対応して片足を高く振り上げる。

二人の足が交錯するとその衝撃波で地盤が更に沈む。

力の差は歴然。

この状態での身体能力は俺の方に分があるとみた。


「ハアァッ!」


力強く声を出すと足を全力で振り切る。

押し負けて地面に叩き付けられるも、痛みを苦ともせずに素早く起き上がる。


「舐めるな!」


一方的に蹂躙される自分に怒りを滲ませる。

自身に身体強化(ブースト)を施し、俺の首を掴んで頭から地面に沈める。

深い窒息感を覚えるも俺の身体に一切の攻撃は効かない。

その事実を今一度理解した兄貴は更に怒りを見せると手を離す。

魔法効果が切れるまでやり過ごそう、自身の誇りに反して勝負から逃げる事を決める。

しかし、俺はその隙を逃さない。

徐々に引いていく腕を自ら掴み、身体を引っ張ると寝ながら右足をあげて胴体へと叩き込む。

全力を出してほんの数分間で尋常ではないダメージを受け、身体が悲鳴をあげた。

大量の血反吐で地面を汚し、ふらつきながらも立つ。

目は虚ろとし、激痛で顔が歪むも何かの執念に囚われた兄貴の顔は負けを認めない。

不格好でも、他者から不様だと蔑まれようとも兄貴は止まらない。

それは俺も同じだ。

泥臭くあろうとも前に進む。

だが、今の兄貴はそうじゃない。自分の信念ではない怨讐に憑りつかれ、人形の如く動く。

本当はそうしたくないという、人間の部分が未だ消し去れていない半端者。

そんな兄貴を俺はこれ以上見たくない。

そう思いに駆られて身体を起こすと懐に潜り、顔を挙げず、心臓部を目掛けて魔剣を突き立てる。

このまま真っ直ぐ、腕を伸ばせば魔剣は心臓を穿つ。

そうすれば兄貴の長きに渡って過ごした人生を俺の手で終わらせる。


「……っ!」


覚悟を押し通すと決意した筈なのに、どうしても迷ってしまう。

そんな想いが脳裏に過るも、それを感じデュランは俺の代わりに背中を押すべくその想いを一蹴させ、既に決めてある覚悟を促す。

これで終わり!

最後の悪足搔きとして、俺は目を瞑って腕を伸ばす。


「やれ、悠馬」

「……く…そがあぁぁぁぁぁ!」


耳の奥に当然響く懐かしい声色に俺はハッと目を開ける。

奥歯を強く嚙み締めた俺は魔剣を握り締めた力を解放させ、右の拳を真上へと放つ。

指の先からビリビリとした感触が伝わる。

三度目の直撃を受けた兄貴の身体は一定の高さまで上がると無造作に地面へと落ちた。


「甘いな、俺は……」


最後の最後で押し切れなかった。

デュランの覚悟さえも無駄にして俺は殺す事を躊躇った。

千載一遇の機会を無駄にしてまで……。

だが、殺せはしなかったが瀕死に至るまでは追い込めただろう。

現に倒れた兄貴は起きることなく、片腕から流れる大量の血で地面を赤く染めている。


「時間切れか」


精霊融合(シンクロ)の制限時間に達した俺は元の姿へと戻る。

不壊を使った代償として受けたダメージがフィードバックすることはなく、融合以前に受けたダメージがじわじわと身体に響くだけ。

上半身傷だらけになった俺は全て魔力を使い切った反動で足腰から力が抜ける。

そのまま地面に身体を預けようと倒れるも、途中で身体を受け止められた。

温かな感触が肌に触れると涙目になりながら彼女が俺を抱きしめた。


「もう…無茶し過ぎです」

「ごめん、ユリナ」


力なく謝ると彼女はいつもの文句を言わずに受け入れた。

無茶をしてまで勝つ必要があった。

それを理解して、今回ばかりは仕方ないとユリナも大目にみた。


勝負あった。

勇者の猛攻撃は凄まじいものだった。

最後の詰めの甘さは予想通りだったと言えど、精霊融合(シンクロ)を果たし、力を全面解放した勇者の実力は予想を超えた。

少し前までなら、聖剣の力を全開で使えばあの程度の実力は簡単に引け出せた筈だ。

使用後にボロボロになることもなくあっさりと勝てた。

それを分かっていて尚、奴は茨の道を進もうとする。

その無駄な努力に俺は理解し兼ねていたが、結果が結び付くのであれば口に出す程の文句ではない。

だが、これぞまさしく人の持つ限界の姿なのだろう。

中々に良い余興だったと認めざるを得ない。


「お前にはどう映った?」

「……ただの茶番劇だ」


白鬼に意見を求めるとそう一言、皮肉を呟く。


「だが……これでまだ終わりではないのは、お前が一番よく知っている。違うか、魔王」

「無論だ」


そう。この戦いはまだ勇者の勝利では終わらない。

瀬戸雄二はまだ奴本来とは別の力を使っていない。

そして、その力の目覚めはたった先程、条件を果たして芽吹いた。

俺の中に眠るその一つの因子が共鳴するかの如く、不気味な紫紺の輝きを放つ。


【覚醒の時だ】


【新たる魔王】


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