一話 元の世界に帰れなくなりました
「ユリナ。俺はもう自分の世界へ帰るよ」
自分の世界。それは次元越えた先にある異界の境地。
そして、青年が本来居るべき世界であり、帰るべき故郷でもある。
青年の決意を聞いた桃色髪の少女は胸に秘めた想いに駆られるも、もう片方の手で手を抑える。
「ごめん。俺の役目は終わったから……」
役目。それはこの世界に現れた魔王を討伐する事。
その責務を全うし、役目を終えた青年はこの世界での勇者という大役の任から解かれ、ただの一般人となるべく元の世界に戻る。これはこの世界に来て当初、彼女との間で最初に交わした契約であった。
「勇者様……いえ、悠馬様はこの世界がお嫌いですか?」
ユリナと呼ばれた少女は寂しそうな顔でそう尋ねた。
この素直に彼女自身の気持ちを言い表せない言葉の意図に青年は気付く。
ユリナは決して『帰らないでください』とは口にはしない。それは自身が交わした最初の契約に背くからでもあるが、恐らくこう考えているに違いない。
『自分の我儘で引き留める訳にはいかない』と。
しかし、不器用なのは青年もまた同じ。
「……俺はこの世界の人間じゃないから……居る資格なんてない」
この言葉は青年にとって建前に過ぎない。
この世界で経験した辛い過去から逃れるため。
元の世界に帰り、全てを夢物語にするため。
だから、これは現実から目を背けるための口実でしかない。
情けない話だと思えるかもしれないが聞いてほしい。この世界を救った道のりは長く、険しく、過酷なものだった。数々の死線をかいくぐり、傷付きながらも戦い続けた俺はかなり疲弊していた。
肉体的にも、精神的にも……。
「資格……ですか。勇者様である悠馬様がこの世界にいるのは当然の資格です!ですから!……お願いし
ます。この世界に残って下さい」
覚悟を決めた少女は自身の想いを優先させた。
震える声でハッキリと、深々と頭を下げた少女の秘めた想いを聞き、青年の心は大きく動かされた。
(それは卑怯だ)
内心でポツリと呟いた青年は少女の言葉に嬉しさを覚えながらも、この駆け引きの優位を取られた事を憂いた。
(この際だ。はっきり言おう。俺だってこの世界に留まれるのであれば留まりたい)
青年にとって、この世界で起きたことの全てが悪いことではない。むしろ、楽しかった出来事の方が圧倒的に多いだろう。今でも思い返しても笑いが込み上げる馬鹿騒ぎや元の世界では経験出来ない青春を謳歌したのは煌びやかな記憶と言えよう。
三年という時間の中で培った愛もその中には含まれる。
そんな離し難い大切な思い出と情が足元に絡み付き、青年の向かおうとする方向への歩みを止める。しかし、それを振り払う要因が中には存在した。
それこそが友の存在。
記憶を覗けば、いつだって隣には笑い合える親友が視界に映る。
しかし、彼はもうこの世界には存在しない。
死を迎えた魂なき器を埋葬し、弔ったのは自分。
もう二度と意志を交わす事の出来ない哀しみに耐えながら最期を見届けた現実が、どうしたって明るい過去を拒絶する。それと同時に前に進めない自分もいた。
過去との踏ん切り、いや区切りをつけるべく、青年は元の世界に帰ることを決めた。
例え、少女――ユリナと結ばれて幸せな家庭が築ける世界が待っていようとも。
「ごめん、やっぱり俺は帰る。元の世界に戻って、あの日常を取り戻す」
何の生産性のない退屈な日常…忘れかけていた平和な日常を取り戻す。
「そう……ですか」
その返事を聞いた少女は自身の中に溜まっていた感情が抑えきれなくなり、溢れ出た想いに任せて青年の胸へと顔を埋めた。肩を震わせ、嗚咽を交えながらも最後の時間を大切に過ごそうとする。
こんな感傷的になる少女を青年は初めて見た。
出会った当初の彼女は凍りの女王の如く、表情に色がない頭の硬い女という悪い印象であった。
例え、仲間が傷つき、殺され、全員が窮地に立たされても弱音を吐かず、勝利のために最も打算的な作戦を取る考えとは対照的な二人はよく意見のぶつけ合いをしていた。青年をこの世界に呼び出した張本人である彼女が毛嫌いする素振りを示したりしていたことから、よくいがみ合ったものだった。
だが、それもいつの間にか雪解けし、今では全く別の感情へと変わっていた。
「なぁ、ユリナ。俺、お前と会えて嬉しかった」
その言葉に反応した少女は少し泣くのを抑え、耳を傾けた。
「本当に楽しかった。この世界でずっと一緒に生きていければもっと楽しいこともある」
「なら……」
「でも、それは出来ない。帰ると決めってしまった以上、俺は帰る。元々、そういう…約束だったし」
「………」
「だから、最後に一つ伝えさせてくれ」
青年は少女の肩を掴み、胸から離す。普段なら見る事のない赤く腫れた泣き顔を見てクスリと笑む。
初めて見た少女のこんな表情に嬉しくも寂しい感情を織り交ぜながら、青年はずっと抱いていた想いを伝えた。
「好きだった」
「………」
「初めて会ったあの日から、ずっと好きだった」
その言葉を聞いた少女は少し俯く。
けど、嬉しそうだった。
この想いが一方通行ではないと知り、深く安堵したのだ。
「それじゃあ、いくよ」
青年は肩からそっと手を話し、振り返らず後ろにある帰還用の魔法陣に向かって走った直後……意を決した少女は右手を高々と挙げる。それに応じて、野に身を潜めていた数名の魔法士が透明化を解除し、次々に姿を晒し出す。一同、事前に準備していた魔法を発動させ、号令を発する手が勢いよく振り下ろされると一斉に各々の前方へと放つ。
そんなことに気付かず目前に迫る魔法陣に飛び込もうとした次の瞬間……ヒュロロと空を割く音が響き、視界の端に炎の玉が高速で飛んでいくのが映る。
違和感に気付き、慌てて立ち止まる。
「なんだ?」
敵襲か?!
この三年間に渡って培われた感覚が鋭い反応を示すも、直ぐにこれが自分に向けられたものではないと分かる。
「……嘘だろ」
身を戦慄させる程の嫌な予感が最悪の事態を想定するも遅し、立ち止まった直後に魔法陣へと集まっていった炎の玉が凄まじい衝撃を伴いながら帰還の儀式場を無惨に破壊した。
その始まりから終わりを糸の切れた人形の如く崩れ落ちた青年は思考を空にしたまま静観していた。
「……」
先程までそこにあった魔法陣は跡形もなく消し飛んでいた。残っているのは魔法で抉られた地面のみ。
その事実を突きつけられた青年は困惑のあまり、周囲を見渡す。
すると、いつの間にか姿を晒し申し訳なさそうな顔で王国の魔法士兵団が覆い囲む形で布陣していた。
「なっ、どういう事だ?なんで……」
そこで青年は後ろを振り返った。
さっきの寂しそうな表情から一転して少女――ユリナは少し意地を張ってみせた。
「私は嫌です」
「はい?」
「悠馬様はぜーったいに帰しません!」
そう高々と声を上げて宣言したユリナに対して、青年は激しく混乱した。
「何でだよ、昨日までは……」
「嫌です」
「いや、約束……」
「嫌なものは嫌なんです!」
「……?」
もう、訳が分からなかった。
子供の様に駄々を捏ねる彼女は今までに見たことが無い青年にとって、ユリナの取った行為は紛れもなく暴挙。
「なので、今日の所は王宮に帰りましょう」
「………」
突然の掌返しに青年は頭が真っ白になった。
帰れなくなった。
その事実はあまりにも変え難く、衝撃的すぎる。
この世界から離れる気でいたせいか余計にショックがデカい。
「帰りたかったのに……帰れなくなった」
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