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夜のお城で座談会 作者:打段田弾

 鋭い牙にギラリと怪しく光る爪、闇夜で睨みをきかせる眼光が彼らには宿る。  中世ヨーロッパから生き延びた現代に生きる吸血鬼がいた。  胸に野望を宿した彼は人類に復讐を果たすために暗躍をして、今人類との全面戦争へ!  ……なんてことはない、ごく普通の吸血鬼コメディー始まります



episode1…夜のお城で駄弁ります

 フワッと身軽に人々の頭上を駆け抜ける。帰路に着くリーマン達は既に出来上がってベロンベロンの千鳥足。覚束ない足で一歩、また一歩と歩を進める。

 しかし俺は違う。急いで帰るべき城マイホームがある。夜の冷え込む風を吸い込み鼻息を鳴らす。

 帰るべき場所があるのは主人公の定石。定番中のど定番。つまり俺も泥酔してるリーマンも主人公である。何言ってんだ?

 下らない事を考える程度には余裕を持ってビルからビルへ跳び移る。こんな所業が出来るのは俺が人間じゃないから。

 「じゃあ何か?」って聞かれたら答えてあげるのが世の情けだ。世界の平和を守るため! ……後何だっけ? 円環の理をねじ曲げるため? ちげぇそれ「まどか○マギカ」だ。第一ねじ曲げるも語弊がある。

 うーむ。喉の上まで来てるのに出てこない名乗りに熟考、モヤモヤしている内に、思い焦がれた城マイホームが見えてきた。それによりテンションが上がったのか足取りは浮わつき、速度も上がる。


 え? 何か考えてましたっけ?

 他の事がどうでもよくなるくらいに心が弾む。月がやや西に傾いている月夜のマイ城マイホームは月光に照らされ、築百余年の木造で鎮座していた。

 何とも不気味で、落武者とか平氏とかが化けて出てきそうな木造の一軒家。すきま風通り放題の塀と、人間も通り放題の門をくぐる。これETC付けたらボロ儲けじゃね?


「ただいま!」


 立て付けの悪くなった引き戸を慣れた手つきで力付くで開ける。中もこれまた不気味で、吸い込まれそうな夜の闇が廊下の奥まで続く。

 カビ臭い臭いが鼻孔を突き、この建物の古さを臭わせる。(←上手い!)

 そんな闇夜に言葉を投げるが、無論返事はない。


「って、まぁ起きてる訳ないか」


 腕時計は丑三つ時を指している。誰もが床に着いている時間だ。その癖に鍵閉めないとか物騒すぎませんかね?

 ガシャガシャと手洗いうがい、健康第一の習慣これ大事。

 かれこれ丸二日は帰れていない家の中はお変わりなく……。何でお変わりないの? 本当に誰か暮らしてました?

 何はともあれ、クタクタのジャケットと鞄を居間に放り投げ、台所の冷蔵庫から好物の缶トマトジュースをテイクオフ! 立ったまま詮を開け、一気に飲み下す。

 仕事終わりのトマトジュースは身に染み込んでくる。身体の中に潤いとエネルギーを注入するとまだまだ働けそう。……さすかに嘘。


「くはぁっ! この一杯のために生きてきた!」


 どこかで使いふるされた台詞を叫び、一人感慨に更ける。急に静まり返ったのは誰もいないからだけではない気がする。……寂しくなんてないんだからね!


「……寝るか」


 取り合えず家の中はどーでもあので片付けもせずに寝る。自室へ向かおうと廊下に出て居間でジャケットと鞄をピックアップする。

 すると廊下にヒタヒタと足音が現れた。この古家にお情け程度にある二階へ続く階段を踏みしめ、ヒタヒタというよりむしろギシギシ。腐りかけ(所々腐ってる)の廊下を歩く。起きてる人居たんだ。

 「傷んだ」と「居たんだ」をかけた掛詞を興じ、廊下からやって来る相手が開ける襖を注視した。


「むにゃ? きっちゃん帰て来たの?」


 「むにゃ?」を語頭に喋るのは、それはとても大層、ウルトラスーパーハイパー超銀河級の美少女だった。

 電灯も着けず、月明かりさえおぼろ気であるのにも関わらず、腰まで伸びる少女の麗しき金髪はその輝きを留める所を知らない。なに? LEDでも内蔵してるの? 眠たそうに薄く開かれたまぶたの奥の瞳は磨かれたルビーより紅く、燃えるように煌々としている。そんな情熱的かつ、主人公チックな赤の眼を眠たそうに擦る姿はまさに眠り姫と形容しても遜色ないだろう。

 大きなシャツをワンピースのようにダボッと着崩している少女の艶やかな白い肌に金髪が映え、そんなガラス細工のような儚い彼女の登場に俺は眼をしばたかせ、息を飲み、見とれた。

 見とれる事約十秒。俺の反応がないことに違和感を感じた少女が、ピンクの可愛らしい唇を動かした。


「きっちゃんどったの? 仕事し過ぎて社畜マシンになった?」

「あ、うんそうじゃないんだ。さらっと生物引退宣言しないでね、きっちゃん泣いちゃうよ」


 見目麗しい少女にそんな勧告されると悲しいな。新たな扉開くにも初心者には手厳しいと思います。


「生物引退ならきっちゃんも私もとっくにしてるけどね~」


 しれっと呟いた少女は台所へ向かった。暗い部屋内を器用に立ち回り、冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出した。コップに注ぎ分けることなくそのままペットボトルを煽る。腰に手を当てて一気飲みする姿さえ様になっており、そこらのアイドルなど霞んでしまう。

 睡魔を掻き消された俺も冷蔵庫からもう一本、缶のトマトジュースを取り出してカシュと詮を開ける。

 口から喉へ、喉から食道を通り胃へ抜けたトマトジュースはきっと消化され十二指腸を通り小腸を通り大腸を通り、その後俺の知らないようななんやかんやを通じて放尿されるのだろう。この五臓六腑の働きは何ら同じなのに、少女が言った「生物引退」というのは間違いとは言えない。

 異常に尖った犬歯は頸動脈にかぶり付いて人の生き血を吸うため、毎日伸びる凶爪は人の四肢を切り裂くため、闇夜にいてもなお世界を見ようとする目は獲物の闇討ちのため。俺もこの少女も人間ではない。

 では何か?

 “吸血鬼ヴァンパイア”

 古くから西洋を中心とした欧米地域で恐れられた死者の一種。ゾンビとは袂を分かつヴァンパイアは、ゾンビを生者の敵だと言うなら、俺らは神の敵。中世から迫害と殲滅を受けた俺らの先祖は一部を国外、日本へと逃して全て滅んだ。

 この少女はつい数年前に亡くなった吸血鬼ヴァンパイア王族の第一王女。つまりは正統な血筋と継承権をもつ吸血鬼ヴァンパイアの姫プリンセスだ。

 姫も俺と同様、現代日本に溶け込んで生活しているものの、やはり思う所はあるのだろう。時折自信をなくした声と遠い目でネガティブな発言をする。

 しかしそれも無理もないこと。齢一五〇歳を越える姫も吸血鬼基準の話、人間として中学校に通ってい年頃だ。つまり思春期、自己についてあれこれ思案するのは姫が正常に育っている証として受け止めなければ。

 ちなみに俺は「吉華羽きっけう龍りゅう」という、なんとも作者かみの意向で付けられた臭い名前で会社員と共に姫の保護者をしている。

 姫の源氏名(って言うといかがわしく思える不思議)は「吉華羽きっけう由樹ゆき」だ。

 この名前は平仮名にして反対から読むと「きゆうけっき」つまりは「きゅうけつき(吸血鬼)」となる。今日日の中学生が気付く筈もない言葉マジック。

 「俺の才能が止まらねぇ!」と内心叫びながら缶トマトジュース、『カゴヌ、一日分のトマトまるごと!』を煽る。

 本日二本目の『一日分のトマトまるごと!』をテイスティングしていると由樹が話しかけてきた。


「そういえば今日学校で『由樹ちゃんの名前って反対から読むと『きゅうけつき』だねー。おもしろー』って言われた」

「ブフーーッ!」


 飲み込もうとしていたトマトジュースを噴き出してしまった。

 さてここでクエスチョン。今噴き出したトマトジュースに含まれるリコピンはいくらでしょう?

 答えはトマト一個分でした! キャハ☆

 ふざけんな、「キャハ☆」じゃねえ。草野クエスチョンしてくるんじゃねえ。

 にしても姫はこんなに大切な事案を

「そういえば」

って言って、ついでの事案扱いするんですかね。保護者としてきっちゃん心配です。

 当の本人はさして気にする気配もなく、首を傾けて不思議そうな顔をする。


「きっちゃん、私はなんて答えればよかったんだ?」

「その前に姫はなんと返したのかな? 答えによってはまた引っ越しだよ」


 俺の心配など露知らず、姫は顎に指を当ててうーん? と記憶を辿る。なるべく正確な回答をしようという意思の現れだろうか、感心感心。

 俺はそんないじらしい姫を 大 人 として見守る。嗚呼いとし。多分今の俺めっちゃにやけてる。


「『保護者の意思と趣味による命名の結果』?」

「チョット待ッテ、チョット待ッテ!」


 姫の意外や意外、予想の斜め上に打たれた王○治級のホームランに「おにさ~ん!」とか8秒ちょっとでバズーカ放つ所だった。


「俺が変態だと誤解を招く発言しちゃった訳ね? もう姫のクラスできっちゃんは変の態なのね?」

「どちらかというと変人?」

「だからさっきからの疑問形はなに!? 時間かけて思い出した答えフワフワし過ぎじゃない!?」

「記憶力には自信はないの……」

「少なくとも二十四時間内の出来事だよね!?」


 あーだこーだと一息の内にまくたてると息が切れていた。渇いた喉を、今度は水で潤す。


「それできっちゃん、あたいはどう答えりゃよかったんだい!?」

「なぜ番長風?」

「私はどう答えればよかったの?」


 つぶらな姫の双眸が俺を見つめる。姫の瞳は単純な疑問の答えを待ちわびている。

 しかし俺はまだその答えを知ってはいない。何百年も生きてきたクセに分からないことが多すぎる。

 姫を納得させることが出来ずにむず痒い思いが足下から這い上がってくる。

 もどかしさに苛まれること三〇〇余年。嘘を通すことは簡単だがきっと姫は満足しない。姫は友達を騙すことを望まないだろう。そんなことを容易くしようとする俺はきっと汚れている。それでも姫は待ってくれている。


「俺は姫が待ってくれているようなことは言えないよ」


 思いの丈を吐き出したい。そんな気持ちが喉の頂点まで達したが、最後の意地で飲み込んだ。姫には綺麗に、なるべく人に近く人として生きてほしい。

 それが俺の願い。


「もう夜が更けそうだ。きっちゃんも明日仕事あるからそろそろ寝ようか」

「……うん」


 これだ。いつもウヤムヤにして煙に撒いて終いだ。残念そうに俯いて返事をする姫には申し訳ないと思う。いつか姫も同じ思いをするのなら、なるべく遅い方がいい。それまでは俺が罪悪感を背負う覚悟は出来ている。

 小さく白く、柔らかく艶のある姫の手を、壊れないようそっと握ると廊下へ出た。

 ギシギシと異なるペースで床を軋まして歩く音はいつか重なるのだろう。その時俺は姫の横に歩いているだろうか……。



――  ――  ――  ――  ――  ――  



 カーテンの隙間から朝陽が射し込み、これでもかというほど太陽光線を浴びせてくる。俺がゼットンなら跳ね返していたがそうもいかない。

 朝日のかほり、いと憎し。一生寝ときたい。……それじゃあデッドエンドじゃないか。

 生きたいので起きるとしよう。なんという究極の二択。朝の目覚めにこんな秘密があったとは、ノーベル賞モノでごさいますな!

 ……一度覚めてしまった眼を擦りながら上半身だけ起こすと、掛け布団に重みを感じた。

 ふと視線をやると、いつの間にか布団に潜り込んでいた姫のその細い指が掛け布団を握って離さなかった。さっきの訂正、全く重くない。

 綿のように白く透き通るような肌に、陽光に照らされ一層輝く自慢の金髪。呼吸と同時に微かに上下する身体は姫の幼さも現していた。


「愛でまくりたい」


 姫よりも重い愛を呟いて俺は活動を始める。これじゃ俺がロリコンみたいじゃないっすかー。違うからね、姫が好きすぎるだけだからね。

 着たまま寝ていたカッターシャツを洗濯機に放り込み着替え、洗濯は晩にすることにした。台所で適当な朝食を見繕う。

 朝食の準備が終わると、一晩で伸びた爪を爪切りバサミでカットする。今日も絶好調で吸血鬼しているな……。

 一晩もあれば一、二センチは伸びる爪は吸血鬼の性だ。言い換えれば運命さだめ。fate。ディスティニー! 中二が好みそうな設定だな。

 ……待てよ。姫も人間換算でおよそ中二。ということは姫のハートのど真ん中に俺がいるとも考えられる。なにそれ超俺得。海老で鯛を釣る所か、プランクトンでリヴァイアサン釣り上げた気分だよ。

 ……俺の爪微生物かよ。

 そろそろ姫を起こさなければならない時間だ。心地よさそうな眠りを妨げるのは忍びないが、これも姫のためだ。心を鬼にして起こしにいく。


「姫プリンセス~。奇しくも朝ですよ~。起きて~」


 心の中心で愛を絶叫して姫を起こす。ゆさゆさと何度か身体を揺らすと、「むにゃ?」を語頭として姫が口を開く。


「むにゃ? もう朝なの? それとも日本の夜明けなの?」

「強いて言うなら日本の夜明け約二時間後だよ。起きて~」


 姫はゆっくりとしながらも確実に起動する。もうしばらくすると卓へ来ると判断して台所へ戻る。

 用意した鮭の塩焼き、味噌汁、浅漬けが並んでいることを確認して、最後に茶碗に白米を盛る。俺の分は大盛、姫の分は並み盛よりやや少な目。これが適量。


「うむ、いい塩加減だ、米くれ米」

「へい、白米お待ち!」


 呼ばれた方へ茶碗を差し出す。茶碗を受け取った相手は何の躊躇いもなく一瞬で完食した。


「ってなに人の家で我が物顔で朝食食べんてすか、社長」


 そこでやっと気付いた俺は相手の男をたしなめる。


「小さいこと気にするなよ。同じ釜の飯を食った仲だろ」

「あなたが勝手に上がり込んでジャーの米食べただけでしょ」


 逞しい顎髭を触りながらスーツを着こなした大男は「そんなこともあったな……」と哀愁に暮れている。

 俺が「社長」と呼んだ大男は、正しく社長。俺が勤めている会社の社長で俺の同族。数少ない吸血鬼ヴァンパイアの生き残りである。

 かつて吸血鬼の貴族であった「吸血貴」の彼は、吸血鬼ヴァンパイアの一族が日本に逃れた時から生きている古株で、俺達の面倒も見てくれている恩人だ。


「もういいですよ、食べてってください。姫の分に手を出したらその腕が身体からバイバイしますけどね」


 俺の分をすでに平らげた社長は姫の朝食に手を伸ばしていた。それを何気なく牽制すると、その腕は大人しく引っ込んだ。

 それはともかく朝食がなくなった。が吸血鬼ならば朝食の一つや二つ抜いた所で死にはしない。なんなら一週間くらい食べてない気がする。

 ちょっとした絶望に苛まれていると、着替えを済ました姫がやってきた。

 藍色のセーラー服に赤いリボンをワンポイントで結び、姫の動作でスカートが靡く。何と形容しようか……。


「いつにもなくお似合いで」


 俺が姫を誉めちぎる賛辞を絞り出していると、不覚にも社長に先を越された。ここ最近、ほぼ毎日のペースで顔を出している社長の存在は最早当たり前で、姫も何気ない挨拶で返す。てかほぼ毎日いるとか俺より馴染んでませんかね?


「少し急がないと遅刻するよ。早く食べて食べて」


 いつの間にか過ぎ去った時間に焦燥して姫を急かす。幸か不幸か朝食がなくなった分、俺には余裕がある。なんなら姫とシェアしたいくらいには有り余っている。

 しかし表情は急ぐことなく朝食をマイペースに食べる。やべぇ我の道行き過ぎだ。


「姫、もう少し急ごうね? 遅刻するよ?」

「大丈夫、きっちゃん焦りすぎ」


 口の中のものを飲み込むんだ姫が宥めてくる。ドードーと言って背中を擦られる。


「姫は緊張感を持ってよ……」


 トホホ……。

 姫は相変わらず唯我独尊我道を行く。「焦り」という言葉を辞書に持たないようで、姫はあっけらかんとしている。呆れ諦め途方に暮れた俺は、一周して愉快な気持ちに……、なれれば楽だった……。


「姫の言う通りだ。お前は少し姫を見習え。焦っても時間は等しく流れるのだから気楽にせんか。少なくとも吸血鬼わしらは寿命が長い。気長に生きろ」


 歳を重ねた社長のお言葉は年期を抱えている。人間よりも遥かに長い吸血鬼の寿命により、吸血鬼の王族はまだ完全に一度目の世代交代を終えていない。その太古から生きる社長はどっしりと頼りがいがある。

 が、今はそれすら鬱陶しい。もうおっさん黙っててくんねぇかな。


「それにね、きっちゃん」


 カチンと箸を置いて姫が向き直る。深紅の瞳が俺を見据え、透き通る眼が俺を見抜く。艶やかな肌に映えるピンクの唇がゆっくり動く。

 小さく愛らしい唇からゆっくりと、確実に言葉を紡ぐ。


「今日、日曜日」

「……マジかよ」


 姫が首肯する。


「俺の曜日感覚! 曜日感覚の重要性ぃ! なんで姫は制服なのさ!?」


 ありったけの叫びが溢れた。一口に三つのツッコミを叫ぶ辺り、もうここが世界の中心なんじゃないのだろうか。


 「世界の中心でツッコミを叫ぶ」


 これ全米が泣くぞ。


「なんで制服って、これしか服が見当たらなかったから、かしら?」


 カクッと小首を傾げる姫。その所作と姫のビジュアルが相まってもうどうでもよくなる。うん、もうどうでもいいから一つ言わせて。


「姫の女子力!」


 ありったけを叫ぶともうどうでもいいや。ってなる。実際なってる。

 日曜日なら寝ても構わないか。と思い、魂が抜けたセミの脱け殻みたくなった俺(魂も肉体も抜けちゃった☆)は覚束ない足取りで歩き出す。

 が、俺の首根っこを大きな手に鷲掴みにされた。


 ……クビガシマル。


「わしらは仕事だぞ! 飯も食ったことだし働くぞ!」

「飯を食ったのは社長で、クビガシマル……」

「さぁ仕事だ!」


 一方的で話を聞かない社長に引きずられて城マイホームを後にする。

 トホホ……。



…………………………………………………………………………………………………


 アリtoキリギリス。アリが働き、情でキリギリスを助ける。「ちゃんと働こうね」という教訓を伝えると共に、アリからキリギリスへと成果が「to」されているという不条理でもある。

 しかしアリとキリギリスはまだいい。アリには蓄えで働かずにいい冬がある。キリギリスなんざ一年中働いていない。最早ヒモである。


「にんげーんはー、一年中働き磨り減ってー。最後に還元されず……、辛くなる(吸血鬼も同様)」


 作詞、作曲「俺」の歌を歌っていると気持ちが落ち込んだ。おかしいな、気持ちが重い時は歌を歌えば元気が出るんじゃないですか? そうじゃないと「さんぽ」なんて歌うタイミングないぞ。

 俺は吸血貴の社長が経営する健康食品会社に勤めている。中小企業ながらも地域密着型で、意外に安定して会社は成り立っている。会社は。

 俺は社長と同じく吸血鬼で、人間以上のエンジンを搭載している。よって多少のハードワークが出来るし、するつもりだったのだが、社長の人使いが荒すぎる。


「ぬぁぁ暑い」


 しかも今日は晴天ナリ。雲一つなく日光が直撃だ。俺のライフポイントはゼロである。

 吸血鬼というものは日光に当たると灰になる。という説があるが、あれは一部間違いだ。正しくは「日光に当たると喉の奥がくそ痒くなるくらいには弱くなる」だ。その為日光下でも月光下でもパーリナイ出来てしまう。

 それを身を持って知っている社長は、俺を外回りの営業部署に配属させた。一日中歩いても問題ない。百人乗ってもだいじょばない。労基カムバーック!


「今日はお得意様の所を回って新商品の提案と、引っ越してきたお宅への訪問か」


 社長から送られてきたメールで、本日の業務を確認する。

 行うべき優先順位は「お客様>お客様>お客様」だろう。問題はどのお客様を優先するかだ。


「めんどくせぇし、近い所から済ませるか」


 手っ取り早く一番近い住所へ向かう。

 十分程歩くとその住所に辿り着いた。新築の一戸建ては回りの住宅街と同じ様にお洒落ながらも落ち着いた雰囲気で居を構えていた。新築の匂いに酔いそうだ。


「おっと、新しい顧客様か」


 一番面倒な顧客を引いてしまった。元来営業という名目での訪問販売は馴れていないと詐欺臭いものだ。面識も免疫もない顧客はしんどい。


「ちゃっちゃと尋ねて、ちゃっちゃと断られて、ちゃっちゃと帰るか」


 ヤル気ゼロ%でインターホンを鳴らす。カメラ付きのインターホンの正面に立ち応答を待つ。


『はい? どちら様ですか?』


 女性の声で応答があった。品の漂う声。「もしかしたら」などと一瞬希望を持つが、それを一瞬よりも早く捨て去る。これは身体に染み付いたルーティーンである。


「お忙しい時にすいません。わが社の健康食品をお勧めさせていただいているのですが、少しお時間よろしいですか?」

『いや……、ウチは別に……』


 やはり渋ってくる。そんなのはインプット済みだ。俺の戦闘回数をいくつだと思っている。断られた時の対応は完璧だ。どちらかと言うと断られる方が営業成功率が高いくらいだ。なんだ、皆ただのツンデレかよ。


「それではパンフレットと名刺をポストに入れさせていただきますが、よろしいですか?」

『まぁ、それなら』


 声で分かるほど嫌がる相手だが、それも馴れている。罪悪感と共にパンフレットに名刺を挟んで、インターホンの真下のポストに投函する。

 まだだ。「断られた場合百戦錬磨」の俺は最後のごり押し、「愛想の営業スマイル」をカメラに向ける。


「では失礼します」


 ニッと口角を上げて営業スマイル(ゼロ円)。そして一仕事終わって素のスマイル(一二〇え~ん)。


「さて、次は……っと」


 メールを見て、次の行き先を検討する。

 すると、見たことのある姿が視界に入る。

 長いブロンドヘアーを靡かせ天使降臨。あぁ神託の時か……。バカヤロウ、ありゃ姫じゃねぇか。


「おっ? 絶賛労道中のきっちゃんだ」


 姫も俺に気付いてこちらに歩いてくる。労道中のオアシス、ここに極めたり。


「姫がなんでこんな所に?」

「友達にノート借りに行ってたの。ちなみに利子はトイチよ」

「どや顔でヤミ金自慢しないでよ」


 他愛もない姫との会話に癒される。仕事に戻ろうと姫と別れようとした時、さっき訪問したお宅の扉が勢いよく開け放たれた。

 余りの勢いと音で咄嗟に振り返る。


「あ、あなた……、さっきカメラに写ってた……」


 一体どんな勢いで駆け出したのか、女性は肩で息をしている。

 赤みがかった黒髪長髪を乱して、ブラウスの襟元から鎖骨が覗く。膝に手を着いているので鎖骨から胸元が見えてしまっている。白い肌が晴天から射し込む日光に輝く。


「あの、どうかしましたか」


 なるべく秘境に眼をやらないようにして問いかける。

 女性は膝に手を着く姿勢そのままで、顔だけ上げて俺を見上げる。ダメだ。このアングルだと女性の渓谷が見えてしまう。そうか、これが古代エジプト王家の谷だったか。


「あなた、吸血鬼ね。カメラに写った牙。それに同じ匂いがするわ」

「……へ?」


 俺がネクロバレーに気を取られていると、女性がなにか言った。思いもしない一言に耳を疑う。


「きっちゃん、どったの?」


 そこに姫が戻ってきた。

 戻ってきた姫を女性が見付ける。黄金の瞳が姫を捉えると、どんな意図を持ってか釘付けになっている。

 「類は友を呼ぶ」などという。幸か不幸か、運命の糸が絡まる瞬間がある。人はその出会いに「一期一会」と理由を付けたがる。しかし出会わなくてもいい出会いだってきっとある。

 七〇億もの人口があるのに出会うのは神の悪戯か。ハマったパズルのピースが決して完成へ導くとは限らない。逆にパズルを難解にすることだってある。

 なにが正しいか、正しかったか分かることは永遠にないだろう。しかし後悔はする。俺は後に、この出会いを後悔するだろうか。


「あなたは、もしかして……、姫プリンセス!?」


 嵐の前の静けさ。あれは嘘だ。今まさに起きようとしている嵐の前は、不安で高鳴る心音が喧しかった。

episode2…夜のお城でディスカッション!

「……」


 久しぶりに客を呼んだ城マイホームは小汚ない。ギシギシと風に揺れる窓は戦慄き、すきま風を通す壁。これETCつけたら……、もういいか。

 チラッと時計を見ると十時。午前ではなく午後十時。古舘さんが熱弁を奮い始める頃だ。今日日曜だ。


「ねぇ、あなたのお仲間はまだなの?」


 卓を挟んで向かいの座布団に座る女性が声をかけてくる。

 赤みのかかった黒髪を払う女性は昼間とは印象が全く違っていた。リクルートスーツでビシッと決めた様はなかなか画になる。ただキツそうなイメージは高まっており、もはや完全武装。


「そぅ……ですね。社長の到着はもうすぐかと」


 わざとらしく時計を見て答える。

 俺の返答を聞いて、女性は出された湯呑みを啜った。それに続いて後ろに控えるスーツ姿の男性も湯呑みを啜る。

 「お前ら誰だよ。オラ通報すっぞ!」とか言いたいが、状況が状況だ。恐らく彼らも無関係ではないのだろう。


「私が聞いているのは姫プリンセスのことよ。社長なんて要らないから、姫を呼んでいただけるかしら?」

「と言われても、話し合いならば関係者全員がいた方がいいでしょう?」


 「もう少し待ちません?」などと言うと女性は大人しくした。しかし爪先で卓をカツカツと鳴らしている。ご立腹のようだ。

 それも無理はない。社長は、


「九時頃行くから用意しとけよ!」


 なんて言っておいて一時間も遅れている。あの人の体内時計どうなってんだよ。

 気まずくなる雰囲気から気を逸らそう。

 まずはここに至るまでの過程でも振り替えったら解決策があるのではないか──?



――  ――  ――  ――  ――  ――




「あなたは姫プリンセス?」


 目を丸くして姫を姫プリンセスと呼ばわる女性。このただの顧客であった女性が言った言葉を頭の中で反芻する。


 結論、ちょいと面倒。


 そして先手は取った。


「姫、逃げるよ!」

「あいさー」


 姫に一言かけて地面を蹴り出す。小脇に小柄な姫を抱えて屋根をかける。普段は決してしない奥の手で逃走を謀るが、やはりそうは問屋が卸さない。

 やはり相手方も追いかけるだけの能力は持っていた。

 屋根の上での追いかけっこが始まる。


「待ちなさい! 待てって!」

「待てって言われて待つ逃走者はいないって!」

「きっちゃんレリゴー!」


 口々に適当なことを言い散らして駆ける。誰かに見られようものなら一大事だ。オカルト番組に呼ばれて人気者! ……マジで笑えねぇな。


「姫、ちょいと本気出すから割りとマジで掴まっててね」


 ボソッと姫に一言かける。姫は一瞬耳を疑うかのように聞き返そうとしたが、その後すぐに声を荒げた。


「えっ? きっちゃん、それはタンマ、まだ心の準備がぁぁ!」


 姫の絶叫を引き連れて疾風と駆ける。背中にいた女性の影は遥か向こうに遠くなり、残ったのは腕の中の姫と微かな疲労。


「ごめんね、姫。善は急げってことで許して?」

「う、うん。たまにはジェットコースター乗るべきだね、夢の国に行く手間が省けたよ」


 強がりつつも目を回す姫。

 これは天に召されかけておりますね。


「その代わり夢の国に召されかけてる気がするよ。本当にごめんね、姫」


 項垂れる姫は超かわいいというデータを頭に書き込んで姫を下ろす。


「じゃあ俺は仕事に戻るから、姫は大人しく家に戻るんだよ」

「ほーい」


 そうやって姫と別れる。崩れたスーツを整えて気合いを入れ直す。

 するとポケットの携帯が震えた。


「おっと、電話か。電話には出んわってな」


 なんだこのテンション、訳分かんねぇな。しかしその程度には思考が麻痺ってるのだろう。モモンのみを食べるか。あれ? チーゴだっけ?


「もしもし、社長? ちょうどいいや。少し報告しておかなければならないことが出来ました」

「おう、奇遇だな。俺もお前に用件があるんだよ」

「? まぁ用がなければ電話はしないですよね? 何です?」


 軽い気持ちで問いかける。社長は一息吸って声を出した。


「顧客からのオファーだ。今晩お前の家に突撃するから覚悟しろよ!」


 ……。は?


「ちょっ、社長。話が見えない」

「九時頃行くから用意しとけよ!」

 プツン。ツーツー……。

「訳分かんねぇ!?」



――  ――  ――  ――  ――  ――



 ──え? 何の問題解決も見つからないんですけど。結局分かったのは社長の横暴さくらいか。

 何はともあれ、彼女の家のポストに入れていた名刺から会社に電話し、会社を経由して俺に電話が来たようだ。不覚っ!


「ねぇ、社長さんはまだかしら?」


 女性がさらに苛立った声音で問うてくる。


「もう少々だけ……。えっと……、お名前は?」

「足立あだち、今はその名前で暮らしているわ」

「もう少々お待ちください足立さん」


 湯呑みに次の緑茶を注ぐ。後ろに控えている二人組の男達にもお代わりを淹れた。


「よお! 少し遅れたな、悪い悪い!」


 豪快に笑いながら、つまり、何が楽しいのか大爆笑しながら社長が到着した。


「社長! 少しじゃないですよ。どれだけ先方をお待たせしてると思って」

「喧しいな。たかが時計一回転じゃねえか」

「その一回転の重みを知ってください」

「龍……。世の中にはな、『適材適所』って言葉があるんだ」

「『だから俺に求めるな、諦めろ』とか言わないでくださいよ。社長が社会不適合者とか嫌ですから」

「ちょっと、いいかしら?」


 玄関先でガタガタと言い合う間に、冷水の如く降り注いだ声は、足立さんの声だ。


「コント中に悪いけど本題に入りたいの。よろしくて?」

「おう、そうだったな。とっとと終わらせようか!」

「何で社長が偉そうに……」


 廊下に出た三人が客間に戻ろうとしたとき、足立さんに肩を掴まれた。


「ん」

「ん?」

「ん」


 アゴで階段をクイッと。これがアゴクイですか?


「姫プリンセス呼んで来なさいよ。全員揃ったでしょ」

「……マジか」

「マジよ」


 こうして夜を徹した吸血鬼会議(初耳)は幕を上げた。






「それでは会議を始めましょう」


 切り出した足立さんの声音はしゃんとしている。正座する姿勢は真っ直ぐで、目線を逸らしてしまうほど鋭い。


「あの……、まだ話の展開が分からないんですけど」

「……zzz」


 小さく挙手して問いかける。分からないことはすぐに聞かないとね。「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」ってね。


「ちょっと姫を起こしてもらえる?」

「あ、はい……。姫ー、起きてー」

「……むむ」


 ガッツリ寝ている姫を傷心しながら起こす。ごめんね姫、足立さんが恐いんだ。


「で、そちら側の意見は大体聞かせてもらったが、どうも飲み込めんな」


 俺と姫を横目に社長が勝手に会話を始め出した。


「あら、吸血貴の貴殿なら理解していただけると思っておりましたが」

「昔のわしならそうだったいたかも知れんが、今は社長だ。この社会に溶け込むのも悪くないと思っておる」

「それは貴方だけではなくて? 会社を経営して裕福で、今の生活に満足しているのは限られた者だけよ!」


 後ろの連れの男二人が頷く。語調が強くなる足立さんは、前のめりになりながら熱弁を続ける。

 で、何の話?


「きっちゃんきっちゃん、何の話? 会社のストライキ?」

「俺聞いてないよ? ストライキだったら喜んでやるのに」


 でもストライキではないだろう。足立さんのような人は会社で見たことがないし、聞いている限りもっと大きな話のようだ。


「それじゃあクーデター?」

「いやいや、それは規模が大きすぎるでしょ」


 ないない。今さら吸血鬼のクーデターなんて何百年も前に潰えたことが平成の世の中であるはずがありませんよ。あり得ない、クーデターアリエナイ。

 俺と姫が頭を捻っているとき、社長と足立さんの論争は激しさを増していた。


「──クーデターよ!」


 ……へ?


 今足立さんの口から「クーデター」とかいう物騒な死語が飛び出たような。


「落ち着きたまえ。今さら吸血鬼のクーデターなど通用せん時代だ」

「意味はあるわ! 一矢報いることはできる。この社会に傷跡を残すのよ!」


 冷静に対処する社長と、業火のように叫びたてる足立さん。今までのイメージとは一変してかなり感情的になって、これはこれで恐い。


「まさかこの『吸血鬼会議』って、クーデターの話し合いだったりします?」


 燃えたぎる足立さんに訪ねる。

 焼き殺されそうな視線を向けてきた足立さんは「そうよ!」と怒号を飛ばして返事をする。八つ当たされた……。


「だったら止めておきましょう。クーデターなんて今の状況でできる筈がない」

「……その事は問題ないわ。私たちには切り札があるじゃないの」

「どういうことです?」


 ふと熱が冷めた足立さんは、黒髪をフワリと流して長い指を伸ばした。


「ほぇ?」


 指を指された姫は、思いもよらないご指名に垢抜けた声を出す。


「彼女、正真正銘の『吸血姫』がいるじゃない。彼女を新たな女王として前面に押し出したら、身を潜めている吸血鬼は集まる筈よ」


 不敵な含み笑いで、己の作戦を宣言する。


「それって……」

「ええそうよ。新たな吸血鬼の国を作るのよ!」


 足立さんはどこか誇らし気な表情だ。連れの男たちは声は出さずとも満足げに頷く。


「そうじゃないだろ。姫を前に出すってことは、全てを姫に押し付けるってことだろ?」

「そうだ龍。だからわしも賛成せんかった。今のわしらに必要なのは革命じゃない。協調だ」


 社長が太い腕を組んで俺の意見に補足を加える。しかし足立さんは引かない。


「話がこうなるのは見えていたわ。けど、多数決で言えばまだ私たちの方が有利よ。三対二といった所かしら?」


 口元一杯の、皮肉にも美しい笑顔で足立さんは言う。足立さん一票、後ろの男たち二人で占めて二票。

 対してこちらは俺の一票と社長の一票。あくまで姫に意見を言わせるつもりらしい。そしてその意見をねじ曲げてでも引き寄せようとするのだろうか。


「さぁ、姫プリンセス。貴女の意見を、思いを聞かせてちょうだい!」


 再び火の着いた足立さんは黄金の双眸で姫を見据える。

 燃える白刃を向けられた姫は、視線を落としながら答える。


「私は……、喧嘩はいけないと思う。やるべきではないことには反対」


 足立さんの圧力に圧されて、姫の声は今にも消えそうな蝋燭のようにか細い。一方の足立さんはその火の勢いを衰えさせることなく弁舌を振るう。


「私たちは、ずっと昔から苦しんできたの。単純な理由よ。他の人と違うから。逃げて逃げて……、果てまで逃げてここに来たの。それでも楽な道のりじゃなかったってことは分かるわよね」


 何かを悟ったかのように話し出す足立さん。姫を説得するようでそうではない。


「貴女だって感じるときがあるでしょ? 例えば、私たちは人間と違う時の中にいるのよ」

「っ!」


 そこで姫が微かに動いた。今姫が持つ周りとの最大のコンプレックスだ。小学校の時期にそれに悩まされ、やっと中学まで来た。

 それでも思い軋轢は、姫の心に響くには十分すぎるだろう。


「止めんか! 姫の答えは出ておる、これ以上の話し合いはなしだ。とっとと帰れ!」


 危機を察した社長が巨体を起こそうとするが、足立さんの連れの男たちに押さえ込まれる。


「ぐぅ……。貴様ら、ただの吸血鬼ではないな」

「もちろん、クーデターだの言うのならば力が必要でしてよ。彼らは人間式の戦闘法『CQC』を体得しました」

「軍人ということか……。龍! 仕方ない、お前がやれ!」


 社長に俺が呼ばれると、男の一人がこちらに臨戦態勢を取った。


「待って!」


 間に飛び込んできたのは姫の叫び。先程までの弱々しい声から一転、姫は何かを決意したのか紅眼で足立さんを見据える。


「足立さん。あなたはどうしたいの?」

「……え?」


 姫の突然の質問に虚を衝かれる足立さん。答えはすぐに出てこない。


「あなたはクーデターをしたとしてどうしたいの? 今までのことはリセット出来ないし、時間は戻ってこないよ?」

「そっ、そんなのいらないわ! 私は人間に吸血鬼としての誇りを見せてやるのよ。この世に、隣にいるかも知れない吸血鬼の存在を強く刻み込んでやるの! それだけでも意味のある反旗じゃなくて?」


 激情と冷静さが入り乱れる足立さん。本人も突然の質問で動揺しているらしい。

 足立さんの一連の答えを聞いた姫は、優しく微笑んだ。


「私はね、友達にノートを借りたわ」

「……へ?」

「今度返しに行かなくちゃならないの。それに音楽の授業でペアも組んだし、掃除だって当番でやらなくちゃいけない」

「……姫プリンセス、一体何を?」


 姫の言葉に疑念を抱いた足立さんは身構えながら問い返す。


「だから私はこの社会に居たいわ。今、決めたよ。私は明日も学校に行く」

「……」


 言葉もなしに、強く握られた足立さんの手がほどけた。

 真っ直ぐで、歪みのない視線は足立さんの心を撃ち抜いた。この世に絶望した心を癒し、凍り付いた心をゆっくり溶かし、燃える激情を静かに鎮める。そんな姫の真心が、足立さんを少なからず変えたのではないだろうか。


「……あれ? 何で私、泣いてるのかな?」


 静かに流れる涙を不思議に拭う。それでも止めどなく溢れる雫に膝を折り、とうとう膝に顔を沈めて泣き出す足立さん。張りつめた糸が緩んだのだろう。


「ふっ、ふざけるな! 俺はやるぞ、例え殺されようとも吸血鬼の恐ろしさを世界に思い知らせてやる!」


 さっきまで俺と睨み合っていた男Aが声を荒げる。


「俺もだ。何のために人間に戦いを乞うたと思う。この数百年に渡る屈辱果たさずにいられるか!」


 社長を押さえ込む男Bも叫びを上げて、猛る。

 今にも暴れだしそうな二人を見た社長は、精一杯の言葉で俺に向かって叫んだ。


「龍、やれ!」


 社長の号令に合わせて二人の視線がこちらへ向く。


 ──俺がいた筈の場所を向いた。


「っ!」


 無音の所作で男Aの脛椎をトンッ。気を失った男Aは顔から倒れる。


「えっ?」

「なっにっ!?」


 目を疑う足立さんと男B。危機を察した男Bは社長から離れ、懐から拳銃を出した。


「この野郎!」


 有無も言わせず発砲。弾ける音に一同は耳を塞ぎ顔を歪める。男Bは反動を受けながらもしてやったりという顔だ。

 だがそれもその程度。


「ああああり得ない! 銃弾を掴んだ!?」


 カランと投げ捨てられた銃弾を見て男Bは目を丸くする。

 そして俺の怒りが最高潮に達した。後は感情に任せるだけか……。


「壁に穴が空くだろうが!」


 おりゃぁぁぁ!


 最早全身全霊。これ以上壁から風が入り込むのは御免だ。


「つ、強い……」


 号泣だった足立さんが涙を止めて唖然としている。

 姫に呼ばれて我に返る。


「穴を空けられたら修理させるチャンスだったのにねー」

「はっ!? その手があった!?」


 意外! それは修繕費の詐取っ!

 くそ! 後悔先に立たずか!


「何でこんな人が、こんな……。え? これ何?」

「まぁ驚くのも無理はないわな。ぃてて……」

 戸惑う足立さんに、老体を起こしながら社長が何か語りかける。

「龍は凄いだろ」

「……はい。どうしてあんなのが、あんななんです?」

「『吸血騎』ってのは知ってるか? 吸血の騎士」

「王宮内で最も強い吸血鬼に与えられる称号、ですよ、……ねぇ!? まさか!」

「そのまさかだ。龍は歴代最強と謳われた吸血騎。なのにあんな感じの駄目男になったのは、きっと姫のお陰だろうな」

「吸血騎を変えた、姫プリンセス……」


 お? どうやら足立さんも復活したらしい。社長と何を話していたのかは鮮明には聴こえなかった。


「社長、お身体は大丈夫ですよね。そりゃよかった」

「おい、少しは気配らんか。シバくぞ」


 そして丸太のような腕でどつかれた。何だよこの超ヘビー級パンチは。アラスカのグリズリーかよ。


「それにもう片方の腕は負傷した」


 え? マジで? 超嬉いんですけど。


「だから明日からわしの分も働け」


 え? マジで?


「どういう理屈ですか!」


「ええい、小さいことで五月蝿いな!」

「小さいことが積もっているんですよ! もういい! こうなったらストライキだ!」


 やるぞ。俺は一人でもやるぞ。ってそれはストライキじゃねぇや。

 何としてでも社長という名の絶対王政を、邪智暴虐の社長を取り除かなければならぬ! と決意して走り出そうかと思う頃、姫が呆然とする足立さんに歩み寄る。


「きっちゃんも社長も楽しい?」

「ええ、凄く馬鹿馬鹿しいわね」


 そしてクスリと笑った。今までで一番の笑顔は、まるで長年の蕾が、やっと花咲いたようだ。そこに本当の彼女を見た気がする。


「今からお茶でもしようよ? きっちゃん、何か出して!」


 合点承知の助! 返事をして台所へ行く。……トマトジュースしかねぇや。


「こんな夜中からいいのかしら? 迷惑じゃ……」


 足立さんが承諾を渋るが、姫が最後の一押しだ。


「いいのいいの。吸血鬼は夜に騒いでなんぼでしょ、あだっちゃん」


 出た~! 姫のジゴロ戦法『ニックネーム』! あんな美少女にニックネーム付けられたら誰でも落ちるわ。……後で男子のクラスメート調べ尽くして片付けねぇと。


「ありがとう姫。……どうせならもっと可愛いニックネームをちょうだい」


 ニッコリとした足立さんは、先程までの荒れ狂う様子は微塵もない。誰が見たって「淑女」の一言に尽きるだろう。


「オッケー、あーちゃん!」

「ありがとう、姫プリンセス」


 どうやら一件落着。これからは吸血鬼のパーティーが始まる。


「よし! 『吸血鬼の吸血鬼による、吸血鬼のためのトマトジュースパーティー』始め──」

「龍! 俺にはビール頼む!」

「龍さん、私もそれで!」

「きっちゃん、私コーヒー牛乳~」


 俺が乾杯の号令を取ろうと缶ジュースを掲げると、各々好き勝手なオーダーを始めた。

 ってトマトジュース以外ないんですが……。


「「「コンビニへGO!」」」


 寸分違わずGOサイン出ました~!



 結論を言おう。夜にテンションのピークを迎える吸血鬼にとって、24時間営業のコンビニは必須なものになったとさ。めでたしめでたし……、トホホ。

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