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A Fable of Inverted Cross 作者:鵺這珊瑚

雨がしとしとと降り続けています。生涯聖堂で暮らすことを義務付けられた女性、「聖女」サマは、こんな雨の日も、晴れの日と同じように愛していました。


「雨が降らなければ、困る人もきっといるはずだわ。それに、草花は水が大好きだもの」


聖女サマはそう言って、窓越しに庭園を眺めます。高い塀に囲われ四角くなった曇天は、一向に晴れる素振りを見せません。聖女サマは日光浴が1日の楽しみだったのですが、今日はそれが出来なさそうです。しかし、日課が取り上げられたとしても、聖女サマは外にいる人を思うだけで幸せでした。


「外見てるだけで面白いのか?」


男の子の声がしました。聖女サマが振り返ると、そこには黒いマントを羽織った少年がいます。


「あら、いらっしゃい。今お茶を淹れさせるわね」


少年は面食らった顔をしました。


「おい、俺が誰だか分かんねーのか? それとも分かってて言ってんのか?」

「もちろん分かってますよ。あなたは吸血鬼さんでしょう? 尖った歯が可愛いらしいわね」


聖女サマがにっこり微笑むと、少年は口元を隠して顔を赤らめます。


「そ、そんなこと思ってないだろ……」


聖女サマはまた微笑み、少年に近づきます。


「その赤い目も、真っ黒な髪も可愛いと思うわ」

「んなこと……ってお前からかってんな!?」


聖女サマはくすくす笑うと、修道女を呼んでお茶を淹れるよう言います。吸血鬼の少年はそれを見て、不服そうに頬を膨らませました。


雨は少し激しさを増したように思えました。

お茶が運ばれてきて、それを少年は受け取ります。真紅にハーブの浮かべられた、透き通った香りのするお茶を、若干警戒しつつも一口含みました。顔をパッと明るくします。


「美味しいでしょう? あの子はお茶を淹れるのがすごく上手いの」


聖女サマもカップを上品に傾けます。それに釘付けになる少年。


「……ん? どうかした?」

「えっ!? あ、いや、姉ちゃんは人間なのに、俺を殺そうとはしないんだなと思って。しかも、おまけにもてなそうとするなんてさ」

「お客様をもてなすのは当然でしょう? 私はいつも一人だから、来てくれて嬉しいわ」


少年は眉をひそめます。


「いつも一人? 親は?」

「いないわ、私は産まれてからずっと一人よ。物心ついたときには、もうここにいたから。……考えてみれば、もう18年もここで暮らしていることになるのね」


聖女サマは肩をすくめます。


「そうなのか……俺も一緒みたいなもんだよ。昔に両親は死んで、俺も一緒に殺された。本当ならそこで終わりだったんだけど、俺だけは残した妹が心残りで、気づいたら吸血鬼になってたんだ……でも、その妹も、実は俺と同じように殺されてた。俺は意味もなく、この姿になっちまったんだ」


少年が目を向けると、聖女サマの目には涙が浮かんでいました。


「え? なんで?」

「ごめんなさい……私、そういう話に涙脆くて……」


聖女サマは、若干嘘を言いました。涙を拭きます。


「今日はゆっくりしていって。私たち、お互い話が合うと思うの」


二人は最初はポツポツと、次第に弾むように会話を楽しみました。吸血鬼は聖女サマの趣味のことを、聖女サマは外の世界や普通の人の暮らしのことを聞きあい、二人の顔には、笑顔が溢れました。


「今日は楽しかったわ」

「俺も、楽しかった」


少年は頬を朱に染めて、上目遣いに尋ねます。


「また、来てもいいか?」

「ええ、もちろん。むしろこちらからお願いするわ」


少年は嬉しそうに笑顔を咲かせると、手早く別れを言って、窓から外へ出て行きました。


聖女サマは少年が塀を超えるのを見送ると、力を緩めます。途端に塀の周りを囲っていた悪霊避けの結界が力を取り戻し、空に向けて一挙に展開しました。

聖女サマは肩で息をしています。もし吸血鬼の少年が結界に触れれば、少年は動きを拘束され、すぐエクソシストに捕えられてしまうでしょう。それが嫌だった聖女サマは、莫大な力を以って自ら結界を解き、吸血鬼を中へ導いたのでした。


その日から、二人は毎日出会うようになっていきます。



少年との親睦も深まってきたある日、聖堂にはまた別の客がやって来ていました。


「エクソシストの者です。今日は年に一回の点検に参りまして」


そう言う男は肩幅が広く目がギラギラしていて、身につけた礼服も首に提げた十字架も、何もかもが厳つく見えます。


「お疲れ様です、今お茶を……」

「いえ結構。聖女様にお手間をかけさせるわけにはいきません」


男は無表情で言います。聖女サマは内心しょんぼりとしながらも、そうですかと引き下がりました。


「ところで、昨日結界が一時的に解けていたようなのですが……何か心当たりはありませんか?」


聖女サマは澄まし顔です。


「いえ、特には」

「……そうですか。では、結界の補強が済み次第お暇します」


そう言って、男は石像のように固まりました。話しかけるような雰囲気ではなく、聖女サマは気まずく感じました。


ふと外を見ます。見えるのはいつもと同じ塀なのですが、その向こう側に、人間ではない気配を感じました。オーラの形が、吸血鬼に似ています。


(まさかあの子……!? 悪霊殺しのプロがいるというのに、タイミングが悪いわね……)


気配は塀に近づいてきました。すぐ近くまで来て……跳躍します! 咄嗟に結界を解くと、黒い影が高速で飛び込んできました。男が眉をひそめます。


「ん? 今結界が解けませんでしたか?」

「いいえ、気のせいではありませんか? まず、エクソシストの結界を解ける人なんていないのでしょう?」

「それはそうですが」


男は満更でもなさそうです。それと対照的に、聖女サマは焦ります。

男はそれに気付いたのか訝しげに目を向けました。聖女サマが黙っていると、「様子を見て来ます」と言って、部屋を後にします。


扉が閉まったのを見て、聖女サマは庭の窓を開けました。見下ろします。案の定、吸血鬼の少年がいました。気配はやはり少年のものだったのです。


「今日も来たよ」


その笑顔は、痛いほど眩しくて。聖女サマは涙が出そうになりながら、静かに言いました。


「いつもありがとう……でも今日は帰って。お願い」


エクソシストに少年を殺させないためには、こう言うしかないと思っていました。

少年はひどく傷ついた様子で、瞳を揺らします。


「なんで……そんなこと言うんだよ?」

「本当にごめんなさい。今日は帰ってほしいの。今すぐ」


少年の目が、涙で潤みます。


(やめて、あなたが泣いたら私まで泣いちゃうじゃない)


いきなり帰れだなんて、酷い台詞だとは思っていました。けれど、聖女サマは怖かったのです。今ここにいると殺されてしまうなどと言えば、少年が二度と会いに来てくれなくなるのではないかと。


「とにかく帰って。早く」


聖女サマは口をきゅっと結び、少年を見ました。少年は戸惑いを隠せません。


「いきなりそんなの……俺分かんねえよ……姉ちゃんもそういう奴だったのかよ……」


少年は下唇を噛んで、涙を必死にこらえました。その目は、縋るようにして聖女サマを見つめます。

しかし聖女サマが目を逸らすと、少年の涙腺は一気に崩壊し、雫が溢れ出ました。


「くそっ……!」


目を真っ赤にして、駆け出していきます。

聖女サマは心に深々と、太い釘が刺さるのを感じました。


(私は……罪を?)


突如赤い閃光が迸ります。

見上げると、少年が結界に失神させられ、落下するのが見えました。

聖女サマは自分に気を取られて、結界を解くのを忘れていたのです。散らばっていたエクソシスト達が、たちまち集まってきました。このままだと、少年は捕らえられてしまいます。


「侵入者だ!」

「捕まえろ!」


エクソシストが叫びます。聖女サマの顔が引き攣りました。きっと、少年はすぐには動けないでしょう。聖女サマは、とっさに声を張り上げました。


「そっちじゃないわ!」


エクソシスト達は、ぎよっとして振り向きます。


「魔物はそっちじゃなくて、向かい側に行ったわ!」

「いえ、しかし反応はここで……」

「私はこの目で見たのよ!? 聖女の私が信じられないというの!?」


聖女サマは今まで自分の立場を盾にしたことはありませんでしたが、このときだけは必死でした。エクソシスト達はその迫力に気圧され、お互いに顔を見合わせます。少し話し合って、渋々と聖女サマの指した方へ向かいました。


その間に聖女サマは塀に駆け寄って、精一杯向こう側に呼びかけます。石塀を拳で叩くと、白い皮膚が擦りむけて血が滲みました。

少しして、小さな呻き声が聞こえてきます。聖女サマは息を飲みました。

「君、大丈夫!?」


返事がありました。


「……ああ、大丈夫だよ」


今度は、聖女サマの心が傷つきました。低くて、冷たい声でした。


「まさかこんな仕打ちを受けるなんてな。俺、もう帰るわ。ありがと、聖女さん(・・・・)」


皮肉を込めた台詞を残して、少年は去りました。聖女サマは、少年が化けたのであろうコウモリを呆然と見送ると、膝を折り、泣きました。罪の重さを、初めて知った時でした。



それからしばらく、少年はやってきませんでした。聖女サマは日光浴もせず、ただ庭を眺めてため息をつく毎日です。


(許してはもらえない……わよね。多分……)


そんななか、祝祭の日が来て、聖女サマは街に出るお許しをもらいました。聖女サマは気が進みませんでしたが、修道女が「聖女サマは最近思い詰めすぎです、休息も必要ではありませんか」と勧めてくるので、仕方なく街を散歩します。

街はいつも通りの賑わいでしたが、すこし様子が変わっていました。


「この国は腐ってる!」


台の上に登って演説を行う男がおり、その周りを民衆が取り囲んでいます。


「革命を起こす必要がある! 高い税金とそれを無駄遣いする国王! もう我慢ならない!」


その演説に、民衆は腕を振り上げて賛同しているようです。演説を知らない聖女サマは、首を傾げました。


(あれはなにかしら……私には分からないわ、今度誰かに聞いてみましょう)


熱狂する民衆の間をなんとか通り抜けると、聖女サマは広場に出ました。そこには大きな舞台が用意されていて、芸者が芝居を演じています。


「王よ、何故私を殺すのだ!」

「お前は私と同じ名前だ、それに顔が気に食わん!」


観衆がわっと湧きます。聖女サマはなにが面白いのか分かりませんでしたが、どうやら国民は国王に恨みを持っているようだとは、なんとなく分かりました。

聖女サマは、見てはいけないものを見たように思えました。


(国が不安定になりつつあるのかしら……心配だわ、あの子は一体どこにいるの……?)



それから少年発見の報せが入るまで、それほど時間はかかりませんでした。エクソシストのメンバーが聖堂に立ち寄って、少年の話をこぼしたのです。


「なんでも、郊外のボロ小屋に居たところを捕らえたらしいですよ、弱ってたからすぐ捕獲できたとか。今処刑場に向かってるらしいです。僕は政治には疎いんですけど、国王に反対する集団へ、国の力を見せつけるのが目的なんだとは思いますねえ」

「つまり、政治利用のために処刑場へ……!?」


処刑場、とは要するに広場のことです。魔物の場合、逆さ十字にかけられて、晒し者にされてしまいます。


「今すでに向かっているんですか!?」

「はい、そうですよ。それがどうかしたんですか?」


聖女サマの顔が青ざめます。今度こそ、少年は殺されてしまうのでしょうか? 磔にされ、嘲笑われる光景。手と足に突き刺された釘に、苦悶の表情を浮かべる少年。頭に浮んだ悲劇に駆り立てられ、聖女サマは無意識に走り出していました。

聖女サマは決まり上、塀の外に出られませんし、出ようとしても結界に邪魔されてしまいます。しかし、少年を招き入れた時のように、いざとなれば結界を無力化することはできました。


(神さま、身勝手な私をお赦しください……)


結界を無理矢理解き、門を出て、外に走り出ます。喧騒の街を、必死に駆けました。

今までにない人が詰めかけた広場は、嘲笑で満ちていました。聖女サマは、見つけてしまいます。


「そんな……!?」


高々と掲げられた逆さ十字。足と前腕を釘で打たれ、下になった頭には血が上っています。腹部からは内臓が引きずり出され、真っ黒な空洞が空いていました。


紛れもなく、あの少年でした。


聖女サマは悲痛な声で泣き叫びました。民衆が何事かと振り返ります。


「おい、あれ聖女様じゃねえか?」

「なんでこんなところに? 今日は祝祭の日じゃねえだろ?」

「知らねえよ、一体なんでだ?」


聖女サマはそんな声にも構わずに、泣き続けました。初めて会った、同じ境遇の友達。あの子にならば、すべて語れると思った。語りたいと思った。あの子と話していると、胸が温かくなって、心臓の鼓動が速くなった。あのぼーっとするような感覚は、今までに感じたことがなかった。

聖女サマは、泣きました。親しい人が今、死に晒されているのです。


「それでは、この魔物を死に処する! まずは火で焼き、最後に心臓を木の杭で打ち抜くこととする!」


エクソシストが叫び、歓声が上がりました。逆さ十字の下に藁が積まれ、松明に火が灯され始めます。

涙で前が見えません。

心臓が裂けてしまいそうなほど脈打ち、呼吸が滅茶苦茶になっていました。


「止めて……止めてよ……」


足に力が入りません。聖女サマはうずくまり、ただ泣くことしかできませんでした。

青い炎が上がったのが分かりました。もう、聖女サマの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていました。


聖女サマは、打って変わって閑散とした広場で、一人十字架の灰を眺めていました。少年の姿は、どこにもありません。……骨も残らず燃え尽きて、死んでしまったのでしょう。

灰を手で掴むと、さらさらと指の間を抜け落ちます。

聖女サマは、胸が張り裂ける思いでした。もし初めて出会った時、少年に二度と来るなと告げていれば……そう思うと悔しくて、自分が許せなくなりました。寂しさなんて、少年の命に比べれば何でもないのです。それを、自分はただ利己的に、少年を招き入れた……。


「やっぱり、私は罪を犯したのね」


少年を殺したのは自分なのだと、聖女サマは髪を掻き回しました。恐らく、もうすぐ天罰が下るだろうと、そう思いました。


「そんなことねえよ」


妙に懐かしく、響きある声。

聖女サマは、全身が震え上がるのを感じました。


「もしかして……君なの?」


振り返ります。


「ああ、当然だろ?」


その先に見える人物は、紛れもなく、あの少年でした。少年はいつも通り、笑っています。


「ああ、よかった……!」


聖女サマは少年に飛びつきました。少年はその勢いによろめいて、倒れてしまいます。土埃が若干舞って、聖女サマが少年に覆い被さる形となりました。


「あ……ごめんなさい」

「い、いや、別にいいし」


むしろ歓迎、と言ったのは、聖女サマには聞こえませんでした。聖女サマは慌てて離れると、話題を変えます。


「でも君はなんで生きているの? 君は殺されたはずじゃ……?」

「ああ、そうだよ。その証拠に」


少年が袖を捲ると、腕にぽっかりと、丁度釘の直径くらいの穴が空いていました。もう片方の腕にも、両足にもあります。おそらく衣服に隠れた身体にも、大きな穴が空いているのでしょう。


「……生き返った?」

「そうなるな。全く奇蹟だよ」


少年はへへっと笑います。聖女サマも、驚きの中でなんとか笑いました。


「俺、誤解してたよ」


服を元に戻しながら、少年が言いました。


「まさか、姉ちゃんが俺を出入りさせてくれてたなんてな……まあ、よくよく考えてみれば、十字架のあるところに結界がないなんておかしな話なんだよ。それに気付かなかった俺は馬鹿だな」

「そんなことないわ。私が身勝手なことするからいけなかったの」


少年は頭を振ります。


「いや、姉ちゃんがそうしてくれて良かった。姉ちゃんに出会えてなかったら、俺寂しくて死んでたかも」


少年は力なく笑います。


「まあとにかく……この前はごめん。俺を罠に嵌めたんじゃないかと、ちょっと……というか大分疑ってた。本当にすまない」


別にいいよ、と聖女サマは許しました。


「気にしてないわ。むしろ謝りたいのはこっちよ」


二人は笑いました。


少し談笑に時間が流れ、少年は、時計台の方を見やりました。


「おっと、もう時間か。俺、行かないと」


聖女サマは切なげな表情を浮かべます。


「一体どこへ……?」

「うーん。俺にも分かんないんだ」


少年は肩を竦めます。でも、その表情はまるで、既に行き先を知っているかのようでした。


「なんか、まだ話しておきたいこととかある?」


少年が落ち着いた様子で尋ねます。一方で聖女サマは狼狽しました。口を開いては閉じ、口を開いてはまた閉じの繰り返しで、なかなか言葉が紡げません。

少年は笑いました。


「姉ちゃんって、なんでそんなに可愛いんだ? ……って俺は何を」

「き、君の方こそ、カッコいいよ」


少年は目を丸くします。

聖女サマは、身体が火照りで爆発するかと思いました。

二人とも顔を朱に刷き、俯いてしまいます。


「それは……どういうことなんだ?」

「……私も聞きたい」


二人はお互い目を合わせられず、沈黙が続きます。二人の頭はきっとフル回転していて、膨大な言葉がぐるぐると回っているのでしょう。


黙りこくっていると、昼時の鐘がなりました。

少年の体が、薄っすらと透け始めます。


「あっと、時間だ……今日はもう行かないと。ごめん」


胸が、きゅっと切なくなりました。


「行ってしまうの……?」

「ごめん。本当にごめん。一人にさせたくないけど…………少しの間、我慢して」


聖女サマの唇が震えます。涙が溢れてきて、止まらなくなりました。


「また……会える?」


涙声の問いに、少年は即答しました。


「会える。絶対に。あの雨の日と同じように、絶対に会いに行く」


聖女サマは堪らず少年に抱きつきます。顔を頭に埋めて、思いっきり泣きました。

少年は少し躊躇いながらも、ますます薄くなった手を、聖女サマの背に当てました。聖女サマの泣き声が、さらに大きくなりました。


「それじゃあ、行ってくる」


そう少年は言います。

それでも、聖女サマはしばらく離れませんでした。少年がもう一度言って、ようやく、ゆっくりと、名残惜しげに、手を離しました。

少年は笑います。目に涙を浮かべながら、笑います。


「言っただろ、また会いにいくって。絶対だから。絶対会いに行くからさ」


少年は目頭を押さえ、踵を返しました。少し嗚咽が聞こえて、それから走り出します。

聖女サマは、神に感謝しました。罪を犯した人間にも、平等の愛をくださるなんて、と。

走っていく少年に向かって、もう一度叫ぼうと思いました。でも、止めます。


(またもう一度会える時……その時に、言おう。思いを伝えよう)


少年は、まるで消えるように、視界から去ります。

どこからともなく一陣の風が吹いて、十字架の灰を、すべて攫っていきました。



それからというもの、聖女サマは雨の日の窓外を、楽しげに眺めるようになりました。修道女はその理由を聞くのですが、しかし、聖女サマはそれを誰にも教えようとしません。

しかし、こうとだけ言ったことはありました。


「私の王子様は、雨の中迎えに来るのよ」


聖女サマは今日も、彼を待ち続けるのです。

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