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紅葉のいろは忍ぶれど  作者: きー子
本章〈紅葉狩〉
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 朱雀大路は京の南北をつらぬく街道である。道幅が広く見通しもよい。大路の北辺には朱雀門があるが、少女にその先へ行く気はない。その向こう側は宮城────すなわち大内裏、皇の(いま)す地であるからだった。余人に許されることではない。


 まず少女は地の利を得ることにした。碁盤の目状の都で迷うわけはないが、それは実際的な知識ではない。頭の中に地図を描きつつ、それを現実の風景と重ねあわせる仕事につとめる。とうに日は暮れていたものだから人通りは多くない。ただし浮浪者の姿はちらほら見える。彼らは京の闇の中で静かにうごめいている。


 暗闇に埋もれゆく京の姿に嘆息する。少女の目ならば十分見通せる闇であったが、おそらく昼の都とはずいぶん違って見えることだろう。羅生門を離れ北上するにつれて、闇の中にしばしば灯があった。貴族の私兵か、または検非違使の下部か。関わらぬにこしたことはない。実際浮浪者のたぐいは火を見た途端に我先と南へ下るのだった。瀬戸際の治安といってよかった。少女は意に介さず、足音も無く探索を続けた。そして不意に足を止める。京内でも北東、四条大路以北の左京────あるいは洛陽とあだ名される区域であった。


 周囲は全くの無音だ。そして静寂に割って入るように、かすかに漏れ聞こえる笛の音があった。


 それはまるで掠れたようにちいさな音色で、それでもはっきりとわかる卓抜した腕前のものであった。どこか遠方からかとも思われて四方それぞれ距離を取ってみるも、音は遠ざかる一方であった。否である。ならば余程に息が細いのか、あるいは、(とざ)された場所からその音をかろうじて響かせているのか。


 近辺にはずいぶんと大きな屋敷があり、やはり例外ではなく見張りがあった。下部に特有の摺り衣ではなく、無骨な防具を鎧っていた。貴族の私兵である様子だが、まるで音を気にするような素振りはない。つとめてそう振る舞っているのかもしれない。しかし、少女にしか聞こえていないということも十分にありえた。娘は視力が尋常でないのと同様に、その他の感覚器官────聴覚もまた度を越して鍛えあげられているからだった。


 その耳をもってしてもなお、それは本当に幽かな響きであった。少女はそれをよくよく覚えておくことにした。よもや今から正体を突き止めるべく屋敷へ乗り込むわけにはいかない。そこに誰かがいるということは、灯火のもとに身を暴き出される危険ととなりあわせなのだ。少女は耳目をよせぬうちにその場を離れ、探索を再開する。


 いざ全域を見て回ってみれば京は東がよく栄えていて、それは都の東極近くに加茂川が流れるためであろうと知れた。内裏にほど近い北東部は貴人たちの屋敷が見え、南東部には貧者の居住が密集して並ぶ。周囲には東西の河川と北面の連峰からなる自然の要害。それらに加え城塞めいた外壁が京を一個の都として封している。その夜、丑三つには切り上げて少女は川べりで休息を取った。眠らずとも連続行動に差し支えはないが、無理はいつか必ず祟るものなのだ。


 夜明け前に目を覚ます。空はまだほの暗い。薄明かりの中ためらいなく裸身をさらし、ひとしきり水浴びをして身を清める。北の山々から吹き下ろされる風が心地よい。いっときは死体が野晒しでうち捨てられる有様であったという加茂川は、今やその影を残していないのだった。それはさながら京に生きる人々の最たる寄る辺にも思われた。


 日の出を待って人の流れを追うように市へと向かう。市場には東市と西市があったが、公営でなおかつ人々にほど近いこともあって東市がより栄えているという様子であった。売り手は多くが商人町からくりだしてきたと思しき姿であったが、振売り──いわゆる行商人もちらほらあった。みなりを比べれば見分けるのはたやすいものである。


 さらにいうならば大路に満ちる人混みは売り手と買い手のみではありえなかった。世間話に花を咲かせるものやら、あわれみを求める物乞いやら、人の懐を狙うべくきょろきょろと視線をせわしなくする物盗りらしきものやら。少女へ露骨に視線を向ける男の姿さえあった。見てくれからして警邏の兵ではありえない。つまるところただの軟派男であった。まさに混沌といってよかった。そのような有様であったから、むろん検非違使の下部の姿もあった。


 少女は適当に売り手の誰かへと取り入ることにする。ざっと目星をつけたのはむっつりとしかめつらしい中年の男であった。魚を並べていた。釣果は十分と見えたが、売れ行きはかんばしくない。あからさまにその面相のためであると言わざるをえなかった。愛想もかけらもなかった。「もし」


「────なんだ」声をかけると、応じるは低く重い声。「袖引きならよそでやりな」「さようなことはいたしませぬが、御客なら引いてごらんにいれましょう」男が眉をしかめて押し黙るも、しぼりだす。「払うもんはねえぞ」「それは私が勝手に得ますものゆえ」少女の声は、至極淡々としたものである。それだけにかえって自信の程を思わせたのやもしれぬ。勝手にしろとばかりに中年は顎をしゃくった。頷いて少女は笛を手にした。そして、まったく言葉通りにしてみせた。それは大いに好評を得て、一時の評判になろうことは疑いなかった。


 そこまではおおむね少女の思惑の通り。「……余りだ」けれどもそれは意想外だった。すっかりとはけた品を片付け中の男から差しだされるものだ。よく肥えた鮎だった。「払いはなしとお聞きいたしました」「払いはなしだ。借りも、なしだ」そういって立ち上がる。「……足りなきゃあよそへ行け。おれには、これのほか能がない」「いえ。ありがたきこと」笑みをかたどる。次の日も同じようにした。その次の日もまたそうした。


 夜には探索を続け、おかげでそのころにはすっかり地の利を得ていた。そしてなにより、笛も唄も舞もやるという旅芸の少女の噂は大いに広まったものである。


 四日目ともなると、あからさまに警備のものが増えていた。先日までには見かけられなかった身なりのよい男の姿さえあった。ずいぶん早く釣れたものと思うが、文化の中心であるべき京のものとしては無理からぬことか。いずれにしても少女のやることは先日のそれと変わらなかった。


 ひと通りの演戯を終えるといくつか声がかかった。屋敷に招くといったものはなにかと理由をつけて辞した。いくつか歌を忍ばせるものもあったが、これには参った。母より伝わる教えには詩文と和歌もあったが、なにせ少女には情緒が欠けている。表面上は出来のよい文であっても、どうにも空疎なものであるという感は否めないのであった。


 そんな男らの中でもいっとう目立つものがあった。率直にいって美男子で、簡素な狩衣姿。なにか面白いものを見るような目で視線をそそいでいる。他の貴人たちとは異なって警護や仕えのものを全く連れず、たったひとりであった。腰に刀を帯びている。少女はその男がいささか気にかかった────あまりにも立ち居振る舞いに隙がなさすぎるからだった。戦場にでもいるかのようだった。そのくせ剣呑さは全くない。


 あらかた人がはけてもその男はまだ残っていた。そしてふといったものである。「おまえ。なにを考えている?」問いつめる風ではなかった。むしろ楽しげで笑ってさえいた。「今はただ業前ひとつのみにございます」応じてこうべを垂れる。「夜半の三条、烏丸の小路に笛の音を聞きました────げに素晴らしき音色でした」「ほう」「知っておられましたか」「いいや。だがそれはフジワラの家だな」


「フジワラどの、でございますか」それは市場に集まる人々からさえ聞けることであった。三条大路に面するかの貴人の家はそれほどまでに名高い。「あの家のものは代々切れ者で、芸もよくやった。だが、なにぶんやり過ぎた」同じ貴人であるためか、物言いにはあけすけなところがあった。「先の代は特にな。他家の女に手をつけた話まであった。おおかた、昔の女とあやまち化けて出たのであるまいか」遠回しに少女の器量を褒めているのかもしれない。「似たような話は、ございましょうか」「いいや。聞いたこともない。なにより芸事だ。その手のことがあったとすればすぐに広まるものよ」おまえのことのように。そういって首をふる。


「だが面白い」不意にいって、にやりと笑ったものである。面白おかしく広める算段やもしれぬ。むろん少女の知ったことではない。重要なのは貴人の界隈に探りを入れてなお類例がないということであった。是非にもフジワラの屋敷は当たらねばならないだろう。「ありがたきお話をお聞きできました」「いやなに。こちらこそというべきであろうよ」男は笑い、ひとり背を向ける。そしてついでにとばかりいったものである。


「俺はワタナベ。ワタナベ・ヒモという。気が向けば尋ね来てくれ。茶のひとつくらいは出せるはずだ」そう残して遠ざかっていく。少女はひとり得心した。ワタナベ。天下のライコウ四天王に数えられるひとりであり四天王中最強とうたわれた剣客、ワタナベ・ツナ────鬼切のツナ。その係累。


 気をつけねばなるまい。心して少女は夜を待った。フジワラの屋敷へと踏み入るべく。



 夜であった。常ならば土蔵につながれたままで、手慰みに笛をやるところだった。しかしそうはしなかった。空を見上げれば満月で、道理で力をもてあますものと思われた。


 若い娘の姿であった。幼いといってもよかった。その丈はせいぜい四尺あるかどうか。しかし垂髪は黒く長く、腰の近くにまで流れていた。赤い着物は童女めいていて、しかしいささかくすんで見えた。幼い娘は広い庭をおがむことの出来る屋敷の離れ家にあった。本来なら土蔵につながれてあるべきであったが、今は誰も見るものはなかった。囚われの身にも関わらず、娘はしばしばそうした。笛をやるときは土蔵に戻る。音を咎められては面倒だ。


 離れの縁に腰かけ、天を見仰ぐ。空は戸隠のそれと変わらない。しかし山の清浄な空気とは明確に異なった。それだけにいっそう郷里がしのばれた。いっそめちゃくちゃに暴れて逃げ出したい衝動に陥るが、それはままならない。今は軟禁されているだけでも、事を起こせば話は変わる。退魔のやからがそれこそ飛んでくるだろう。そうなれば命はない。 


"秋風や紅葉のいろは忍ぶれどわがふるさとにさきにほふらむ"


 庭内にいまだ色付かぬ椛を見やって一首詠むとともに、自身の稚気に苦笑する。そしてふと、瞳を細めた。空を照らしだすは月明かりばかり。それが不意にかげったように思われたのだった。見上げる先は、天蓋の月。そして目を丸くした。まさに人の影が月影を一身に受け阻んでいたからだった。


 それは垣根を平気で飛びこえてきた。少女の姿であった。娘は思わず笑ってしまった。遠い過去が呼び起こされたからだった。違うのは、自分が客人を迎える身であるということだった。娘はつとめて穏やかにいう。「────なにやつか?」少女が庭へと降り立った。朱い瞳がそれを見すえる。


 少女もまた、少しばかり困惑している風だった。しかしすぐにそれは無表情を取り戻した。「もみじ殿に違えありませぬか」ゆっくりと頷く。声にはなまりがなかった。少女のいずるところをひとつも窺わせないのであった。少女は平然としていう。「────鬼を返して頂きに参りました」


 ────それが少女と鬼の出会いであった。

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