#12
ホームルームでは担任のマツモトキヨコ、通称マツキヨが、最近学校の周りで出没している不審者の事で何か言っていたみたいだった。でも、僕はその間ずっと昼休みの出来事を考えていた。
あの時、僕の目の前でミッシェルを聴いていたエリカの横顔。僕の中でざわついているものが一体何なのか。何だろう。やはりというか、よくわからなかった。
暗くなる前に寄り道せず早く帰る様に、というマツキヨの言葉を背にして、僕は教室を後にした。相方のヒロユキは、今日は部活に顔出して行くからと言っていた。部に顔を出すと言っても、ユーレイ部員の集まりである科学部に顔を出すべき後輩がいるのかどうかも怪しいものだったが、僕はあえてその事には触れず、わかった、とだけ返していた。
家とは全くの反対方向、いつもの様に向かった駅裏商店街の小道を何度か折れて、ローゼスの入り口に辿り着いたのは、暗くなりかけた午後6時前の事だった。からんからん、と音を立てて扉を開けると、いつものマキさんの明るい声がした。
「いらっしゃいませ、あら、アロくんこんにちは」
「こんにちは」
店内を見渡したが今日はお客さんは誰も居なかった。マキさんが一人、いつもの様にカウンターの中にいて、そしていつもの様に店内ではミッシェルが流れていた。
マキさんは「コーヒー?」と訊いてきたので、僕は、はい、と返事をしながらいつものカウンター奥の指定席に腰を降ろした。マキさんはさっきまで開いていたノートパソコンを、ぱたん、と閉じると、いつもの様にコーヒー豆をごりごりと挽きはじめた。いい匂いが漂ってくる。
「何か調べもの、ですか?」
僕がそう言うとマキさんは白い歯を見せて「調べものとも、ちょっと違うけどね」と言った。
以前店に来た時も、マキさんがパソコンのモニターを見つめていたのを思い出して、僕はあまり深く考えずに「この店もウェブで宣伝してみるとか?」と呟いた。マキさんは苦笑しながら「そうね、この状態では、さすがにヤバイかもね」と言った。僕は少し焦って「そういう意味じゃないんですけど」と弁明すると「それじゃ、アロくんからお客さんを連れてきてもらおうかなぁ」と言ってマキさんは目配せをした。
しばらくすると、マキさんが扉の方に視線をやりながら「なんだか、入り口に誰かいるみたい」と言ってカウンターから出てきた。僕は淹れたてのコーヒーを少しずつ飲みながら、今日流れているアルバムが【カルト・グラス・スターズ】だと目星をつけた。そういえば、この前エリカに聴かせた曲がこのアルバムに収められている【世界の終わり】だったと思い出す。
悪いのは全部 君だと思ってた
くるっているのは あんたなんだって つぶやかれても
ぼんやりと空を 眺めまわしては 聞こえてないふり
からんからん、という鐘の音がして、僕は扉の方へ視線を移した。見覚えのある顔がそこにあって、僕は思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。そこに居たのは頭をかきながら笑っているヒロユキの姿だった。
「なな何で、お前がここにいるんだよ」
上ずった声で訊いた僕に、ヒロユキは尚も笑いながら答えた。
「いや、最近、お前付き合い悪いだろ?ちょっと気になって、ついて来たんだ」
「後をつけてきたのかよ?」
「まぁ、そういう事です」
「そういう事です、じゃねぇだろ」
マキさんが「えーと、アロくん、もしかして友達を連れて来てくれたの?」と言ったのを聞いたヒロユキは間髪を入れずに「そう!そうなんですよ。コイツが、イイ店を教えてやるから付いて来い、ってね」
「言ってねぇだろ」
「いいから、いいから。で、ここは喫茶店、なワケだろ?お前、何飲んでんの?コーヒー?じゃ、俺も同じやつで」
ヒロユキはにんまりと笑いながら、僕の隣の席に腰を下ろすと、あらためて店内を見渡した。
「随分、シブイ店だなぁ。で、ロック?すげぇ音量で流れてるけど、何、こういう店なの?」
僕は正直、相当不機嫌な口調で「あぁ、そうだよ」と言った。
「何?何そんなに機嫌悪くなってんだよ。俺たち友達だろ。隠し事とか無しじゃないのかよ」
「だからって、黙って後をつけてくる事はないだろうが」
「まぁまぁ、怒るなって」
僕は、自分だけの大人の世界みたいなものが、なんだか特別なものじゃなくなってしまった様な気がして、面白くなかった。当のヒロユキはといえば、店内をキョロキョロしながらテンション上がりまくりで、それが更に僕を不機嫌にさせた。
「ただいま」という声がして振り返るとホノカがそこにいた。ホノカは僕の顔を見ると「あ、アロ」と口を開いたが、その隣に座るヒロユキの姿を見つけて怪訝な表情を浮かべた。僕が、「あ、こいつは、俺の友達でヒロユキ」と紹介すると、ちらっと一瞥しただけでカウンターの奥へと入って行こうとしたが、その時、ヒロユキは何かに気付いた様に「駅前で一緒にいた彼女」と声を上げた。僕は心の中で、しまった、と思ったがもう遅い。彼女は足を止めて振り返ると僕の前まで歩み寄り「駅前の彼女って何?」と、顔を近づけて訊いてきた。
僕は相変わらず空気の読めないヒロユキを内心で恨みながら、何と答えるべきか考えていたが、その沈黙がホノカを更にイラつかせたらしく「アロ、アンタ学校で何しゃべってんの?」と訊いてきた。僕はしどろもどろになりながら「別に何も言ってねぇよ」と言うと横から「ユミヤが言ったんじゃなくて、エリカが言ったんだよ」とヒロユキが口を挟んだ。事態が当事者達の思いに反して、収拾とは全くの逆方向に進んでいく。
「エリカって、誰?って言うかユミヤって?」
「あぁ、ゴメン、俺のホントの名前、ユミヤだって言ったろ?いや、そうじゃなくて本当の名前はヨシミヤって言うんだけど、あだ名でユミヤって呼ばれてて」
「・・で、エリカって人は?」
「エリカは俺がこの前、告白した相手で、でも振られたんだ」
「・・で、駅前の彼女っていうのは?」
ホノカが僕を睨みながら訊いてきた。僕はどう説明すべきか一生懸命考えていると、空気の読めないヒロユキがまたしても口を挟んだ。
「そのエリカが、ユミヤとお前が一緒に居たところを見たって言ってるんだ」
ホノカは、へぇ、と少しだけ口元を緩めると「で、何でアロと一緒にいたのを見た、エリカって子が文句言ってくるワケ?」と噛み付いた。
「だから、違うんだって」
僕は必死にホノカをなだめようとしたが「多分、好きなんだな、ユミヤの事をエリカは」と更に余計な事をヒロユキが口走った。僕はびっくりして「お前、何言ってんだよ」と少し裏返った声で返すと「ま、俺の勘、だけど」と言い、混乱の張本人は得意気な顔を浮かべた。
ホノカはしばらくの間、僕の事を睨んでいたが「ま、別にどうでもいいけど」と言うと、ばたんばたんと大きな足音を立てながらカウンターの奥へと消えていった。
「お待たせしました」
マキさんが何事も無かったかの様に、ヒロユキのコーヒーを運んできた。僕は助けを求める様にマキさんの顔を見ると、マキさんは必死に笑いを堪えている様だった。
マキさんは僕の耳元に顔を近づけ「大変ね」と言って笑うと、ごゆっくりどうぞ、と頭を下げた。