#10
あの日以来、僕はあのゲーセンに行かなくなった。当然ながらスカジャンと金髪オールバックが、僕を含めて彼女の事を探しているだろうと思ったからだったが、本当の理由は別にあった。
扉を開けると上に吊るされた鐘が、からん、と鳴った。
「あ、アロくん、いらっしゃい」
マキさんはカウンターの中で、ごりごりとコーヒー豆を挽いていた。
「ホノカは?」
僕はそう言いながらカウンター席の一番奥、いつもの端の席に腰を降ろした。僕がブレザーとカバンを隣の席に置くと「もうすぐ帰ってくると思うけど」マキさんはそう言い、コーヒー?と訊いてきた。僕は、はい、と頷いてから店内を見渡した。今日は、奥のテーブル席に二人、お客がいた。
しばらくすると、勢いよく扉が開き、からんからんと鐘が鳴った。
「ただいまぁ。あ、アロ。あんた最近、毎日ウチに来るね」
ホノカはそう言いながらいつもの様にカウンターの中、階段のある奥の方へと入っていった。僕はホノカに聞こえる様に「ここのコーヒーが気にいったんだ」と言うと、奥の方から顔をひょっこり出したホノカが「ウソ、どうせマキ姉が目当てなんでしょ」と笑った。
「え、アロくん、そうなの?」とマキさんが驚いて訊いてきたので僕は思わず「そんな事ないですよ」と大きく首を振った。するとマキさんは残念そうな顔で「そんな力いっぱい否定しなくても・・」とうつむいたので、焦った僕は「あ、いや別にそういう意味じゃないんです」とさっき以上に首を振った。マキさんは舌を出しながら「冗談よ。アロくんのお目当てはホノちゃんだもんね」と笑ったので、更に焦った僕は上ずった声で「え、なななにを言ってるんですか」と大きく首を振った。
ジャージの上下からパーカー姿に着替えて自宅となる二階から降りてきた彼女は「なんか言った?」と訊いてきたので、僕は思わず目を伏せた。マキさんは笑いながら「別に、ねぇ」と言って僕に目配せをした。
マキさんは、細口のケトルからドリッパーにゆっくりと静かに丸くお湯を注いでいた。コーヒーはこうやってドリップすると挽いた豆が蒸らされて香りが出るのだと、前にマキさんが教えてくれた。
駅前商店街のはずれにある喫茶ローゼス。
ここのカウンターでコーヒーを淹れているマキさんは、若くて綺麗な不思議な女性だった。二十歳かそこらで、こんな店、というと失礼だけれど、こんなに渋い店のマスター兼オーナーなのだ。
元のオーナーだったマキさんのお父さんが数年前に若くして病気で亡くなってしまい、残されたこの店を多少の蓄えと共にマキさんが受け継いだのだと聞いた。
当然ながら喫茶店のマスターという特殊な職業を選択するにあたっては随分と悩んだらしいが、結局は思い出の詰まったこの店を人手に渡したくない、という思いから決心したのだという事を、僕はホノカから聞いていた。
ホノカとマキさんの関係はどう見ても姉妹にしか見えなかったが、実際は従姉妹だった。ホノカには別にお姉さんがいて、以前はそのお姉さんと一緒に住んでいたのだが、お姉さんがとても仕事の忙しい人で、週に何度かしか帰ってこれないらしく結局ホノカもほとんど一人暮らしみたいになっていたところを、それだったら一緒に住まない?とマキさんが声を掛けて今の状態に相成った、という訳だった。
喫茶ローゼス。
僕はこの店が気に入っていた。この店に漂う空気みたいなものが不思議なくらい心地良かった。その理由は、何ともいえない木造の古びた感じの佇まいであり、また黒を基調とした落ち着いた店内の雰囲気だった。
でも一番の理由は音楽だった。
喫茶店だというのにロックがガンガン流れていて、そして流れているのはほとんどいっていいほど、同じロックバンドだった。そして僕はこれにやられた。
【ミッシェル・ガン・エレファント】
それまではどちらかというと音楽というものにあまり興味の無かった僕は、そのサウンドの全てに衝撃を受けた。あの日、初めてこの店に来て、同じ様に初めてミッシェルを聴いた僕は、半ば放心状態で、これって、と呟いた。そんな僕にマキさんは、瞳をキラキラさせ嬉しそうにCDのジャケットを見せながら、いかに自分がこのバンドを愛しているのかを語った。
そして、この店に通う理由はもうひとつ。ホノカの存在だった。
ホノカはやはりというか普通の女の子とは少し違っていた。彼女は学校に通っていなかった。つまり不登校の中学生だった。
詳しくは知らないが、何でも学校でトラブルがあった際に、担任の先生をぶん殴った事があって、それ以来、学校には行っていないという事だった。中学までは義務教育だろ、と僕が言うと「義務と権利って、知ってる?」とホノカは真剣な顔で訊いてきた。「よくわからないけど」と僕が言葉を濁すと、ホノカは溜息をひとつついて「いい?義務教育っていうのは、教育を受ける義務じゃなくて、教育を受けさせる、親の義務ってことなの。だから同様に、子供には教育を受ける権利が与えられているの。にもかかわらずそれが出来ない場合は、一体どうしたらいいと思う?」と言った。そんな事を考えた事も無かった僕は頭を傾げた。
「そういう場合は、ぶん殴るしかないのよ、バカを」
随分と乱暴な考えだな、と僕が言うと「世の中の半分はバカで出来てんのよ。だから理不尽なのよ」とホノカが言った。
そんなホノカが普段日中に何をしているのか。僕は何度か本人に訊いてみた事があったが、答えはいつも一緒で、修行、の一言だった。マキさん曰く、ホノカには師匠と慕う人がいるらしく、その師匠が道場か何かで定期的にホノカに稽古をつけているのだと言っていた。
彼女がゲーセンで見せたリアルの強さは、日々の修行に裏打ちされたものだという事を僕は改めて認識した。
彼女の言葉を借りるなら「理不尽な世の中で生きていく為には、強くなるしかない」という事なのだろう。
それにしても、そんな彼女が何故、格闘ゲームをプレイするのか、僕には不思議だった。リアルで強さを求める彼女が、格闘ゲームというバーチャルの世界においてまで、その強さを求める理由が一体何なのか。僕がそう訊くと彼女は思い出したくない何かを思い出したみたいに、一瞬眉間に皴を寄せてから、教えない、と言った。
僕はホノカが格闘ゲームにのめり込んだ理由を考えてみた。
今は別々に暮らしているホノカのお姉さんがある日、彼女にある事実を告げる。
「地球が、この星が宇宙人から狙われているの」
それはあまりにも荒唐無稽ともいうべき、耳を疑うような内容だった。だがお姉さんの表情は真剣だった。
「宇宙人って。お姉ちゃん、一体何を言ってるの?」
「突然、そんな事言われたら、誰だって驚くわね」一瞬だけ目を伏せたお姉さんは、少しの間をおいてから、驚きの告白をする。
「今まで家族にも内緒にしていたけれど、実は私は地球を守る秘密組織の一員なの」
意味がわからず呆然とする彼女にお姉さんが続ける。「今、この星は宇宙人からの攻撃を受けているの。彼らの狙いが何なのか、まだわからないけれど」
突然の告白に驚愕する彼女。「秘密組織、とか。冗談でしょお姉ちゃん」
彼女が真剣な眼差しで訊く。「宇宙人が、この星を狙っている。そしてそれを防ぐ事が出来るのは、私しかいない」と。そしてお姉さんはこう続けた。
「この地球の存亡を掛けて私は彼らと戦う」
「でも、武器の効かない宇宙人とどうやって?」
涙まじりで訊き返した彼女に向かって、少しだけ目を輝かせたお姉さんは言った。
「ちょっと、アロ、あんた聞いてんの?」
目の前にホノカの顔があって、僕は心臓が飛び出そうなくらい、驚いた。
加えて、今のダイブがあまりにもくだらなくてバカバカしくて、僕自身で驚いた。
地球を守る為に宇宙人と戦うとか。こんな話、ヒロユキにしたら「どこの国のB級映画だよ」とツッコミを入れられるに決まっている。
全く、どこの国だろう。インド。いやインド人もびっくりだ。
そもそも、ホノカが格闘ゲームにのめり込んだ話とどう繋がってくるのか不明。今日のダイブは我ながらヒド過ぎる。
ホノカが「聞いてんの?」ともう一度訊いてきたので、僕は正直に「聞いてなかった」と言った。そんな僕を見てホノカは、溜息をついてからこう言った。
「人の話はちゃんと聞きなさいって、おばあちゃんが教えてくれなかったの?」