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雪柳は彩りを

作者: 紅島涼秋


 空は青いが、遠く東の方に暗い雲がかかっていた。遠雷が聞こえてきそうなほど重苦しい雲に、私は不安で倒れそうになる。

「それにしても、この高校って不思議だよな~」

 男性特有の低い声が、私の耳と学校の屋上という広い空間に心地よく響く。私は彼が褒めてくれた猫みたいな自分の目を細める。私の好きな声で、大切な人の声だ。

「どうしてですか?」

 私はすぐさま、彼――悠矢先輩に質問した。その時、ふと、動かした手が制服のポケットに入っている紙を上からなぞった。

 私の質問に精悍な顔立ちに笑顔を作った悠矢先輩は、

「だってさ、グラウンドを囲んで植えてある少ない桜を彩るみたいに、雪柳がたくさん植えられてるんだ。ここの屋上にも中々の数が植えられてるだろ?」

 確かに、と頷きながら、目鼻立ちの整い方が、知的な雰囲気を与える悠矢先輩の顔を私は見つめた。でも、先輩からは体温と存在感の強さが感じられない。先輩はさらに、

「俺は雪柳って結構好きなんだ。群生してると本当に名残雪が夜に降って、枝に積もったみたいだからさ」

 嬉しそうに語り、顔をグラウンドの方へと向けた。私が十回ほど聞いた同じ内容の話と行動をしている先輩。けれど、そのことに気付いていない。それでも、時間の経過は感じているらしく、今日の日付も知っている。

 本当に嬉しそうに語る姿を見ると、言えなくなってしまいそうだった。でも、私は制服のポケットに入っている紙を触って、体の中身がぐちゃぐちゃになりながら震える声を出した。

「……先輩、それはもう何度も聞きました」

 いきなりの私の言葉に先輩は、不思議そうな顔をする。ふと日が翳り、私の腰まである長い髪が風に揺れた。

 本当は告げたくなんて無かった。先輩の顔を見ると余計にその思いが溢れてくる。でも、今日を逃すと、私が先輩を一生縛りつけるから。ごめんなさい、私の身勝手な気持ちの所為で、先輩ごめんなさい。

 先ほど触ったポケットの中の紙を、先輩の前に差し出した。

「な、なんだよ……これ」

 先輩が困惑の声を上げる。私が持っていたのは、先輩の死亡事故の新聞記事だった。……嫌だ。これ以上言いたくなんて無い。

 私の心とは反対に口が勝手に動いてしまう。瞳に涙がたまり始めるのを感じた。

「先輩は……もう死んでるんです」

 無常な一言が私の口から溢れ出た。私は自分の言葉で傷ついた。きっと先輩も私の言葉で傷ついただろう。

「う、うそだよな? こんなの」

 先輩の言葉。私はもう先輩の顔が見れなくなって、目線を足元へやった。涙が、一粒屋上のコンクリートに染込んだ。生前の先輩の言葉が胸中で響く。『俺が卒業したら、お前のことが心配だよ』そんな事を言った。だから、私は先輩に心配なんてされないように告げる。

「私、先輩なんて必要ないです。幽霊になって来られたら迷惑なんです。もう私、先輩なんて忘れたかったんです」

 私の心にも無い言葉が、口から出てきた。でも、多分先輩なら私の言葉の真意を分かってくれる。今日が何の日かきちんと知っているから。そこへ、急に先輩が震える声で、

「あっそう、最低だな。身勝手すぎるんだよ。お前は」

 先輩の冷たい言葉が、私の心を抉った。涙が、とめどなく溢れてくる。……痛い。痛いよ。こんな事言われたくなんてなかった。

 私は膝から力が抜けて、屋上の地面に膝を付いた。

「じゃあな、お前なんて……大嫌いだ。もう会わなくてせいせいする」

「先輩なんてさっさと消えちゃえば良い!」

 先輩の言葉に、私は叫んでいた。この一言でのどが痛くなるほど。でも、良かった。外に誰も居なくて、本当に良かった。誰か来られたら現実に負けてしまうから。

 先輩が私の叫んだ後に、

「ありがとう」

 と先輩の声が私の鼓膜を寂しく震わせた。ああ、やっぱり分かっていてくれたんだ。私は涙を流しながら、少しだけ笑った。顔をゆっくりと上げる。先輩の体が足から徐々に透けていく。一生懸命作ったはずの笑みはすぐに消え去った。言葉が出てこない。

 先輩が最後の最後に、

「あと、お前はやっぱり嘘つくのが、下手なんだよ」

 最後の言葉を、私は嗚咽で言葉が返せなかった。そう、嘘を吐くのが下手だった。自分でも分かってた。だから、今日になるまで嘘を吐けなかったのだ。四月一日の今日になるまで。

 先輩が消えていく中で、背後にある雪柳に、雪が降ってきて彩る。話し始めた時晴れていた空は、暗い雲に覆われていた。

 冷たい。手に雪がついた時に思った。

 風に雪柳と名残雪が揺れる。涙で歪んだ世界の中で先輩は、瞳から落ちない涙を流しながら悲しそうに名残雪を見つめ、咲き誇る雪柳へと視線を落とす。その姿がどんどんと薄く。

 嫌、行かないで。好きだから、消えないで。心は言葉に変わらなかった。

 消える最後の瞬間、大切な人は私へと顔を向けて、微笑んでいた。


「先輩だって、嘘が下手じゃないですか」

 私は、誰も居ない屋上で言葉を残した。二人とも最後に嘘を言って別れた。付き合って一年も経たずに終わってしまったのだ。その事実に涙を流しながら雪柳の傍と雪降る世界で、嗚咽が出続けていた。

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