【第一章】私は全てを取り戻す
【御礼】2025/11/19 誤字報告圧倒的感謝(人´꒳` )
目が覚めると、ルーフェン・アレイスターの世界はすっかり変わっていた。
健康的だった身体はすっかりとやせ衰え、肌は乾き、髪は伸び放題。
部屋は日当たりこそ良いがどこか無機質で、大きな棚には所狭しと薬の瓶が並んでいる。
ルーフェンはゆっくりと起こそうとし、呻き声を上げた。
全身の関節が強ばっており、自由が効かない。
諦めて暫くぼうっとしていると、小さなノックの音と共に侍女が姿を見せた。
侍女はルーフェンが目を覚ましている事に気が付くと、驚いて持っていた桶を床に落とした。
「お、お嬢様!目が覚めたのですね!」
侍女は待っていて下さい!と言い残し、ルーフェンが声を掛けるよりも早く踵を返して部屋を飛び出して行った。
パタパタと足音が小さくなり、やがて聞こえなくなる。
ルーフェンは乾いた咳を一つして、声を出すのを諦めて微睡むように目を閉じた。
暫くしてもう一度ルーフェンが目を開けると、部屋には先程の侍女と壮年の男が一人居た。
男は少し草臥れた白衣を身に付けている。
「本当なんです!先程目を開けられていたんですよ!」
「わかったわかった…だが今は眠っておられる。もう少し静かに…」
「あっ!お嬢様!」
侍女はルーフェンを見て、嬉しそうに声を上げた。
「良かった…お嬢様、お水をどうぞ」
「驚いた…メイシーの見間違いではなかったのか」
「ほらね、先生。言ったでしょう?」
「はいはい、すまんすまん」
メイシーが吸い飲みをルーフェンに差し出す。
常温の水は、ゆっくりとルーフェンの乾きを満たして行った。
「あなたたちは…?」
喉が張り付く感覚があり、ルーフェンの声は小さく掠れていた。
「私はお嬢様の身の回りのお世話と看病を任されました、メイシー・マイヤーと申します。マイヤー子爵家の次女で御座います」
「私は医師のリロイ・レンバートと申します。生家はレンバート伯爵家ですが、既に独立致しました」
二人は揃って頭を下げた。
知らない名前だった。
いつの間に雇われたのだろうか。
戸惑うルーフェンに、メイシーが言った。
「お嬢様は事故に合われ、一年間意識不明でした。ですので、看護師の資格を持つ私が新しく雇われたのです」
「先代の公爵家の主治医は老年の為に引退し、私が新しく着任致しました」
一年。
ルーフェンは目を瞬いた。
意識を失う前の、最後の記憶を必死で呼び覚ます。
その日は妹アーシェンの、誕生日のパーティだった。
煌びやかなシャンデリア、豪華な料理、華やかなドレス。
山と積まれた贈り物を前に、アーシェンが微笑んでいる。
パーティの最中、ルーフェンは御手洗の為に離席をした。
用を済ませて会場に戻る途中。
階段の手前で、ルーフェンは誰かに呼び止められた。
振り返ると、そこには鮮やかな赤いドレスを身につけたアーシェンが、歪んだ微笑みを浮かべて立っている。
「アーシェン?どうした、の…」
とん、と肩が押される。
「、え?」
縋るように伸びた手は、空を掴んだ。
アーシェンの微笑みが深くなる。
「さよなら、お姉様」
アーシェンは微笑みを浮かべたまま、踵を返した。
ボールのように階段を転がり落ちたルーフェンは、全身に痛みを感じながらアーシェンの去って行った方向をぼんやりと見つめ、暫くして目を閉じた。
それがルーフェンの、最後の記憶だった。
ルーフェンはその時の事を思い出し、恐怖で身体を震わせた。
涙を流すルーフェンの痩せた肩を、メイシーがそっと擦る。
「わた、し…アーシェンに、階段から、、、突き落とされ、たの…」
掠れた声で訴えるルーフェンの言葉を聞いて、メイシーとリロイは顔を見合わせた。
一度見舞いに訪れた時のアーシェンは、それはそれは心配そうに姉の手を握り、ぽろぽろと涙を零していた。
あの時の美しい少女が、姉を階段から突き落としたなんて。
首を傾げるリロイに対し、メイシーは心の片隅でやっぱりか、と思っていた。
メイシーはアーシェンが顔を伏せ、涙を拭う影で笑みを浮かべた所を目撃していた。
きっと見間違いだったと、そう思っていたのだが。
「と、とにかく…公爵様と公爵夫人にお伝えして来ましょう。お二人共、心配しておられました」
そう言って、リロイが部屋を後にする。
メイシーはルーフェンの涙をそっと拭い、髪を整えた。
先程の話が本当ならば、大変な事になる。
そう心の中で思いながら。
「目が覚めたか、良かった…!」
「あぁルーフェン!心配していたのよ…!」
リロイの知らせで病室を訪れた両親は、部屋に入るなり涙を零した。
ルーフェンはメイシーの助けを借り、上半身を起こす。
背中にクッションを当て、そこに寄りかかった。
「ご心配をおかけして、申し訳ありません…」
「命が無事で良かった…本当に全く…今後階段には気を付けろ」
「ええ本当に。屋敷の中でも必ず侍女を連れて行きなさい」
姉が階段から落ちたのは自分の仕業だと、アーシェンが言う訳は無い。
ルーフェンは覚悟を決め、両親の目をしっかり見据えて口を開いた。
「お父様、お母様。私はあの日、アーシェンに階段から突き落とされたのです。あの子は一体、今どこに居るのですか」
毅然としたルーフェンの態度に、両親は固まった。
一瞬全ての表情が抜け落ち、そして、笑い出す。
「全く、お前は一体何を言い出すんだ」
「そうよ!本当にもう。自分のドジを妹のせいにするなんて!」
「まだ混乱してるんだろう。ゆっくり休みなさい」
「ええそうね。おやすみなさいルーフェン」
笑いながら、虚ろな目のまま両親は部屋を後にした。
不気味な静けさが部屋を満たす。
「おとうさま…おかあさま…?」
ルーフェンの掠れた声に我を取り戻したのは、メイシーだった。
「お、お嬢様!きっと公爵様と夫人は、動揺してらっしゃったんですよ!」
「そ、そうですね!そうに違いない!また日を改めて…」
「信じられない…」
「お、お嬢様…?」
ルーフェンの肩がブルブルと震える。
「信じられない!娘が階段から妹に突き落とされたというのに、笑うなんて!?」
ぼん!と部屋の中を光が満たす。
それは、ルーフェンから放たれた神聖力だった。
光は一瞬でルーフェンを癒す。
ラルフロイ王国で歴代最高と言われた力を持つ聖女、ルーフェン・アレイスターの復活だ。
「貴方達、手伝って頂戴!着替えるわよ!」
艶を取り戻した美しい金髪を払い除ける。
「アーシェンを問い詰めに行くわ!」
ルーフェンが居た病室は、公爵邸の隅にある。
日差しが程よく入り、風通しの良い場所だ。
ルーフェンはメイシーとリロイを引き連れて廊下を進み、一先ず元の自分の部屋を目指した。
その途中、ルーフェンは屋敷の様子に違和感を覚える。
何故か人気が無く、静まり返っているのだ。
「ねえ、使用人が少ないように思うんだけれど…」
立ち止まり、後ろに着いていたメイシーを振り返る。
窓の縁には薄らとホコリが溜まり、昼間でも灯っている筈の灯りは数個消えていた。
「申し訳ありません。私はお屋敷の仕事は割り振られていませんので…」
「そうなの…」
ルーフェンは窓の外にチラリと目をやり、また歩き出す。
美しかった筈の庭園は荒れ、雑草が伸びていた。
自分の部屋に辿り着き扉を開けたルーフェンは、思わず立ち尽くした。
ルーフェンの好きな淡いブルーですっきりと統一されていた部屋は今や見る影もなく、ピンクを基調とした主張の激しいゴテゴテとした家具で溢れ返っている。
「な、なに…?これは…」
「あらぁ?目が覚めたのですね、お姉様」
甘い声に振り返ると、三人の後ろにはアーシェンが立っていた。
夜会にでも行くかのような、派手なピンクのドレスを身に纏い、ジャラジャラとアクセサリーを付けている。
「アーシェン?貴方、一体どういうつもり!?」
激昂するルーフェンに、アーシェンは肩を竦めた。
「どういうつもりも何も…ねえ。だって、お姉様ばかりずるいじゃない」
真っ赤に染めた爪を眺めながら、アーシェンは事も無げに言った。
「いつもいつもいつも、お姉様ばっかり!お父様もお母様も、みーんなお姉様の味方で、お姉様ばかり褒められて!私も同じ公爵家の令嬢で、聖女なのよ?だから思ったの。ずるいお姉様から、奪ってやろうって」
「何言ってるの…そんな事…奪うって、一体どうやって…」
始めて見る妹の態度に、ルーフェンはたじろいだ。
「かぁんたんよぉ。ちょっとした裏技を使ったの。秘密だけどね。お陰でお父様もお母様も、私の言いなりになったわ。そうそう、お姉様の婚約者だったベンジャミン様、今は私の婚約者なのよ?うふふっ」
寝ている間に妹が何か別の生き物に成り果ててしまった気がして、ルーフェンは背筋が泡立った。
「ねぇ、お姉様。どうするつもりなの?もうこの屋敷に、お姉様の味方は居ないわ。私に歯向かう使用人は、みーんな首にしたもの。この家に、お姉様の居場所はもう無いわ」
立ち尽くすルーフェンにアーシェンは微笑みかける。
「このまま、お姉様が静かにしていてくれるなら、私はもう手を出さないわ」
「巫山戯ないで!貴方の勝手な我儘に、どうして私が付き合わないと行けないの!?」
カッとなって振り上げた手は、アーシェンは届かなかった。
アーシェンを庇うように、背の高い男性が立ち塞がる。
「…ベンジャミン様…?」
呆然として名前を呼べば、ベンジャミンは憎々しげに顔を歪めた。
「か弱い妹に手を上げるなんて…見損なったぞルーフェン!」
唖然とするルーフェンを尻目に、アーシェンが目に涙を浮かべながらベンジャミンの背にしがみつく。
「こ、怖かったですわ、ベンジャミン様…でもお姉様を怒らないでください…全部私が悪いの…」
「アーシェンが悪いものか!大丈夫、僕が君を守るから…」
安い観劇を見させられている気分だ。
ルーフェンは顔を上げ、二人を睨んだ。
「そもそも、私はアーシェンに階段から突き落とされて今日目が覚めたの!加害者を問い詰めて何が悪いの!?」
ルーフェンの言葉に、ベンジャミンは鼻を鳴らす。
「その割にピンピンしているじゃないか。どうせ仮病だったんだろう」
「それは私が神聖魔法で治したからよ!」
「嘘をつくな!お前は聖女のくせに神聖魔法の使えない落ちこぼれだったはずだろう!」
「何を言っているの!?」
ルーフェンは、ラルフロイ王国で歴代最高と言われた力を持った聖女だ。
その神聖魔法は身体の時を巻き戻す程で、それをベンジャミンも知っているはずなのに。
むしろ、落ちこぼれと呼ばれていたのは、アーシェンの方だ。
聖女としての力はあるが、アーシェンは弱い回復魔法しか使えない。
「落ちこぼれは、アーシェンの方でしょう!?」
衝動のまま叫べば、激しい衝撃がルーフェンを襲う。
崩れ落ちるルーフェンにメイシーが駆け寄った。
リロイがサッと間に入る。
「ラント公爵令息!やりすぎです!ご令嬢に手を上げるなど!」
「大聖女たるアーシェンに暴言を吐いたのだ!この位安いものだろう!」
ベンジャミンはそう言い捨てた。
「おい誰か!この女を病室に戻しておけ!」
廊下から騎士が現れ、ルーフェンの腕を掴む。
「ちょっと!」
メイシーが講義の声を上げるが、ルーフェンは騎士の顔を見て引っ張られるままに足を踏み出した。
間近に見た騎士の瞳には生気がなく、どこか虚ろだった。
ルーフェンの背筋を悪寒が駆け抜ける。
なにか、良くない事が起こっていると、ルーフェンは思った。
そしてその中心には、アーシェンがいる。
振り返れば、アーシェンはベンジャミンの胸に顔を埋め、肩を震わせていた。
泣いているのかと思えば、ちらりと見えたアーシェンの唇は笑みの形に歪んでいる。
言葉を失ったルーフェンは、黙ったまま病室へ戻った。
ルーフェンは病室のベッドに座り込み、ベンジャミンの事を考えていた。
いつも穏やかで、ルーフェンの隣でにこにこ笑っている事が多かったベンジャミン。
小さい頃は泣き虫で、いつもルーフェンが手を引いていた。
「いったい、どうして…?ベンジャミン、何があったの…?」
涙を零していると、ノックの音がしてメイシーが食事を運んできた。
優しいポタージュの香りが部屋に満ちる。
「お嬢様…せっかく目が覚められたのですから、召し上がってくださいませ。しっかり食べないと、元気が出ませんよ」
ルーフェンは涙を拭い、スプーンを手に取った。
「メイシー。お願いがあるの」
顔を上げたルーフェンは、真っ直ぐに前を向く。
「はい。お嬢様」
ルーフェンは覚悟を決めた。
あの様子だと、この屋敷でルーフェンの味方はメイシーのみだ。
リロイは通いなので、数に入れる訳には行かない。
「私、ここから出ようと思うの。協力してくれる?」
「私はお嬢様に従いますけれど…どうするのですか?」
「領地のお祖母様の所へ行こうと思うの」
「前公爵夫人の所ですか?」
「ええ」
ルーフェンは頷いた。
祖母もかつては聖女であり、今は公爵家の領地に屋敷を建て、そこで隠居生活を送っている。
「今の状況は、多分アーシェンが何かしているからだと思うの。両親もベンジャミンも様子が明らかにおかしいわ。屋敷の中だってそう。メイシー、貴方、他の侍女たちの様子に違和感は無い?」
「確かに…話しかけても無視されることが多くて…最初の方は頑張って話しかけていたんですが、余りにも無視されるので最近は一人で過ごしているんです。お嬢様のお世話の傍らで内職したりして…」
ぺろりと舌を出したメイシーは、見事な刺繍の入ったハンカチを取り出した。
「自信作なんです!良かったら使ってください!」
ルーフェンは呆れた顔をしたが、確かに寝たきりの世話など暇でしょうがないだろう。
「とにかく、私の私物を回収しないとね。どこにあるかわかる?」
「探してまいります!」
「動きやすい着替えもお願いね」
メイシーは静かに部屋を出ていった。
暖かいスープを口に運ぶ。
様々な思いが、ルーフェンの内を駆け巡る。
一年前まで、ルーフェンは国で最も栄誉ある聖女であり、大聖女の称号を受ける事が決まっていた。
そんなルーフェンの影で、アーシェンはずっと、何を思って居たのだろうか。
程なくして戻ってきたメイシーに渡されたシンプルなワンピースを来たルーフェンは、静かに部屋を出た。
メイシーに先導され、屋敷の外の倉庫に案内される。
そこには一年前までルーフェンが愛用していた家具が雑多に放り込まれていた。
ルーフェンは傷んだ家具に心を痛めつつ、クローゼットに手を掛けた。
一枚板を外すと、隠し金庫が現れる。
神聖力を込めると魔法陣が浮かび上がり、鍵が開いた。
中には高価な貴金属類と、現金が仕舞われている。
ルーフェンはそれら全てを取り出し、クローゼットの中にあったカバンを手に取った。
ドレスの類は全て無かったが、地味なカバンは無視されたらしい。
「お嬢様、それは?」
「まあ見てて」
カバンを開き、金庫から取りだした中身を放り込む。
このカバンは無限収納の魔法がかかった魔道具で、王都に小さな屋敷が買えるくらい高価なものだ。
アーシェンはきっと、この価値を知らなかったに違いない。
ルーフェンはカバンの隣にあったポシェットをメイシーに手渡した。
「これ、あげるわ」
「なんですか?これ」
ポシェットには拡張魔法がかかっており、無限収納ほどでは無いが、沢山の物を入れることが出来る。
これもかなり高価なものだった。
「良いんですか!?」
「これから、必要になると思うもの。痛いと思うけど、ここにちょっと血を垂らしてくれる?持ち主登録が必要なの」
メイシーはポケットから刺繍針を取り出し、指をつついた。
嬉しそうにポシェットを覗き込んでいる。
「そろそろ行きましょう」
「はい!」
二人はそっと倉庫を後にし、公爵邸を抜け出した。
銀色の満月が、優しく夜道を照らす。
街に出たルーフェンは、迷いなく冒険者ギルドを目指した。
女性二人では流石に公爵領まで無事に辿り着けないので、護衛を依頼するのだ。
「今晩は。ギルド長を呼んで頂きたいのだけれど」
そう言って受付に金貨を渡す。
首を傾げた受付が席を外し、待つこと一分。
大柄な男が姿を見せた。
熊のような大男に、メイシーが僅かに身を引く。
頬に傷のある強面が急に現れたら、驚くのも当然だ。
「おお、ルーフェン嬢!無事だったか!」
「お久しぶりです、マーベルさん」
「心配していたんだ。事故に合ったとは聞いたんだが…貴族の情報はなかなか手に入らなくてな」
応接室に促され、ルーフェンはソファに腰掛ける。
受付がお茶を入れてくれたので、静かにそれを口にした。
「ところで、急にどうした?」
「実は…」
事情を説明すると、マーベルは難しい顔をして黙り込んだ。
「なので、祖母の所に身を隠そうと思うのです。長旅になるでしょうから護衛を雇いたいのですが」
「事情は分かった。俺の方でも色々調べてみる。護衛は、丁度いいのが帰って来てるんだ。ちょっと待っててくれ」
そう言って呼ばれたのは、背の高い黒衣の青年だった。
冬の星のように煌めく銀色の瞳に、艶やかな長い黒髪。
何故か頭に花の輪っかを乗せ、三つ編みにされた髪にも花を挿している。
「お前…何やってんだ?」
思わずマーベルが突っ込んだ。
「いや…リタとリサが…」
どうやら、マーベルの娘たちに玩具にされていたらしい。
花輪を取って頭を振る彼の頭の上で、三角の耳がプルプルと揺れた。
振り落とされた花が床に落ちる。
「まあ!もしかして獣人の方ですか?」
髪と同じ色の三角の耳は、犬か狼のものだろうか。
触り心地が良さそうで、ルーフェンは目を煌めかせた。
「ああ。こいつはシリウス。狼の獣人で、冒険者の中ではトップクラスの実力者だ」
シリウスと呼ばれた青年が、ぺこりと頭を下げる。
「シリウス・シュテルンハイムと申します」
「シュテルンハイムと言うと…北の辺境伯家のご出身ですか?」
「はい。現当主の二番目の弟です」
ルーフェンはにこやかに頷きながら、シリウスの頭の上に釘付けだった。
触りたい…触りたい…。
ソワソワしているルーフェンの背中を、メイシーがつつく。
はっとなったルーフェンは居住まいを正した。
「ええと…今回の依頼は護衛です。私をアレイスター公爵領の隅、エンバーの街まで連れて行ってください。そこに祖母が住んでいて、無事に会えたら依頼完了です。護衛対象は私と侍女のメイシー。お願い出来ますか?」
「お任せ下さい」
その言葉に、ルーフェンはホッと溜息を漏らす。
何処かで緊張していた部分が、そっと解けて行った。
「今日はもう遅いので、明日の朝立つことにしましょう」
「そうですね…あ、そうそう、公爵家の主治医のリロイに手紙を書きたいので、届けてくれますか?」
シリウスの言葉に同意したルーフェンは、マーベルの勧めでギルドに泊まることにした。
したためた手紙は、すぐさまギルドの手によって運ばれて行った。
明日から、旅が始まる。
翌朝、まだ夜が明けきらぬ前に三人は王都を後にした。
静かな道に、馬の蹄の音が響く。
シリウスの黒馬を先頭に、ルーフェンの乗った芦毛の馬とメイシーの栗毛の馬が続く。
不安定なルーフェンとは違い、メイシーは意外にも乗馬が上手かった。
祖母の住むエンバーの街までは、一ヶ月の長旅だ。
ルーフェンのぎこちない乗馬は、果たして上達するのだろうか。
[第一章 完]
公爵邸の地下に、一つの足音が響く。
「ふふふ…お姉様…あのままずぅっと、眠っていればよかったのに。こうなったらぜんぶぜんぶぜんぶ、奪ってあげるわ。お姉様から、栄光も、名声も、その力も!だって私には、貴方が居るもの…ね?そうでしょう…?うふふふふふふ…」
歪んだ笑みを零すアーシェンの周りで、応えるように闇がどろりと蠢いた。
アーシェンの手元で、赤い石がキラリと光る。
笑い声は不気味にこだまし、ざらりと不快な余韻を残す。
「ぜんぶ、わたしのものよ…おねえさま」




