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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約破棄された令嬢はすれ違いながらもやっぱり旦那様が好き!

作者: 八重

「キルティア・ライザード伯爵令嬢よ! お前は嫉妬に駆られてここにいるララを虐めた! よって、今日限りでお前とは婚約を破棄し、ララを私の新しい婚約者とする!」


 舞台役者さながらに大手を振ってそう宣言したのは、キルティアの婚約者だった。

 そしてその隣にはたった今彼の婚約者として指名されたララがいる。

 ララは彼に見えないように勝ち誇ったような笑みを浮かべると、見下すような視線をキルティアに向けた。

 突然の婚約破棄に戸惑うキルティアは、頭が真っ白になってしまい、その場で立ち尽くしてしまう。


(どうして……)


 婚約者と過ごした三年間の思い出がどんどん崩れ去っていく。

 キルティアは目に涙を溜めるも人前で泣くまいと必死に感情を抑えようとする。

 しかし、無情にもわずかに震えた彼女の瞼を伝って涙が零れ落ちてしまった。


「私は……私はあなた様が仰るような虐めはおこなっておりません……!」

「何を申すか! 私の友人が虐めを見たと言っているのだ! それが嘘だと言うのか? どこまでも性根の腐ったやつめ!」

「本当に……! 私はやっておりません!」

「ふんっ! お前の戯言を聞いている暇はない! 行こう、ララ」

「はい!」


 キルティアに暴言を吐いた彼はララの手を引いてその場を立ち去ろうと歩き出した。

 涙で頬を濡らす彼女の横を何も言わずに通り過ぎていく。


(待って! 行かないで!)


 振り返り彼に視線を送るキルティアの願いも虚しく、彼は部屋を後にする。

 彼に手を引かれたララは悲しみに暮れる彼女を見て、「ご愁傷さま」と口にした。

 

 こうしてキルティアの初恋だった婚約者との別れを表すように、扉は大きく冷たい音を立てて閉まった──。



 悲しい別れをした夏が終わり、秋に移り変わってもキルティアの心が癒えることはなかった。


「キルティア、ご飯くらいは食べてちょうだい……?」


 キルティアの母親が心配そうに娘に声をかけるもやせ細った彼女は首を左右に小さく振る。


「これ、おばあちゃんがくれた梨なの。よかったら一口でいいから食べて?」


 フォークで彼女の口元に持っていくと、ゆっくりそのかさついた唇が開かれた。

 ほっと胸を撫で下ろした母親は彼女を優しく抱きしめる。


「大丈夫よ。ゆっくり休んでいいから」

「…………うん」


 娘の返事を聞いた母親はそっと彼女の頭を撫でて、部屋を後にした。


 一人になったキルティアは母親が残していった梨をもう一口食べる。


(美味しいも、ありがとうも言えなかった……)


 キルティアの両親は勝手な言い分で娘と婚約破棄をした彼に怒りを覚えたが、彼は立派な侯爵家の跡取り息子。

 家格がずいぶん上な彼の家に両親は表立って文句を言うこともできず、悔しさを滲ませた。

 キルティアは婚約破棄の影響で塞ぎ込んでしまい、学院へも通えなくなってしまったのだ。


 両親へ申し訳なさを感じつつも重だるい体と感情に押しつぶされて毎日を過ごした。

 一日の大半は眠るかベッドに入って過ごし、夜は星空を眺めて眠れない夜を越す。


 ある日、ふと本棚から昔よく読んでいた一冊の本を見つけた。


(これ……懐かしい……)


 『バイオリンが紡ぐ世界』と書かれた本を手に取ると、机の灯りをつけて目を通していく。

 楽器は貴族の嗜みとして一つは扱えるように幼少期に習うが、キルティアはバイオリンを気に入り練習していた。

 指の怪我をして練習を休んだ一週間で大きくブランクが出てしまい、うまく弾けないことに落ち込んだ彼女はバイオリンから気持ちが離れていってしまう。


(もっとちゃんと続ければよかった)


 あの時の反省からか気持ちの再燃か、キルティアはバイオリンに再び興味が湧いてきた。


(バイオリンについて勉強したい)


 そう考えた彼女は音楽史の本を手にとって読み始めた。

 

 ──気づいた時には朝だった。

 母親が朝食を持ってくると珍しく起きている娘に驚く。


「キルティア……?」


 本に夢中で返事をしない彼女を心配して覗き込むと、そこには紙にたくさんバイオリンの歴史や作り方をメモしていた。

 母親は久しぶりに見た彼女の夢中で生き生きした瞳を見て、涙が止まらない。


「よかった……」


 母親の零した声は静かに消え入った。


 冬の始まりになった頃には、キルティアの体や精神は大きく回復していた。

 バイオリンへの熱が彼女に生きる希望を与えたのだ。

 そんな彼女はこの冬に運命的な出会いをする。


「はじめまして、キルティア嬢。今日からよろしくね」

「はじめまして、セラディード様」


 少し緊張気味にキルティアは挨拶をした。

 それもそのはずで彼はバイオリンでは国内一と言われる腕の持ち主であり次期公爵。

 キルティアからすれば尊敬すべき存在であった。


(お父様とお母様に感謝ね……)


 婚約破棄以降、キルティアが塞ぎ込んでしまうもバイオリンによって再び生きる希望を見いだした。

 そんな彼女へのサポートになればと、両親はセラディードを娘のバイオリンの師にと、彼に頼み込んだのだ。


「早速だが、まずは軽いエチュードを弾いていこう。それから少しバイオリンの歴史について教えるね」

「は、はいっ! よろしくお願いします!」


 セラディードの教えは的確かつ丁寧な教え方だった。


(すごい……セラディード様の音色、歌うようだわ)


 なんとか尊敬する彼に追いつけるように必死にキルティアは練習を重ねる。


「そこ、指が違う」

「はい!」


 厳しく指導するセラディードにもついていき、なんとか練習を終えた。


 週の三日ほどこのレッスンが続くと、キルティアのバイオリンはどんどん上達していった。 


「セラディード様、申し訳ございません。私が音楽史で質問をしたばかりに……」

「何を言ってるの。君のせいじゃないよ」


 レッスンが長引いてしまった間に天気が急変して馬車を動かせなくなったのだ。


「セラディード様、母がぜひ今夜はうちでお泊りになってくださいとのことで……」

「それは大変ありがたい。申し訳ないね」

「い、いえ! その、あの……」


 口ごもるキルティアにセラディードは尋ねる。


「どうしたんだい?」

「あ、いや、その……セラディード様のご婚約者様に申し訳がなく……」


 いくら部屋を別にして寝たとしても婚約者以外の屋敷に泊まるなど浮気とみなされても仕方がない。


(天気とはいえ、セラディード様にご迷惑はかけたくない!)


 そう思った彼女に意外な言葉がかけられる。


「いないよ」

「え……?」

「婚約者はいないよ」


 その言葉を聞いた時、キルティアはとても安心した。


(私、安心してる……やっぱり……私、セラディード様のこと……)


 薄々気づいてはいたのだ。

 レッスンを日々受けていく中で彼への純粋な尊敬から、恋心のようなものに変わっていくのを……。

 そんな感情の芽生えを示すようにキルティアは安堵した。


「ねぇ、キルティア嬢」

「はい」

「このタイミングで言うことではないかもしれないけど、俺と婚約してくれないかな?」

「はい……え!?」

「初めて見た時から可愛いと思っていたんだけど、君のバイオリンへの真っ直ぐな姿勢や真面目な部分、それから『できた!』と笑う顔が好きで、ああ……毎日見ていたい。独り占めしたいって思ったんだ」

「セラディード様……」

「キルティア嬢、俺と婚約してください」


 彼女の気持ちはもう決まっていた。


「はい、よろしくお願いします」



 キルティアとセラディードが婚約をして二年後、二人はめでたく結婚した。


 まさに幸せの絶頂にいた彼女は結婚して公爵夫人教育をうけながらもバイオリンを続けた。


「キルティア」

「なんですか?」

「ううん、好きだな〜って」

「わ、わ、私もです……」


 そうして交わされる唇と唇。そんな甘い日々は長くは続かなかった。


「公演遠征、ですか?」

「ああ、隣国にも俺のバイオリンを聴きたいって人がいっぱいいてね。ぜひ行ってみたいんだけどいいかな?」

「それはどれくらいの期間なんですか?」

「一ヶ月かな」

「そんなに……」


(でもセラディード様のお仕事の邪魔をしたくない……)


 キルティアは寂しい気持ちをぐっとこらえて彼を応援することにした。

 公演は終了して無事に終わりセラディードは公爵邸に戻ってきたが、その公演をきっかけに遠征の仕事が増えてしまったのだ。


「悪いな、キルティア」

「いいえ、あ、あの……」

「ん?」


 今日は遠征と遠征の間の休み。

 そろそろ子どもが欲しいと思っていたキルティアは彼を誘うが、その手をそっと剥がされる。


「ごめん、まだ子どもは考えられないんだ」

「いつ……いつならいいのですか?」

「え?」


 その言葉をきっかけにキルティアの想いは溢れ出す。


「先月も、先々月もお断りなさいました。セラディード様が帰る日々を待ち望んで月に過ごせるのは一週間もありません。なのに、その時すら愛していただけないのでしょうか?」

「キルティアっ! ごめん、そんなつもりは……!」


 彼の制止を振り切ってキルティアは部屋を飛び出した。

 

(言い過ぎた……セラディード様に嫌われたに違いない)


 涙を拭いながら裸足で部屋を飛び出し、裏庭で一人うずくまりながら泣いた。


 こうして夫婦のすれ違いが起こった頃、セラディードが一枚の封筒を置いていった。

 それにはあるオペラのチケットが入っていて、キルティアはそれを手に取った。


(これ、王太子殿下のご出演なさるオペラ?)


 この国の王太子は声楽科の有名学院を首席で卒業しており、王太子としての公務を勤めながら、オペラ歌手としても活動していた。

 セラディードの勧めということもあり、キルティアはその公演を観に行くことにした。


 広いホールに王太子が立つと空気が一気に変わったようにキルティアには思えた。


(すごい……)


 まさしく圧巻だった。

 彼の体から紡がれる歌にキルティアの心は撃ち抜かれる。


(なんて優しいけど力強い声……)


 見目麗しき王子様が素敵に歌を歌いあげる。

 そのあまりに素晴らしい声にキルティアは魅了された。

 公演を聞いたその日は夜も眠れなかった──。


 それからキルティアは何度も王太子の公演に出向き、歌声を堪能した。

 公務である式典でのきらびやかな姿も見てオペラの時とは違う屈託ない笑顔に癒やされた。


 そして、勇気を振り絞り、キルティアは王太子へてがみをしたためた。



『王太子殿下

 

 初めてお手紙送らせていただきます。

 クリスマス公演を拝見してお手紙を書いております。私は初めてオペラを観たのですが、あなた様の優しくも力強い歌声に魅了されました。

 私の辛く寂しい苦しみを包み込んでくれるようなそんな歌声に癒されました。

 そして、ご公務での姿も拝見し、あなた様の笑顔に救われました──』


 そこまで書いたところで自分の気持ちに気づく。


(もっと知りたい、これは恋ですか?)


 キルティアはその感情に気づいた時、頭を抱えて目を閉じた。


(私にはセラディード様がいる……他の方に恋をするなんて許されるわけない……)


 そうわかっていても止まらない好きな想い。

 


『私は夫がいる身でありながらあなた様を好きになってしまいました。許されることではありません。

 恐らくこの手紙を見られることはないでしょう。

 あなた様の声や笑顔で救われる方がたくさんいると思います。

 これからもオペラ公演楽しませていただきます           

               キルティア』


 そう最後に綴って手紙を送った。


(王太子殿下への手紙はたくさん来ているはず。私のなんて見るはずもないわ)


 そう考えつつキルティアはオペラに通い続けた。


 そんな時、ある晩にセラディードが公演から戻った。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 そうしていつものように寝室へ向かったセラディードを追って、キルティアも部屋に入った。


「どうしたの?」

「あの……」


 キルティアの中で王太子へ抱いた想いの罪悪感が拭いきれずにいた。


(正直に言わなければ……)


 彼女は一つ深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。


「あの、王太子殿下の公演についてなのですが」

「ああ! どうだった? すごいでしょ? あの方の歌声!」

「はい……その、それで実は彼を好きになってしまいました」

「え……?」

「セラディード様がいながら私は別の人に恋をしてしまいました。一瞬のことかもしれません。ですが、一度好きになったことは変わりないのです。申し訳ございません。このことの処罰はいくらでもお受けいたします。離縁も覚悟しております」


 そう言い切った彼女にセラディードは何も言わない。

 やはり怒っている。

 そう思った次の瞬間、セラディードは勢いよく頭を下げた。


「え……?」


 困惑するキルティアに彼は告げる。


「俺こそ申し訳なかった。キルティアの優しさに甘えて寂しい思いさせた。子どものこともキルティアとの時間が取れなかったのも俺が悪い。申し訳なかった」

「セラディード様……」

「王太子殿下は素敵な人だ。もしキルティアが好きなんだったら、王弟殿下に伝えて王太子殿下との縁談を組んでも構わない。俺とは離婚してくれていい。キルティアが幸せならそれで。一晩、考えてくれないか?」

「はい、かしこまりました……」


 ベッドの中でキルティアは天井を見上げる。

 隣には愛する夫がいて、眠りについていた。


(離婚……)


 彼に言われた言葉が頭の中でこだまする。


(私がセラディード様と離婚……)


 そう考えてみてもあまり実感が湧かない。


(辛い日々をバイオリンとセラディード様が支えてくれた。また私に生きる希望をくれて結婚してくださって、私は彼が大好きで、大好きで……)


 その瞬間、涙がシーツを濡らした。


(なんて泣き虫なのよ、私は。こんな私の傍にいてくれた……)


 キルティアは隣で眠る彼の髪を撫でた。

 くすぐったそうにする姿に思わず笑みが零れる。


(ああ、やっぱり私は──)


 翌朝、セラディードが目を覚ました時、すでにキルティアは起きていた。


「キルティア……?」

「セラディード様、私はあなたと離婚しません。いえ、したくないです」

「キルティア……」

「あなたの眠る顔をずっと隣で見ていたい。あなたと美味しいものをたくさん食べて、思い出を重ねたい。やっぱり私にはセラディード様だけでした。もし許されるならあなたの傍にいたいです。これからも……」


 これは自分のわがままだと気づいていた。

 勝手な自分の想いに嫌気がさした夫に離婚を突きつけられるかもしれない。

 その不安の中でキルティアは彼の返事を待った。


 そして──。


「キルティア、俺は君が好きだ。君の傍にいたい。いいるためにこれからは寂しい思いをさせない」

「セラディード様……」

「君が他の人を好きだと聞いて初めて焦った。君がいなくなる不安に襲われた。それくらいキルティア、君が大事だ。もう一度、俺とやり直してくれないか」

「はい……よろしくお願いします……」


 朝日が昇る中、夫婦は抱きしめ合って想いを確かめた。



 キルティアは再び筆を執った。


『王太子殿下


 あなた様へのお手紙は二回目になります。

 先日はあなた様を困らせ迷惑になるお手紙を送ってしまいました。心よりお詫び申し上げます。

 あなた様のことを好きな気持ちは変わりません。

 ですが、それは尊敬と憧れの気持ちだと気づかされました。

 恥ずかしながら夫にそれを気づかされ、彼の存在の大きさを改めて知りました。

 あなた様のオペラは夫とまた聴きに行きます。

 いつも素敵な声と笑顔をありがとうございます。

 

               キルティア』


 手紙を畳むと彼は大事に箱にしまう。


「次の手紙は惚気ですか。はあ……一度だけ聴いたあなたのバイオリンと、あなたに僕は惚れていたのですが、恋愛は難しいですね」


 王太子のペンダントを身に着け、彼は舞台に向かう。


「あなたとあなたの大切な人に幸せが訪れますように」


 そんな彼の声が届いたのか、夫婦は笑い合った──。

読んでくださりありがとうございました!

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