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「宮坂くん!」


更に3週間後、廊下ですれ違った宮坂くんを呼び止めた。

周りの人たちが一斉に振り向いたものだから、少し居心地が悪くなる。


「今日…「うん。ありがとう。」


私の言葉を遮るように返事が被さってきた。ポケットから手を出して、彼の腕に触れていた私の指先がどけられる。

そして、何事もなかったかのようにスタスタと歩いていってしまう。

少しだけ距離が縮まったと思っていたのは、錯覚らしい。彼は表情を変えない。


「えっ花音、宮坂くんと仲良くなったの?」


近くにいたクラスメイトが近寄る。


「仲良く…うーん、まだ壁があるかな?」


楽しく談笑したこともないし、今なんて軽くあしらわれたような…

ただ、ピアノを弾く人と聞きに来る人。

決して仲の良い関係とは言えない。


「知ってる?宮坂くんって、おじいちゃんおばあちゃんの家に住んでるんだって!なんか、両親事故で死んじゃったらしいよ。」


「えっ…」


初めて聞く彼の噂話に、私は動揺した。


「しかも、そのおじいちゃんおばあちゃんはお父さんの方?のみたいなんだけど、宮坂くんはお母さんの連れ子だったから血が繋がってないんだって。」


「そう、なんだ…」


「そうみたい。でもなんか、3組の男子が遊びに誘っても断られるし感じ悪いわ〜って言っててさあ。もうこっち来て2ヶ月以上経つけど、いっつも1人でいるじゃん?花音と仲良くなったの!?ってびっくりしちゃった!」


胸の奥がきゅっと締め付けられる。

最初に会った時の彼の涙が思い出された。

どこか寂しそうな瞳の理由が、宮坂くんの過去にある気がしてならない。

人はみんな噂が大好きだ。

大して知りもしないくせに、どんどん広がっていく。

事実かどうかもわからないのに、先入観だけ植え付けて。

けれど、事実の確認なんてしなくてもいい。

結局私が彼に出来ることといえば、ピアノを弾き続けることくらいなのだから。

彼がピアノを聞きたいと思う限り、

噂を知る前と変わらず、同じように。




放課後、角の教室の扉を開けようと手を伸ばすと、中から微かにピアノの音が漏れ聞こえた。

鍵盤を当てずっぽうに押しているだけかと思ったけれど、聞いているうちに知っている曲だと気づいた。


「パッヘルベルのカノン…」


扉を開けると、鍵盤を叩く宮坂くんと目が合う。


「今、弾いてたよね?パッヘルベルのカノン!」


「…カノン?」


どうやら曲名は知らなかったようだ。

彼は鍵盤に目線を落とした。


「うん。その曲の名前だよ。」


「そっ、か。君と同じ名前なんだね、カノン。」


彼は少しだけ口角を上げて、まっすぐ私の目を見た。

急に名前を呼ばれたものだから、心臓がトクンと跳ねあがる。

私はまた、わざとらしく笑顔を作ってしまった。

彼の瞳を直視すると、動けなくなってしまいそうになるからだ。

 

「うん!下の名前知ってたんだね。」


できるだけ自然に、いつも通りに返す。

彼は少し微笑んで、


「うん。君は人気者だから。」


そう呟いた。


「宮坂くんの下の名前はなんていうの?」


「ハル。」


「季節の?」


「ううん。天気の晴れるって字。」


はるくん…」


「……似合わな「へえー!素敵な名前!“晴れる”か。なんだか希望に満ち溢れるような、こう、力が湧いてくるような名前だね。」


すっかり暑くなった今、季節は夏だ。

ジワジワと照りつける太陽。

空は雲ひとつない青空、まさに晴れ渡っていた。

窓から見えるこの景色が、彼の名前なのだ。

純粋に素敵だと思った。


「あ、ごめん。さっき何か言いかけてたかな?」


そう言って、彼の顔を見ると


「うん。俺も気に入ってるんだ。この名前。」


そう言って、優しく微笑んだ。

窓から空を見る横顔が、太陽の光に照らされる。

スポットライトを浴びているみたい。

彼の新しい顔を見てしまった。

私は彼から目が離せずに、固まった。




「あのさ、もう廊下で会ったりしても話しかけないでよ。俺、勝手にここに来るから。」


気を取り直してピアノを弾いていた私に、彼は言った。

前回よりも少し近くに腰を下ろしたかと思えば、ぶっきらぼうにそんなことを口にするのだ。


「…あー、じゃあ、合図をするよ!」


理由を聞くのは、なんだか違う気がした。

落ち込みそうになる心を奮い立たせる。

またフラフラと遠ざかろうとする彼を、もう少しここに留まらせたかった。

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