22
仕事が終わった夜中、私は雪也の家に向かっていた。
酔っ払わずとも体を重ねたことがあるのは、雪也とクニさんだけ。
たまに訪れる何も考えたくない夜。
そんな日は決まって雪也の家に足が向くのだ。
2人の間に愛が無いことはわかっているけれど、それでもいつまで続くかわからない熱に甘えたかった。
「うわ、さむ〜。早く入って!」
雪也は今日も綺麗な笑顔で私を迎え入れる。
大袈裟に肩を震わせながら歩く雪也の背中に、冷たくなった手を入れて抱きついた。
「ひっ!おいー!」
雪也は振り向いて、私のイタズラに笑う。
この男は何をしても笑ってくれるのだ。
まるで、いつでもここに来ていい。と、言われているようで安心する。
雪也は私を詮索しない。強要もしない。
ただこの時間だけを、今だけを共有する。
「あっためて!」
無邪気な笑顔で、雪也に甘えた。
そんな私に、雪也はそっとキスをして服の中に手を這わせた。
暗くて、静かで、激しくて、頭がカラになる夜。
終わったあとは、一本のペットボトルの水を共有する。
雪也の前で、私はタバコを吸わない。
関係を持ち始めた頃、雪也の背中にある無数の火傷の跡を見てしまったからだ。
あっけらかんとした口調で慣れたように過去を語る雪也に、私ができることはなかった。
多分、ただの利害の一致。
互いが温もりを求める限り続く、この浅い関係性の終止符の打ち方を、私はまだ知らない。
外が明るくなった頃、目が覚めた私は雪也の腕の中から抜け出した。
「ん?もう帰る?」
そう言って、まだ眠そうな顔で雪也が起き上がる。
「うん。まだ寝てていいよ。」
いつもそう言うけれど、雪也は見送りをサボることはない。
身支度をしながら、立ち上がってスウェットを着る雪也の後ろ姿を見ていた。
背が高い雪也は、いつも丸っと私を抱え込んで眠る。
そういえば、彼も同じくらいの背丈だった。
「ん?どうしたの?」
手が止まっていた私に雪也が問いかける。
「ううん。」
私の顔を覗き込む雪也に、私は微笑みながら首を振った。
「なーに?まだ帰りたくない?」
雪也は肌を密着させながら、イタズラな笑みを浮かべて私の横に腰掛けた。
「そうかも。」
私もそれに応えるように笑って、冗談を返す。
雪也は微笑んで、私に触れるだけのキスをした。
靴を履き終わって玄関を開けようとした時、
「ねえ、凛ちゃんまた来るよね?」
と、背中から声がした。
予想外の言葉に振り返ると、雪也はいつも通り笑っている。
一瞬、何かあったのかと思って損をした。
「さあね〜」
私はいつも通りふざけた物言いで、手をひらひらと振って部屋をあとにした。
実際、私たちに次がある保証なんてどこにもないのだ。
冷たい風が頬を刺す。
朝日が昇る中、いつもはネオンに染まる街を歩いた。
Lacisの1本隣にある、いちばん大きい通り。
昼も夜も変わらずこの街を照らしている、大きな看板がある。
見上げた看板の女性は気持ちのいいくらい幸せそうな笑顔をしている。
十代の頃、私はこの写真に何度も勇気をもらった。
けれど今は、この街にいてこんな顔で笑える人がいることの方が不思議でならない。
それでも、何故か見上げてしまう。
景色に溶け込んだその笑顔を横目に、私は帰路についた。
明日は久しぶりに芝さんとの同伴。
また、「愛がない。」と言われるのだろうか。
芝さんは毎日この街を1人で歩いている有名人だった。
店長曰く、昔は発明家のような人でいくつもの店を持っている。
例えば、客も店員も仮面をつけたバーや、別れ話専用のバー、女性がハンドマッサージのみをする指名制の店。
痴情のもつれ代行サービスもあると聞いたことがある。
常人では思いつかない発想を持つ芝さんと話すのは興味深く面白い。
少し意地悪な一面を持つが、基本的には優しくニコニコ笑う。
一度黒服がワインを芝さんの服にこぼしてしまった時も、ニコニコと笑って「新しい模様だ!」と言う男なのだ。
けれど、話を繋ぐためにふと今日食べた夜ご飯を2度聞いてしまった時は、やはり「愛がないよ。」と帰ってしまった。
どこか憎めず、攻略も不可能。
それでもまた私を指名する不思議な人だ。
「凛ちゃん、愛がないよ。」
同伴中の聞き慣れた言葉に、私は笑顔を作った。
「そんなこと言わないで!私、愛たくさんあるよ〜」
芝さんの顔を覗き込むように、近づいてみせる。
私はもう、切り返す言葉を見つけられずに適当なことを口走っていた。
なんだかんだ芝さんは、同伴途中で帰るようなことはしない。
必ずそのまま店に来てくれる情やシステムの理解がある。
しかし5ヶ月程ぶりに見た芝さんは、なんだかひとまわり小さくなったように見える。
痩せたと言うよりやつれたが正しいかもしれない。
「芝さん、どうしたの?なんだか元気がない気がするけど…」
私の言葉に芝さんはニヤリと笑った。
「凛ちゃん、鋭いね。そういうところには気づくんだ。…入院してたんだよ。倒れて、心筋梗塞。」
「えっ!」
私は咄嗟に芝さんの前にある酒を遠ざけた。
芝さんは私の行動を見て、大きな声で笑う。
「…お酒飲んで大丈夫なの?」
「いいんだよ。俺はいつ死んでもいいって思ってたんだ。だけど見つかっちゃったんだよな。」
「どこで倒れたの?体調は悪くない?」
「ホテルだよ。そこの。家に帰るの面倒だからいつもそこに帰ってる。」
「今日も?」
「うん。便利でいい。連泊だと安くなる。」
そう言って笑う芝さんとは対照的に、私はピクリとも笑えなかった。
芝さんは私の顔を確認したあとも、まだにこやかだ。
「しかし、なんで死ねなかったんだろうな。もうやることは尽くしたつもりでいた。神様はなんで俺を生かしたんだろうな。まだ何かやることがあるのか…」
私は適当な返答をできずに、酒に向かって伸ばされた手をただ見ていた。
「酒は飲むぞ。せっかく生きてるのに酒を飲まないなんてクソつまらん。」
そう言って、豪快に飲む姿に少しだけ目を背けた。
「ねえ、芝さんのいう“愛”ってなに?」
自分のグラスを口に寄せながら、芝さんに問いかけた。
こんなことを人に聞くべきではないことはわかる。
けれど、この男の答えを知りたくなった。
「…愛は、愛だよ。」
芝さんは呆れたように鼻で笑って“辞書でも引け”と、言った。
「ふ〜ん…」と言いながら、私は胸の突っ掛かりを酒とともに飲み込んだ。
愛とは、何?
“愛が足りない”と芝さんは私に言うけれど、何を求められているのだろうか。
ほかの客が言う“愛”はいつも体を求める隠語だった。
結局芝さんも同じなのだろうか。
温もりが欲しくて、寂しさを埋める相手を私に求めているのだろうか?
なんだか芝さんは、違う気がする。
あと少しのようで、やはり掴めない。
この男を早く手中に収めたいのに、私ではまだまだだ。
店に着いて、芝さんはいつものワインを頼んだ。
心ばかりで置いたチェイサーを横目に、芝さんはいつもより早いペースでグラスを口に運ぶ。
まるで死に急いでいるような姿が、その日の私の目に焼き付いた。
それでも私は芝さんの手を止めることはない。
ただ次の一手を、この男を喜ばせるための言葉を探していた。




